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<ある通訳の日誌>詩の世界 詩のこころ3

2021年7月14日

詩の世界 詩のこころ
橋爪 雅彦
1
フィッツジェラルド
森(もり) 亮(りょう)訳
オーマー・カイヤム「ルバイヤート」四行詩

―前回の続きー
3.自分なりの世界 自分なりの幸せを
ルバイヤート第十歌(森 亮訳)

畑地よりあら野をさして
いざ来ませ、 草生くさふづたいに
このわたりスルタンも奴僕ぬぼくも今や名はなくて
かのマームード、玉座ゆゆしききみかなし

畑地と砂漠との隔てる境に 草草が細長く伸び、
その一筋の草草を踏んで 私と一緒に来てみなさい。
このあたりでは、スルタンも奴隷も名もないただの人、
玉座に座ったマームードさえ、哀れなものです。

都を遠く離れた砂漠と農地の間の境界では、きっと王侯の名も、一介の奴隷も等しく無名でのままであり、王侯貴族の生活に憧れることなく、自分は自分なりの世界で充分満ちたりていることを表明してもいます。玉座に居座った王侯など、哀れなものだと喝破している風にさえ見受けられます。

―Edward Fitzgerald  ―X―
(フィッツジェラルド第十歌)

With me along some Strip of Herbage strown
That just divides the desert from the sown,
Where name of Slave and Sultan scarce is known,
And pity Sultan Mahmud on his Throne.

こう思ってくると、やはり自分なりの世界に生き、それを歌った有名な詩を思い出します。中国の古典で有名な「鼓腹撃壌(こふくげきじょう)の歌」です。

日 出 而 作       日出(いで)て作り
日 入 而 息       日入りて息う
鑿 井 而 飲       井を鑿(うが)ちて飲み
耕 田 而 食       田を耕して食らう
帝 力 于 我 何 有 哉   帝力 我において何か有らん哉(や)

お日様が出れば仕事を始め、お日様が沈めば休む。井戸を掘削して水を飲み、田畑を耕して食する。こういう生活に、帝王の力など必要ないし関係ない。

この歌を聞いた当時の王様は、ああ、自分の政治が良く隅々まで行きわたっているな、と実感したそうです。いかなる土地であろうと、王であれば、税をかけて民からお金を徴収することもできるし、働き手の若者を兵として徴収することもできるし、耕している田畑が、王侯貴族の狩猟の場に提供されることもあるといった次第で、上記のように民が歌うことができるのは、自らの統治に、民が満足しているからだ、と自らも大いに満足したとのことです。

普通なら、王様なんて関係ないよ、と歌う民に対して、王は何らかの形で、そう歌う民に自分の権力を見せつけ、懲らしめることがしばしばありますが、さすが古代の中国の王は違います。
そして「古詩源」に遡るといわれるこの歌を、後生大事に愛誦し続けてきた民衆の力と、それを歴史の中に記述し続けてきた歴史家たちのエネルギーこそ、敬意を払わねばならないところです。

一方、歌う側としては、王や権力に関係なく、自らの生活は自らの意志と努力で続けてゆく、
このスタンスを崩しません。ここに自らの幸福の源泉があるからです。

■ 芥川龍之介と下町
さて、今回もまた芥川龍之介を引用して恐縮ですが、私の好きな歌に「汝(な)と住むべくは」があります。

汝(な)と住むべくは下町の
水(み)どろは青き溝づたひ
汝(な)が洗湯(せんとう)の行来(ゆきき)には
昼もなきつる蚊を聞かむ

あなたと一緒になって、住みたいところは、下町の
青いドブ水のある溝づたいの家
あなたが銭湯に行き来するときは、
昼間でも蚊の鳴き声を聞いていましょう。

かつて下町にはどこにもあったドブ川。青く濁り多少の臭みもある水が、流れるような流れないような淀みの中で、それに沿って長屋が続き、その長屋の一軒をあなたと一緒に暮らす住処として、あなたが銭湯へ行き来する昼間には、蚊の鳴き声を聞いていましょうという芥川の愛する人への問いかけの歌です。

いうまでもなく、芥川は東京の出身です。生まれは京橋であったが、母が発狂したため、母の実家である両国の芥川家に預けられ,後、芥川家の養子となった人です。明治の時代、生まれの京橋も下町でしたが、育った両国も下町でした。

自分の育った界隈には、特別な愛着を持ちます。
ドブ川の青く腐った水の流れも、また時にはその上にドブ板といった木製の板をかけてドブを見せないような工夫もしていました。お金持ちの屋敷等はもちろんありません。連綿と続く長屋には、庶民の哀歓がもろに現出され、生き生きとした世界そのものでした。
隣の家の夫婦喧嘩も、子供を叱る親たちの声も、また若い夫婦の夜の営みも、もろに聞こえてくる、いわばプライベートと呼べる世界とは遠く離れた世界でした。
もちろん家には風呂はなく、みな誰しも銭湯へ通いました。銭湯は、長屋の住人たちの社交場でもあり、息子が大工で一人前になったことや、娘がどこそこへ嫁に行ったことや、どこどこの田舎から若い娘がこの町に嫁に来たとか、ありとあらゆる庶民の世間話が、銭湯では大はやりでした。

芥川という大文芸家の腕にかかると、下町を流れるドブ川も、銭湯も、昼の蚊も、なにかしら高貴さが漂ってきます。

下町とはいえ、芥川の育った家は、江戸時代から徳川幕府に使える家柄で、江戸の文人墨客の趣味に満ちた家でした。江戸の文化教養を身に着けた家の人たちから、芥川はその才能を育てられたといってもいいでしょう。
江戸の文人趣味と下町の風情。これがミックスしたところに、この歌は生まれたと言えるでしょう。

僕もまた、学生時代、この歌を愛誦しつつ、この歌をまねて、意中の人に「あなたと住むべくは…」を書いて送ったことがあります。
僕の家はお寺でした。長兄が実家の寺を継ぎ、五番目の兄が高崎市内のお寺に入り、そして七番目である私は、高崎郊外の小さな村のお寺へ入ることを夢見ていました。父と母が若いころ過ごした寺で、当時は空き寺になっていました。この空き寺の住職となって、ゆっくりと日本の古典を読み、近くの川の畔を散歩し、時には詩や短歌をものして、静かな人生を贈ろうと夢想していました。

意中の人に対し、自分は高崎郊外の小さな村の寺院で、後ろ手に聞く川のせせらぎを友として、人生をあなたと共に送っていきたいという夢想を述べた詩を送りました。「あなたと住むべくは 小さき村の 川のほとりのとある寺院。せせらぎの音も和やかに…」

そして彼女の反応は、「とんでもありません。あんな田舎の寂しいところで、スーパーも無ければ医者もいない。あんなところで暮らすことを夢見るなんて、ごめん蒙ります。」という現実味を帯びた厳しい言葉で、私の提案ははねのけられました。

昭和40年代、日本の高度成長の波に乗って、都会では高級なアパートやマンションが建ち始め、誰もが都会生活の中のマンション生活へのあこがれを強くしていた時だからです。

その村は、戸数40戸ほどの村で、一軒のお寺以外、塩、味噌、砂糖などを売る小さな雑貨屋が一軒あるだけで、あとは全戸が農家でした。

■ 自分は自分なりの世界を
カイヤムは、上記の詩にみられるように、砂漠と耕地との境あたりで、王侯もここでは名さえ知られていず、奴隷も身分を忘れて、のびやかに暮らせる世界、そこへ私たちをいざなっているのです。
芥川は、彼なりに、下町の世界に憧れていました。また先ほどの「鼓腹撃壌」の歌も言うまでもありません。

私たちは、ともすれば、現実の社会のなかで立身出世を夢見、そしてなんでもいいから社会の階層を上へ上へと登っていきたいと思うようになります。あるいは、あまり上ではなくとも、中ぐらいのところで、居心地よく居座って、安定した小市民生活がおくれるならと。
子供のころから親や周囲からよく聞かされますよね。特に中学生になったころから、高校は有名な進学校へ進み、大学は有名大学へ行くことが社会への登竜門であり、自己が社会の中で一生涯にわたる経済的な安定と身分の保証と社会的な栄光が与えられると場であると。

そうして、世間が決めた社会的価値をしっかりと信じて受験勉強に励んだりしますよね。

しかし、それは自分なりの幸福とは無縁の世界です。社会が決めたレールとは別個に、やはり自分には自分なりの世界を作り、そこに自分なりの幸福の源泉を求める生き方も、素晴らしいものです。特に歳を取ってから、60歳を過ぎたころから、「社会上昇志向の人」と「こころの世界充足組の人」とは大きな差が現れます。経済安定や社会的位置だけに固執してきた人たちには、こころの安定と人間社会の面白さが分かりにくいという欠陥があります。

さて、最後にフィッツジェラルドの訳詩をフランス語に訳したフランス人の訳を掲げます。
―Edward Fitzgerald  ―X―
(フィッツジェラルド第十歌)
Avec moi sur cette frange brodée d’herbe
Qui sépare le désert des champs cultivés,
Où le nom d’Esclave et de Sultan est connu à peine
Où le sultan Mahmoud sur son trône fait pitié.
(Traduction par Charles Grolleau -Paris Nelson Editeurs-)

意味が明快です。「明快でないものは、フランス的でない。」というデュアメルの言葉がありますが、これを地で行くようなフランス語訳です。明快すぎて、フィッツジェラルドの訳詩が、裸になってしまったような感じです。フィッツジェラルドの訳詩を荘厳な建物にたとえるなら、グロローの仏訳はその設計図のような趣です。
―続くー

 

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