<めざせ語学マスター>ハヒフヘホの話とキリシタン

2021年8月3日

オフィスでパソコンに向かっていると、フランス人の新人スタッフが私の席までやってきて言います。
「すみません、アンコください。」
「え??あんこ(餡子)?」
「あ、んこです。」
「ああ、判子ね。」

そう、フランス人は「H」の発音が苦手です。母音だけで16個(!)も使い分けられるのに、Hの発音がないのはすごく不思議。私の名前「ひさえ(HISAE)」も、フランスでは「イザエ、イザエ」と呼ばれていました。

今日はそんな「H」の発音の話。

先日サ行の発音の中で「シ」だけは「シャ・シ・シュ・シェ・ショ」の「シ」を使っていて
実際は下のように子音が違うと書きました。(「RとLが聞き分けられない」

*調音法 (口腔内における呼気の妨害の方法)の摩擦音とは、口の中を調音点で狭めて作り、隙間に呼気をとおして出す音です。今回出てくるサ行・ハ行の発音は全て摩擦音ですが、この他マ行、ナ行は鼻音、パ行・バ行、カ行は破裂音、ラ行は弾き音、など日本語の発音には6つの調音法があります。

上の図を見ると、シを発音するとき、舌の位置がやや後ろにずれているのが分かります。「スィ」(歯茎音:上の歯茎に舌端または舌尖を接触または接近させて調音する子音)と「シ」(歯茎硬口蓋音:歯茎から硬口蓋にかけての広い範囲で舌を接近ないし密着させることによって調音される子音)の間の差は微妙です。

しかしハ行はもっと違います。

調音点(どこに空気をぶつけて音をだしているかというポイント)は、少しずれる、とかではなく喉奥(声門)から口先(両唇)までと口の中の前後で大きく変わっています。同じハ行に分類されているのに、子音としては全く違っているのです。翻って、英語のheの発音は[híː], who の発音は[húː] です。日本語の「ヒー」や「フー」とは違って、どちらかというとhe は「ヘィー」、who は「ホゥー」という感じで発音するもののようです。

驚くことに、奈良時代以前のハ行は全て「p」だったとか。(これを示す決定的な歴史的資料は存在しないそうですが。)例えば今では「一本 (イッポン)、二本 (ニホン), 三本(サンボン), 四本(ヨンホン)・・」と言っているこの「本」も元は全て「ポン」と呼ばれていました。その後、「p」の発音が [ p ] —> [ ɸ ]—-> [ h ]と唇音退化シンオンタイカしたのだそう。唇音退化とは、唇のあわせが徐々に緩む方向へと変化する音韻変化です。確かに「ポン」より「ほん」のほうがのんびりした印象は受けますね。

(参考)日本語では,「一本/二本/三本」を「イッポン/ニホン/サンボン」と発音するのは何故ですか?

でもそれって本当?「ちはやぶる」は「チヤブル」だった?(なんか印象変わってくるー!)母上(ははうえ)はパパウエになっちゃう!(性別までかわっちゃう!)と不思議になりますが、[p]であることは証明できなくても、どうやらその昔、日本人がハ行を今の「フ」で使われている両唇を使って出す子音、[ɸ ] で発音していたことは、16世紀のキリシタン文書が教えてくれます。日本にやってきたイエズス会の宣教師たちは、キリスト教の布教のために日本語を習得し、ヨーロッパの印刷機を持ち込んでポルトガル語式のローマ字で日本語を表記しました。(日本では織田信長や豊臣秀吉が活躍していた室町時代です。)宣教師たちは図書をローマ字で書いて説法時に使ったりしていたのですが、後年、この資料によって当時の日本人がどうやって発音していたのかがわかるようになりました。

例えば、天草版『平家物語』は,16世紀の日本を訪れたキリスト教宣教師の,日本語学習向けに編集された読本(リーダー)でした。

NIFON NO COTOBA TO Hiſtoria uo narai xiran to FOSSVRV FITO NO TAMENI XEVA NI YAVA RAGETARV FEIQE NO MONOGATARI.
(日本のことばとHistoriaを習い知らんと欲する人の為に世話に和らげたる平家の物語。)

「日本」はNIFON, 「欲する」はFOSSVRV, 人はFITO, 平家はFEIQE、とハヒフヘホはFで書かれています。(ウはV、ワもV, シはXで書いたんですね。ということはウとワも同じだったのかな・・・)。FはFでも、英語のような上の前歯で下唇を少し噛んで出す音ではなかったようです。今のフの発音、[ɸ ] です。カタカナで書いたら「ニフォン(日本)」「フォッスル(欲する)」「フィト(人)」「フェイケ(平家)」になるかと思います。平家物語も「フェイケモノガタリ」と言われると別の話かと思いそうです。

もう一つの例は同じく16世紀にキリシタンたちが残した『伊曽保物語』(いそほものがたり)、『イソップ物語』を室町末期の話しことばに訳したものです。

ESOPONO FABVLAS(イソポのファブラス)

Latinuo vaxite Nippon no cuchito nasu mono nari.
(ラチン ヲ ワシテ ニッポン ノ クチ ト ナス モノ ナリ: ラテンを和して日本の口となすものなり。)

IEVS NO COMPANHIA NO
Collegio Amacuſani voite Superiores no gomen
qiotoxite coreuo fanni qizamu mono nari.
Goxuxxe yori M.D.L.ⅩⅩⅩⅩⅢ.

IEVSのCOMPANHIAの- Collegio
天草に於いてSuperioresの御免許としてこれを版に刻む物なり.
御出世よりM.D.L.XXXXⅢ.

ここでも「版」は「fan」と書かれています。 当時は「ファン」と発音していたことが想像できます。

日本語参照:国立国語研究所:日本語史研究用テキストデータ集

ところで、上の表紙を見て、「平家物語」では「NIFON」『伊曽保物語』では「NIPPON」と書かれていることにもお気づきでしょうか。今でも「日本」の正式な読み方は「ニッポン」でも「二ホン」でもいいそうですが、このころからどっちでも良かったんでしょうか。はたまた[ p ]→[ f ]→[ h ] という唇音退化の途中だったのか・・・。気になりますね。(鍋田)

参考サイト :
国立国語研究所 大英図書館が所蔵する天草版『平家物語』『伊曽保物語』『金句集』(Shelfmark: Or.59.aa.1) 

国立国語研究所:ヨーロッパに渡ったキリシタン資料が解き明かす中世日本語―天草版『平家物語』『伊曽保物語』『金句集』画像Web公開 

国立国語研究所:日本語史研究用テキストデータ集
Rômazi Aiueo(ローマ字 あいうえお):ポルトガル式 ローマ字に ついて

「英語びより」:発音についてわかりやすく、しかし専門的に説明してくれるサイト(唇音退化についても説明があります)

楽学日本語教室:サ行・ハ行以外の発音やアクセントなど発音一般について詳しく書かれています。


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