<めじろ奇譚>徳永 瑞子さんの「アフリカの青い空の下に生きて」を読む

2024年5月14日

先日以前からおつきあいのあるアフリカ友の会(2022年3月に活動を終了)の徳永さんから新しい本をご恵贈いただきました。「アフリカの青い空の下に生きて」という本です。

フランシールは徳永さんにご協力をお願いしてアフリカンバッグを作成していました。かわいいエコバックができ、評判も上々です。

私が中央アフリカ共和国をODAの調査で訪れて、彼女のエイズ患者支援施設を訪問したのはもう20年以上も前のこと。最近では中央アフリカは国際協力も行われず、私たちのフランス語通訳たちもここ数年は渡航できていません。

20年以上前にこの国を訪れたときでも国連平和維持軍(PKO)が多く町中にいて、案内された先では多くの家屋に銃撃や火災のあとがあり、この国が他のサブサハラの国とは違うことを感じさせられました。

ただ、田舎に行くと豊かな自然がありました。遠出の途中で借りた屋外のトイレには屋根がなく、かわりにすぐ隣に生えているマンゴーの木から屋根のように生い茂る葉っぱと、その間に沢山のマンゴーがぶら下がっていて、ちょっと贅沢な気分になったのを覚えています。

当時は地方で日本の建設会社が工事を行っていました。社員の方が奥地から衛星を使ってホームページまで立ち上げていらっしゃるなど、今より平和だったのだと思います。

しかしここ数年、私たちの派遣する通訳は中央アフリカ共和国に赴くことはありません。内戦はひどくなり、私がお会いした方も亡くなりました。

何年も時間が過ぎ、私はこの国のことを忘れつつありました。

しかし、その間も徳永さんは中央アフリカ共和国やコンゴへの支援を継続していました。

20年前、彼女が施設を案内してくれたとき「ここで働いている女性たちはみなエイズ患者で、私たちは彼女たちにミシンの仕事を提供しています。」と仰っていて私はショックを受けました。当時治る望みが薄かったエイズは、現在は薬で症状を抑えられるようになったようです。支援がもっと早く届いていれば亡くならずにすんだ人も多かったのに、と本の中にも書かれていますが、そのような難しい時期も彼女が現地で奮闘していたことがわかります。

症状が軽くなっても薬をやめないように村の人たちに注意するなど、患者一人一人を心配する彼女の視線は、支援する人、される人、といった枠ではなく、近所の世話好きな看護師・助産師のものです。

国際協力に関係してから長くなりますが、こんなにピュアに現地の人たちを愛して接してきた人がいることに改めて驚きました。

本の中に「みんなの広場」という章があります。ここには診療所に病人や家族だけでなく、大人、子ども、いろんな人が集まる様子が書かれています。

ダウン症の5歳くらいの男の子は診療所のパソコンに映るスヌーピーを見て喜びます。

知的障がいと身体障がいを持つ女性、エベリンは給食センターへきて踊ったりしていましたが、ある日から来なくなってしまいます。

彼女の世話をしていた周囲の人たちは心配し、彼女が亡くなったことを知ったあとは、いつもいるべき人がいなくなったことに寂しさを感じます。

50歳過ぎのジジは診療所の広場の賑わいを見て何をするでもなくいつもニコニコしています。

10代のジャンとポレットは知的障がいと跛行がありますが、よく子どもたちの面倒を見てくれます。

ここには、いろんな人がきますが、特に「障がい者」という言葉はないのだそうです。

アフリカの地域や村のネットワークは強く、貧しくても人々は助け合っており、見捨てられる人がいません。そういえば私が昔セネガルに行った時も、友人宅の家の敷地にはいろんな人が勝手に出入りしていました。

ある日おばあさんがきて私の持ち物を指さして何か言っています。私はぎょっとしましたが、家族は「今日は帰って。あなたが持ってるビデオがほしいって言ってるけど、ダメっていうね」と声をかけていました。

日本だったら不法侵入などと騒がれるのではないかと思いますが、彼らにとってはいつもの光景だったようです。

一方で日本は他人には厳しいところがあります。また、最近では日本でも多様性という言葉がトレンドになりつつありますが、例えば障がい者などに対してはだまだ見えない壁があります。

私の娘には知的障がいがあります。保育園時代から作業療法士さん、理学療法士さん、言語療法士さんなどに診てもらっていましたが、小学校に入学したあと障がいが判明しました。

その後も療育センターや支援学校などに行く機会が増え、今でこそ慣れましたが最初は「こんな世界が日本にあったのか」と驚くことがしばしばでした。

彼女を通して知った日本の障がい者の世界はまるで外国で、娘に障がいがなければ出会うことがない世界だったのかもしれません。

その点、アフリカはどの国でも障がい者達が町中の風景によく混じっていました。また彼らがいつも堂々としていたのを思い出します。

アフリカは貧しいから助け合わなければ生きていけないという状況もあるのかもしれません。でも、日本のような隠れた貧困や孤立、虐待やDVは少ないかもしれません。

果たして日本人は本当にアフリカの村の住民より幸せなのかどうか、一概にいえないところがあるかもしれませんね。

是非皆さんにも読んでもらいたい一冊です。ビバ、アフリカ。

(文:鍋田、 イラスト:嶋田)

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