機械翻訳との付き合い方——機械翻訳ユーザーガイド委員会で感じたこと
数年前、業界団体の委員会に参加したとき、「翻訳者が感じる“十分”」と「エンジニアが目指す“完璧”」のギャップを、想像以上に強く体感しました。今日はその経験をきっかけに、機械翻訳とどう付き合うかについて、私なりに整理してみます。
2022年、AAMT(アジア太平洋機械翻訳協会)で発行された「機械翻訳(MT)ユーザーガイド」のための委員会に参加しました。機械翻訳(Machine Translation。以下、MT)の便利さと落とし穴を、利用者目線でまとめたガイドです。
当時、私たちの会社でもAI向けの翻訳コーパスや音声データの整備、機械翻訳の評価などを請け負っていたので、勉強になると思って手を挙げました。ちょうどコロナ禍の時期で、委員会の会議もすべてオンライン開催でした。
大学の先生、他の翻訳会社の方々、AAMTの理事、NICTの方など、私からみると機械翻訳の最先端の方々が集まる場でした。「今後参考になるお話が聞けそう!」と期待しつつも、わりと簡単な気持ちで参加したのですが、いざ始まってみると、個人的にはこれまで経験したことがないほど毎回緊張感を伴う会議でした。
たとえば私がうっかり「最近、機械翻訳の精度は上がりましたね」などと言うと、エンジニアの方から「まだまだです」「MTには誤りが残っています」と鋭いツッコミが飛んできます。すると話はそのまま、「MTは必ず間違う」「人の翻訳者にはまだ及ばない」といった、厳しいやり取りが続くこともありました。
ユーザーガイドの中で私が担当したのは、翻訳プロセスの章、特に人手翻訳のISO 17100と、機械翻訳のポストエディットに関するISO 18587の違いを整理するパートでした。民間の(まだ当時機械翻訳の取入れが遅れているほうの)小さな会社の存在は「人手翻訳が主流」の現場を知る立場として、一定の役割はあったのだと思います。
ただ、少しのミスも許さない——そんなエンジニアの方々の意気込みには、頼もしさと同時に怖さも感じました。振り返ると、あの緊張感の正体は「求める正解」の粒度の違いだった気がします。
従来、翻訳者は機械翻訳なしで「その時点でのベスト」を作ってきました。一方でMTの精度が上がるほど、今度はMTの誤りを直すポストエディターの仕事が増えます。けれどエンジニアのゴールは、その「直す前提」を限りなくゼロに近づけることなのだと実感しました。
同じ「より良い翻訳」を目指していても、登っている山のルートがまったく違うのです。翻訳者は「機械翻訳は80%できていれば十分すごい」と感じやすい一方、エンジニアは最後の1%まで詰めて“限りなくパーフェクト”を目指します。私が会議で感じた緊張感は、その視点の差から来ていたのだと思います。
そして今、その「いつか翻訳は機械翻訳に代わられてしまうのでは?」という「いつか」はかなりの速度で現実になりました。世の中では「翻訳=AI」というイメージが先行しがちで、「翻訳?もう終わっているよね」という空気すら感じます。
委員会の会議で「ユーザーガイドに機械翻訳の仕組みを説明するのはどうでしょう」といった私の意見に「ユーザーはそんなものに興味はないのでは?」とコメントされたエンジニアの方がいました。「それはユーザーを見くびっているのでは?」と(自分もユーザーなので)少しムッとしてしまったことがありましたが、ほどなくしてAI翻訳は子どもから大人までどこでも誰でも簡単に使えるツールになっていきました。確かに多くのユーザーは機械翻訳の成り立ちには興味がないのかもしれません。関心があるのは、翻訳されたテキストや音声が自分の言葉になってくれるかどうかということ。考えてみればそれは当然で、パソコンを使って何かの目的を達成させようとするユーザーはパソコンの仕組みまで知りたいと思わないのと同じことかもしれません。
しかし機械翻訳はまだハルシネーション(もっともらしい誤情報)などを起こしますし間違いも起こします。自然言語処理によって文章が滑らかに再構成されると、誤りがないかのように見えてしまうのです。しかし、これは機械翻訳が流行する前だったら、人間の翻訳者の中にも一定の割合でやってしまう人がいた、「読みやすいけれど原文と違ってる」という怖い現象。
だからこそ翻訳会社や翻訳者は、AIを否定も神格化もせず、前提として取り入れながら、自分たちの立ち位置(何を提供価値にするのか)を更新していく必要があるのだと思います。
AIの流れに正面からあらがうのは、たぶん難しい。だから私たちの関心は「どう翻訳するか」以上に、「AIや機械翻訳をどう取り入れて、より良いサービスを提供していくか」にあります。機械翻訳の発達で言語のプロフェッショナルが減っていく中、エージェントは翻訳者や通訳が語学の専門家としてより活躍できるよう、環境を整備していく必要もあるでしょう。(将来彼らは、“言語の匠(たくみ)”と呼ばれているかもしれません。)
AAMTの委員会で感じたあの緊張感は、いま振り返ると「技術が進むほど、翻訳会社の存在意義が問われる」という予兆だったのかもしれません。だからこそ、周囲の目線も含めて現実を見つつ、将来のために今どのような手段をとっていくか、次の一手を冷静に選びたいところです。
コロナ禍でのオンライン会議では理系の方々はカメラオフのことが多く、文系の方々はカメラオンが多かったような気がしました。一般的にはどうだったんでしょうか。(鍋田)

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