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<めじろ奇譚>日本のアニメについて(鬼滅の刃ブームについて思う事)

2021年11月23日

毎度お世話になっております。フランス語の通訳をしております芹澤です。
弊社では時々社員にブログのタイトルを割り当てられるのですが、今回私には表記のタイトルが振られてしまいました。

鬼滅の刃のブームについて思う事、という題材を頂いてしまったのですが、正直に白状いたしますが、私は鬼滅はアニメも漫画も全く見ておりません。今でも漫画は結構好きでKindleで電子漫画を購入して読みますが、最近はアニメもほとんど全くみていません。おまけにテレビも持っていないのです。ですので、私には鬼滅の刃やエバンゲリオンなどについて話すことは難しいのです。なぜエバンゲリオンを出したかと言いますと、これも最初のアニメが出てきた頃から知ってはいますが、1話も見たことが無いからです。

鬼滅の刃を見る気にならないのは、話が結構シリアスなんではないのか、と思ってしまい、ジブリのアニメの様に見たいという気分にならなかったのです。ジブリのアニメは結構好きでほぼ全部みているのですが。それはそうと、このアニメと漫画が流行っていて、封切された映画がすごい人気で、という話はテレビは見ていなくてもラジオで話題になっていたり(ラジオ好きなんです)、ネットのニュースで見かけたりしました。もう何人の人がみた、という話を聞いて思い出したのは「千と千尋の神隠し」でした。というより、動員人数でいつ千と千尋を抜くんだ、という話題をラジオでやっていたのです。私は宮崎アニメは好きで結構見ています。高校生の頃にはナウシカにはまりました。というのも、高校の生物の先生が当時とても高価だったビデオを買い、「ナウシカを買ってしまった。面白いし、お前ら文系私立を受験するのであれば生物は試験科目じゃないから、俺の授業では息抜きでビデオみせてやる。」というので生物の授業のたびにナウシカを見て、はまったわけです。後年DVDが出てきてからラピュタを見ました。そして、「千と千尋の神隠し」が封切られたときは私も劇場に行って見ました。それ以来の盛り上がりなのでは、と思ったのです。

近年アニメや漫画もユニバーサル、というか全世界で流行っており、アニメ好き、というのも市民権を得ていると思いますが、普通のジジババの世界にまではやらせる、というのはすごいと思うのです。流行ってからしばらくたちますが、流行がすたれた、という感じではなく、鬼滅柄のマスクをした小学生の男の子とか、巾着ぶくろみたいなのをもった子供もみかけます。なので、これだけ一般に流布したアニメも無いのではないでしょうか。絵にしても、おじさんになってくると美少女系の絵はどれも同じに見えてきて、ゲームにしてももうちょっと違う絵のはないか、と思ってしまうのです。リアルすぎるのも余り好きではないですし。。。。

私は以前フランスに住んでいました。もう30年以上前の話なので当時はインターネットなど影も形もありません。私は本が大好きで、学生の頃は文庫であれば毎日2~3冊は読んでいました。
ですが、日本語の本はたまに両親が日本から仕送りを送ってくれた時に入っていたものや、ごくたまにたまにパリに行って手に入れるものでした。当時私の住んでいた町にはまだフランスの新幹線であるTGVが来ておらず、パリまでは列車で8時間ほどかかりました。パリで日本の倍はする(日本で500円の文庫本なら1000円)本を数冊購入し、待ちきれずに帰りの列車の中で全部読んでしまうのでした。
当時日本のアニメや漫画に興味を持つ人が結構フランスの田舎にもいて、そういった人たちには日本の漫画やアニメに関するお店を始めたりする人もいました。そんな彼らが所有する日本の漫画を翻訳してやる、とか言って借りたりして読んでおりました。髪の毛が逆立って金髪になる、戦ってばかりの漫画なんかも新刊が出たら翻訳して日本の漫画に付けて売ったりする友人もおりました(これはもう時効かと思います)。思えば、そんな事をしてフランス語の文章力を培っていたのかとも思います。でもまあほとんど擬音ばっかりだったような気もいたしますが。。。。。

たまにはアニメも、とか言いたいところですが、貧乏な留学生の事、所有するテレビは5~6インチの白黒テレビ、アナログのラジオの様にダイヤルを回してここらへん、とチューニングし、アンテナを伸ばして向きを変えて、こっち向きがよい、とかやってテレビを見ていたものです。フランスのテレビは結構見ていましたから子供向け番組でやっているアニメは結構見ていました。不思議の海のナディアは吹替も良く、SF好きな私にはとても面白かったです。色がついていなくても不思議とわかるものです。私はF1が好きなのですが、F1はそれぞれのチームで大体2台ずつあります。各チームのスポンサーにより車が塗られているのですが、ゼッケン番号は違うけれど同じ車が2台ある訳です。小さな白黒の画面でみても違いが見分けられるようにはなっていました。

話が飛んでしまいましたが、そんなわけで今はパソコンやスマホでネットで動画が簡単にみられて昔のアニメとか見られるサイト(合法かどうかは分かりませんが。。。)もあったりします。こうやって当時を思い出すと隔世の感がいたします。でも当時から日本のアニメや漫画は流行りだしていましたが、テレビ番組としては子供向けの番組の中で流されていました。どう見ても中学高校生以上向けと思われる「めぞん一刻」なんかも子供向けに流されていて、こんなの子供見るのかな、と思っていましたが結構人気があったようです。めぞん一刻の管理人さんがジュリエットという名前になっていて主題歌もJuliette, je t’aime(ジュリエットジュテーム)と歌っていました。今でもそのメロディが耳に残っています。という事で脱線続きで、単に私の回顧話になってしまいました。

でも私としては、当時フランスで日本のアニメや漫画を見ていたおかげでフィギュアの自作に乗り出し、商品化までも考えた、という経歴から今回は思えば懐かしい、楽しい話題を振って頂いたと思います。アニメや漫画の話からはどんどん離れていきますが、アニメや漫画の登場人物のフィギュアを製作する話に次回つなげていきたいと考えております。

おあとがよろしいようで。。。(落語も大好きで在仏当時送ってもらった古今亭志ん生の落語のカセットを繰り返し聞いておりました。)

日本のアニメについて(鬼滅の刃のブームについて思う事)・・どんどん脱線してしまいました。(フランス語通訳:芹澤紀青)

<めざせ語学マスター>プルプル、ゴロゴロ、オノマトペ

2021年11月22日

以前「ネイティブチェックは「ネッチェッ」になるか。拍(モーラ)と音節」で書いたアメリカ人スタッフは、オノマトペをとても嫌っていました。ピコピコ、とかガラガラ、とか幼稚な言葉が自分の口から出てくるなんて信じられない、と言っていました。

しかし日本語にはドキドキや、クルクルとか、繰り返される言葉が多いし、それらなしで文章を書いたり会話したりするのは難しそうです。日本語のオノマトペってそんなに多いんでしょうか。

 

目次

・音象徴語
・小学校で習うオノマトペ
・英語で表現しづらい日本語のオノマトペ
・擬態語と擬声語の違い
・畳語
・外国語のオノマトペ
・まとめ

 

音象徴語

擬音語、擬声語、擬態語、写生詞、オノマトペ。これらを合わせて音象徴(おんしょうちょう)語というそうです。(英語表記)sound symbolism。そういわれてみると日本語には擬音語、擬態語が多いです。自分が思いつくものをいろいろ挙げてみます。

くらくら、たじたじ、しとしと、ぴちゃぴちゃ、ぴちぴち、くるくる、すたすた、どたどた、がーん、どしん、ばたん、ぱたん、バシバシ、ピタッ、どきっ、けちけち、どろどろ、ぐだぐだ、いちゃいちゃ、にこにこ、カサカサ、パサパサ、にゃんにゃん、ワンワン、ブーブー、ガラガラ、カラカラ、くたっ、ガシャン、カシャン、ズシズシ、しずしず、つるつる、ぴかぴか、ほんわか、ぶかぶか、ふかふか、ギラギラ、キラキラ、さやさや、そよそよ・・・

きりがないな、と思って調べると「日本語オノマトペ辞典」という辞典もありました。中には約4500個のオノマトペが含まれているそうです。つまりは辞典が作れるくらい多いということですね。

日本語のオノマトペにはワンワンコケコッコーとかの擬声語だけではなく、擬音語、擬声語、擬態語が含まれています。

オノマトペはフランス語で、擬音語、擬声語、擬態語はすべてフランス語でオノマトペになります。英語では、擬音語・擬声語(英語onomatopoeia)、擬態語(英語:mimetic word)となります。英語のmimeticとは「模倣する、偽りの」とあります。

小学校で習うオノマトペ

では、小学校で習った擬音語と擬態語の違いから復習してみましょう。
学校では、
「擬音語は実際になっている音をあらわす。」
「擬態語は実際にはなっていないがその音がなっているかのようにあらわしている。」
として、問題文を解いたりしながら、擬音語や擬態語の感覚を身に着けていきます。

ちびむすドリルからhttps://happylilac.net/sk1708221548.html

選択肢の中から、適切な擬音語などを選ばせる問題です。こうして小学校などで勉強するうちに、それぞれの擬音語、擬態語に対する個々のイメージは統一されていくように思います。
でも、こういった問題を解くことは、日本語を外国語として学ぶ外国人にはとても難しそうです。

英語で表現しづらい日本語のオノマトペ

バスが(    )ゆれる。(ガタガタ
すずが(    )となる。(チリーン
雷が(    )となる。(ゴロゴロ

鈴は世界中の人が「チリーン」とは聞こえないでしょう(英語ではting-a-ling, ding-a-ling)。また、英語ではバスの「ガタガタ」は英語の場合オノマトペではなく、rattle around という動詞を使って表現します。その他にも、

カップがガチャガチャ音をたてた。(The cups rattled.)
彼はドアをガタピシいわせた。(He rattled at the door.)

など、英語はオノマトペではなく、動詞や形容詞の種類がたくさんあってそれらを使い分けることで、微妙な違いを表現しています。

空で雷がゴロゴロと鳴った。(The thunder rumbled in the sky.)
ダイヤが日の光を浴びてきらきらと輝いた。(The diamonds sparkled in the sunlight.)
君の香水はぷんぷんにおう。(Your perfume is strong.)
彼が電話をしてこなかったので彼女はぷんぷんしていた。(She was in a huff because he didn’t call her.)
そよそよと吹く春風はここちよい。(Spring breeze blowing softly feels good.)
日が照ってぽかぽかする日。(a warm and sunny day)

*例文[ジーニアス英和(第4版)・和英(第2版)辞典]より

私たちが英語の微妙な動詞の使い分けを難しいなと思うように、日本語を勉強する人はオノマトペを習得しないと微妙なニュアンスは理解できないのかもしれません。

擬態語と擬声語の違い

上であげた語を擬音語(擬声語)と擬態語にわけてみます。

擬音語(16語)  ぴちゃぴちゃ、ぴちぴち、どたどた、ピタッ、カサカサ、パサパサ、にゃんにゃん、ワンワン、ブーブー、ガラガラ、カラカラ、ガシャン、カシャン、ズシズシ、ギラギラ、キラキラ、・・・
擬態語(25語) くらくら、たじたじ、しとしと、くるくる、すたすた、がーん、どしん、ばたん、ぱたん、バシバシ、けちけち、どろどろ、ぐだぐだ、いちゃいちゃ、にこにこ、くたっ、しずしず、つるつる、ぴかぴか、ほんわか、ぶかぶか、ふかふか、どきっ、さやさや、そよそよ

擬音語か擬態語かを特に意識せず、思いついたものを書いていたつもりですが、犬の「ワンワン」や「にゃんにゃん」のように実際に聞こえる音(擬音語)だけではなく、音がしないのに音のような表現である擬態語も結構多く書いていました。

どきっ」や「がーん」などは、私は実際に口で言ってしまうことがありますが(「がーん!忘れてた!」など)、これらは実際には音が鳴っていません。これは漫画の影響も多い気がします。実際、漫画にはオノマトペが多く出てきます。

 パシャ パシャ

ドキーン

(ちゃお 2020年 3月号より)

畳語

さらに日本語には畳語(じょうご)という表現もあります。英語だとreduplicated word、フランス語だとredoublementです。

二回繰り返す言葉で、「ガタガタ」「カタカタ」「いらいら」「かさかさ」などが畳語です。試しに私が上に思いついた語から畳語をわけてみます。

畳語(31語) くらくら、たじたじ、しとしと、ぴちゃぴちゃ、ぴちぴち、くるくる、すたすた、どたどた、バシバシ、けちけち、どろどろ、ぐだぐだ、いちゃいちゃ、にこにこ、カサカサ、パサパサ、にゃんにゃん、ワンワン、ブーブー、ガラガラ、カラカラ、ズシズシ、しずしず、つるつる、ぴかぴか、さやさや、そよそよ、ぶかぶか、ふかふか、ギラギラ、キラキラ
畳語じゃないもの(10個)  がーん、どしん、ばたん、ぱたん、ピタッ、どきっ、くたっ、ガシャン、カシャン、ほんわか

上にあげた例の中でも、かなりの割合で畳語がありました。

畳語には、オノマトペではないものもあります。「山々」「人々」「並々」「青々」「白々」など、「々」を使って表すものも畳語です。畳語からオノマトペを見分ける方法の一つとして、連濁しないという点が挙げられます。オノマトペは「ころころ」、「ひらひら」、「ふつふつ」、「ふわふわ」など後ろの「こ」や「ひ」が「ご」や「び」などになることがないのに対して、オノマトペではない畳語は「ひとと(人々)」「しらら(白々)」「ふしし(節々)」「かみみ(神々)」のように後ろが濁音になります。(これを連濁と呼びます。)

また、同じ言葉を繰り返すのは完全畳語(full reduplication, complete reduplication)、「カサコソ」「ウロチョロ」「カタコト」など一部が繰り返されるのを部分畳語語(partial reduplication)と呼びます。

また、「営利に汲々(キュウキュウ)とする」、「清水が滾々(コンコン)と湧き出る」、「満々(マンマン)」など漢語から派生した畳語もオノマトペではありません。
見分けるのは難しそうですね。

ちなみに畳語ではない短い拍の擬態語、「どきっ」「くたっ」などは、普段は「ドキッとした」や「くたっとした」のように「と」がついて使われます。「っ」は瞬間的な動きを表すことが多いようです。また、「ん」がつく擬声語(どしん、ばたん、ぱたん)は弾んだ感じをイメージさせます。どちらも短い拍で短い動きを表現しているように思えます。

畳語は英語やフランス語でもありますが、日本語に比べると量は少なく、用途も限定的のようです。

英語

(オノマトペ、非公式な様式が多い)

 tick-tock(時計の音)、bow-wow(犬の鳴き声)seesaw(シーソー)、Ping pong(卓球)、hocus-pocus(だます)、hanky-panky(いかさま)、boogie-woogie(ぶぎうぎ)、itsy-bitsy (ちっちゃい)、wishy-washy(優柔不断の)、teeny-weeny(小さい)、tip-top(頂上、絶頂)、walkie-talkie(携帯用無線電話)、ragtag(寄せ集めの)、bye-bye(バイバイ)、fifty-fifty(五分五分)
フランス語

(オノマトペ、幼稚語が多い)

crac crac(ぽきぽき)、cocorico (コケコッコー)、 foufou(ばか)、loulou(犬のスピッツ)、mimi(子猫)

 

外国語のオノマトペ

では、犬の鳴き声や、猫の鳴き声、雷の音などは外国語では、どのように表現されるでしょう。英語、フランス語、スペイン語、スウェーデン語、モンゴル語、ロシア語、ベトナム語、中国語で比べてみました。猫や犬、カエルや時計の音はあっても、雷や雨の音を表す言葉があるのはアジアの言葉のほうが多いようです。

 カエル 時計  雨
日本語 ニャーニャー、
ミャーミャー
 わんわん ガアガア
ケロケロ
 チクタク ピカッ
ゴロゴロ
しとしと
ざあざあ
パラパラ
英語  meow bow-wow ribbit ribbit  tick-tock なし なし
フランス語 miaou ouaf-ouaf croa-croa tic tac なし なし
スペイン語 miau guau-guau croac croac tic tac なし なし
スウェーデン語 mjau vov vov/
voff voff
kvack  tick tack なし なし
モンゴル語 мяа хав хав гуаг гуаг чаг чаг なし なし
ロシア語 мяу-мяу
(myau-myau)
гав-гав
(guav-guav)
ква-ква
(kwa-kwa)
тик-так
(teek-tak)
громых
(gromyh)
会話に使いません、漫画にのみ
кап-кап
(kap-kap)
雨の場合だけでなく、どんな水流れでも使う
ベトナム語 meo meo gâu gâu ộp ộp tích tắc  đùng đoàng  rào rào
ao ào
中国語 喵(喵)
miāo(miāo)
汪汪
wāngwāng
呱呱
guāguā
滴答(滴答)
dīdā(dīdā)
滴滴答答
dīdā(dīdā)
ピカッ
なし
ごろごろ
轰隆(隆)
hōnglōng(lōng)
しとしと
淅沥
xīlì
淅淅沥沥
xīxīlìlì
ざあざあ
哗哗
huāhuā
パラパラ
滴答(滴答)
dīdā(dīdā)
滴滴答答
dīdā(dīdā)

このほか、英語やフランス語などで典型的な擬音語としては、鉄砲の音(Bang)、や爆発音(Boom)などもあります。日本語だと「バン」、「ドーン」といった感じでしょうか。

日本語の「こちょこちょ」は英語では「Tickle tickle! 」、フランス語では「guili-guili(ギリギリ)」だそうです。

「ギリギリ」してるところ。・・・には見えないでしょうか。

まとめ

外国人にとって日本のオノマトペは数も多くて悩ましい言葉のようです。特に音が出ない擬態語は覚えるのが大変だとか。でも病院でも「どんな風に痛いんですか?」「お腹がキリキリします。」とか「頭がズキズキします。」と日本人は答えるだけでお医者さんも理解してくれるところがあるし、普段の会話でも「雨はまだパラパラだよ。」とか「ゴロゴロ鳴ってきた!」など、よく使うので知っておいたほうが便利だと思います。

イラストや動画でオノマトペを教えてくれるサイトもたくさんあるので以前よりは勉強しやすいと思います。

国立国語研究所 日本語を楽しもう
https://www2.ninjal.ac.jp/Onomatope/category.html

さて、そんな覚えにくい日本語のオノマトぺですが、子音や母音の違いによる一定のイメージはあるようです。

例えば「い」の音は「明るい・小さい・小刻みな動き」を表します。(キラキラ、チリチリ、ヒリヒリ)。また清音が鋭い、きれいな印象を与えるのに対して、濁音は重たい、醜い印象を与えます。

清音:キラキラ、クルクル、コロコロ、さらさら
濁音:ギラギラ、ぐるぐる、ごろごろ、ざらざら

半濁音はさらにちょっと弾けた感じでしょうか。
ぴかぴか ぺらぺら、ぷるぷる、ぱかぱか、ぱりぱり、ぺこぺこ

冒頭のアメリカ人スタッフの「口にしたくない」というオノマトペはどちらかというとこの濁音系か半濁音、さらに拗音もくっつく「ぴちゃぴちゃ」とか「ぺちゃぺちゃ」みたいな音が多かった気がします。(そもそも英語でのオノマトペ自体が幼稚な印象があるんだと思います。)

拗音のオノマトペは、どうも子供っぽい、いやみっぽい意味に使われることが多い気がします。「ぐちゃぐちゃに描く」「びゅんびゅん飛ばす」とか、「いちゃいちゃする」とか「ぺちゃぺちゃしゃべる」など。「ジュウジュウと焼けた肉」など、特に変なイメージのないものもありますが「にゃんにゃん」「チュウチュウなどは、動物の鳴き声のはずなのに、ちょっと色っぽいイメージも・・。(アメリカ人でなくてもちょっと口にするのが恥ずかしいオノマトペは確かにありますね。)

日本語のオノマトペは、漫画やSNS、流行語などから、日々新しい言葉が作られています。「チャラ男」のチャラ(擬音語のチャラチャラ由来?)、「きゅんです」の「きゅん」、「ぴえん」や「ぴえんこえてぱおん」などは若者言葉ですが擬態語か擬声語か区別をつけるのが難しいくらいです。小動物のかわいさを表現する「モフモフ」は辞書にはないですが、イメージしやすい言葉です。2021年の流行語大賞には東京オリンピックのスケートボードで使われた「ビッタビタ」もノミネートされています。

そうかと思えば消えていく、あるいは今使うとちょっと古臭い印象を与える「ガビーン」や「テヘペロ」、「バタンキュー」、「うるうる」「げろげろ」など、使うと年齢がばれるようなオノマトペもあるので日本人も注意が必要かもしれません。

「壁ドン」や「親ガチャ」はオノマトペの入った流行語。さらに言えば、最近の「レンチン」は「レンジでチンする」の意味なので、擬音語つきの略語。

オノマトペなのかそうでないのかは、注意が必要です。流行している言葉にある「ワンチャン」は、犬には関係のない「One chance(まだ可能性あるんじゃない?)」の省略。どうして日本語は「ワンチャンス」の「ス」を省略するんでしょうか・・・。「ハッ!」

略語は4拍が多いけれど、オノマトペも4拍が多い!(畳語もしかり)。これは日本人の音感覚に関係あるんでしょうか?

略語についても気になる方は、是非以前のブログ「ネイティブチェックは「ネッチェッ」になるか。拍(モーラ)と音節」もご覧ください。(鍋)

参考:新版 日本語教育事典


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<めじろ奇譚>足止めされる日本への留学生

2021年11月16日

入国緩和~留学生の大多数が往来できないのは、G7の中で日本のみ~

11月8日に入国禁止対策が緩和されるとの発表がありましたが、実際には大多数の留学生が来日できないのが現実です。
学生ビザを申請するためには、まずは在留資格認定証明書(CoE)が必要です。
さらに、在留資格認定証明書の発行日によって、来日申請を出せる期間が決まっています。
外務省のウェブサイトに下記の通り記載されています。

○ 令和3年11月の承認申請対象【~令和2年4月期生】 →2020年1月1日から2020年3月31日まで
○ 令和3年12月の承認申請対象【~令和2年9,10月期生】 →2020年1月1日から2020年9月30日まで
○ 令和4年1月の承認申請対象 【~令和3年4月期生】 →2020年1月1日から2021年3月31日
○ 令和4年2月以降の承認申請対象は、実施状況を踏まえて決定します。

ツイッターで行われた調査によると、2021年の11月・12月に来日申請できる留学生は全体のうちたった14%です。そして、申請を出してから審査時間・その他の手続きも非常に時間がかかります。現時点で申請しても2021年の年末までの来日は困難です。

(上)Students, workers, spouses stranded outside Japanというツイッターのグループが行った調査

出入国在留管理庁によると、2019年上半期の留学生数と比べ、2021年上半期に入国できた留学生数は10%にまで減りました。

(上)来日できず海外で待機している留学生たち

PCR検査・ワクチン接種済み・隔離期間についても同意しているにも関わらず、入国禁止の状況が続いています。オンラインで授業を受けている多くの留学生が、時差のため夜中に授業を受けたり、生活のリズムが乱れたりしているのが現状です。

留学生が来日できないことによって、人手不足という問題を抱えている日本にも悪影響がでる可能性があります。

さらには日本に対する信頼が損なわれる恐れもあります。(ダミアン)

 

<めじろ奇譚>サプール(sapeur)はかっこいい!

2021年11月11日

フランシールのフランス語といえば、JICAのアフリカ案件の翻訳や通訳派遣を数多く取り扱っているのですが、今日は日本から遠く離れたアフリカから、Sapeur(サプール)についてのお話です。

実は私もテレビ(千原ジュニアの番組)を見て初めてその存在を知りました。2016年には渋谷西武で写真展も開かれたそうですね。「サプール協会日本支部」という組織もあるようです。

「サプール」とは?
サプールとは、コンゴ共和国、コンゴ民主共和国で90年以上の歴史を持つ独自の文化で、貧しくともおしゃれを心から楽しみ、世界中の人々に愛と平和のメーセージを発信している紳士達です。(サプール協会日本支部ウェブサイトより)


サプールという名前の元になっているサップ(SAPE)とは、「Société des ambianceurs et des personnes élégantes」の頭文字をとった言葉で、文字通りに直訳すれば「エレガントで、場を盛り上げる人々の集まり」という意味です。この「ambianceurs」という単語の意味が良くわからず、同僚のフランス人Dさんに聞いてみたところ「雰囲気ambianceを盛り上げる人」という意味で、パーティーやイベントの盛り上げ役のことを指すのだそうです。

ラルース辞典にはこんな記載もありました。
En Afrique, homme qui fréquente les bars, les boîtes de nuit ; fêtard.
(アフリカにおいて、バーやナイトクラブに出入りする男性。お祭り騒ぎの好きな人。)
つまり、最近の言葉で「パリピ」ということなのでしょうか…… !?

WikipediaによるとSAPEの日本語訳は「おしゃれで優雅な紳士協会」や「エレガントで愉快な仲間たちの会」などいくつかあるそうですが、いずれも翻訳者の苦労がうかがえます。なお英語のウェブサイトではThe Society of Ambiance-Makers and Elegant Peopleと訳されていました。

さてフランスの植民地となっていたコンゴ共和国、ベルギーの植民地となっていたコンゴ民主共和国はそれぞれが長い戦乱を経験し、今も開発途上国です。決して安定しているとはいえない国で、サプールたちは収入のほとんどを次ぎ込んで高級ブランドのスーツを購入し、街を闊歩しています。そこには、ファッションは平和の象徴であり、華麗なファッションに身を包むことで、人としての品格を高め、戦いや武器を否定するというメッセージが込められているのだそうです。
外見もかっこいいですが、生き方がかっこいいサプールにこれからも注目したいです。
(上畑)

<めざせ語学マスター>KJ法とヴィゴツキー

2021年11月9日

今回の日本語教育能力検定試験には、アクティブラーニングの土台となる学説として、ヴィゴツキーの最近接発達領域(ZPT)が出てきました。さらにアクティブラーニングの実現方法の一つとして、プロジェクト学習が挙げられていました。学習者の能動的な学習を導く方法としてKJ法やジグソー法も挙げられています。

「あれ?KJ法が出てる!」

先日のチャンク同様(「チャンクとは?」)、まさか日本語検定でこの言葉が出るなんて驚きました。

私が体験したKJ法はブレインストーミングの方法で、グループごとに集まり、全員が決められた時間の中、とにかくポストイットにたくさんアイデアを書いて提出し合い、その後司会者とメンバーがそれらポストイットをまとめたり、発表する問題や解決方法を整理するために使う方法でした。私はこれを子供の小学校のPTAで参加することになった区の家庭教育推進員事業で経験しました。これは各区立小学校から2名~4名の家庭教育推進員(だいたいお母さんたち)が集まって「どうやったらAI時代を生きる子供を育てられるか」とか「町のコミュニティ問題」などを話し合って発表したりする学習の場です。その協働作業の一つとして行われたのがKJ法でしたが、意外な人が「こんなこと考えていたんだー」と感じられる、結構面白い体験でした。

ちなみにこのKJ法。その名前は日本の文化人類学者、川喜田二郎氏(KAWAKITA Jiro)(1920年- 2009年)のイニシャルからきています。

ではどうしてKJ法が一昔前のソビエト連邦の心理学者、ヴィゴツキー(1896年 – 1934年)につながるのでしょうか。


(ヴィゴツキーの写真:wikipedia)

彼は1936年に38歳で結核により亡くなっていますが、その短い人生の間に行った研究で、ロシアだけでなく世界の心理学に影響を与えました。芸術心理学、教育心理学を研究し、心理学と教育、哲学を教育実践、特に障害児教育に結び付けました。執筆した論文は、『行動心理学の問題としての意識(1925)』、『教育心理学(1926)』、『心理学の危機の歴史的意味(1927)』「子どもの文化的発達の問題(1928)」『児童期における随意的注意の発達(1929)『障害児のための発達診断および育児相談(1931)』、『高次精神機能の発達史(1931)』、ピアジェの『児童の言語と思考』のロシア語訳版(1931)編集、没後に『思考と言語(1934)』など数多く、芸術から哲学、歴史とその幅広い知識から、「心理学のベートーベン」や「心理学のモーツアルト」などと呼ばれたそうです。。

ヴィゴツキーの専門は発達心理学でした。彼は人間の心を理解するにはその起源を理解する必要がある、として幼児や子供の言語習得の発達を研究しました。子供の発達を研究した有名な学者としてスイスの心理学者、ジャン・ピアジェ(1896年– 1980年)もいます。ピアジェは「発達」を学び方の質的変化であり、学習者自身が学習対象を能動的に学び、知識を構成する、としていました。ヴィゴツキーはそんなピアジェを大きく評価したり、次期によっては批判したりしています。(ともに1896年生まれなので同世代の学者だったんですね。)

(ジャン・ピアジェ:Wikipedia)

ピアジェは構成主義(constructivism)として知られているのに対して、ヴィゴツキーは社会的構成主義(social constructivist)の学者として有名です。ピアジェは人間は発達に応じて能動的に、一人でも問題解決をしていける、とするのに対して、ヴィゴツキーは「人は、人やものに囲まれ、互いに影響を与えながら学んでいる。人の学びは、周囲のものや人が行動のリソースになって生じ、個人の頭の中だけで起こるのではない。学習は個人個人の中で起きるのではなく、周囲の環境とのかかわりの中で起こる」としました。

子どもの独力による問題解決の発達水準と、大人や自分より能力の高い仲間と協働で行う問題解決で見られる潜在的な発達水準との間隔を「発達の最近接領域(зона ближайшего развития、 (the zone of proximal development:ZPD)」と呼び、他者の媒介(mediation)を得て、この領域を内化することで発達が進むと考えました。このような考え方は状況論的学習論(situated learning)と呼ばれています。

「しかしなぜ今ヴィゴツキー?」

しかし、ピアジェの方が長生きしているし、日本語教育検定試験に出てくる理論はチョムスキー(1928年~今も現役)以降は結構新しい理論が多いのに、1934年に亡くなっているヴィゴツキーの理論がなぜ今話題になるのでしょうか。

日本では以前から「教師から生徒へ」という一方通行の教育がなされていましたが、1960年あたりから、この教師中心の一斉教育が果たして本当に学習者たちの発達に適しているのかが問題になってきました。教師中心の学習環境は「指示待ち人間」を増やしてしまったという反省から、学習者中心の学習環境の必要性が高まってきました。

また、学習心理学の面からも、行動主義・認知主義(「チョムスキー・ナウ(Chomsky, Now)!」参照)が、学習を個人の中で起こる客観的なものと考えているのに対して、学習は学習者自身が知識を構築していくと考える構成主義が注目されるようになっていました。構成主義では、知識とは誰かによって形成されるのではなく、体験と通して自分で作り上げていかなければなりません。

中でも、知識は状況に依存しており、学習は共同体の中で相互作用を通じて行われる、学習とは常に他の学習者との関わりあいの中で行われる共同体的な営みであると考える、ヴィゴツキーの状況論的考え方は時代的にも見直されることになりました。

現在、ピア・ラーニングやピア・リーディングのような協働学習では、学習者が自らの能力を使って自発的に学習に参加することを目指しています。プロジェクト学習や、KJ法も学習者が能動的に参加する方法の一つとして使われています。

日本語学習においては、作文学習活動でのピア・ラーニングがあります。学習者同士が互いの作文プロセスを共有することで、書き手と読み手の相互理解を基に文章を書いていくものです。

でも・・・

正直、私が外国語の学習者だったら「先生に教えてもらいたい。」と思うかもしれません。お互いが母語話者じゃなく、なんとなく通じるけれど、100%正解じゃないし、「なんか・・・間違っている気がするけれど、でも合ってるかも・・」という学習方法にはちょっとモヤモヤ感をもってしまいそうです。ピア・ラーニングそのものには反対ではありませんが、すべてがそれで解決されるわけではない気がします。

英語版のWikipedia によると、ヴィゴツキーの概念はソ連では有名でも、1920年代に英語で本が出版されたあとも、それほど有名ではなかったようです。1978年以降、ヴィゴツキーの理論がアメリカで部分的に紹介されてから、アメリカ合衆国の社会文化人類学者や心理学者がその考え方を支持してブームが訪れました。また、1980年代になって構成主義発達心理学やピアジェの教育論が下火になったことも彼の社会的構成主義が注目された原因でもあったようです。時代がヴィゴツキーに追いついた、あるいは、最近のアメリカの心理学者がヴィゴツキーの考え方のいいとこどりをしている、というところなのかもしれません。

当人のヴィゴツキーも、将来自分のことがポストイットの試行整理術(KJ法)と一緒に試験に出ているとは想像もしていなかったでしょうね。(鍋)

<めじろ奇譚>自民党の総裁選と新しい首相

2021年11月4日

少し時間が経ってしまいましたが、2021年9月29日に自民党の総裁選がありました。
事実上、日本の首相を決めることになる総裁選で、世間の関心もある程度高かったように思います。
昨年度の総裁選は、菅さんが勝つだろうというのが大方の予想だったため、開票前から大体結果が見えていました。しかし今回の総裁選は菅さんが不出馬を表明してから続々と候補者が名乗りを上げ、自民党内でも支持が分かれて、最後まで誰が勝つのか不確かだった点も注目度を高める要因となっていたと思います。

個人的には、某有名You Tubeチャンネルで総裁選候補者を一人ずつ詳しく紹介している動画があったので、それを見ながら「この人はこういう人だったのか~」と興味深く眺めていました。
もちろん、You Tubeの情報は全て鵜呑みにしてはいけないと思いますが、経歴や人となりについて知ることができました。
例えば、岸田さんは自分の選挙区広島で選挙の時期以外も街頭に立っていて、外務大臣をしていた時でさえも広島に帰っていた、とか、高市さんは幼少期に家で教育勅語を暗唱していた、とか、細かいエピソードから何を大事にしている政治家なのかも垣間見える気がします。

開票前のメディア等での予想では、党員に多く支持されている河野さんと、自民党内の支持が厚い岸田さんが、どちらも一回で過半数には届かず決選投票になるのではないかと言われていました。決戦投票になると、他の候補者の票が岸田さんに集まるのでは、とも。

実際には一回目の開票結果は、岸田さんが河野さんを一票だけ上回っていました(党員票では、河野さんが上回っていた)。そして決戦投票にて、岸田さんが総裁に選ばれました。

その後、10月8日の所信表明演説で、岸田新首相は主に以下について話しました。
(引用:自民党ホームページ
(1) 新型コロナウィルス感染症対策
(2) 新しい資本主義
(3) 外交・安全保障

経済政策を特に重視しているようですが、「分配なくして成長なし」として、(1)働く人への分配機能の強化、(2)中間層の拡大、(3)公的価格のあり方の抜本的見直し、(4)財政の単年度主義の弊害是正に取り組むとしています。

さて、海外ではどのように受け止められているのか見てみると、イギリスのBBCは、岸田さんが選ばれたことに関して、以下のように述べています。
(引用:BBCニュース

“He is known as a moderate-liberal politician so he’s expected to steer the ruling conservative party slightly to the left.
While his critics describe him as bland and boring, he’s long been seen within the party as its future leader.”

和訳:
「彼は穏健なリベラル派の政治家として知られており、与党である保守党をやや左寄りにすると予想されている。
評論家は彼のことを面白味がなく退屈だと言うが、彼は長い間、党内で将来のリーダーと見なされてきた。」

岸田首相は「人の話をよく聞くこと」を自らの特技として掲げていますが、果たしてどのくらい、国民の声に耳を傾ける首相になるのでしょうか。
今後の政策や発言を、注視していきたいと思います。

(英語チームN)

<めざせ語学マスター>チャンクとは?

2021年11月3日

再び先日の日本語教育能力検定試験の内容について。

試験Iの問題10には認知心理学の「維持リハーサル」やワーキングメモリが出てきました。
ちょうど試験前の「記憶とは?」で書いたばかりなので「きたきた!」と思いましたがその次の「かつて言語教育ではチャンクが否定的に捉えられてきたこともあったが、近年はその役割が見直され、チャンクの使用の効果が確認されている。」という表現に「え!チャンク?」と驚きました。

最近仕事でも「チャンク」という言葉をよく使っています。チャンクは、AI用の同時通訳コーパス作成時にも「訳すときの意味の塊」として使われています。その「チャンク」という言葉を日本語教育能力試験でも見るなんて驚きでした。

ではチャンクとはどういうものなんでしょうか。

チャンクに関する古い論文は、1956年のアメリカの認知心理学者、ジョージ・ミラー(1920-2012)の論文「マジカルナンバー 7±2」(1956)です。彼は、人間の短期記憶、ワーキング・メモリーには、処理容量の限界があり、一時的な記憶で処理できるのは7要素くらい(7±2)だとしました。

しかし、この7個というのは、7数字や7文字、といった単純な単位ではなく、7つの意味の塊(チャンク)に対しても機能します。

例えば、FBICIAUSAという言葉。
皆さんは一度見てすぐに思い出して書くことができますか?

私は電話番号もすべて語呂合わせで覚えるほど、綴りや数字を覚えるのが苦手なので、こういう問題にはとても抵抗を感じてしまいます。でも、実はこれを3つに分けると意外と簡単に記憶出来ることがわかりました。
FBI / CIA / USA
そうです、それぞれアメリカの連邦捜査局(FBI)、中央情報局(CIA)、アメリカ合衆国(USA) です。
このように、意味の塊(チャンク)に分けてワーキングメモリーを効率よく使うことができれば、人間は長い単語、つづりや数字といった情報を、少ない負荷で記憶することができます。

以前の「記憶とは?」のブログにある、ワーキングメモリー(記憶の短期貯蔵庫)の保持時間は15~30秒です。短期貯蔵庫はすぐに処理しないと忘れてしまう記憶の一時貯蔵庫です。しかし、もし長期保存庫に多くの知識(語彙、文法、イディオム、表現、文)が予め入っていればワーキングメモリーで処理できるチャンクの量や長さも増えてくるはずです。

同時通訳が通訳する際、発話を、ある程度の塊に訳しながら通訳していきます。その時の発話の塊がチャンクです。同時通訳は逐次通訳と違って、文章を最後まで聞いてから再現するのではなく、聞きながら訳すという特殊な方法で訳していくので、分け方も1文ずつなどではなく、文節や名詞句、動詞句など、かなり短いスパンで訳していくことになります。また、チャンクによる記憶方法をAIを使ってデータ処理した同時通訳に活用する研究もおこなわれています。

以前から、同時通訳の訓練の一つには「スラッシュリーディング」や「チャンクリーディング」がありました。スラッシュリーディングとは、英語を英語の語順のままで読んでいくための読解方法です。通訳のためだけではなく、英語の速読の方法としても用いられることがあります。チャンクリーディングの場合はスラッシュだけでなく、改行までしてよりはっきりと意味の塊を表示させることもあるようです。

通常、日本語から英語に訳そうとすると、語順の違いから(日本語はSOV、英語はSVO)、日本語の最後に出てくる述語を英語の主語の次に持ってくるなど、語順がひっくり返りますが、通訳、特に同時通訳の場合は、最後まで待っている余裕がありません。そこで、情報を出て来た順に理解して、ある単位の塊ごとに訳していく必要があります。同時通訳の学校ではこの方法を基礎訓練として勉強することがあります。通訳の場合は音声の処理なので、実際にはスラッシュ・リーディングからはじめて、少しずつ音声へ移行して、スラッシュ・リスニングの訓練をします。(私自身は逐次通訳の経験しかないので、同時通訳の訓練は憧れるばかりなのですが・・・)。

通訳にならなくても、記憶の訓練や速読のために、スラッシュ・リーディングはおすすめです。スラッシュの入れ方に厳格な規則はありませんが、SVC, SVO, SVOO, SVOCなどの文型の区切り、現在分詞や過去分詞の前、不定詞句の前、長い名詞句の後、接続詞や関係代名詞・関係副詞、疑問詞の前、カンマ、セミコロン(;)、コロン(:)、ダッシュ(―)の後、前置詞の前などが多いようです。意味の塊で区切る、というだけで厳しい縛りはありませんが、これ以上区切ったら意味の塊が壊れるという区切り方(The /White / House /summary…)は通常しません。

さて、試験問題の選択肢(「チャンクの使用の効果」)は、そんなチャンクの知識があっても選ぶのは難しかったです。他の選択肢も紛らわしく感じましたが、とりあえず「注意を払わなくても言語処理が進み、発話の流暢さが増す。」を選びました。でも、正直あまり自信はなかったです。「チャンクを使ったら流暢に話せる・・・?」そうかな?と悩んでしまいました。

チャンクが生かせるのは、長期記憶庫に予めたくさんの知識がある場合だと思います。また、どんなに2か国語がペラペラでも、発話の内容を理解できなければ流暢には話せませんし、あまりチャンクにこだわると「どこでチャンクを区切ったらいいの?」という別の問題を抱えることになりそうです。(鍋)

<めじろ奇譚>海外では、たばこは何歳から吸えるの?

2021年11月2日

さて今回私に割り振られたテーマは「喫煙」です。
日本では「タバコとお酒は20歳から」と言われるように、喫煙は成人(=20歳)になってからというのが常識ですが、世界の国々はどうなのでしょうか。

社内ネイティブスタッフに尋ねてみました!!!

国名  喫煙できる年齢 その他(価格など)
日本
(私)
20歳以上 ・お酒もタバコも20歳から。
・2021年10月のたばこ税増税に伴い、価格は1箱あたり数10円~100円程度一気にアップ。銘柄にもよるが、タバコ(紙巻タバコ)1箱500~600円程度。
・昔に比べると分煙・禁煙場所が増え、喫煙できる場所はだいぶ減っている。
アルゼンチン
Yさん
18歳以上   ・飲酒も同じ。
・値段は100円から250円の間。(有名なメーカーは200円から250円らしいです。例:マルボロ、ラッキーストライク)
・公共の場ではどこでも喫煙可能。レストランやバーなどではテラスなどあれば喫煙できるところもありますが、半々ぐらい。
オーストラリア
Bさん
 18歳以上  ・オーストラリアではタバコ一箱(20本)は2,000円ぐらいと高い!(AUD24)
喫煙できる年齢は18歳以上だが、18歳未満の人でも販売可能。
・たばこの悪影響を伝えるように(ほとんど(すべて?)の)たばこの箱に気持ち悪い写真が入っている。
カナダ
Mさん
ほとんどすべての州は19歳以上。
ケベック州、マニトバ州、アルバータ州のみ、18歳以上
・飲酒も同じ。
・ちなみにカナダも気持ち悪い写真がパッケージに乗っけています。
そして、税金がすごくかかっていて、1箱20ドル(2,000円)程度です、おそらく。
スウェーデン
Sさん
18歳以上 ・タバコ一箱の平均的な価格は750~780円程度(59スウェーデン・クローナ)ですが、2023年にタバコの税金を上げる予定だそうですので、2023以降はもっと高くなるようです
しかし、どれぐらい高くなるかはまだ決まっていないです。
・スウェーデン国内の全てのレストランに加えて、バス・タクシー乗り場や駅のプラットフォーム、屋外カフェ、スポーツ競技場なども禁煙となっています。
パラグアイ
Hさん
 18歳以上 ・建前は18歳(mayor de edad:成人年齢)ですが、若いうちから始める人も多い。
・30%のスモーカーが高校生から大学生だそうです。(=12~18才)更に、私立高校の方が公立高校よりタバコに走る人が多いそうです。
・ちなみに円換算するとMARLBOROが首都では185円と、とても安いです。
ベトナム
Tさん
 18歳以上 ・法律上は18歳からだが、若いうちから吸い始める人もいる。
・タバコの値段は国産だと20000ドン(100円程度)、輸入物だと30000ドン(250円程度)。
フランス
Dさん
 未成年者(18歳未満)に対するタバコの販売は禁止されているが、喫煙行為自体に年齢の規制はない。  ・15歳のフランス人の半分はタバコを吸ったことがある…?
・タバコの価格の80%は消費税。
・2020年にタバコ(1箱)の値段:10ユーロ(1350円!!)
・1990年に1.5ユーロ(200円)でした
ロシア
GさんとSさん
 18歳以上  ・最近は健康志向の高まりから、タバコをやめる人もいる。
・タバコの値段は1箱108ルーブル(日本円で180円弱)から。国産・輸入物で値段は2倍ほど差がある。

※個人的な見解も含まれます。

喫煙可能な年齢は、差はあるものの18歳が基準となっている国が多そうです。
世界を見渡してみると、成年年齢を18歳と定めている国が主流となっており、この動きに倣うように2022年には民放改正により日本でも成年年齢は18歳となるとのことですが、(https://www.moj.go.jp/content/001300586.pdf)法改正後も飲酒・喫煙が合法となる年齢は20歳のようです。

…とまとめているうちに、年齢よりもその他の小ネタ?が目につくようになってきました。いくつか紹介します。

① 衝撃的なパッケージの写真
日本では見られませんが、たばこを吸うことがいかに身体に悪影響を及ぼすか、ということを伝えるために、パッケージに恐ろしい写真を載せる国が多々あります。「あなたの肺はこうなります」「こうやって死んでいきます」など生々しい写真が大きく載せられています。優しさは微塵もありません。下記はオーストラリア・Bさんから提供してもらった写真ですが、そういえば私も海外の空港の免税店で、カートン売りしているタバコの箱にこういった衝撃的な写真がのっているのを見てぎょっとしたことがあります。

(オーストラリアの例)

② 無煙たばこ「スヌース」
スウェーデンでは、吸うタバコより、唇の下に入れる「スヌース」(無煙たばこ)の方が広く使われているようです。Sさんの推測によると、その理由の一つは禁煙ルールの対象外となっているからではないか、とのこと。え、なに?ああ、「噛みタバコ」ね、と言ったらそれは違うとのこと。どうやら「嗅ぎタバコ」と呼ばれるそうで、「ふーん、スウェーデンって進んでるな」と思っていたらこのスヌース、日本でも売られているそうです。(でもスウェーデン製)

(日本で売られているスヌース)

商品名アル・カポネ…
https://kakakumag.com/hobby/?id=13045

 

③ ティーンエージャーも喫煙。
アルゼンチンのYさん曰く、「中学・高校の校庭や校内ではないのですが入口のすぐそばとかでタバコを吸っている学生は結構いました。教師達は見て見ぬ振りする人がほとんどだったのですが、逆に学生と一緒にタバコを吸っている教師もいましたね。校庭でも喫える学校はあまりないと思いますが、学校の入り口で学生が平然とタバコを吸ってるところは普通にあります」。学生と一緒に教師がタバコ。これは日本では見られない光景ですね。これを聞いたパラグアイ出身のHさんも「パラグアイも同じ!さすが隣国!」と共感し、盛り上がっていました。

以上、社内タバコアンケートでした。
次はどんなアンケートを取ろうかな。(川本)

<めざせ語学マスター>日本語教育能力検定試験 今年も受けました

2021年10月26日

今年は大正大学が試験会場でした。昨年は東京外国語大学、その前は明治大学・・・。家族に話すと「ああ、年に一度の大学見学?」と、秋のある一日、朝から母がいない様子は家族内の恒例行事になっているようです。

日本語教育能力試験は朝9時開場、9時50分から1時間半の試験I, お昼を食べて午後12時50分から13時45分まで聴解試験の試験II, その後14時25分から16時40分までが記述式を含んで行う試験IIIという3部構成です。10月末は秋が冷え込み始めるとき。去年も今年もコロナ対策がしっかり行われている中で実施されました。

大きな会場に一つずつあけて座っている受験者は、年齢層もバラバラで、20代の人から定年退職したあとのような高齢層までいます。全体のイメージでは、真面目そうな人が多い様子。そもそも丸1日かけて受ける試験に応募する時点で、気合のある人々なんだと思います。

今回は過去3年分の試験を見直してのぞみましたが、内容としては今年の試験もだいたい過去問と似たような問題だったと思います。今まで通信教育、問題集、ビデオのオンライン授業など受講してきましたが、やりつくした感があり、今年は過去問の内容をノートにまとめたり、このブログを書きながら勉強するという地味な方法をとってきました。

過去に買った問題集もすでに数年前のもので、試験を受けて思ったのは「私は今のトレンドに弱い」ということ。試験Iの問題14には、日本語教師の人数など、まさに業界の現状を問う問題が出ました。「令和元年度の日本語教師等の数」・・・鉛筆を転がす思いで4万6000人を選んだら、・・・ラッキーなことに当たっていました。

実はこのトレンド、文化庁で毎年出ている「日本語教育実体調査報告書」を見れば一目瞭然です。

令和元年度日本語教育実態調査報告書「国内の日本語教育の概要」
令和元年度の日本語教師の数は46,411人。
年代別では60代が一番多いです。10,352人(全体の22.3%)
地域別では、関東の次に多いのは近畿です。
職務別ではボランティアによる者が一番多く、24,745人(53.3%)。
機関、施設等別では法務省告示機関が最も多く、12,933人(27.9%)。

参考までにコロナが襲った昨年の報告書によると、
令和2年度日本語教育実態調査報告書「国内の日本語教育の概要」
令和元年度の日本語教師の数は41,755人。(前年度(46,411人)より4,656人(10.0%)減少)。
年代別では60代が一番多い。9,727人(全体の23.3%)
地域別では、関東の次に多いのは近畿です。
職務別ではボランティアによる者が21,898人(52.4%)。(前年度より2,847人減少)
機関、施設等別では法務省告示機関が最も多く、11,554人(27.7%)。

しかし何より顕著なのは、日本国内での日本語学習者の人数の減少で、令和2年度は160,921 人で、前年度(277,857 人)より 116,936 人(42.1%)の減少。

令和2年度日本語教育実態調査報告書「国内の日本語教育の概要」(パンフレット版)

このコロナ禍での学習者の大幅減少という状況は、来年以降の試験では問われるんでしょうか。

日本語教育人材に求められる資質・能力についてはこちらに記載がありました。
「日本語教育人材の養成・研修の在り方について(報告)」の概要
この中に、1)日本語教師,2)日本語教育コーディネーター,3)日本語学習支援者の三つの分類と段階や活動分野ごとに,求められる資質・能力,養成・研修の在り方及び教育内容が示されています。

①日本語教師 日本語学習者に直接日本語を指導する者
②日本語教育コーディネーター 日本語教育の現場で日本語教育プログラムの策定・教室運営・改善を行ったり、日本語教師や日本語学習支援者に対する指導・助言を行うほか、多様な機関との連携・協力を担う者
③日本語学習支援者 日本語教師や日本語教育コーディネーターと共に学習者の日本語学習を支援し、促進する者

また、その役割・段階ごとに求められる日本語教育人材の資質・能力は「知識・技能・態度」に分けて整理されています。

そして、このように日本語に関する様々な情報を発信する文化庁が行っている事業は、地域日本語教育スタートアッププログラムです。
地域国際化推進アドバイザー派遣は自治体国際化協会。
大規模汎用日本語データベース構築は国立国語研究所
外国人留学生在籍状況調査は日本学生支援機構が行っています。

私は外国人留学生在籍状況調査を文化庁が行っていると思ってしまいました(確か文化庁のサイトで見た覚えがある!と思ったら文化庁の情報に日本学生支援機構のデータが使われていただけだったようです。(;’∀’))。職務別の日本語教師の数では非常勤による者のほうがボランティアより多いと思い、さらに日本語教育人材に求められる資質・能力は「知識・技能・適応力」かと思ってしまい、結果、私はこの問題14だけで5問中すでに3問間違えています。

今年もクリスマスイブにショッキングな通知を受け取る予感・・。
さて来年はどの大学に出かけて行くのかな・・・。

それにしても、こんなに沢山の人が受験する試験なのに、実際は半分近くがボランティアっていう現実を(選択肢の一つとはいえ)試験にするのはちょっと自虐的すぎではないでしょうか。
いくら少子高齢化社会だからって、高齢者のボランティア頼みの日本語教育というのは「未来が明るい」とは思えない気がします。英語教育には熱心すぎるぐらいの日本なのに、日本に住む外国人の日本語教育にはお金をかけないのでしょうか。本当は日本人の英語教育と同じくらい力とお金をかけるべき、いや、日本の将来を考えれば、英語教育より大事かもしれないのでは?(鍋)


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高コンテクスト文化と低コンテクスト文化
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言語は12歳までに習うべき!? 臨界期仮説について
英語は聞いていたらペラペラになる・・・か?(クラッシェンのモニター・モデル)
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ネイティブチェックは「ネッチェッ」になるか。拍(モーラ)と音節
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ネイティブ社員にアンケート!
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シニフィエとシニフィアン
文を分ける 文節&語&形態素
やさしい日本語
来日外国人の激減について
学校文法と日本語教育文法
日本語教育能力検定試験に落ちました

<めじろ奇譚>LGBTの権利・フランスと日本の比較

2021年10月21日

フランス

国際レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランス、インターセックス協会(ILGA)によると、LGBTの権利ランキングでは、ヨーロッパの中でフランスが13位となっています。世界規模で考えると、寛大な国だと思われていますが、実際にはEUやG7の平均に近いです。

18世紀前までは、宗教の影響によって法律上、同性同士の性的関係が罰せられていました。但し、「同性愛」という概念がなかったため、「同性愛」という考え方自体は罰せられておらず、こっそりと恋愛関係になっている人もいました。同性愛者の性的関係はフランス革命まで犯罪とみなされており、死刑が科せられることもありました。(*最後の死刑の例は1750年。)

フランス1791年刑法典が定められたことによって、罪ではなくなりましたがLGBTの権利はその後約160年停滞しました。

第二次世界大戦中、同性愛者は迫害され、性行為同意年齢についても1982年まで異性間カップル(18歳)と同性間カップル(21歳)の間で年齢が異なっていました。
※1982年には同性間カップルも、異性間カップル同様、21歳から18歳に下がりました。

そして、1999年に民事連帯契約(パックス、Pacte Civil de Solidarité)が成立し、2013年には同性婚が認められることになりました。

フランスでの同性婚に対する反対デモ

 

日本

日本はフランスと違って、LGBTを差別の対象にする宗教的な文化がありませんが、LGBTに対する認識はまだ少ないようです。

11世紀の源氏物語のような古典や、北斎・歌川広重の浮世絵にも同性愛者の描写がありました。

また、同性愛は侍の社会階級の中でも珍しいことではありませんでした。

しかし明治時代には、欧米の影響により、同性間の性的関係が1873年から1880年において禁じられていたこともありました(鶏姦律条例)。

以降、日本でのLGBTの権利は少しずつ認められつつありますが、他の先進国と比べたらまだ遅れています。

ただ、進歩がないというわけでもありません。自治体によりますが、パートナー証明書の制度も出来ましたし、東京都や千葉県ではLGBTに対策する差別を禁じる条例も施行されました。

読売新聞が2020年に国内で行った調査によると、同性婚に賛成している国民の割合は61%を占めます。それにも関わらず、G7の中で同性婚がまだ認められていないのは日本だけです。

源氏物語の絵巻・11世紀

結論

フランスは日本より法律の面では進んでいますが、LGBTの人がいけない場所があるなど、治安の問題があります。

日本はフランスと違って治安は良いですが、法律の進歩がまだ遅れています。そのため、例えば、同性間カップルでは家を借りることが難しかったり、外国人の配偶者のためのビザが取得できなかったりします。

フランスでも日本でも今後LGBTの権利がもっと改善されることが期待されます。(ダミアン)

<お知らせ>同時通訳者&翻訳者 急募

2021年10月19日

フランシールでは現在英語、中国語、韓国語、ベトナム語の同時通訳を募集しております。

ご関心のある方は、こちらからご応募ください。

よろしくお願いします。

株式会社 フランシール 採用担当

 

<めざせ語学マスター>記憶とは

2021年10月19日

娘が小学校2年生になったとき、ピアノを習いたいと言い出しました。
ちょうど「クラシックの名曲」というCDつきの子供用の本を買って、寝る前に聞かせていたころだと思います。モーツアルトの「きらきら星」なども入っていて、私も子供たちの横で鍵盤があるように指を動かしたり、指揮者になったようなふりをしたりして寝かしつけていました。

ピアノを始めるにあたって鍵盤が50個くらいしかないキーボードを買ってきました。娘が弾いていないときに、私もキーボードについてきた楽譜を見て、その昔、中学生まで習っていたピアノを思い出して時々練習し始めました。すると・・「鍵盤が足りない」ことに気づきます。もっと高い音があったはず、とか低い音があったのに鍵盤がない・・。

結局自分の要望で88鍵盤のキーボードを買うことにしました。するとまた少し上のクラスの楽譜がついてきたので、弾けそうだなと思える曲を選んで練習するようになりました。ただ、昔弾いていた曲は指が覚えていたりもしますが、新しい曲は楽譜を一つ一つ丁寧に読んで確認しないとなかなか弾けません。あるいは、途中まで弾けても頭の中で「あれ?ここはどの音だったっけ?」と思ったとたんに指が止まって動かなくなります。

昔弾いていた曲や、最近ずっと弾く曲は楽譜がなくても弾けるものもあります。ただ、それは楽譜が頭に入っているわけではなく、頭を通さずに指が動くような感覚です。(念のために言っておきますが、ピアノ自体は上手くなく、中学校時代であっても「エリーゼのために」をやっと弾けるぐらいの力量でした。おまけに当時ピアノは本当に嫌々やっていました。それでも、です。)

それはパソコンのキーボードを叩くとき、最初は「Aはどこ?」「Wはどこ?」と探していたのが、いつからかブラインドタッチができるようになるのと同じような感覚だと思います。他の人と会話しながらスマホで別のメールを打ったりするとか、意外と人は神業のようなことを意図も簡単にやってのけます。

長くなりましたが、今回はそういった頭でわかっている知識と、体で覚えている知識の違いについてです。

私たちは生活上、常に新しいことを学習しています。ピアノの練習もそうですし、キーボードの使いかた、自転車の乗り方、自動車の運転の仕方、はたまた外国語の書き方や話し方、様々なソフトやアプリケーションの使い方、などなど。そのためには、まずは楽譜の読み方を習ったり、教習所で交通法規や基本操作を勉強したり、取扱説明書を読んだりします。

ジョン・R・アンダーソン(John Robert Anderson, 1947年ー)というカナダ生まれのアメリカの心理学者は、そのような「技能の習得」をモデル化しました。彼は、楽譜の読み方や、交通法規、歴史の年表など、ある事柄に関する知識(Knowing-what)で言語化しやすいものを「宣言的知識:declarative knowledge」と呼び、体が勝手に動くような「やり方」に関する知識で言語化しにくい、でも何かをするときに行動の一環として現れる知識(Knowing-how)を「手続き的知識:procedural knowledge」と呼びました。彼はこの二つの知識を別のものとして考えました。

例えば車を運転して、「次は右折だ。ウインカーをださないと・・」と思っても「ハンドル横のライトスイッチを下方向に動かして軽く押さえればウインカーが点滅するはず。」とは、初心者以外はなかなか思わないのではないかと思います。そのような知識は「宣言的知識」ですが、普段運転している人はそんなことを考えず、無意識に手を動かしています。私自身、運転中に曲がり角にくるとほぼ意識せずに手を動かしていることに気づきました。いったんそうなると、逆に学科テストで「説明せよ」と問われても、言語化することが難しいかもしれません。

このモデルでは宣言的知識は、練習によって手続き的知識に変わっていくと考えられています。外国語の学習も同じで、最初はその言語の文法や語彙を覚えるために意識的に繰り返し音読したり、文を書き写したりするなど、その言語を使うための情報を吸収します(宣言的知識)。その後外国人と話したり留学や仕事で海外にいくなどして、考えなくても言葉や表現がスラスラ出ていくと、宣言的知識も手続き的意識になっていきます。ただ、現在のように学校で習う英語が受験のための学科にとどまっている間は、きっちり吸収されたとしても、「宣言的知識」のままかもしれません。

また、その逆に、いわゆる「匠」的な職人さんには「どうやって出来るんですか?」と聞いてもうまく説明できない人もいるかもしれません。一方で、自分の技術はそこそこだけれど、人に説明したり教えたりするのが得意な人もいて、そういう人は宣言的知識が豊富なんだと思います。

また、手続き的知識は私でさえピアノを弾くときの「指の感覚」を何十年後も覚えているくらい、長続きします。また、こういった長続きする記憶のことは「長期記憶(long term memory)」と呼びます。

アメリカの心理学・認知科学の教授、アトキンソンシフリンは記憶のシステムを研究しました。彼らの示したモデルが「二重貯蔵モデル(multi-store model ), 1968」です。このモデルでは記憶として短期記憶(short-term memory)長期記憶(long-term memory)があります。

情報はまず視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの感覚登録器(sensory registers)で入力されます。その保持時間はわずか数百ミリから数秒。その次に選択された情報は短期貯蔵庫(short-term store)に入ります。保持時間は15~30秒。その後、長期貯蔵庫(long-term store)に入ります。短期貯蔵庫に入っているのが短期記憶であり、長期貯蔵庫に入っているのが長期記憶です。短時間貯蔵庫の情報はワーキングメモリ(作動記憶)とも呼ばれています。

短期記憶から長期記憶へ、どうやったら情報は転送されるのでしょうか。代表的な方法がリハーサル(rehearsal)です。何度も繰り返して短期記憶を維持する方法です。また、新しい情報と既に持っている知識を結びつけること、これを「精緻化(elaboration)」と呼びます。

リハーサルはまさにピアノを楽譜を見ながらコツコツ繰り返す作業のように、外国語なら音読したり、手で書いたり、おしゃべりしたりすることです。

宣言的知識も手続き的知識も長期記憶ですが、宣言的知識はさらに「エピソード記憶(episodic memory)」と「意味記憶(semantic memory)」に分かれます。外国語の学習ではほとんどがエピソード記憶に支えられています。私の個人的経験でいえばくじらのフランス語”balaine(バレーヌ)”は、私の強烈なエピソードに紐づけられていますが(エピソード記憶)、日本語のくじらは、ただクジラのイメージに重なっているだけです(意味記憶)。

様々な感覚器官に入る新しい情報は、その中から必要な部分を抜き取って短期貯蔵庫に運ばれます。これを「符号化(encoding)」といい、短期貯蔵庫に入ることを「貯蔵(strage)」いいます。一度長期貯蔵庫に貯蔵されればあとは「検索(retreaval)」て探したり整理したりできるそうです。年をとると「あれー、あれ、あれって何て言うんだっけ?」というのが増えますが、長期貯蔵庫に入っている情報はなかなか完全には消えないらしいですよ。(本当かな・・)

私は過去何度も受けた日本語教育の試験で、ほぼ毎年のように繰り返し同じような用語を眺めてきました。軽いリハーサルをしてきたけれど、ものにならず。そうして始めたのが、このブログ。今思えばこうやって文字にすることで私は今までパラパラ見てきた知識を長期貯蔵庫へ転送すべく、精緻化しようと書いてきたのだと思います。

しかし次の試験まで残り1週間になった今、再び過去問を見て愕然としています。全体の範囲に比べると、ブログで書いていることは結局ほんのごく一部。精緻化できたとしても少なすぎます。まあ、また落ちても落ちていなくても懲りずにコツコツ書いていこうと思います。(ため息)(鍋)

 

参考:第二言語習得論 アルク、新版日本語教育事典 大修館書店


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<ある通訳の日誌>詩の世界 詩のこころ 5

2021年10月16日

詩の世界 詩のこころ
橋爪 雅彦
1
フィッツジェラルド
もり りょう 訳
オーマー・カイヤム「ルバイヤート」四行詩

第一回
第二回
第三回
第四回

―第五回ー

■フィツジェラルドと友人カウエル(Cowell)
フィッツジェラルドには十七歳年下のカウエル(Edward Byles Cowell)という友人がいました。彼との交わりは、1844年ごろ(カウエル18歳)始まったといわれています。1850年ごろからフィッツジェラルドはこの友人からスペイン語の指導を受け、その後1852年からは彼よりペルシャ語の指導を受けました。

この友人カウエルが、オックスフォード大学のボドレー図書館にあったオーマー・カイヤムの四行詩「ルバイヤート」の古写本を発見、それを転写し、フィッツジェラルドに贈呈しました。その古写本に収録されていたのは158首、その中からフィッツジェラルドは75首を選んで翻訳しました。75首の初版は1859年に自費出版されました。

今、こうして私が論じているのは、この初版本の75首を森 亮が1941年に和訳したものです。

フィッツジェラルドはその後も改訂を続けました。
1859年 初版 75首
1868年 第二版 110首
1872年 第三版 101首
1879年 第四版 101首

1883年6月 74歳と数カ月の寿命を終えました。
彼の死後、第五版が出版されました。彼のルバイヤートを論じる人たちは、初版から第4版までを頻繁にとりあげ、第五版はほとんど取り上げません。
そしてよく翻訳されるのは、初版、第二版、第四版です。第三版は第四版とよく似通っているため翻訳者たちは第四版を選び、第三版はあまり翻訳されません。
第五版については、まれにしか翻訳されませんが、日本では、矢野 峰人が五版101首の全訳をしています。

■フランス人J.B.Nicolasの出現
1867年 インドに領事として滞在していたフランス人ニコラ(J. B. Nicolas)がフランスへ帰国し、オーマー・カイヤムの詩をフランス語・ペルシャ語原典双方の対訳で出版します。
フィッツジェラルドがカイヤムを訳して以来、彼以外の人が試みた初めての訳です。テヘラン版テキストを使い、原詩は下記の右ページにみられるようにおそらく四行詩と思われますが、ニコラは散文詩の形で全464首を仏訳しています。


参考までに第448歌のページを載せます。
左ページがフランス語訳、右手ページがペルシャ語原文です。(ペルシャ語はアラブ文字を使って表記されています。ページの下段には、ニコラの注釈がフランス語で書かれています。)
(LES QUATRAINS DE KHÈYAM Notes du Mont Royal. )より

フィッツジェラルドが友人カウエルより寄贈されたボドレー図書館蔵のウズレー写本が全158首でしたから、このニコラが訳したテヘラン本は相当な数と云わねばなりません。

さきほどのフィッツジェラルドの初版第十一歌は、前回引用したマッカシー版第449歌によく似ていますが、ニコラが訳したテヘラン本では第413歌と第448歌にほぼ相当します。
ほぼ相当という意味は、似てはいるが完全な一致ではないという意味です。

フィッツジェラルドは、自分の感性で、ある語は削り、ある語は活かし、あるいは二つの詩を融合したりで、全体の意味合いも多少変わってきていますが、カイヤムの本質は崩さないというスタンスでの訳業です。
私自身、ペルシャ語は分かりませんが、多くの専門家の言葉を借りれば、ニコラはペルシャ語原詩に忠実に訳していると云われています。

J. B. Nicolas (413歌)
Ce que je demande c’est un flacon de vin en rubis, une œuvre de poésie, un instant de répit dans la vie et la moitié d’un pain. Si avec cela je pouvais, ami, demeurer près de toi dans quelque lieu en ruine, ce serait un bonheur préférable à celui d’un sultan dans son royaume.
(LES QUATRAINS DE KHÈYAM Notes du Mont Royal. www.notesdumontroyal.com)より

私が欲しいものは、ルビー色したワインの瓶、一遍の詩集、人生における休息とパンの半かけら。これらをもってどこか人気のないところで、友よ、あなたのそばに座るなら、それこそ王国における王(サルタン)よりも幸せでしょう。

参考までに、このニコラのフランス語訳413歌を今度はこれを英訳したFREDERICK Baron Corvoの訳を掲げます。

All that I ask is a Flagon of rubious Wine, a lyrick Biblaridion, the Half of a Leaf, and an instant of Rest in Life. If, with these, I might dwell in some Ruin, near thee, o Lover o’ me, my Bliss would be préférable to that of a Sultan in his Kingdom.
(「The Rubaiyat of Umar Khaiyam」Scholar SELECT published by Wentworth Press, an imprint of Creative Media Partners. Support creativemedia.io)より
(上記FREDERICK の英訳のなかで、Biblaridionという言葉に少々戸惑いました。英語でもフランス語でもなく、調べてみると、どうやらギリシャ語系の言葉で、「小さな本」を意味しているようです。lyrick Biblaridionは「小さな抒情詩集」とでも訳すべきなのでしょう。)

J. B. Nicolas (448歌)
Lorsqu’on possède un pain de froment, deux mèns de vin et un gigot de mouton, et qu’on peut aller s’asseoir avec soi une jeune belle aux joues colorées de teint de la tulipe, oh!c’est une jouissance qu’il n’est pas donné à tout sultan de se procurer. (LES QUATRAINS DE KHÈYAM Notes du mont Royal www.notesdumontroyal.comより)

小麦のパンと二マンのぶどう酒と羊のもも肉を持つときは、そしてまたチューリップ色の頬をもつ乙女とともに自らが座る時、ああ、これはいかなる王侯(サルタン)も手に入れることができない喜びだ。
(注:マンはペルシャの重量単位。800グラムから3,000グラムぐらいに相当すると云われている。)

ここでもFREDERICK Baron Corvoの訳を掲げます。

He, who hath a wheaten Loaf, a Dish of Mutton, and two Measures of Wine, can go and rest near some ruin with a youthful Lover whose fair Checks glow with the Tinct of Tulips. Ah, not every Sultan may achieve such Joy! 
(「The Rubaiyat of Umar Khaiyam」 Scholar SELECT published by Wentworth Press, an imprint of Creative Media Partners. Support creativemedia.io)より

英語は詩的な言語ですね。ニコラのフランス語訳に比べると、なんというか、フランス語は人工的で古典的な形式を踏襲していて、理屈っぽい印象ですが、フレデリックのこの英語となると、なにか言語として自然な感じがしてきます。しかもインパクトは強烈です。
Ah, not every Sultan may achieve such Joy!(どんな王侯(サルタン)もこんな喜びは味わえないだろう!)

さてフィッツジェラルドの第十一歌に戻りますと、ニコラの原文に忠実な訳を見れば、小麦も消えていますし、マンという重量の単位も消え、羊のもも肉も消え、チューリップ色した頬も消えています。もちろん最後の王侯(サルタン)も消えています。
フィッツジェラルドは、自分の感性を信頼し、19世紀イギリスの感覚に合致した風に詩を組み立てなおしたに違いありません。そこが翻訳というよりも翻案という所以です。

でもフィッツジェラルドの英訳とニコラの仏訳を比べてみると、あきらかにフィッツジェラルドの訳詩が19世紀末から20世紀にかけて全世界の読者を魅了したことがよくわかります。彼の感性の普遍性がもたらす翻案に全世界の読者は完全な共感を示したと云ってもいいでしょう。

それはたとえば、「羊のもも肉」と言っても、やはり日本でも「おやっ」と思います。
中近東の世界では、最高の御馳走と云われている「羊のもも肉」も、日本では「なんだ、それ」といった感覚で、詩のなかにこの言葉が出てきただけで、詩が台無しになる危険があったといってもいいでしょう。それはヴィクトリア朝時代のイギリスでも同じで、また当時のアメリカやその他のヨーロッパ諸国でも同じだったでしょう。


(羊のもも肉 アラブ世界では最高の美味として絶賛される料理です。この塊は結構大きなもので、ニンジンやサヤインゲン等に覆われていて塊のサイズが見えにくいのですが、右手のナイフのサイズと比べてみればこのもも肉の大きさがわかります。於セネガル国ダカール市のレストランにて)。

戦後 1947年(昭和22年) 小川亮作が「ルバイヤート」のペルシャ語原典からの翻訳を出版しました。今でも岩波文庫に収められており、一般の読者は、この小川亮作の訳詩で、オーマー・カイヤムを知ったに違いありません。フィッツジェラルドの初版第十一歌に近いというよりは、むしろテヘラン版448歌に近いものは次の詩です。

小川亮作訳 ルバイヤート(第98歌)
一壺のあけの酒、一巻の歌さえあれば、
それにただ命をつなぐかてさえあれば、
君とともにたとえ荒屋あばらやに住まおうとも、
心は王侯スルタンの栄華にまさるたのしさ!

■フランス人ニコラ(J. B. Nicolas)に刺激されて
フィッツジェラルドはフランス語も堪能でしたので、すぐにNicolas訳のカイヤムを読んでいます。それに刺激されたのか、フィッツジェラルドは1868年第二版を出版します。

第二版では、先ほど掲げた第十一歌はどのような変化を受けているでしょうか。第二版では、第十二歌になっています。

―Edward Fitzgerald  ―Ⅻ― Second edition
(フィッツジェラルド第十二歌)
Here with a little Bread beneath the Bough,
A Flask of Wine, a Book of Verse ­ and Thou
Beside me singing in the Wilderness ­
Oh, Wilderness were Paradise enow!

第二版110首を全訳した竹友たけとも

藻風そうふうのこの歌の訳を下記に掲げます。
ここにして木の下に、いささかのかて
壺の酒、歌のひと巻 ― またいまし、
あれ野にてかたわらにうたひてあらば、
あなあはれ、荒野あれのこそ楽土ならまし。
(マール社 ルバイヤート 竹友藻風訳)

大きな違いは、第三行目「うたひてあらば」と仮定を表す助詞「ば」を使用し、第四行目の最後尾が「ならまし」と反実仮想を表す助動詞「まし」を使っています。
この「まし」は、言うまでもなく、動詞・助動詞の未然形を受け、現実の事態ではない状況を想定し、これこれの事態が起きたらいいなあと願望する気持ちの表明です。
つまり、この詩は、第一行目、第二行目、第三行目とも仮定となり、第四行目に至って、そうであったら楽土(パラダイス)であろうという想像の中の願望を歌っていることになります。

万葉集の時代、光明皇后の有名な歌を思い起こします。

我が背子と ふたり見ませば いくばくか この降る雪のうれしからまし
(光明皇后 万葉集巻8. 1658)
(あなたと二人でこの降りしきる雪を見ることができたなら、どれほどうれしい気持ちになるでしょう。)

この「ませば」と最後尾の「まし」によって、完全な仮定を意味しています。実際には、二人で見ていないわけです。二人で見たら、どれほど幸せでしょうという願望を歌ったものです。

さて、フィッツジェラルドに戻りますと、第二版第四行目の「were」は、仮定法過去の帰結節としての用法で、「were」はwould beとなります。(矢野峰人著 「近代英詩評釈」昭和10年刊 三省堂を参照)
フィッツジェラルドは第二版から第四版に至るまでこの用法を保持しました。もちろん第五版も同様です。

もちろん第二版の竹友藻風の訳も素晴らしいと思います。だが、こうなってしまうと、直接法現在の初版とは離れてしまい、私自身はどうあっても直接法現在の初版の歌が心底素晴らしいと思っています。

■再度「王国における王様よりも幸せ」
カイヤムにとっては、ワインと詩集と若き美女。
ひるがえって私たちの現実の中では、銘々がそれぞれの「王様よりも幸せ」の世界を持てればいいですね。いや持っている人をたくさん知っています。

私の近所の人で、自転車に乗って山や野にサイクリングに出かけるのが無上の幸せと言っていた人や、休日に河川敷の運動場で草野球をするのが最高の喜びであるとか、あるいはサッカーに興じたりまた見たりするのが無上の喜びであるとか、あるいはまた私の兄の一人は、麻雀に熱中するのが何よりの幸福とか、あるいはまた仕事で疲れた体を引きずりながら帰宅すると、愛犬が尻尾を振って出迎えてくれることが何よりだとか、また友人のひとりで、女性と関係するのが無上の喜びであるとか、あるいは「人生は、酒と女と金だ」と断言してやまない御仁もたくさんいます。

ひとそれぞれに自分の格別な世界を持っているわけです。

先日、ある会合で友人に会いました。聞くと、腎臓を手術したそうで、二つある腎臓のうち、一つを除去したとのこと。彼が言うのには、
「あの好きだった酒がまるで駄目になってね。まったく酒が飲めなくなってしまった。」
そこで私が、
「それじゃあ、女性の方も全く駄目なわけだ。」
彼はうなずいて
「女性も駄目だが、お金の方も稼げなくなってね。」
私は、
「それじゃあ、酒、女性、お金の三拍子が全く駄目とは、これは大変だね。」
彼は、
「それはそうなんだ。だが、いいこともある。鴨長明の方丈記を読んでいてね。方丈記の言葉が身にしみて迫ってくる。昔、学生時代は、「なんだか年取った爺(じじい)が、変な理屈をならべている」と思っていたけれど、いやあ、実に方丈記の言葉も、それに徒然草の吉田兼好の言葉も、今、この年齢で自分のこころに迫って来る。この世を去るまでは、彼らの言葉に耳傾けながら歩んで行きたいね。今や彼らを読むのが楽しみだ。」

これは良い楽しみですね。長い人生ですから、人間も歳をとると、若いころの楽しみ、たとえば、異性とのセックスに気も狂わんばかりに没頭する楽しみとか、あるいは恋の激情のなかで「時間よ止まれ」と叫んで抱擁を繰り返す喜びや、あるいはスポーツにあるいは他の何かに身も心も奪われて楽しみにふけりますが、肉体の衰えとともに、私たち人生の喜びも変遷します。

私自身が自分にも他人にも奨めるのが、古今東西の優れた人たちの書物を読むこと、一言で言うと読書の喜び、これは何にもまして比べ物にならないほどの喜びです。

私たちは、職業生活が長く続きますから、ともすると、職業上の専門文献や資料を詮索し、高度職業社会の知識と技術を身につけるわけですが、これは思いのほか「こころの糧(かて)」にはなりません。

古今東西の名作と云われるものには、私たちの「こころ」を揺さぶる何かがあります。名作とは、おそらく、天上界の神聖と私たち卑俗の世界を結びつけるメディア(媒体)と思われます。

これは若いころから少しずつ親しみ、年老いたころには、充分、古今東西の著作を読みこなし味わうことができなければなりません。

兼好法師は読書の喜びについて、
「ひとり灯のもとに文(ふみ)をひろげて、見ぬ世の人を友とするこそ、こよなう慰むわざなる。」(徒然草 第十三段)と断言しています。

人それぞれがそれなりの格別な世界を持っていないと、せっかくの人生、「一度行ったら、二度と帰らぬ人生」(カイヤム)です。
―続くー

 

<めじろ奇譚>通訳さんのアフリカ滞在記

2021年10月15日

通訳さんのジブチ滞在生活 2021年9月 芹澤

とっても熱い国、ジブチ
弊社フランシールのフランス語通訳は主にアフリカ諸国でのODA業務に従事する事が多いです。
今回私もその様なお仕事でしばらく東アフリカのジブチに行ってまいりました。

市内から車で20分位走ったところ。こんな感じの土漠(砂じゃない砂漠)です。
アフリカのフランス語圏の国はその多くが西アフリカか中央部にあり、アフリカ大陸の上半分の左側に出っ張った部分に固まっています。その中で珍しく東アフリカ(右側)にあるフランス語の国がジブチやモーリシャス、マダガスカル(後の二つは島ですが)です。紅海、アデン湾に面していて周りをエチオピア、ソマリア、エリトリアに囲まれています。

ホテルから車でほんの5分、ジブチ港のふ頭です。
フランスの植民地だったことからフランス語とアラビア語が公用語になっています。日本ではソマリア沖の海賊などで知られていると思いますが、自衛隊が海外で唯一基地を持っているところでもあります。人口は100万ほどでその3分の2が国の名前にもなっている首都のジブチ市に住んでいます。年間降雨量が155mm(外務省サイトのPDFより)とすごく少なく、5月~9月の平均気温が摂氏38度ととてもとても暑いところです。

今回のお仕事はジブチの市街地に関係するものでしたので、市内を走り回ったり、関係官庁に伺ったりしていましたが、とにかく暑い。滞在しているホテルの部屋を一歩でたら(廊下でも)すでに暑い。建物の外にでようものならめまいがするぐらい暑い。暑いという言葉では本当に足りない、熱い、が正解です。太陽の光があっついのです。風が吹いていたらその風が熱風なのです。熱さが光りや風のかたまりになってこっちに押し寄せてくるのです。


ホテルのレセプションのマダム、気の良い人です。

泊まっていた部屋。これだけ見ると立派ですね。

1階だった部屋から見える光景 右側を見ると何とか写真としても見られる光景

私は以前西アフリカのモーリタニアの仕事をしていて何年か行ったり来たりをさせていただいていたのですがモーリタニアの首都のヌアクショットは街全体が砂の中、砂漠の中に建物が建っている感じで、飛行機から見ると砂の中に建物が建っていますが、ジブチの町は部分的には海よりも低くなっている様でイメージとしては、行ったことはありませんがオランダ?です。

外食しないコロナ禍におけるホテル生活とは?
中心街の繁華街も少しはあるのですが、このコロナ禍で外食もせず、また夜なんかは外に出ようにもレンタカーは帰してしまうので近場しか出れず、近くには中華レストランぐらいしかなく、そこもコロナでテイクアウトだけ、とかだったりで繁華街に行くことはありません。

となると食事はホテルの部屋でとります。家族経営のこじんまりとしたホテルに滞在していましたので、朝ご飯は毎日部屋に持ってきてくれますが、レストランはありません。昼や夜はパンと缶詰、とかスーパーで買ってきた食材で済ませます。私はもう日本食を食べなくても全く平気になってしまったので食べられるものならなんでも良いので、簡単です。


周りに余り人気のない町工場の様なパン屋で買ってきたフランスパン、これで日本円で20円位でした!
スーパーはフランス系が多いのか、フランスのスーパーの品ぞろえとあまり変わりません。ただ、みんな輸入品なので高い!4つくっついたヨーグルトが1000円以上したりします。ただ、ジブチに工場があるものはそれなりに安いですが、乳製品やコーラとかぐらいしかジブチ製は見かけませんでした。ただ写真に撮ったフランスパンは町工場の様なパン屋さんでしたが一本で20円位でめちゃ安く、おまけに作り立てでめっちゃおいしい。外はカリっと中はふわふわ。最高のフランスパンでした。しかし、アフリカのフランスの元植民地の国はどこもお米とかキャッサバとかソルガムといった穀物が主食なのですが、どんな田舎にいってもパンだけは一杯売っていて、それがまたおいしいのです。東京には一杯こだわりのパン屋さんがありますが、それよりはるかにおいしい!なんででしょうね。

水がしょっぱい!いがらっぽくて、石鹸の泡の全く立たない水道水!
前述の様にジブチはものすごく暑いのです。それも大変なのですが(といってもホテルにいる限りは快適ですが)、その快適なホテル生活で悩まされるのが水の問題です。私の行ったことのある国々は途上国で水道に問題があることが多いです。地方なんかだと水道も満足になく、井戸から水をくむのが当たり前、というところも結構あります。ホテルの部屋にもトイレや洗面所にバケツが置いてあり、部屋に入った瞬間、この町には水の問題があるんだな、と判るところもあります。そんなところではまず蛇口をひねってみて水が出れば置いてあるバケツを一杯にします。バケツは断水時に使え、という事なのです。

それに対しジブチのホテルでは蛇口をひねれば水はでます。私の部屋の外に水タンクらしきものがあるので、それに水をためて断水に備えているのでしょうか。

部屋の窓を開けて正面に見えるのは。。。水タンク?いやいや出てくる水が熱いのです。。。
ただ、水道の水が問題なのです。しょっぱいだけでなくいがらっぽいのです。良くフランスに旅行したら水道の水は飲むな、なんて言われます。まあ私の住んでいたフランスの地方ではレストランでは「ミネラルにする?水道水で良い?」って聞かれ「水道水でいいです」、と言えば冷蔵庫で冷やした水道水を出してくれます。普通に飲めます。でもアフリカの途上国では水道の水が出たとしても、うかつに飲むわけには行きません。何が入っているか判らないからです。上水道は植民地時代に整備されたものがそのまま、なんてところも多く、茶色っぽい水が出たりするのでうかつに口にするとおなかを壊します。私はある国で肝炎になりましたし。

だ~が~、ジブチの水はしょっぱいのです。まるで海水がそのまま水道から出てくるようです。淡水化処理に失敗した水のようで、いがらっぽいのです。口に入れた感じ硬水のようですが、硬水か軟水かなんてのは問題になりません。しょっぱいという事は、石鹸が泡立たないのです。硬水でも泡立ちは悪くなりますが、そんなの問題では無く洗濯しても日本から持ってきた固形の洗濯石鹸が泡立ちもせずみるみる小さくなっていきます。洗濯しているシャツとかはごわごわするだけで泡も立ちません。それだけではありません。日中は暑いので当然お風呂に入りたくなります。でもバスタブなどというしゃれたものは高級ホテルでもなければありません。あるのはシャワーです。水道には水とお湯、などという区別はありません。「お湯?それはなんですか?」、というレベルで当然の様に水しか出ません。でも問題はありません。まず外はめちゃくちゃ暑いので水シャワーで問題無い事、それより、出てくる水はしばらくすると全部お湯になるのです。私の部屋の外にでかいポリタンクが設置してありましたが、それが太陽にさらされているので水イコールお湯になるのです。幸いにも熱すぎることはありませんでしたが全てお湯なのです。それよりほぼ海水シャワーという事はやっぱりシャンプーなんかも全く泡立ちません。髪の毛は当然ごわごわになります。海水浴場にある水シャワーでずっと過ごすようなものなのです。私はもうそんなのに慣れてしまったのであきらめがついてそれでもシャワーを浴びればさっぱりする、と喜んでシャワーを浴びていました。

お湯は無く水しか出ない洗面台。出てくる水はやっぱりしょっぱい。
そしてやっぱりお湯はないシャワー。でも御心配なく。出てくる水はすぐにお湯になります。

でも、毎日ゴワゴワの髪の毛にやっぱりちょっとごわごわのシャツとか着ていると日本に帰ってきた日のシャワーはお湯ってこんなに気持ち良いんだ、と再確認させて頂けます。日本のお風呂ってつくづく良いものですよね。
(続く?)

<めざせ語学マスター>高コンテクスト文化と低コンテクスト文化

2021年10月12日

日本は高コンテクスト文化で、西洋は低コンテクスト文化である、と言ってすぐにピンときますでしょうか。高コンテクストな文化とは、言語化されたメッセージより文脈を重視し、意図を明確化しないで互いに相手の意図をよみとるような文化です。

例をあげます。
あれは15年以上も前のこと。私は翻訳のことでお客様に呼び出されました。翻訳の内容に問題があるとのこと。お客さんのところにつくと、相当お怒りの様子。
「すみません、翻訳についてどの点に問題がありましたでしょうか。」
「ここだよ!」
文章の一部を指さして仰います。
「この文章のどこが・・・」
「よく読んでよ!行間が全く訳されていないじゃないか!」
「・・・!」

もう一つの例です。
お客様へ見積書を送り、いかがでしょうかとお電話をかけたときのこと。あの時も私はまた20代で若かったというのもありますが、こんなやりとりがありました。
「お送りした見積りの件、いかがでしたでしょうか。」
「うーん。結構・・です。」
「あ!ありがとうございます!かしこまりましたー。」
電話を切り、「受注できましたー!」と喜んでいると、同じお客様から連絡がありました。
「あの、”結構です”、というのは、今回はお断りする、という意味だったんですが、ちゃんと伝わっていますでしょうか・・・。」
「・・・!」
その後、あまりに喜んでいた私に申し訳ないと思ったのか少しお仕事をいただく、という幸運がありましたが、それもまあビギナーズラックというもの。

では20歳でフランスに留学した私の現地での経験もお伝えしてきます。
私はよくホームステイ先の子供の友達(女子高生など)が集まる中に混ぜてもらって遊んでいました。
「えー、素敵なアクセサリー。見せて見せて」
とみんなで見せ合っていたとき、イヤリングがボロッと壊れた瞬間がありました。
瞬間、その場にいたみんなが口をそろえていいました。「C’est pas ma faute !(私のせいじゃないよ)」

タイミングを逸した私はその言葉を一度飲み込みましたが、やはり少し遅れて言いました。
「私のせいじゃないよ・・・。」

日本語はすでにわかっていることは言わない「高コンテクスト文化」の言語です。フランス語は「Ce qui n‘est pas clair n’est pas français.(明晰ならざるものフランス語ならず)」というだけあって、石畳のようにすべて言い尽くす、低コンテクスト文化。文脈より言語として発せられたメッセージそのものを重視します。言葉にしない内容は伝わりません。だから自分の責任ではないときもはっきり言いますし、日本人のように「ま、だれのせいでもないよ。みんなで直そう。」なんて空気を読んだ発言もしません。こういったフランスのような低コンテクスト文化に浸った後で日本文化に戻ると、よくあるのが「あの人は結構きつい。物事をはっきり言う。さすがフランス帰りだね。」なんて言われてしまうケース。最近は日本でも一緒に生活する外国人も増えたり、「忖度」が悪者呼ばわりされたりしたこともあり、日本の高コンテクスト文化も少し中和されているのかなと思いますが、まだまだこの文化は消えないと思います。

文化の差を高コンテクスト、低コンテクストで示したのはアメリカの文化人類学者、エドワード・T・ホール(1979)です。中国、日本、アラブ諸国、ギリシャ、スペインなどは高コンテクスト文化、スイス、ドイツ、スカンジナビア諸国、アメリカ、フランスは低コンテクスト文化と分類しました。ベトナム語やカンボジア語も、わかりきっていることはあえて言わない言語です。アジア全体に似たような傾向があるのかもしれません。

そういわれると、弊社の別ブログ、「ある通訳の日誌」~詩の世界~その3で、フィッツジェラルドの詩が森亮訳の日本語の詩であるときと、フランス語に訳されたあとでは同じ詩でも差が生じてしまう、とありましたが、それも高コンテクスト文化、低コンテクスト文化という観点から見れば仕方ないのかなとも思えます。

また、機械翻訳(AI翻訳)は低コンテクストの言語である英語やフランス語から日本語にするときは上手くいくことが多いのですが、高コンテクストの日本語からそれら低コンテクスト文化の言語に訳すときはその「言い尽くされていない部分」の翻訳にミスが生じることが多い気がします。機械は発出されたデータを変換するのは得意ですが、ないものを「想像して補う」ことは苦手で、現在はこれを何とか克服しようとAI翻訳などの技術者が研究を重ねているんだと思います。

言わない部分を想像して会話する、という日本人の文化を思うとき、私はいつも源氏物語絵巻などに描かれている雲を思い出します。「もしやパースがおかしくなったら雲でごまかしたんじゃ・・・」とも思える、あちこちにある雲。そして雲の下の様子は「そこは、まあ想像して」というのは何とも日本人っぽい気がします。(鍋)

参考:第二言語習得論 アルク、新版日本語教育事典 大修館書店


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<めじろ奇譚>私が経験したカルチャーショック(沖縄編)

2021年10月7日

私が経験したカルチャーショック

私が最初に経験したカルチャーショックは、海外に行った時ではなく(物理的には海外だったのだが)、日本国内でだった。それはある日東京から沖縄に転勤になったことで起きた。

沖縄に関する知識も非常に貧相なものだったし、もちろん異文化圏に来たという意識は微塵も持っていなかったのだが、数ヶ月経つと、職場でも私生活上でも、得も言われぬストレスが積もっていた。接する沖縄の人の態度に勝手に腹を立てて、「何で沖縄はこうなんだ!」と不満に思った。事例を言い出すときりがないが、何事にも沖縄の人は非常に閉鎖的で、外部の人間には冷たく思えた。観光で1週間程度の滞在しかしない人は、恐らく全く逆の印象を抱くのではないだろうか。それを、あまりいい趣味ではないのだが、同じく本土から赴任して来ていた人たちと愚痴を言い合って発散していた。その愚痴仲間(?)に、既にアフリカで長期滞在の経験がある先輩がいた。

その先輩曰く、「アフリカ人のように、見た目が自分たちと明らかに異なっていると、頭の中で考えていることも当然自分たちと違うだろうな、と身構えることができるが、見かけが自分たちとあまり変わらないと、自分たちと同じ思考形態なんだ、と勝手に(自然に)頭の中で思い込んでしまうから、(カルチャーショックだとは気づかずに)余計にストレスが溜まるんだ。」

この見解は、今でも大いに的を射ていると思っているので、その先輩には無断で、勝手に自分の意見のように拝借させてもらっている。

自分はその後、東アジアの2ヶ国に滞在することになるのだが、この沖縄での洗礼が活きたのか(身構え過ぎたのかもしれないが)、沖縄ほど、カルチャーショックを感じなかったような気がする。

最後に、カルチャーショックとはちょっと違うかもしれないが、中国で体験した思い出を一つ書いておきたい。ニイハオ、シェシェ程度しか知らずに、北京で語学研修を始めて数ヶ月後に、地方旅行に出かけた時のことだ。もうン十年前のことなので、何に困ったのかは忘れたが、何かに困って近くの人に拙い中国語を使って必死で助けを求めた。「それは○○だよ」と教えてくれたようなのだが、○○の意味がわからなかったので、「〇〇ってどういう意味ですか?」と続けて尋ねたら、「〇〇もわかんないのか?じゃあどうしようもないな。アッハッハ」と立ち去られてしまった。ここで言いたいのは、中国人は日本人を馬鹿にしているとか、冷たいとかそういうことではない。日本だったら、外国人への対応として、最初から逃げる人はいるかもしれないが、恐らく、日本語が不自由だからといって、笑ったりはしないのではないだろうか。いろいろな解釈はあり得るだろうが、日本人は、英語国民でない外国人に対してさえも「英語ができなくて申し訳ない」というある意味滑稽で卑屈な態度が身に沁みついているのに対し、中国では、外国人だろうが、中国にいる以上、中国語ができなくてどうするのかという、ある意味自己過信のようなものを感じる。結構両極端な文化(というか自言語への態度)ではないだろうか。お互いに折衷を考えてもよいのではないか。

 

<めざせ語学マスター>バイリンガリズムについて②

2021年10月5日

頭には浮かんでいるのに、言葉がわからない・・・。
この経験で私の一番の思い出は、「くじら」です。
通訳を始めたばかりのころ、初めての入札会の通訳、続けていった省庁への表敬訪問。緊張してガチガチの私に「大丈夫、ボンジュールっていうだけだよ」とセネガル人の客人は気遣ってくれましたが、訪問先には多くの見学者と白いカバーのかかったソファー。緊張ガチガチのまま会議開始。プロジェクトの話が一通りすむと、「そういえば国際捕鯨委員会が始まりましたね。」という話題に。
”ほ、捕鯨?くじら?くじら??なんていうの?”
試しに「ホエール・・・(whale)」と言ってみるが局長の表情は「?」。
「お、大きな哺乳類の魚です!」
というと、「ああ、バレーヌ(baleine)ね!」
納得してくれたようです。
その先もしばし会話が続いたあと、私の中でかなりの恐怖が生じます。
”まさか、片方はクジラだとおもっていて、片方は他の魚の話をしていたら・・・”
そこで勇気を出して「すみません、ちょっと辞書で確認させていただけますでしょうか。」と会議の最中にもかかわらず、辞書をとりあげて確認。ほっとして先を続けました。
「ほら、大丈夫だったでしょ。ただの挨拶だから。」
という客人の横で、ぼろ雑巾のようになりながら、私はこのクジラという言葉は一生忘れないだろうと思いました。

なぜこのことを思い出したかというと、今回の話題がバイリンガリズムのメカニズムについてだったからです。先日のバイリンガリズムでは、バイリンガルの種類についてお伝えしましたが、今回はバイリンガリルがどうやって複数の言語を操るのかを研究したお話について。片方の言語でわかっていて、他の言語では語彙として入っていない情報がある・・・こういうシチュエーションを、研究者はどうやって調査したのか。

カミンズ(James (Jim) Patrick Cummins: 1946年 アイルランドのダブリン生)は現在もトロント大学オンタリオ教育研究所の教授です。第二言語として英語を学ぶ学習者の言語発達・リテラシー発達の研究に取り組んおり、バイリンガリズムにおける認知機能や学力について、1979年に、伝達言語能力(Basic Interpersonal Communicative Skills: BICS)と学力言語能力(Cognitive Academic Language Proficiency: CALP)という二つの能力を提唱しました。


https://www.oise.utoronto.ca/ctl/Faculty_Profiles/1464/James_Cummins.html

まずは彼が提示した、二つのバイリンガルのモデル、
分離基底言語能力モデル(Separate Underlying Proficiency Model: SUP)
共有基底言語能力モデル(Common Underlying Proficiency Model: CUP)という二つのモデルを見ていきたいと思います。

分離基底言語能力モデル(SUP)
(分離深層能力モデルとも言われるときもあります。)
1920年代から 1960 年代までは、 欧米を中心に バイリンガルは知恵遅れ、学業不振、情緒不安定などと結びつけて考えられており、バイリンガル教育は否定的に考えられていたそうです。バイリンガルの頭の中には、第一言語(L1)の風船と第二言語(L2)の風船があるように考えられていました。

例えばアメリカの移民の子供の場合、母語と英語は切り離されているため、母語を通して学習された内容や技能は英語で学習された内容に転移されず、また英語を通して得た知識も母語には反映されないと思われていました。二つのことばの同時習得は子どもの学習能力を二分するから思考力も語学力も弱ってしまう・・、こうした考え方をカミンズは分離基底言語能力モデルと呼びました。

しかし、その後、フレンチ・イマージョン・プログラムなどの実証により、バイリンガルでも認知的に有利な点が多く指摘され始めます。早期の外国語教育の導入や学習者の母語と外国語を併せて学習するほうが、モノリンガル教育より優れているという事例が報告されるようになりました。

このような分離基底言語能力モデルに対してカミンズが提唱したのが、共有基底言語能力モデル(Common Underlying Proficiency Model: CUP)(共有深層能力モデルともいいます)でした。このモデルが分離基底言語能力モデル(SUP)と違うのは、母語(L1)で学んだ内容や獲得した能力が、もう一つの言語(L2)に転移する、という点です。カミンズは第一言語の運用能力と第二言語の運用能力は、表面的には流暢さや語彙数が違うので別々の言語運用能力に見えても、実は氷山の水面上に見える2つの頂にすぎず、水面下では一体であると考えました。

カミンズは、バイリンガル教育の評価、年少者の移民時の年齢と第二言語習得の関係、家庭における2言語使用の子供の成績などについて研究が行い、共通基底言語能力モデルに基づく相互依存の仮説(発展的相互依存仮説:Developmental Interdependence Hypothesis)を提唱しました。母語の基礎 で第二の言語が育ち、また第二の言語を持つということが、言語そのものに対する メタ 認識を高めるというものです。

また、カミンズは子供におけるバイリンガリズムには、3つの段階が存在するとしバイリンガルを3つの段階に分類しました。

3層目:均衡バイリンガル
2層目;弱い均衡バイリンガル(ドミナント・バイリンガル)
3層目:限定的バイリンガル(ダブル・リミテッド・バイリンガル)

これを敷居理論(Thresholds Theory)と呼びました。

その後、スウェーデンに住むフィンランド語を第一言語とする移民の子どもを対象とした研究で、スウェーデン語とフィンランド語の両方で日常会話の流暢さに問題がないのに対して、学校の教科学習などの場面においては困難を来すという現象が報告されると、カミンズはこの現象を説明するために伝達言語能力(Basic Interpersonal Communicative Skills: BICS)学力言語能力(Cognitive Academic Language Proficiency: CALP)という2つの能力を分けて説明しました。

伝達言語能力(Basic Interpersonal Communicative Skills: BICS)
例えば、スポーツや、買い物、友達との日常会話のときに必要な言語の能力です。

生活場面で必要とされる言語能力で、子供たちは友人との会話や買い物に必要な表現など、日常生活に必要な語彙や流暢さを早い段階で習得します。

もう一つの能力は教科の学習場面で必要とされる言語能力です。
学力言語能力(Cognitive Academic Language Proficiency: CALP)


友人との会話はできても、また流暢に日常会話ができても、教科の学習に参加するためには、分析・統合・類推などの認知処理を支える言語能力が必要となります。

彼はこの二つの能力を下のような4つにわけて示しました。

高コンテクスト・コミュニケーションとは、子供が活用できるコンテクストの助けが高い場合のコミュニケーションのことで、ボディランゲージや物をさしたりして、メッセージのやりとりを理解している場合です。

低コンテクストコミュニケーションとは、子供が活用できるコンテクストがなく、文中の単語のみが意味を伝える場合のコミュニケーションのことで、本などを読んだり、説明を聞いたり、言語形式だけで内容を理解しなければならない場合です。

このように、カミンズが言語の能力をBICSとCALPに分けたことは、その後のバイリンガル教育・政策に大きな影響を与えました。それまでは、移民の子供たちの英語能力をどうやったら早く向上させられるのか、という点に焦点が当てられていましたが、カミンズは移民の子供たちの母語の重要性に注目しました。母語教育が英語の習得を遅らせるのでは?、家庭での英語以外での会話が学習を遅らせるのでは?と心配する保護者や教師に、母語教育が英語の向上にも効果があることを示したのです。また、日常会話がスムーズだから学習もできるわけではないこと、アカデミックな研究ができる人に会話が苦手な人がいることもモデルにより説明することができました。

BICSとCALPの例です。

伝達言語能力

(Basic Interpersonal Communicative Skills: BICS)

 学力言語能力

(Cognitive Academic Language Proficiency: CALP)

口頭での会話に使われる社会的、会話的な言語能力です。社会言語ともいわれ、様々な合図がリスナーに提供される高コンテクストコミュニケーションに使われます。どんな文化的背景のある子でも2年程度で習得できます。中でも英語の学習者は:
 ジェスチャーなどの非言語的コミュニケーションを理解できるようになります。
 相手のリアクションを読み取れるようになります。
 イントネーションや協調などの音声による合図を理解できるようになります。
 写真や具体物など実物を見て読みとれるようになります。
学校の授業など、低コンテクストコミュニケーションで使われる言語。英語の学習者には授業を理解するのに5年から7年習得にかかります。

非言語的な要素がありません
フェイストゥフェイスのインターアクションが少ない会話です。
 抽象的な学習言語を使います。
読解力が求められます
理解するためには文化/言語的知識が必要になります。

通訳という職業は、冒頭の「くじら」にフランス語の「baleine」や英語の「whale」を張り付けていくように、片方の言葉でわかっている概念に、辞書などの助けを得ながら、別の言語の語彙をラベル付けしていくような仕事です。しかし、通訳が扱うコミュニケーションはほとんどが低コンテクストコミュニケーションで認知的負担も重いもの(CALPの範囲)ばかり。両方の言語が表面的にうまいからといって誰でも通訳ができるわけではなさそうです。

また、日本で働く外国人が増えている今、今後母語が日本語ではない子供も増える可能性があります。「ああ、あの話だ、家で使う言葉ではわかる。でも日本語でなんていうんだろう・・知っているけれどテストでは答えられない・・」と悩む子供も増えるかもしれません。もし先生から「あんなに日本語がうまいんだから授業もわかっているはずでしょう。」と判断されて放置されてしまうと、学業から取り残されてしまう悲劇も起こりそうだと思いました。(鍋)

参考:第二言語習得論 アルク
言語的マイノリティ児童の学習言語(英語・継承語)を育てるカナダの公立小学校の実態
鈴木崇夫
Cumminsの相互依存モデル、BICSとCALPについて 旅する応用言語学
Four differences between BICS and CALP (and why) CLIL media

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<めじろ奇譚>昔あった国のことについて

2021年9月30日

「♪昔あった国の映画で 一度観たような道を行く」という歌詞がある曲に出てくる。もちろん、昔あった国と言っても、古今東西数多くある。知る限り作詞者は明確にはしていないようだが、どうもソ連のことを指しているというのが通説らしい。世界に映画が普及した以降になくなった国と言えば、他にもユーゴスラビアとかチェコスロバキアもあるかと思うが、取りあえずソ連と信じて話を進めよう。今回は、この今はなきソ連の名称にまつわる「ちょっと不思議」にお付き合いいただきたい。
まず、ソ連の正式名称を、日本語と本家のロシア語、そして西欧語の代表として英・仏語で書いてみよう。

日:ソビエト社会主義共和国連邦(略称 ソ連)
露:Союз Советских Социалистических Республик (略称СССРまたはСоветский Союз)
英:Union of Soviet Socialist Republics (略称USSRまたはSoviet Union)
仏:Union des républiques socialistes soviétiques (略称URSSまたはUnion soviétique)

1 固有名詞の含まれない国名?
まず注目したいのは、「ソビエト」である。カタカナで表記されるためか、我々はこれを、「インドネシア」とか「ザンビア」と同様の固有名詞と思い込んではいないだろうか。この点については、原語のсовет をそのまま音写しているだけの英・仏語の話者も同様の誤解をしている可能性があるのではないだろうか。
ロシア語のсоветは、そもそも固有名詞などではなく、日常的やり取りでも使用される単語で、基本的な意味は助言、そこから転じてこの場合は(助言をし合う)評議会といった意味合いだ。つまり、この国の名称は、「評議会(совет)(形式の)社会主義(体制の)諸共和国のユニオン」ということだったのだ。
そのため、日・英・仏語のように、そのままソビエト、Soviet、sovietと音写せずに、評議会の意の自言語に訳してこの国を表現している言語もいくつか存在する。
今でこそ反露・親西欧的な姿勢がクローズアップされがちなウクライナだが、ソ連時代は、少なくとも表面的にはロシア(人)とも密接な関係で国を構成していた一員だ。しかもウクライナ語はロシア語とも系統的に非常に近い関係にある。そのウクライナ語では、ソビエトを「ソビエト」とは呼んでいなかったと聞けば、不思議な感じがしないだろうか。ソ連に当たる言い方は、ウクライナ語ではРадянський Союз だ。радянськийはрадаの形容詞形で、ドイツ語のRatにつながると言えばおわかりいただけるだろうか。

2 連邦?
次に問題したいのは、上でわざわざ「ユニオン」として「連邦」としなかった点に関わる。まず、日本語で連邦と言えば、英・仏語であれば、federation、fédérationという語が真っ先に浮かぶのではないかと思う。ロシア語でもфедерация という語はあり、現に現在のロシアの正式名称は、
日:ロシア連邦
露:Российская Федерация
英:Russian Federation
仏:Fédération de Russie
だ。
結論を先に言うと、上で仮に「ユニオン」とした部分の原語союз を、英・仏語では適切にunionとしたが、日本語で「連邦」としたのは問題があったのではないか、ということだ。
союзというのは、あの国で輝いていた宇宙開発分野の話題でよく聞いた、ロケット名ソユーズ○号というあれだ。つながり、結合、組合といった意味で、文法用語の接続詞の意でも使われる。実は、日本語にも、「ソ連」の他に、「ソ同盟」という言い方もあったのだが、ご存じだろうか。こちらの方が、より適切な訳語と思われるのだが、残念ながら、あまり普及しなかった。
連邦と「ユニオン」で政治体制的にどう違うのか、ということにはここでは立ち入らないが、少なくとも、あえてфедерацияを使わなかったということは、一般的な理解の連邦ではなかった(実態はともかく、思想としては)ということになる。

3 何のユニオン?
更に付け加えると、「諸共和国のユニオン」、つまり(1956年から、バルト諸国が一足先に分離するまでは)15のソビエト(評議会)諸共和国のユニオンかという点が、ロシア語はもちろんのこと、英・仏語でも明快だ。この3言語では、「評議会(совет)(形式の)社会主義(体制の)諸共和国」という語が複数形で表現されており、それらのユニオンという語構成になっている。ところが日本語だと、ソビエト+社会主義+共和国+連邦と並列されていて、例えば最初のソビエトが共和国を修飾しているのか連邦を修飾しているのか曖昧だ。ぱっと読むと、(連邦という語はあるにせよ、)諸共和国が同盟を組んでいたということが陰に隠れて感知できない。単一の政体のように感じられてしまう。
この点も、日本でこの国の正確な姿を捉えるのに支障があったのでは、と思えてならない。

以上1~3で訳語の適否という面(と言っていいかどうかも疑問があることは承知の上で)からみると、あくまでも筆者の考えだが、日本語は3敗、英・仏語は2勝1敗ということになる。もちろん、西欧語の方が優れていて日本語は劣っているということでもなければ、ヨーロッパ語の概念を日本語に移せないということでもない。ただ、このような重要な概念を移し替えるに当たっては、もっと慎重であってしかるべきであったのではないか、という気はする。

さて、冒頭で「昔あった国~」という歌詞を紹介したが、それと関連があるのかどうかはよくわからないのだが、「甘い手」という別の曲ではバックに、この昔あった国の映画シーンをサンプリングした男女のロシア語でのやり取りが聞こえてくる。ぜひ一度聞いてみてほしい。(一老いぼれ職員)

(小文の見解は筆者個人のものであり、必ずしも㈱フランシールの公式見解ではありません。)

<めざせ語学マスター>バイリンガリズムについて

2021年9月28日

学生のとき、両親の都合で幼いときに海外に行っていた、というクラスメートが羨ましいと思ったことはありませんか?または、お父さんかお母さんが外国出身だという人にあこがれを抱いたりしませんでしたか?私にとって、バイリンガルはあこがれでした。

翻訳会社に入ってからも「日本語ができていないとちゃんとしたバイリンガルにはなれない」とか、「一度に二か国語を覚えるんじゃなくて片方の言語がしっかり身についてからもう一方を勉強したほうがいい」など、都市伝説的な話をよく耳にしました。今回取り上げるのはそんなバイリンガルについての理論です。

まずは言葉の定義から。
セミリンガル(semi-lingual):二つの言語のうちどちらの能力も十分でない人
モノリンガル(monolingual):一つの言語しか使用できない人
バイリンガル(bilingual):二つの言語がある程度同等に試用できる人
マルチリンガル(multilingual):三つ以上の言語を流暢に使う能力を持っている人
バイリンガリズム(bilingualism):二つの言語を流暢に使う能力を持った人が実際に2言語を運用することや社会の中で二つの言語が使用されること

さらにバイリンガルは下のように分類されます。

① 二つの言語の言語能力による違い

均衡バイリンガル(balanced bilingual )と偏重(不均衡)バイリンガル(unbalanced bilingual)

均衡バイリンガルは2つの言語をほぼ同じバランスで、ネイティブのように使える人のことです。
偏重バイリンガル(不均衡バイリンガルと呼ぶこともあります)は、2つの言語の能力に差があって、どちらか一方のほうが優勢であるような場合です。

    

 (上図)均衡バイリンガル(balanced bilingual )

(下図)偏重(不均衡)バイリンガル(unbalanced bilingual)

② 二つの言語を習得する順番の違い

連続バイリンガリズム(successive bilingualism)と同時バイリンガリズム(simultaneous bilingualism)

子供が家庭で第一言語を習得し、その後小学校などで第二言語を習得してバイリンガルになる場合を連続(あるいは継続/後続性)バイリンガル(consecutive bilingualism/sequential bilingualism)といい、国際結婚などで母親と父親が別々の言語で話しかけて育てた場合は同時バイリンガル(simultaneous bilingualism)といいます。

(上図)連続バイリンガリズム(successive bilingualism)

(下図)同時バイリンガリズム(simultaneous bilingualism)

 

③ 2言語の維持方法の違い

付加的(加算的ともいいます)バイリンガリズム(additive bilingualism)と削減的(減算的ともいう)バイリンガリズム(subtractive bilingualism)

第二言語や文化が加わっても、第一言語の文化にとって代わるのではなく、価値が付加されると考える場合が付加的(加算的)バイリンガリズムで、第二言語を学ぶことで、学習者の第一言語や文化を損なう場合を削減的バイリンガリズムと呼びます。

(上図)付加的バイリンガリズム(additive bilingualism)

(下図)削減的バイリンガリズム(subtractive bilingualism)

 

 

イマージョンプログラムとサブマージョンプログラム

加算的バイリンガリズムを推奨するためのプログラムが、1970年代にカナダで始められたフレンチ・イマージョン・プログラムです。カナダでは英語とフランス語が公用語とされており、このプログラムは幼稚園、小学校、中学校などの選択制プログラムとして行われました。このプログラムは今も続いていて、英語が母語の生徒は、フレンチ・イマージョン・プログラムに、フランス語が母語の生徒は英語のイマージョン・プログラムに参加することができます(例:カルガリー教育委員会サイト)。母語の発達、帰属意識、学力が犠牲にならないようにしながら、母語以外の外国語を習得するためのプログラムになっており、幼いうちから他の言語に慣れることで、語学だけでなく、問題解決能力や、創造性も育てることができるとされています。

イマージョンプログラムと逆に、削減的バイリンガリズムを誘発するのサブマージョンプログラムです。家庭で現地語を使用しない移住者・外国人の児童生徒が現地の学校に投入された場合がこのケースにあたります。外国語で学ぶ環境に入っても、実際に現地語での教科学習が可能になるまでには長い時間がかかります。この状況により母語を使わなくなったり、親子の交流の質が低下したり、学業遅滞、帰属意識混乱が発生する可能性があります。転勤でアメリカに行った家族の子供がアメリカの学校に入学する、日本に移住してきた家族の子供が日本の学校に入学する場合がこのケースにあたります。子供により、現地語を早く習得できる子もいますが、途中でおぼれてしまう子もいます。

イマージョンとサブマージョン、どっちも似ている英語ですが、イマージョン(immersion)は「ちょっと潜る」といった、泳ぐ人に例えると体が上から見えているようなイメージですが、サブマージョン(submersion)は水面より下に体が沈められていて、上からでは泳ぐ人の体が確認できない、スキューバダイビングのようなイメージです。潜水艦もサブマリーン(submarine)ですね。(鍋田)

参考:アルク 第二言語習得論
新版 日本語教育事典


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