国境を超えるあなたを応援します
Linguistic assistance beyond borders

<MemoQマニュアル> CATツール:翻訳メモリとは

2021年12月6日

フランシールではCATツールとしてMEMOQを使っています。

この<MemoQプロジェクト>シリーズでは、わかりやすいように、翻訳会社で使っているCATツールとは何か、翻訳メモリとは何か、などを説明していきます。

① CATツールとは何でしょう。

CATツールとは、Computer Assisted Translation(コンピュータ翻訳支援)ソフトのことです。有名なCATツールでは、下のようなものがあります。

TRADOS(ドイツ 1984年創設):最も古くて有名

その後東欧などでもCATツールは新しく開発されました。

MEMESOURCE(チェコ 2010年創設)
MEMOQ(ハンガリー 2006年創設)
XTM CLOUD(イギリス 2002年創設)
OmegaT (無料のCATツール 2000年創設)

どのCATツールも「翻訳テキスト、翻訳メモリ、用語集」を使って翻訳をする、という点で基本は同じです。表示方法も似ています。

(なぜフランシールではMemoQを使うことになったかというと、MemoQの日本担当の三浦さんが数年前に当社にお越しいただき、CATツールに疎かった私たちに根気よく使い方を説明してくださったからです。感謝)

② なぜCATツールを使うのでしょうか。

翻訳会社に持ち込まれる原稿には、バージョンが違うだけでほとんど同じだったり、繰り返しの多い文章がたくさんあったりと、ただ翻訳するだけでなく原稿の分析が必要な書類も多いです。一つ一つ見比べて「ここは新しい、ここは前にあった文章・・」と分けていく作業は大変時間がかかります。また、すでにある文章を新しく訳してしまったら、「同じ原稿なのに2種類の翻訳がある!」という問題が起こってしまいます。

そのような問題を解決したのがCATツールです。CATツールには以下のような機能があり、ただ見ただけでは気づかないようなミスや重複も自動的に検知してくれます。

 繰り返しを自動で入れてくれる
 翻訳メモリがあるので、過去のデータからすぐに似た文章を探してきてくれる
 用語集も作れるし、すでにあればインストールできる。
 翻訳者には新規の箇所を依頼するだけ。
 おまけに同じ原稿なのに違う表現で翻訳すると警告も自動で出てくる。

③ CATツールは機械翻訳機なのか?

CATツールは過去のデータを再利用するためのツールで、機械翻訳ではありません。
それに対して、GOOGLE, DEEPL、ロゼッタなどのテキストを入れると翻訳が出来上がるアプリケーションは機械翻訳と呼ばれます。機械翻訳はMT(Machine Tranlsation)と呼ばれることが多いのですが、以前AI翻訳を開始して有名になったGOOGLE翻訳以外にも現在は多くのAI翻訳が存在します。また、CATツールにMT機能をプラグインさせてメモリ機能と機械翻訳を両方使う翻訳方法も使われています。例として、MemoQにプラグインできるMTとして以下が挙げられます。

Intento
DeepL
Amazon MT
Google MT
Kantan MT
CrossLang
AltLang
Omniscien Technologies
Iconic Translation Machines
Tilde MT
Microsoft TranslatorTM
PangeaMT
Systran
Slate Desktop
Mirai Translator
TexTra MT
Tmxmall MT
Alexa Translations A.I.MT
ModernMT
Google Cloud Translation Advanced
(MemoQ ホームページ)

さらに最近は、翻訳会社で翻訳したメモリもAI翻訳のコーパスの一部として利用する方法も出来つつあります。CATツールもどんどん進化しているんですね。

④ CATツールを使いたくない理由
上記で説明してきたCATツール、こんなに素晴らしいなら常に使うべきだと思うかもしれませんが、実は抵抗も大きいのです。

翻訳コーディネータ(翻訳会社内)の抵抗
扱っている翻訳にほとんど繰り返しがないから必要ない。
PDF原稿が多いから原稿のデータ化が大変
 メモリを作るのに時間がかかるから面倒
CATツールに原稿をインポートする前のプレエディットや翻訳後のポストエディットが大変
そもそも機械が苦手
翻訳ペアが英語じゃない。わざわざメモリにする必要があるか疑問
すぐにエラーが出るから使いづらい
翻訳者がいやがる
翻訳者が他のCATツールを使っているからいやだと断られた

フリーランス翻訳者側
 自分独自の翻訳メモリや用語集を使っているから翻訳会社にCATツールに合わせたくない。
 そもそも新しいツールが苦手。
 今までは自由に翻訳できたのに、制限を付けられるのがいや。まるで高速道路から一方通行の道路に移動させられたみたいだ。
 時間がかかる。
新規の箇所のみの翻訳やポストエディットが増えて収入が減る。

本来はCATツールは繰り返しのあるマニュアルや、例えば2系列あるプラント設備の仕様書、定款や契約書などの定型フォームがある原稿の翻訳に利用価値があります。戸籍謄本や住民票などの法定翻訳は、定型であっても原稿がPDFや紙ベースで文字化しようとすると文字化けしてしまうものや個人情報を多く含むものは(メモリに個人情報も保存されてしまう可能性があるため)CATツールの使用には向いていません。

ただ、対訳データは大切な資産ですが、原稿と翻訳文がバラバラにあってもすぐに利用することは難しく、それらを翻訳メモリ(コーパス)に作り直すためには時間とコストがかかります。やはり、翻訳しながらメモリを作っていく方法は一番効率的です。

最近のCATツールは同じソフトを持たない外部翻訳者にライセンスを貸し出す方法で翻訳が可能になりました。MemoQクラウドもそうです。しかし慣れない翻訳者にとって新しいツールを使うことは翻訳以上に負担が増えることになりかねません。

そこで今回フランシールのMemoQクラウドプロジェクトチームを作り、出来るだけ平易な言葉で(MemoQヘルプ以上に)わかりやすく参照できるマニュアルを作ることになりました。社内、社外スタッフの負担を出来るだけ減らせたらと願っています。また、これから導入を検討している方にもお役にたてたらと思います。

翻訳エージェントと翻訳者、お客様がWINWINの関係になれるような、そんなCATツールの使い方を今後も目指します。

株式会社フランシール MemoQプロジェクトスタッフ

「翻訳メモリとは何か」を説明した動画はこちら

<めざせ語学マスター>メタファーとは

2021年12月5日

まだ私が翻訳会社に入りたてのころだったと思いますが、「メタファー」が話題になったことがありました。メタファーとは何か。シニフィエ・シニフィアンについて教えてくれた上司はメタファーについても教えてくれましたが、その教え方は独特でした。

私:「どういうのがメタファーになるんですか?」
上司:「つまり、実際にあなたが履いているストッキングは全然色っぽくないかもしれないけれど、椅子の上に誰のものかわからないストッキングが脱ぎ捨ててあると、そこから想像力が働いて、実際に履いている人よりもずっと魅力的になる、そういうものの例えですね。」

もう20年くらい前だから時効だと思いますが、今言ったらセクハラと言われそうな発言ですね。確か当時はやっていたイメクラなどの話題が出た延長線だったかと思いますが、なぜイメージがお金になるのか、というところからメタファーに繋がりました。メタファーがお金になるなら、なんとも不思議な話です。

「メタファー」という言葉は英語からの借用語として比喩全般を指すときに使われますが本来は比喩の一種である「隠喩」を指します。下の比喩の説明でも記載しますが、本来は「芸術は爆発だ」のように、「まるで」とか「~のように」を使わないで「A=B」などと例える修辞技法の一種です。

しかしメタファーや比喩の表現は簡単そうで、翻訳するときは意外と厄介ものです。

例えば「彼女たちは蟻のように仕事した」というフランス語のニュース記事を読んでつい「女工哀史」のようなブラック企業を想像してしまったら、すぐ横の写真には工場で笑いながら楽しく働いている女性たちの姿。「え?ブラック企業のニュースじゃないの?」と思ったら、フランス語の表現”travail de fourmi”には勤勉で丁寧な仕事をする人のこととありました。でも日本語で「あなたの働き方、蟻みたいね。」と言われたら褒められているのか褒められていないのかちょっとわからない気がします。

一方で、「狸」は日本語では「狸寝入り」や「取らぬ狸の皮算用」「狸おやじ」などいろいろ表現がありますが、英語ではRaccoon dog, アライグマに似たアジアの動物、というイメージしかないようです。「取らぬ狸の皮算用」は英語では英語では”Don’t count your chickens (before they are hatched)!” や“Don’t sell the bear skin before catching the bear.”とチキンやクマに化けてしまいます。

フランス語には、“Avoir une mémoire d’éléphant.”(象のように良い記憶力)という表現もありますが、もし私が日本語で「あなたの記憶力って象みたい」と言われたら一瞬、馬鹿にされたのかな、と勘違いしそうです。また同じ象でも、英語で“white elephant”と言えば無用の長物のこと。英語では « There is an elephant in the room. »という表現もありますが、ここでの「象」はみんなが分かっているけれど口にしない問題や話題のこと。しかし日本語で「みんな問題があるってわかっているけれど口にしない。まるで部屋にいる象だね。」と言われても「は?」と思いそうです。

色のイメージでいうと、銀の表現が英語でよく使われますが、“be born with a silver spoon in his/her mouth”(銀のスプーンを加えて生まれてくる)というのが「裕福な家に生まれる」ことになるとは、日本生まれの私にはなかなか想像できません。“Every cloud has a silver lining.”という表現(直訳すると「すべての雲には銀の裏地がある」)は、転じて「どんなに悪いことにも希望の光がある」ということにつながりますが、この表現を知らなければ落ち込んでいるときに「ほら、全ての雲には銀の裏地があるさ」と言われても慰められているのか何かのなぞかけなのかわからなくなりそうです。


Silver lining (雲を縁取る銀のライン)

このように、比喩というのは、表現を豊かにする一方で、その言語が使われている地域の文化や考え方もわからないとなかなか理解できないものでもあります。「Aみたいに」と言ったところで、「A」のイメージが同じでないと、通じないか、誤解を招くこともあるわけです。

日本語の比喩も一筋縄ではいきません。以下では比喩の種類について説明していきますが、実は私たちは「~みたいな」や「~のように」などの表現以外にも、無意識にたくさんの比喩を日常的に使っていることが分かります。

そもそも比喩とは

あるものごとをわかりやすく説明するために、それに似た他のものに例えて言い表すこと。
原義から転義が派生する過程で、比喩が重要な働きをしていることが多くあります。比喩には直喩(シミリ)、隠喩(メタファー)、換喩(メトニミー)、提喩(シネクドキ)があります。

1, 直喩(ちょくゆ)
(英語:simile)スマイルではなく、シミリです。(語源はラテン語のsimilis)
「りんごのような頬」「お皿のような目」「まるで猫のような声」「さながら一枚の絵画のよう」など、ある事物を他の事物と直接に比較して,その特徴を表示する修辞法です。「~のようだ」「~みたい」「まるで」「さながら」「たとえば」などを使って表現する方法で、比喩法の中で形式が最も簡単なものになります。

簡単な比喩の手法ですが、上述のように「狸みたい」、「象みたい」や「蟻みたい」といった表現は外国語で使うときはその言語でそれぞれの動物や対象物がどういうイメージで把握されているか確認してから使わないとリスクもありそうです。

2, 隠喩(いんゆ)
(英語:英: metaphor)いわゆるメタファーです(語源は“転送”を意味するラテン語のmetaphora)
「メタファー」という言葉は英語からの借用語として比喩全般を指すときに使われますが本来は比喩表現の中でも類似性に着目して、ある言葉を、それとはまったく異なる概念領域にある言葉で表現する方法です。暗喩(あんゆ)ともいい、「~のようだ」「~みたい」という語句を使わずに比喩を表現します。
「足が棒になった(足がこわばるほど疲れた)」「君は僕の太陽だ(光をくれる存在)」「ネットが炎上した(誹謗中傷が集中した)」「パンの耳(端)」「テーブルの脚(支柱)」「月見うどん(卵の黄身を月に例えてます)」なども隠喩です。
また、隠喩は文学でもよく使われます。
「この世は舞台、人はみな役者だ(シェークスピア)」(All the world’s a stage,
And all the men and women merely players)

また、聖書でも隠喩はふんだんに使われています。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)

3, 換喩(かんゆ)
(英: metonymy)メトニミー。語源はギリシャ語μετωνυμία(名前の変換)です。
「今月も赤字」と言ったら欠損があること、というように、ある事物をそれと関係のある事物を使って表すことです。「青い目」で「西洋人」を、「鳥居」で「神社」を表します。「ごはん」は本来お米を意味しますが、「朝ごはん」「昼ごはん」などでは食事全体を示しています。「鍋を食べる」は「鍋」で鍋料理を表します。「やかんが沸騰する」の「やかん」はやかんの中の水のこと。「夏目漱石を読む」の「夏目漱石」は彼が書いた本を著し、「白バイ」は警察官を、「客足が遠のく」の客足は顧客を、「足の便が悪い」の「足」は移動手段、「耳が早い」の「耳」は噂などの情報を集める能力を意味します。


鍋を食べる。(=鍋料理を食べる)

やかんが沸く。(やかんのお湯が沸く)

4.提喩(ていゆ)
(英語:synecdoche)シネクドキ。語源は同時理解を意味するギリシャ語(συνεκδοχή)です。
「花より団子」の「花」が「風流」や「外観」を示すように、概念を包摂するような上位語、あるいは逆に下位語を用いて表現する比喩の方法。「花見」は「桜」を「桜」の上位語である「花」で表し、「下駄箱」の「下駄」は「履物」という上位語を、「筆箱」の「筆」は筆記用具を表しています。

逆に上位語で下位語を表すこともあります。「お茶をする」の「お茶」は「飲み物」を表し、「手が必要だ」の「手」は労働力を表しています。「天気がいい」の「天気」は本来、晴れだけでなく雨や嵐も含む上位語です。

お花見(⇒桜を見ること)

下駄箱⇒(履き物を入れる棚)

親子丼は「親子」は「人間の親子」「動物の親子」などを含む上位語が下位語(鶏の親子)を表しているので提喩になります。でも・・・「親子(鶏と卵)」を一緒に食べている、と想像するととたんに食欲が減りそうな気がしますね。

親子丼(鶏と卵という親と子が入ったどんぶり)

しかし、この提喩と換喩ですが、例えば「手を貸す」の「手」は「体の一部」を表すという点では提喩(シネクドキ)ですが、「労働力」を表していると考えると換喩(メトニミー)にも思えます。提喩は「包摂関係にある二者の置き換えを意図する修辞法(量的な置換)」で、換喩は「包摂関係にない二者の置き換えを意図する修辞法(質的な置換)」とされていますが、表現によってはどちらに属するのかはっきり区別するのが難しいものもあるようです。(鍋)

参考:新版 日本語教育事典

フランス語の表現辞典のサイト:https://www.linternaute.fr/expression/cgi/recherche/recherche.php
英語でイメージも同時に検索できるサイト:https://dictionary.cambridge.org/dictionary/english/


<めざせ語学マスター>日本語教育に関する他のブログはこちら
プルプル、ゴロゴロ、オノマトペ
KJ法とヴィゴツキー
チャンクとは?
日本語教育能力検定試験 今年も受けました
記憶とは
高コンテクスト文化と低コンテクスト文化
バイリンガリズムについて
言語は12歳までに習うべき!? 臨界期仮説について
英語は聞いていたらペラペラになる・・・か?(クラッシェンのモニター・モデル)
異文化遭遇!カルチャーショック
チョムスキー・ナウ(Chomsky, Now)!
「宇宙へ」は行くけれど「トイレへ」は行かない?―「へ」と「に」の違い
「は」と「が」の違い
ネイティブチェックは「ネッチェッ」になるか。拍(モーラ)と音節
ハヒフヘホの話とキリシタン
日本語は膠着している
ネイティブ社員にアンケート!
RとLが聞き分けられない!?
シニフィエとシニフィアン
文を分ける 文節&語&形態素
やさしい日本語
来日外国人の激減について
学校文法と日本語教育文法
日本語教育能力検定試験に落ちました

<めじろ奇譚>テレワークは日本で浸透するか?

2021年12月2日

新型コロナウイルス感染症が世界的に拡大し、大流行となった中で、政府からのソーシャルディスタンスの推奨や要求に応じて、世界中の多くの企業がテレワークを実施するようになりました。新型コロナが流行するより前からテレワークを実施していた企業ではテレワーク実施割合を増やすだけで済んだかもしれませんが、今回の大流行により初めてテレワークを導入する企業も多くあったに違いありません。

統計を比較するとこの効果がよくわかります。日本では、2019年12月時点での(100%実施している人から不定期的に実施している人まで含む)テレワーク実施率が10.3%でした。2021年5月にはこの割合が30.8%にまで上昇していました。[1]

企業や社会全体がテレワークを受け入れる準備ができているかどうかには、国の産業構造や労働文化の違いなどが影響していて、例えばスウェーデン、オランダ、ルクセンブルグ、フィンランドなど、新型コロナ拡大以前からテレワーク実施率がすでに30%を超えていた国もあります。[2]

国や産業、職業によってテレワークの実施率が異なるもう一つの理由として、デジタル化の度合いもあります。つまり、デジタル化の度合いが低いと、テレワークの実施が技術などの面からも難しくなります。国際経営開発研究所(IMD)がまとめた「2021年世界デジタル競争力ランキング」では、日本は64カ国中28位となっており[3]、デジタル化がまだ取り組まないといけない課題のようですが、withコロナの時代ではデジタル化への取り組みが必要に迫られて強化されているため、日本でもテレワークを提供できる業種・職種が徐々に増えていくだろうと考えられます。

しかし、デジタル化など実質的なハードルが取り除かれたとしても、日本におけるテレワークの将来は、最終的には企業とその従業員の意見にかかっています。

第3回「新型コロナウイルス感染症の影響下における生活意識・行動の変化に関する調査」(内閣府、2021年4-5月)では、第1回調査(2020年5-6月)と比較して、調査対象の10のテレワークのデメリット(社内での気軽な相談・報告が困難、取引先等とのやりとりが困難、機微な情報を扱い難いなどのセキュリティ面の不安など)のうち、9つでデメリットを感じている就業者の割合が若干減少しています。(第1回目の調査から増加があったデメリットは「画面を通じた情報のみによるコミュニケーション不足やストレス」のみ。)

また、新型コロナ拡大前と比べて生産性が増加したと回答した就業者の割合も第1回調査から徐々に増加し、生産性が減少または大幅に減少したと回答した就業者は減少しています。[1]

企業側は、毎日新聞社が国内の主要企業126社を対象に実施した調査では、新型コロナの流行が収束した後もテレワークを継続したいとする企業が9割に上っています。[4]

上記からは、日本は少なくとも新型コロナ以前のテレワーク実施率に戻ることはないと予想できそうです。また、日本がデジタル化を促進するならば、特定の産業や職業では今後テレワークの実施率が増加する可能性もあると思います。(スウェーデン出身 S.B)

[1](日本語)https://www5.cao.go.jp/keizai2/wellbeing/covid/pdf/result3_covid.pdf

[2](英語)https://www.oecd-ilibrary.org/docserver/d5e42dd1-en.pdf?expires=1637815978&id=id&accname=guest&checksum=5E3260C7A658B3BAAB8406EDE4DCEB5A

[3](英語)https://www.imd.org/centers/world-competitiveness-center/rankings/world-digital-competitiveness/

[4](日本語(有料記事)) https://mainichi.jp/articles/20210130/ddm/003/020/145000c
(英語)https://mainichi.jp/english/articles/20210203/p2a/00m/0li/036000c

 

<ある通訳の日誌>詩の世界 詩のこころ 6

2021年11月26日

以前から旅ブログを送ってくれているフランス語通訳の橋爪さんが、大好きだという詩の世界について寄稿してくださいました。今回は第6回。ルバイヤートは世界史などでも習う、11世紀ペルシア(イラン)の詩人ウマル・ハイヤームの四行詩集の題名です。19世紀イギリスの詩人、エドワード・フィッツジェラルド(Edward FitzGerald)による英語訳で世界中に知られるようになりました。日本語への翻訳は、明治時代から多くの訳者によって翻訳されてきました。森亮は1941年(昭和16年)フィッツジェラルドの英訳から日本語へ訳しています。戦後は、小川亮作がペルシャ語原典から1949年(昭和24年)岩波より出版し、その他多くの訳者たちもペルシャ語原典あるいはフィッツジェラルドの英訳から翻訳をしてきました。


詩の世界 詩のこころ 6
橋爪 雅彦
1
フィッツジェラルド
森(もり) 亮(りょう)訳
オーマー・カイヤム「ルバイヤート」四行詩

第一回
第二回
第三回
第四回
第五回
第六回

■第二版で消えた詩
フィッツジェラルドは1859年に初版75首を出版しました。そして1867年のフランス人ニコラのペルシャ語原典からの仏訳が出版された後、フィッツジェラルドは1868年第二版110首を発表しました。

初版から第二版へ移ったとき、どうしたわけか、初版の第37歌が無くなっています。この37歌は、最初にお話しした亀井勝一郎の「恋愛論」の中にも引用されていて、私が常日頃愛誦する最も好きな歌の一つです。

第三十七歌(森 亮訳)
ああ、さかずき満たせ。かこつともかこつとも
甲斐なくて時は我等が足もとをすべりゆくなり。
きし昨日を、又いまだ生れぬ明日を
憂ふをやめよ、今日の日の楽しくあらば。

ああ さかずきを満たしなさい。嘆いたところで無駄なんです。
時間は私たちの足元を滑るように去ってゆきます。
過ぎ去った過去のことなど、そしてまだ来てもいない明日のことなど、
どうでもいいじゃあないですか、今日という日が楽しければ。

―Edward Fitzgerald  ―XXXVII―
(フィッツジェラルド第三十七歌)

Ah, fill the Cup; -what boots it to repeat
How Time is slipping underneath our Foot:
Unborn TO-MORROW and dead YESTERDAY
Why fret about them if TO-DAY be sweet!

ニコラ版にはどこを探しても上記のような歌はありません。マッカシー版にもありません。
戦後、多くの専門家がペルシャ語原典から和訳するようになりました。小川亮作、陳瞬臣、岡田恵美子のペルシャ語原典からの和訳を参照しましたが、上記の詩は見当たりません。

この三十七歌は、言うなれば、フィッツジェラルドの創作だったのでしょう。オーマー・カイヤムの本質をとらえた素晴らしい詩ですが、いかんせん、原典には無いものと言ってもいいでしょう。だから、原典から直接訳した仏人ニコルを意識して、第二版ではこの三十七歌を削除することになったのでしょう。惜しいことです。

しかしカイヤムのエッセンスが息づいています。美女を片手に、もう一方の手でワイングラスを傾け、今日という一日こそ、もう去って再びは現れてこない一日。この一日を愛さないで何の人生でしょう!
While you live, Drink! -for once dead you never shall return. (第三十四歌の一節)

初版三十七歌を矢野峰人という訳者は次のように訳しています。
第三十七歌(矢野 峰人訳)

さかづき満たせ、ゆく駒の
はやきうらむも甲斐なけむ、
まだ見ぬ明日も過ぎし日も
今日だに善くば何かせむ。(矢野 峰人「ルバイヤート集成」より)

(矢野 峰人 国書刊行会「ルバイヤート集成」表紙より)

フィッツジェラルドの初版全75首をすべて七五調の完璧な文語定型詩で訳出しているのには敬服します。「ゆく駒」とは、馬に例えていますが、過ぎ去り行く「月日」のことです。月日は飛び去るように去ってゆきます。「疾(はや)きうらむ」も甲斐なきことです。今日さえよければ、他のことはどうでもいいのです。

参考までにフランス人Charles Grolleauの訳を掲げます。
XXXVII
Ah!remplis la Coupe. . .Que sert de répéter
Que le temps glisse sous nos pieds :
DEMAIN n’est pas né, HIER est mort,
Pourquoi se tourmenter à leur sujet si l’AUJOURD’HUI est doux!

Que sert de répéter は若干文語調で、現代の普通の文にすれば、A quoi sert-il de répéterになり、「くどくど嘆いたところで、それが何になる」という意味です。

今日という日は二度と帰りません。この一瞬こそ、人生そのものです。美しき女性も、この一瞬を置いて、いつ愛することができるのでしょう。駿馬よりも早く、月日は去ってゆきます。

■ 大伴旅人 酒を讃むる歌
亀井勝一郎はその「恋愛論」のなかで、オーマー・カイヤムに非常によく似た詩人として、日本の大伴旅人(おおとものたびと)を引き合いに出しています。「旅人(たびと)をしてペルシャの宮殿の水静かな噴水のそばに座せしめたならば、必ずや彼はカイヤムのような思想詩人になっていたかもしれない」。

旅人の歌13首から5種を引用して論じています。その中からひとつ:
今の世にし 楽しくあらば来む世には 虫にも鳥にも吾はなりなむ」(巻3 第348)

(今 生きているこの世が楽しいならば、来世には虫にも鳥にもなっても構わない。)

仏教思想が朝鮮経由で日本へ入り始めたのは、古墳時代です。5世紀から6世紀にかけて、日本へ渡来した朝鮮半島の人びとによってもたらされました。
大伴旅人が生きていた(665年―731年)飛鳥時代から奈良時代、仏教思想は色濃く人々の心の中へ浸透していきました。

当然、旅人の心の中にも仏教の戒律、とくに五戒を意識していたはずで、その五戒の中に酒を飲んではならないとする「不飲酒戒」(ふおんじゅかい)がありました。

因みに仏教でいう五戒とは、「不殺生戒」(ふせっしょうかい)、「不偸盗戒」(ふちゅうとうかい)、「不邪淫戒」(ふじゃいんかい)、「不妄語戒」(ふもうごかい)、そして最後に「不飲酒戒」(ふおんじゅかい)です。

5世紀から6世紀にかけて日本へ入ってきた仏教は、おそらく、かなり原始仏教の名残をとどめ、戒律というものも当時の日本人へ重くのしかかって来たに違いありません。
「不飲酒戒」、酒を飲めば、死後、輪廻転生があることになっていますから、虫や鳥になって生まれ変わってきてしまう、という「脅し」が随分と精神に作用したに相違ありません。

いや、それでも酒を飲む、虫や鳥に生まれ変わっても構わない、と言った気概がこの歌には見てとれます。いや、もっと開き直って、次のようにも歌います。

酒の名を ひじりおふせしいにしえの 大きひじりことよろしさ」(巻3 第339)
(酒の名を聖人と名付けた昔の大聖人がいる。その言葉のなんと適切なことよ。)

日本人も、最初は「不飲酒戒」とその来世の報復を怖がったでしょうが、年代がたつにつれ、戒律は次第に私たち日本人の意識から遠ざかっていきます。

現代の私たち日本人は、この戒律というのがどうもよくわかりません。ですから、日本で仏教と言っても、知人や親族が亡くなれば寺の葬儀に参列し、また寺には祖先の墓があり、祖先の墓参りをしたり、7回忌とか13回忌とか言って、亡くなった人たちの供養をしたりといった程度のことです。したがって、寺とか寺の坊さんは、先祖供養のためにいる存在という程度の認識です。

「不飲酒戒」も私たちにはわかりませんが、「不邪淫戒」はもっとわかりにくいものです。不道徳な性行為をしてはならないという意味の戒律ですが、これが全く私たちには理解できない。なぜか、いったい性行為の何が不道徳なのか。
(私などは、性行為はこころの底から神聖なものだと思っています。そして性行為の絶頂の瞬間、人生の生きている最大の喜びを感じる瞬間でもあります。)

私たちは、坊さんに愛人がいたりしても、昔からちっとも不思議がらない民族です。坊さんが、「般若湯」(はんにゃとう)などと言って、昼間から酒を飲んでいても、一向に不思議がらない民族です。
したがって、仏教の五戒は、日本には根付かなかったのです。第一、私たちは表向き仏教徒でありながら、五戒などという言葉は聞いたことも見たこともないのが普通です。

もうひとつ旅人の歌を挙げておきます。

生けるもの つひにも死ぬるものにあれば 今あるほどは楽しくらな」(巻3 第349)

束の間の人生です。「時」が私たちの足元を滑るように去ってゆきます。それだからこそ、一層の哀惜の念をもって、人生を、酒を、女性を、セックスを愛するのが、本来の人生ではないでしょうか。

小川 亮作の訳からカイヤムの詩を掲げて今日は締めくくります。

ルバイヤート 第87歌 小川 亮作訳
恋する者と酒飲みは地獄に行くと言う、
根も葉もないたわごとにしかすぎぬ。
恋する者や酒飲みが地獄に落ちたら、
天国は人影もなくさびれよう!
―続くー


橋爪さんの旅ブログはこちら↓

2020年12月23日マダガスカル④~マダガスカル風景~
2020年11月27日 マダガスカル③~2009年のマダガスカル政治危機
2020年11月26日 マダガスカル②
2020年11月17日 マダガスカル
2020年10月27日エチオピア
2020年10月15日 ジブチ②
2020年10月9日 ジブチ
2020年 8月25日 フランスのミヨー大橋
2020年 8月11日 碓氷峠とアプト式鉄道
2020年 6月8日 月夜野にて
2018年 6月8日 童謡「ふるさと」の故郷
2018年 4月18日 セネガル☆アフリカ再生記念碑
2018年 4月9日 セネガル☆ゴレ島にて
2016年 5月12日 ギニアだより☆VOL.3

 

<めじろ奇譚>日本のアニメについて(鬼滅の刃ブームについて思う事)

2021年11月23日

毎度お世話になっております。フランス語の通訳をしております芹澤です。
弊社では時々社員にブログのタイトルを割り当てられるのですが、今回私には表記のタイトルが振られてしまいました。

鬼滅の刃のブームについて思う事、という題材を頂いてしまったのですが、正直に白状いたしますが、私は鬼滅はアニメも漫画も全く見ておりません。今でも漫画は結構好きでKindleで電子漫画を購入して読みますが、最近はアニメもほとんど全くみていません。おまけにテレビも持っていないのです。ですので、私には鬼滅の刃やエバンゲリオンなどについて話すことは難しいのです。なぜエバンゲリオンを出したかと言いますと、これも最初のアニメが出てきた頃から知ってはいますが、1話も見たことが無いからです。

鬼滅の刃を見る気にならないのは、話が結構シリアスなんではないのか、と思ってしまい、ジブリのアニメの様に見たいという気分にならなかったのです。ジブリのアニメは結構好きでほぼ全部みているのですが。それはそうと、このアニメと漫画が流行っていて、封切された映画がすごい人気で、という話はテレビは見ていなくてもラジオで話題になっていたり(ラジオ好きなんです)、ネットのニュースで見かけたりしました。もう何人の人がみた、という話を聞いて思い出したのは「千と千尋の神隠し」でした。というより、動員人数でいつ千と千尋を抜くんだ、という話題をラジオでやっていたのです。私は宮崎アニメは好きで結構見ています。高校生の頃にはナウシカにはまりました。というのも、高校の生物の先生が当時とても高価だったビデオを買い、「ナウシカを買ってしまった。面白いし、お前ら文系私立を受験するのであれば生物は試験科目じゃないから、俺の授業では息抜きでビデオみせてやる。」というので生物の授業のたびにナウシカを見て、はまったわけです。後年DVDが出てきてからラピュタを見ました。そして、「千と千尋の神隠し」が封切られたときは私も劇場に行って見ました。それ以来の盛り上がりなのでは、と思ったのです。

近年アニメや漫画もユニバーサル、というか全世界で流行っており、アニメ好き、というのも市民権を得ていると思いますが、普通のジジババの世界にまではやらせる、というのはすごいと思うのです。流行ってからしばらくたちますが、流行がすたれた、という感じではなく、鬼滅柄のマスクをした小学生の男の子とか、巾着ぶくろみたいなのをもった子供もみかけます。なので、これだけ一般に流布したアニメも無いのではないでしょうか。絵にしても、おじさんになってくると美少女系の絵はどれも同じに見えてきて、ゲームにしてももうちょっと違う絵のはないか、と思ってしまうのです。リアルすぎるのも余り好きではないですし。。。。

私は以前フランスに住んでいました。もう30年以上前の話なので当時はインターネットなど影も形もありません。私は本が大好きで、学生の頃は文庫であれば毎日2~3冊は読んでいました。
ですが、日本語の本はたまに両親が日本から仕送りを送ってくれた時に入っていたものや、ごくたまにたまにパリに行って手に入れるものでした。当時私の住んでいた町にはまだフランスの新幹線であるTGVが来ておらず、パリまでは列車で8時間ほどかかりました。パリで日本の倍はする(日本で500円の文庫本なら1000円)本を数冊購入し、待ちきれずに帰りの列車の中で全部読んでしまうのでした。
当時日本のアニメや漫画に興味を持つ人が結構フランスの田舎にもいて、そういった人たちには日本の漫画やアニメに関するお店を始めたりする人もいました。そんな彼らが所有する日本の漫画を翻訳してやる、とか言って借りたりして読んでおりました。髪の毛が逆立って金髪になる、戦ってばかりの漫画なんかも新刊が出たら翻訳して日本の漫画に付けて売ったりする友人もおりました(これはもう時効かと思います)。思えば、そんな事をしてフランス語の文章力を培っていたのかとも思います。でもまあほとんど擬音ばっかりだったような気もいたしますが。。。。。

たまにはアニメも、とか言いたいところですが、貧乏な留学生の事、所有するテレビは5~6インチの白黒テレビ、アナログのラジオの様にダイヤルを回してここらへん、とチューニングし、アンテナを伸ばして向きを変えて、こっち向きがよい、とかやってテレビを見ていたものです。フランスのテレビは結構見ていましたから子供向け番組でやっているアニメは結構見ていました。不思議の海のナディアは吹替も良く、SF好きな私にはとても面白かったです。色がついていなくても不思議とわかるものです。私はF1が好きなのですが、F1はそれぞれのチームで大体2台ずつあります。各チームのスポンサーにより車が塗られているのですが、ゼッケン番号は違うけれど同じ車が2台ある訳です。小さな白黒の画面でみても違いが見分けられるようにはなっていました。

話が飛んでしまいましたが、そんなわけで今はパソコンやスマホでネットで動画が簡単にみられて昔のアニメとか見られるサイト(合法かどうかは分かりませんが。。。)もあったりします。こうやって当時を思い出すと隔世の感がいたします。でも当時から日本のアニメや漫画は流行りだしていましたが、テレビ番組としては子供向けの番組の中で流されていました。どう見ても中学高校生以上向けと思われる「めぞん一刻」なんかも子供向けに流されていて、こんなの子供見るのかな、と思っていましたが結構人気があったようです。めぞん一刻の管理人さんがジュリエットという名前になっていて主題歌もJuliette, je t’aime(ジュリエットジュテーム)と歌っていました。今でもそのメロディが耳に残っています。という事で脱線続きで、単に私の回顧話になってしまいました。

でも私としては、当時フランスで日本のアニメや漫画を見ていたおかげでフィギュアの自作に乗り出し、商品化までも考えた、という経歴から今回は思えば懐かしい、楽しい話題を振って頂いたと思います。アニメや漫画の話からはどんどん離れていきますが、アニメや漫画の登場人物のフィギュアを製作する話に次回つなげていきたいと考えております。

おあとがよろしいようで。。。(落語も大好きで在仏当時送ってもらった古今亭志ん生の落語のカセットを繰り返し聞いておりました。)

日本のアニメについて(鬼滅の刃のブームについて思う事)・・どんどん脱線してしまいました。(フランス語通訳:芹澤紀青)

6 / 60

最近のコメント

カテゴリー

月別アーカイブ

お気軽にご相談ください。
翻訳者・通訳者を募集しています。
お気軽にお問い合わせください。
サイト内検索
株式会社フランシールは、プライバシーマークを取得し個人情報保護に努めております。


「金融・経済・法務」分野(日英)
「工業・科学技術」分野(日英)

最近のコメント