以前から旅ブログを送ってくれているフランス語通訳の橋爪さんが、大好きだという詩の世界について寄稿してくださいました。「詩」と聞くだけで難しく思えるかもしれませんが、みなさんも家にこもることが多いこのコロナ禍に一緒に詩の世界に飛び込んでみませんか?
詩の世界 詩のこころ
橋爪 雅彦
1
フィッツジェラルド
森(もり) 亮(りょう)訳
オーマー・カイヤム「ルバイヤート」四行詩
『1』はじめに
中学校を出て、丁度高校へ入学して1年がたったころ、高校での勉強に全く興味も関心もなかった僕に、評論家 亀井 勝一郎の著作は胸に響いてくる何かがありました。夢中になって、彼のほぼ全著作を読みました。その彼の著作の一つに、「恋愛論」がありました。
この「恋愛論」を耽読しているうちに、その中の「快楽と哀愁の詩人―オーマー・カイヤム」の章節に行き会い、カイヤム(1040-1123)の詩「ルバイヤート」(四行詩集)が十二篇ほど引用されておりました。
もちろん、カイヤムの詩は、ペルシャ語から英国人フィッツジェラルド(1809-1883)により英訳されたもので、それを森亮が和訳したものでした。和訳の中、十篇が森の訳で、二篇が片野 文吉の訳でした。
―ルバイヤート第十八歌 (森 亮訳)―
をりふしは我が思うかな、薔薇(ばら)の花
いとぞ赤きは葬(はふ)りにし遠き帝(みかど)の血より咲けりと。
又思う、御園(みその)に生(お)うる風(ヒヤ)信子(シンス)咲きのことごと
麗しきひとのこうべゆ此処に落ちしと。
バラの花がこれほど赤いのは、昔、埋葬された帝王の血から咲くからだ、
そしてこの庭園に生えているヒヤシンス、美しい人の頭が落ちて、そこからこの花は生えてきたのだと。
フィッツジェラルドはどのように唄っているのでしょうか。
―Edward Fitzgerald XVⅢ―
I sometimes think that never blows so red
The Rose as where some buried Caesar bled;
That every Hyacinth the Garden wears
Dropt in its Lap from some once lovely Head.
詩の発想に驚きました。バラの深紅もヒヤシンスの華麗さも、まさかこのように歌われるとは、思いもよらぬことです。
なにか「人の世の無常」というか、「人の世の命のせつなさ」というか、私たち東洋の詩人たちは、このようには歌いません。
日本近代の詩人 佐藤春夫は直接に語りかけて歌います。
―よきひとよー
よきひとよ、はかなからずや
うつくしきなれが乳ぶさも
いとあまきそのくちびるも
手をとりて泣けるちかひも
わがけふのかかるなげきも
うつり香の明日はきえつつ
めぐりあふ後さへ知らず
よきひとよ、地上のものは
切なくもはかなからずや。
(佐藤 春夫「殉情詩集」より)
美しいあなたの乳房も、その甘い唇も、そして愛し合って泣ける誓いも、私の今日の嘆きも、移りろいやすい明日には消えてしまうもの。ふたたびめぐり合うことさえわからず、
ああ、愛する人よ、地上の物はどうしてこれほどまでに切なくもはかないものなのか。
自分にも妻子があり、相手にも夫と子供がいる。こんな状況の中で、二人は恋に落ちたとなると、自分の思い通りにならぬ運命というものを嘆き、道ならぬ恋を呪う。そして二人、手を取り合って泣き、運命のいたずらを、生まれた星の違いを嘆く。
こういう経験は、長い人生の中では、一度や二度あるものです。
「いいや、俺には全くない。わたしにも全く無い」という人がいたなら、人生振り返ってみて、自分の空虚な人生を嘆くのがいい、自ら運命の違いの陶酔の中に身を置きえなかった自分を呪った方がよろしいでしょう。
それはともかく、「恋愛論」の中のカイヤムの詩「ルバイヤート」、十篇の森 亮訳、二篇の片野 文吉訳を16歳の日に後生大事にすべて暗唱し、地中海の畔にいようと、アルジェリアの砂漠にいようと、マダガスカル島の熱帯夜のなかにいようと、この地球上のどこにいても、いつでもどこでもこの十二篇の詩を口ずさんでいました。
いつかは森 亮訳の「ルバイヤート」全篇を読んでみたいと思うようになりました。
そのいつかがなかなか僕の人生では巡って来ず、16歳の時から数えて57年、やっと今巡ってきたところです。
思えば、26歳の時に日本を出て、それから23年間の外国暮らし。50歳の歳に日本へ帰ってきたものの、日本と海外を行ったり来たりの生活で、ゆっくりと森 亮の著作を探すわけにもいきませんでした。
70歳を過ぎて、やっと仕事の方も下火となり、充分な時間が持てて、森 亮の著作に出会いました。今やインターネットの時代ですから、ネット上での検索で、森 亮の著作を購入しました。
いついつと 待ちにし人はきたりけり いまはあひ見てなにかおもはむ(良寛)
まるで老いたる良寛が、臨終の今はの際に、今か今かと美貌の貞心尼を待ちかねたように、そして今やっと会えたという感動の中で、自分も森 亮訳のフィッツジェラルド訳「ルバイヤート」全篇に出会ったというわけです。
(なお、森 亮の和訳本では、「ルバイヤット」となっております。)
この本は、美装の箱入りで、しかも三百二十五部限定の出版です。本人の直筆サインまであります。僕の購入した本は三百八番目という但し書きまであります。昭和四十九年十二月槐書房より刊行されました。フィッツジェラルド「ルバイヤート」初版75首を全訳したものです。
価格は一万六千円。(令和2年3月、僕がネット上で購入したときは、運よく五千五百円でした。
森 亮は(1911―1994)は、フィッツジェラルド「ルバイヤート」初版75首を1939年(昭和14年)雑誌「コギト」に三回にわたって連載しました。彼28歳の時で、旧制松江高等学校文科の教授をしていた時です。そして1941年(昭和16年)この初版75首全訳を東京の出版社ぐろりあ・そさえて社より「新ぐろりあ叢書」の一冊として千部刊行しました。そして三十年以上たった昭和49年、上記の美本が325部限定で上梓されました。
―次回に続くー
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