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<めざせ語学マスター>チョムスキー・ナウ(Chomsky, Now)!

2021年8月31日

 

突然ですが、上のかっこいいサイトと、真ん中の紳士は誰だかわかりますか?また、次の動画はどうでしょう。


https://news.yahoo.co.jp/feature/566/

私が毎年試験でその名前と「生成文法理論(generative grammar theory)」を結び付けて暗記していたチョムスキー(Avram Noam Chomsky, 1928年生まれ)氏です!なんと90歳を過ぎた今でも現役のマサチューセッツ工科大学の言語学および言語哲学の研究所教授 兼名誉教授言語学者 、哲学者であり、政治活動家です!!(上のサイトはこちら:https://chomsky.info/)

テキストに出ていた人物がただの伝説の言語学者ではなく、現在もトランプ政権や共和党、コロナ感染症など、今の話題についてコメントしていたり、YOUTUBEに出ていたりするってすごい!言語学など勉強したことなかった私でもその名前を聞いたことがあったほどの超有名人物が今も活動しているという事実は、(失礼とは思いますが)私にとっては生きた夏目漱石に会えるくらいの衝撃でした!

ついついサイトを発見した興奮で、彼の出ているYOUTUBEや、対談を読みたくなってしまいますが、それをするときりがないので、今回はそんな彼を伝説の言語学者にした「普遍文法理論(The universal Hypothesis)」について、できるだけ簡単に学んでみたいと思います。

まずは、彼の紹介。

エイヴラム・ノーム・チョムスキー(Avram Noam Chomsky、1928年12月7日 – )

ノーム・チョムスキーは1928年、ウクライナ出身の父とベラルーシ出身の母の間に1928年アメリカのフィラデルフィアで生まれました。現在もマサチューセッツ工科大学の教授です。1950年代の彼の著書 『言語理論の論理構造』(The Logical Structure of Linguistic Theory 1955/1975)や 『文法の構造』(Syntactic Structures 1957)は、当時の言語学に革命をもたらしたと言われています。

それにしても「革命」ってすごいですよね。しかし、なぜ「革命」だったのでしょうか。

それを知るために、まず当時のアメリカ言語界の流行を調べてみましょう。

彼の理論が発表された1950年代、主流は、言語はインプットの刺激とその反応の習慣形成によって習得されるとする行動主義心理学が盛んでした。

ワトソン(John Broadus Watson (1878 –1958)

20世紀初頭に行動主義(behaviorism)を提唱したワトソンは人間の心を科学的に研究するために、「心(mind)」自体を研究するのではなく、目に見える「行動(behavior)」を対象としました。「行動」を研究することで心の中身を類推しようとしたのです。(ソ連の生理学者、イワン・ペトローヴィチ・パブロフ(1849-1936)による「パブロフの犬」に、行動主義心理学は大きな影響を受けていました。)

行動主義では、人間の心は「ブラックボックス」として扱われました。刺激(stimulus)、反応(response)、強化(reinforcement)などの関係を研究することでブラックボックスを明らかにしようとしたのです。子どもたちが言語を習得していく過程も母親からの言葉などの刺激を受けて言語を習得しているとされ、子どもたちの発する言語も反応の表れだと捉えられていました。

バラス・フレデリック・スキナー(Burrhus Frederic Skinner, 1904年- 1990年)

アメリカ合衆国の心理学者で行動分析学であるスキナーは、報酬を与えることによって行動が継続すると考え、習慣形成には簡単な行動から複雑な行動へ強化を与えていくことが重要と考えました。彼が提唱した行動主義はワトソンが「行動」の対象から外した「意識・認知・内観 」ですら科学的に研究できるとしており、ワトソンの行動主義が方法論的行動主義(methodological behaviorism)と呼ばれるのに対して、徹底的行動主義(radical behaviorism)と呼ばれました。

スキナーは、彼が発明したラットがレバーを押したら自動的にえさが出て、刺激と反応(バーやボタンを押した数)を自動的に記録できる「スキナー箱」が有名です。(スキナーのオペラント条件づけ:https://genekibar.com/skinner-partial-reinforcement/)。ギャンブル依存症やゲーム中毒もこれで説明できるようです 。)

彼の「習慣形成」の考え方は「オーディオリンガル・アプローチ」の基盤となりました。このアプローチは、音声言語の習得を優先、文系の学習第一でやさしいものから難しいものへ、意味より音韻、文構造が大事、発音練習では模倣練習を行う、母語話者と同様の流暢さを目標にしています。

そういえば昭和の英語の教科書には「This is a pen. This is a book. This is a pencil.」など繰り返しが多かったですが、2021年現在、中学生の息子の教科書にはそんな表現はほぼでてきません。古い英語の教科書と新しい英語の教科書を比べると意外と(昭和世代の)私たちは行動主義の影響を受けて英語を勉強していたことが分かります。(参考:50年以上前(昭和)の中学英語の教科書から令和時代のものまでを徹底比較!

長くなりましたが、以上が1950年代にアメリカで主流だった「行動主義」の説明でした。

この主流派に対して、チョムスキーは異論を唱えます。

チョムスキーは人間の自主的思考能力、言語能力の生得的側面を強調しました。子供は周囲の人の言葉を聞いて覚えますが、いろいろ言い間違いもします。もし言葉を覚えることが、聞いた言葉を真似することだとしたら、そんな言い間違いは起こらないはずです。大人がいちいち間違いを指摘しなくても、子供はいつの間にか正しい言い方を覚えていきます。そこで「刺激の貧困性(Poverty of the stimulus)」という問題に彼は気づきました。

そこで彼は考えます。

確かに・・・。

うちの子供たちはもう大きくなってしまいましたが、保育園にいたころにはかわいい言い間違いをしていました。
「蚊にかまれた」を「カニにかまれた」と言ったり、
「知ってる」というところを「知れるー」と言ったり。
かわいいからといって、こちらも真似して「カニにかまれたー」とか「ママもそれ知れるー」とふざけていましたが、いつの間にか大きくなり、そんなかわいい間違いも幻のように消えてしまいました。また、「いい子でちゅねー。」のようなママ語調で話した言葉はそのまま子供が「そうでちゅねー。」とはなかなか言わないものです。

「かわいかったのにちょっと残念。でもま、それが成長か。」と考えて終わらないのがチョムスキーを始め言語学者たちのすごいところ。

大人が直さないのに、子供は正しい言い方を覚えていく。間違った文を正しくないというインプットや刺激が貧困なのに自然に修正されていく。この事実から、チョムスキーは言語をヒトの生物学的な仮説上の(心理上の)器官によるものと捉えました。人間は生まれながらにして言語獲得装置(LAD;Language Acquisition Device)を備えており、その生得的な能力によって言語を獲得していくと仮定したのです。(ミツバチのミツバチダンスやコウモリの超音波みたいに、人間には言語能力がある)。全ての人間には普遍的で生得的な能力があるとし、それを普遍文法(Universal Grammar)と呼びました。

① 「何もない状態」
普遍原理とパラメータから構成される普遍文法は生まれながらにあります。言語習得を開始する前の子供は言語獲得装置(LAD)の初期状態です。

②「核心文法」が生まれる状態
母親などから個別の言語の入力に触れると、それに合ったパラメータの値が決められます。すべてのパラメータの値が決まると、赤ちゃんの言語で核心文法(Core Grammar)が出来上がります。

③「個別文法」が生まれる状態
個別言語の知識は核心文法だけで構成されているわけではないので、発達段階が進むと周辺文法(peripheral grammar)が含まれてきます。周辺文法は普遍文法の管轄外にあり、普遍文法からは予測できない規則だと考えられています。

しかし、それまで研究の対象から外され、ブラックボックスとして扱っていた「心」を、チョムスキーが「逆に言語学の基礎はここにある」と主張したのは、それまでの言語学者たちにとってはそうとうなショックな出来事(革命)だったようです。しかもヴェトナム戦争を契機にチョムスキーは政治評論活動まで行い始め、言語学専門以外の人にも有名になっていく・・・。きっと当時の言語学者にとっては嫌な存在だったんだろうと想像します。(私が当時の言語学者だったらチョムスキーに「空気読んだほうがいいんじゃない?」とアドバイスしていたかもしれませんね。)

20代の若さでこの論に辿り着いたチョムスキーは、“チョムスキー以前/以降”と時代を区切れるほどに、言語学を根本的に変えてしまいました。また、生成文法理論は認知科学や脳科学、コンピューターサイエンスなど、その他の分野にも大きく影響していきます。

そんな普遍文法理論ですが、問題もありました。実体をとらえにくい、言語能力(linguistic competence) に集中しすぎて、実際の言語運用
(linguistic performance)は研究の対象にされないので、言語教育との関連性があまりみられない、などと批判されました。

またチョムスキーは(このブログで過去に取り上げた)ソシュールフンボルトにも影響を受けています。どのように影響を受けたのか研究すると面白そうですね。

参考 第二言語習得論 アルク
新版 日本語教育事典
「チョムスキー」 田中克彦


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<めじろ奇譚>モンゴル語とロシア語の違い、 なぜモンゴルではキリル文字を使う?

2021年8月27日

左はキリル文字で「モンゴル語」、右はモンゴル文字で「モンゴル語」と書いてある。モンゴル文字は縦書きで左から右へ書く。

モンゴル語に対する認識は、我が国では残念ながら高いとは言えない。直接標題の疑問に答えるだけでなく、多少回り道して、是非知っておいていただきたいと筆者が考える点にも触れようと思う。

1 モンゴル語の言語的特徴について

モンゴル語は、北隣のロシア語と似ているのではと考える人もいれば、一方で南隣のシナ語(いわゆる中国語)と似ているのではと考える方も多いので、ロシア語だけでなく、シナ語との関連も含めて考えてみたい。

複数の言語を比較する際に用いられる手法に、類型論的方法と比較言語学(歴史言語学)的手法がある。類型論的方法とは何かについては、「<めざせ語学マスター>日本語は膠着している」を参照願いたい。その中で、ロシア語は屈折語、シナ語は孤立語、そしてモンゴル語は日本語と同じ膠着語に分類されている。つまり、この3言語は、地理的に隣り合っていても、タイプが全く異なるということになる。と言っても、なかなかピンと来ないかと思うので、実際の文章で見てみよう。ただ、膠着語等の性質は上記のブログに譲るとして、ここでは主に語順に着目して見てみたい。

日本語:モンゴル語に関心を抱く学生の人数が急激に増加した。

ロシア語:Число студентов, интересующихся монгольским языком, резко увеличилось.
                      数が  学生の   関心を持たされている モンゴルの  言語により 急激に 増加した

シナ語: 对蒙语感兴趣的学生人数急剧增加。
          对(に対し)蒙(モンゴル)语(語)感(感じる)兴趣(興味)的(の)学生人数(学生の人数)急剧(急激(に))增加(増加(した))

モンゴル語:Монгол хэлийг сонирхон суралцагчдын тоо эрс нэмэгджээ.
(「語幹-助詞」)           (хэл-ийг) (сонирхо-н) (суралцагчд-ын)
                 モンゴル   語-を      面白いと思-い 学ぶ人たち-の  数(が)急激に 増加した。

注目していただきたいのは、「~人数が」までに相当する箇所であるが、ロシア語は英語等と同じで、日本語とはほぼ真逆の語順になっている。シナ語の語順は、日本語に近い部分もあるが、前置詞のような働きをする語があったり、動詞+目的語の順になっていたりする箇所は、やはり日本語とは異質である。それに対し、モンゴル語の語順は日本語と全く同じということにお気付きかと思う。日本語の格助詞や接続助詞に相当する部分をハイフンで分けて示したが、これも日本語の感覚に非常に近いと言っていいだろう。

次に、比較言語学(歴史言語学)的観点から見たらどうであろうか。比較言語学について詳しく書くことはできないが、大雑把に言えば、複数の言語間に規則的な音の対応を見出し、太古の昔に存在したと仮定される共通の祖先から枝分かれして現在に至っているという系統関係(親縁関係)を探る方法ということだ。

ロシア語は、インド・ヨーロッパ語族のスラブ語派に分類され、同じ語派のポーランド語やブルガリア語等とはきょうだい、同じ語族の英・独・仏語やペルシア語、ヒンディー語等とはいとこのような間柄だ。シナ語はシナ・チベット語族(諸語)に分類され、チベット語やビルマ語等と親縁関係があるとされる。さて肝心のモンゴル語については、どこに分類されるのだろうか。(ウラル・)アルタイ語族(諸語)という言い方になじみのある方は多いのではないだろうか。アルタイ諸語というのは、一般的にモンゴル諸語、テュルク諸語(トルコ語、ウイグル語等々)、ツングース諸語(満洲語、エヴェンキ語等々)をまとめて指す表現だ。しかし、モンゴル諸語やテュルク諸語それぞれの構成言語間の親縁関係は明らかなものの、モンゴル諸語とテュルク諸語、ツングース諸語の間の系統関係の有無については、立証されていない。また、アルタイ諸語とウラル諸語(語族)(ハンガリー語、フィンランド語等)の類似も指摘されているが、ここでは立ち入らない。

結論として、モンゴル語は、類型上も系統上も、ロシア語、シナ語両言語とはつながりがないということになる。

2 モンゴル語を表記する文字について

標題の疑問は、正確には、「なぜモンゴル国ではキリル文字を使う?」とした方がよい。なぜか?モンゴル語は、世界各地にあるように、国境をまたがって使用されている言語で、そのモンゴル語世界の中でキリル文字を使用しているのは、モンゴル国(とロシア連邦内のモンゴル諸語であるブリヤート語とカルムイク語)だからだ。中華人民共和国が指定した56民族の一つでもあるモンゴル族(人)(ちなみに人口はモンゴル国のモンゴル人を上回る。主に内モンゴル自治区に居住。)が使用するモンゴル語はキリル文字を使用しない。

モンゴル語世界では、かつてのモンゴル帝国の時代から、(旧)モンゴル文字が使用されてきた。標題の下に、キリル文字と並べて示した縦書きの文字だ(両文字で「モンゴル語」と表記)。世界史の教科書で、モンゴル語のために考案されたパスパ文字をご記憶の方もいるかと思うが、この文字は元朝崩壊以降廃れた。前世紀の20年代にモンゴル語世界の中央部に独立国が樹立された(当時の名称はモンゴル人民共和国)が、そこでは、旧ソ連の強い影響の下、文字改革が断行され、1940年代にキリル文字に移行した。ロシア語で使用する33文字に2文字を加え、35文字でこの国で標準とされているハルハ方言を書き表す。社会主義体制を擁護するわけではないが、この文字改革により、識字率が飛躍的に向上したということだ。(旧)モンゴル文字の綴りは現代の口語とかけ離れており、口語を基にしたキリル文字正書法が有利に作用したと言えるだろう。一方、後でも触れるが、一つながりのモンゴル語世界を文字面で分断した負の側面も忘れてはならない。なお、キリル文字に移行する前に、一旦ラテン文字化の方針が示されたが、これが覆された経緯も当時のソ連の政治状況と絡んでいて興味深い。この流れは、旧ソ連を構成していた中央アジア等の言語とも共通する。1990年代に民主化されモンゴル国となり、(旧)モンゴル文字復活の機運が高まり、教育でも導入されたが、現在に至るまで、依然としてキリル文字表記が幅を利かせている。

文字圏という概念は、基本的に宗教圏と重なることが多い(例:同じスラブ語派の言語でも、カトリックが優勢なポーランドやクロアチアではラテン文字、正教圏のブルガリア等ではキリル文字。また、イスラム圏でのアラビア文字。)が、モンゴル語を含む旧ソ連圏では、宗教とは関係ない。

一方、中華民国、そして中華人民共和国の版図内にとどまったモンゴル人は、現在に至るまで一貫して、(旧)モンゴル文字を使用している。中華人民共和国の紙幣を注意して見ると、シナ語の他に、(旧)モンゴル文字によるモンゴル語の表記もある(他にチベット語、ウイグル語、チワン語)。

つまり、国境を挟んで、南北のモンゴル人は、口語では相互意思疎通は可能なものの、書き言葉上は分断されているという状況だ。

以上、モンゴル語の言語的特徴及び使用文字について、近隣言語との関連性を軸に見てきた。日本で主に学ばれるのは、ヨーロッパの主要言語とシナ語がほとんどであり、日本語は世界でも特殊な言語だという誤った認識(文字使用の面のみ見れば、特殊と言えるかもしれないが)につながっていることを考えると、モンゴル語(朝鮮語やトルコ語でもよい)等日本語とよく似ている言語を一つでも知ることは、バランスの取れた世界認識のためには欠かせないと考える。

またそれと合わせて、言語世界を国家単位でのみ見てはならないということも強調したい。大言語の陰で衰退の道を辿っている言語がある(何重もの意味で)ことも、今回モンゴル語世界全体を見たことをきっかけに、忘れないようにしたい。もちろん我が国内の言語についても例外ではない。(一老いぼれ職員)

(小文の見解は筆者個人のものであり、必ずしも㈱フランシールの公式見解ではありません。)

<めざせ語学マスター>「宇宙へ」は行くけれど「トイレへ」は行かない?―「へ」と「に」の違い

2021年8月24日

先週の「は」と「が」の違いを書いていると、ずっと前、確かフランス留学中(もう20年以上前・・・)に、日本語を勉強しているという友人から言われた言葉を思い出しました。

「私、日本語の「へ」と「に」の違いが分かったわ。遠くに行くときには「へ」で、近くに行くときには「に」なんでしょう。だから「宇宙へ行く」で、「トイレに行く」。「トイレへ行く」は言わないのよね。」

ひどく納得した感じの彼女に「え・・トイレへ行く、も言える気がするけれど・・・」と思ったものの、「へ」と「に」の違いについてはっきりした説明ができませんでした。「トイレへ行く」も言う気がしますし「宇宙に行く」も言う気がします。一体「へ」と「に」に違いがあるのか、20年以上たった今、解明してみたいと思います。

「新版 日本語教育事典」を開くと・・・すぐに結論がありました!

■目的地を表す「に」と「へ」
方向性をもった主体の移動を表す動詞では、「に」と「へ」どちらも用いることができる。

主体の移動を表す動詞とは、「行く」「写る」「帰る」「寄る」「向かう」などです。

だから
「宇宙に行く」、「宇宙へ行く」も

「トイレへ行く」、「トイレに行く」も

問題ないのです!

また、NHK放送文化研究所の方向を表す「に」と「へ」では下のように書かれています。

  (台風が)「北に向かっている」と「北へ向かっている」の「に」と「へ」は格助詞で、いずれも、「向かう」という移動を表す動詞の到達点や方向性を示しています。一般的に、「に」が到達点そのものに焦点が当てられているのに対して、「へ」はそれよりも広い範囲、つまり到達点とともにそれに向かう経路や方向性に焦点が当てられています(『みんなの日本語事典』参考)。台風の進路を伝える場合は、台風が向かう到着点が決まっているわけではなく、重要なのは「向かう方向」なので、どちらかというと「北へ向かっている」のほうがいいかもしれません。

その観点で考えると、「宇宙」のほうが範囲が広いので「へ」のほうが適している気がします。到達点そのものに焦点が当てられている、という点ではトイレは「に」のほうが適しています。でも「どこ行くの?」「ちょっとトイレへ」とも言えるし(方向性に焦点が当てられているのかもしれませんが)、入れ替えは可能です。

しかし、「へ」と「に」をどこでも入れ替え可能かといえばそうではありません。

「に」は使えるが「へ」は使えないのは、主体や対象の具体的な移動を伴わない場合です。
目的が相手を表す文では「へ」は使えません。つまり
「彼に会う」はいいますが「彼へ会う」はいいません。

また、「黒板に紙を貼った。」(「黒板へ紙を貼った。」はあまり言わない)、「かばんに本を入れてある。」(「かばんへ本を入れてある。」はあまり言わない)のように動作後に対象物がその場所に行きついた状態であることを表す場合にも「へ」は適しません。

逆に「に」は適さないけれど「へ」ならいける、という場合もあります。

「ゴールへのシュート」は言えますが「ゴールにのシュート」は言えません。

「へ」のあとに引用の「と」が続く「学校へと急ぐ保護者」はいえますが「学校にと急ぐ保護者」とは言いません。

「衆議院解散へ」「ごみはくずかごへ」「マネージャーと結婚へ」「コンビ解散へ」などの新聞やニュースの見出しなど、助詞「へ」で終止する言い方の場合は「に」ではなく「へ」を使います。

では次はどうでしょう。

「工場へ走る」「工場に走る」はちょっと不自然な気がしませんか?
これら「歩く」「走る」「泳ぐ」「這う」など、移動そのものというよりは、移動の様態や方法を表す動詞は「へ」や「に」があまり適していません。方向を表すなら「まで」のほうがしっくりします。
「工場に(へ)走った」という場合は「走る」という身体的動作より工場という場所へ「向かう」の意味が強くなります。

では次の用法はいかがですか?

確かに「妻に怒られた」は言えても「妻へ怒られた」とは言えなそうです。
でも・・・あれ?この用法は上記のような「へ」か「に」かの問題でしょうか。カテゴリーがちょっと違うような・・・。

実は、これは上で述べてきた「目的地」を表す「に」と「へ」の問題ではなく、「に」の「使役・受身の動作主」という用法により生じている問題です。この場合はもちろん「へ」に置き換えられません。

では、「に」には他にどのような用法があるんでしょうか。

日本語教育能力試験の解説に詳しい「毎日のんびり日本語教師」のサイトでは以下の用法が記載されています。

1. 移動の到着点(「実家に帰る。」)
2. 変化の結果(「雪が雨に変わった。」)
3. 授受の与え手・受け手(「友達にプレゼントをあげた。」)
4. 動作の目標・到達点(「これから上司に会う。」)
5. 使役・受身の動作主(「私は先生に褒められました。」)
6. 存在する場所(「空に飛行機雲があります。」)
7. 動作の目的(「流れ星を見に行く。」)
8. 原因・理由(「根拠・お金に困っている。」)
9. 時間(「明日朝8時に出発する。」)
10. 基準(「私の家は駅に近い。」)
11. 割合(「1年に1回献血する。」)
12. 状態の主体(「私には夢がある。」)
13. 内容物・付着物(「希望に満ち溢れた顔。」)
14.領域・範囲(~にとって)(「私には難しい。」)

途方もなく多いです。(英語の前置詞も辞書に多くの用法が記されていましたがそれを思いだします。)

こうなると「に」と「へ」の違いだけでなく、別の疑問もわいてきます。

◇ 場所を表す「に」と「で」の違いは?(「空き地にごみを捨てる。」VS.「空き地でごみを捨てる。」)
◇ 時を表す「に」の使用・不使用の違いは?(「3日後にくる。」VS.「3日後くる。」)
◇ 時を表す「に」と「で」の違いは?(「3時に閉まります。」VS. 「3時で閉まります。」)
◇ 起因を表す「に」と「で」の違いは?(「大地震に家が倒壊した。」VS.「大地震で家が倒壊した。」)
・・・

エンドレスです。

結論:「宇宙へ」と「トイレに」の場合、「へ」と「に」は入れ換え可能。しかしこの問題は「に」という助詞のもつ問題の一つでしかない。・・・助詞の問題はしんどいですね。(鍋田)


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<めじろ奇譚>機械翻訳の活用法②

2021年8月19日

今回は前回の投稿の続きです。(機械翻訳の活用法

前回の投稿で、機械翻訳は賢く使い分けることが重要、と書きました。人間翻訳VS機械翻訳、どのように使い分けるのが良いのでしょうか。

フランシールでは、日本語から外国語への翻訳の場合で、「誰かに読んでもらうための文章」については機械翻訳はお勧めしていません。「読んでもらうための文章」とは、成果品として提出するための報告書であったり、レターや記事であったり、読み手に正確に理解してもらうための文章のことです。

機械翻訳を使うと、さらっと読む限りでは感心するような上手な訳がついてきたりします。しかし、機械翻訳による訳文というのはあくまでも「それらしい文章の寄せ集め」であり、じっくり読んでみると「え?」と思うような間違いや抜けが含まれていることもあります。スタイルも統一されていないので、読んでいてちぐはぐな感じもあります。そして一番の問題は、文章を通して書き手が伝えたい意図や、行間について全く考慮されていないという点です。人間翻訳なら当然のように行われる「書き手の意図を理解し、全体の構造を考えつつ文章を書く」ということが機械にはできないのです。(後からポストエディットをかけることもできますが、文章の流れまでは修正できません。)

機械翻訳がその威力を発揮する分野ももちろん沢山あります。一つは大量の資料を読み込む必要がある場合など、スピードを重視したい場合。外国文の資料を大量に読み込みたい、入札図書の内容を短期間で把握したい場合にもお勧めです。マニュアル翻訳にも適していますが、入念なポストエディット作業が必要となります。自分で翻訳ができる方なら下訳として使用するのも大変便利です。

急速に発展している機械翻訳・自動翻訳技術。半年後にはまた新たな技術が登場しているかもしれません。翻訳エージェントとして、私たちも日々勉強を続けています。機械翻訳を御希望のお客様は、ぜひ担当のコーディネーターまでご相談ください。
(上畑)

<めざせ語学マスター>「は」と「が」の違い

2021年8月17日

翻訳業界というのは、いろんな分野から転職してみようと人が訪ねてくる業界のようで、金融会社の社内通訳だった人がフリーランスの通訳に転向したり、化学品メーカーで勤務後に特許翻訳者になったりする人もいます。通訳・翻訳者希望の方にお会いするとこちらのほうが勉強になることも多いですし、ご本人は「法律を勉強したといっても商法専門でして・・」とご謙遜されてるのに「他にどんな専門があるんですか?」と聞いて唖然とされたこともありました。

あるとき、日本語学を大学院で研究されている方とお会いしたことがありました。外国語もできるので翻訳者を目指してみようかと思っていらっしゃっているとのこと。
「日本語学を専門に学ぶって・・・あ!「が」と「は」の違いとかを研究する学問、そうですか?」
「そういうのもありますね。」
「知りたいです!教えてください。」
というと、ご本人は少し困った様子。「あれ?どうしたんですか?」と聞くと
「説明してもいいですが、1時間ほどかかってもいいですか?」

面談にきていたのに1時間の講義をしていただくわけにもいかず、その日は断念しましたが、今回はその時から謎だった「は」と「が」の違いについて書くことに挑戦してみたいと思います。

まず最初は日本語の助詞(particle)の種類を知る必要があります。助詞には以下の種類があります。日本語の助詞は例えば英語のat, in, ofなどの前置詞(preposition)とは逆に後ろにつくので後置詞(postposition)と呼ばれることもあるそうです。(そういわれて初めて過去英語で何度も見た「前置詞」の意味がわかったと思ったのは私だけでしょうか。)

さて、助詞・・と聞いただけで学校で習った文法を思い出してゾッとするかもしれませんが、「が」と「は」の説明には欠かせない知識なのでここはぐっと我慢して見ていきましょう。以下に日本語の助詞の種類を示します。

格助詞 case markers  が・を・に・へ・と・から・より・で・まで
(「の」を入れる場合もあります。)
とりたて助詞 focus particles  は・も・ こそ・ さえ・まで・すら・でも・だけ・のみ・など・・・
終助詞 sentence ending particles よ・ね・ぞ・ぜ・わ・か・・・
接続助詞 conjunctive particles けど・が・ので・から・たり・し・と・ば・たら・なら・・・
並立助詞 parallel markers と・か・や・に・やら・だの・とか・・・
複合助詞 compound case particles に対して・にとって・について・に関して・をめぐって・として・・・

いろいろありますが、今回は「が」が入っている格助詞と「は」が入っているとりたて助詞だけを見てみます。

格助詞は、主に名詞に付いて、動詞との関係づけを行います。文の中で勝手に位置を変えることはできず、文の骨組みを作るために必要な助詞です。

とりたて助詞は、その文の中で述べられていること以外の情報を提示する助詞で、格助詞と違ってかなり自由に位置を変えることができます。「とりたてる」機能からとりたて助詞と呼ばれるようになりました。

(お金を催促する「取り立て」ではなく、「多くの中から特別に取り上げる」の意味。)

「が」と「は」以外に、例えば「まで」は格助詞にもとりたて助詞にもありますが、これは「駅まで行ってくる。」の「まで」と、「君までうそをつくのか。」の「まで」の違いです。「駅まで行ってくる。」には特に文以外の意味は感じられませんが、「君までうそをつくのか。」には、君がうそをつくことに驚いているというニュアンスが加わっています。

ちなみに、とりたて助詞は、学校文法では「係助詞けいじょし」「副助詞」と教えられている助詞たちです。

格助詞がニュートラルに語同士の方向性を示してくれるのに対して、“とりたて助詞”はちょっと特別なニュアンスを追加します。では、「が」と「は」を比べてみましょう

「え・・どっちも主語じゃないの?」
と言いたくなりますね。確かに英語に訳すとどちらも「The flower blooms.」。

「花咲く。」
ここでは花が「咲く」の主体(subject)であることを表しています。

「花咲く。」
ここでは花がこの文の主題(topic)であることを表しています。「about」とか「concerning」のように考えてみたらいいのかもしれません。「花に関していうと、咲きます。」とも考えられます。

「~は」は主題を示し、「~が」は主格を示します。主題を示す「は」のある文を有題文(または主題文)、「は」のない文を無題文といいます。無題文は一般に、主格を示す「が」はありますが、主題を示す「は」はありません(有題文と無題文について詳しく載っているサイト:有題文と無題文)。

上記では「花は咲く。」は恒常的、繰り返し起こることとして、「主題」を表していますが、下のように一時的な事態(過去)になると、「主題」のニュアンスが消え、別の「対比」のニュアンスが強く表れます。


「花咲いた。」は特に文章以外の情報を特に感じませんが、「花咲いた。」になると、「え?何は咲かなかったの?」と聞きたくなるニュアンスを醸し出します。これが「は」のもつ「対比」の用法です。

では次はどうでしょう。

「花きれいだ。」・・・って言えなくもないけれど、「花きれいだ。」のほうが自然な気がします。「花がきれいだ。」は、突然目の前に花畑が現れて見とれて言っているようにも感じます。「赤い花が一番きれいだ。」のようにすると違和感がなくなります。なぜでしょう。

これは「が」が形容詞文や名詞文につくと「中立の「が」ではなく、「排他的な「が」(または総記の「が」)」になってしまうからです。ただ、口から思わずこぼれた「花がきれいだ!」のような用法は中立叙述の「が」のままです。

さて次も見てみましょう。今度は述語を変えてみます。

「花が咲く。」「花は咲く。」の文章では「花」は主語・主格でしたが、同じ「が」と「は」でも、ここでは「好き」の目的・対象となっています。実はこれには述語が関係しています。「が」は「好きだ」「憎い」「ほしい」など述語が感情・感覚を形容詞で表すとき、その感情・感覚の向けられる対象を表します。

(*英語だとlike, hate, want と全て動詞なのでややこしいですね。しかし日本語の「嫌い」「好き」は形容詞。日本語の述語は全て動詞ではないので、英語の文法で習うS(主語)+V(動詞)+O(目的語)は、日本語の主語述語には当てはまりません。)

最後に、「が」と「は」の用法をまとめてみます。

助詞の種類 格助詞 とりたて助詞
用法 ①前接する名詞が「動作・出来事の主体」であることを示す。

動詞文のとき:中立叙述の「が」
形容詞文・名詞文のとき:排他の「が」

②前接する名詞が「目的・対象」であることを示す。(状態性述語の場合のみ)

①前接する名詞が文の主題を表す。(主題の「は」はどの助詞にも属さない特別な助詞とも言う説もあります。)

② 前接する名詞が対比を表す。

こうみると、「は」と「が」の話は複雑で、調べだすと迷路に迷い込んだ気持ちになります。この話題で本や論文もたくさん出ています。日本語を母語とする人にとっては意識して使い分けることはないとしても、説明しようとすると重労働です。英語の定冠詞や単数・複数といった使い分けは英語ネイティブには簡単でも、学習者には難しいのも同じなのかもしれません。

上記以外では、主題を表す「は」は複文(主語・述語が複数ある文)のうち、ある一定の節の中では使えないという制約もあります。例えば「花はガーベラなら」、「花は咲いたとき」、「花は咲くように」、「私は買った花は・・」、「私は花を買ったこと・・」などは言えません。もしも気になったら是非もっと調べてみてください。

「は」って特別なんだなあ・・・

と思いましたか?

そして「は」が他の助詞と違って特別である理由にはこれ以上に下の特徴があげられます。
下は夏目漱石の「吾輩は猫である」の冒頭です。

 吾輩猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。・・・・

最初の「吾輩は」はその次の文章「どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。」にも「何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。」にも働いています。

三上章(1903年 – 1971年)という言語学者がこれを「は」の「ピリオド越え」と呼びました。最初の文の文頭の「は」が、ピリオドを超えて次の、またそのあとの文章にも係っているというものです。(『象は鼻が長いー日本語入門』)三上氏は「日本語に主語はない」と喝破したらしく、その伝記も出版されています(主語を抹殺した男/評伝三上章)。気骨のある言語学者ですね。

なるほど・・・。これが日本語の機械翻訳が難しい理由の一つなんですね。ためしに冒頭の文章を英訳してみます。

(機械翻訳)
I am a cat. There is no name yet.
I have no idea where he was born. I remember only crying in a dim and damp place.

突然”he” が出てきて、逆に「一体だれのこと?」と思う文章になってしまいました。AI翻訳が主語を取り間違うのは、日本語の構造に理由があるんですね。主題が2センテンス前にあるなんて、AIもなかなか気づけないですよね。(しかしAI翻訳は日進月歩で進化しているので時間の問題かもしれませんが・・・。)

最後の最後に。ここまで見てきた私の個人的な「は」の印象は野球でいうとホームラン。「は」でホームランを飛ばしたあとは、「が」のヒットがいくつか入っても点数が入る・・・・。やはり「は」は助詞の王様なんですね。(鍋田)

参考
新版 日本語教育事典
アルク 日本語の文法―基礎 山内博之


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