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フランシール代表による日本語教育能力検定試験合格のための勉強サイト。フランス語検定1級、英語1級に意地で合格した代表が、今度は数年の学習を経て合格できるかどうか。また翻訳会社アルアル(あるいはフランシールにだけ起こること)も記載しています。コメントも是非お寄せください。

<めざせ語学マスター>言語は12歳までに習うべき!? 臨界期仮説について

2021年9月21日

やれテストだ、受験だ、と私たちは英語を勉強してきました。大学に入ってからも第2外国語としてフランス語、ドイツ語、中国語などの外国語を多くの人が学んだと思います。特に意識が高い方は「ネイティブのように話したい!」と思ってさらに語学学校に通ったり、留学したりと切磋琢磨されてきたことでしょう。私もそのうちの一人で、20歳でフランスへ留学したときも、バスの中で隣の学生が話していたことを口の中で繰り返したり、ホームステイ先の子供たちとの会話に参加できるように頑張ったりしました。

しかし、そんなネイティブのように話したい、と勉強している人にはショッキングな仮説があります。「言語の獲得には年齢限界がある」と提唱したエリック・レネバーグの「臨界期仮説(Critical Period Hypothesis)」(1967)です。人間は,乳児期から思春期(11~12歳)までの成熟期間を過ぎると,母語話者並みの言語を獲得できなくなるという年齢限界説です。

ああ、もう大学に入ってから勉強したんでは、すでに遅かったんじゃないか、時間を返してほしい、小二の時の父親の転勤先はどうして大阪からパリじゃなくて大阪から栃木だったのか。私はせいぜい覚えても栃木弁くらいじゃないか・・・!と、呪っても時すでに遅し。私はフランス語をネイティブのようには獲得できないのです・・。

しかしそもそも、言語学者たちは第一言語(L1:いわゆる母語)と第二言語(L2)をかなりはっきり区別します。一番大きな違いは、すでに習得している言語があるかないか、ということです。第二言語はその習得時に、すでに第一言語が(頭の中に)存在しています。また、第一言語には教室指導はなく、ある程度の年齢になればだれでも自由に話します。でも第二言語は教室指導が必要になるなど、ネイティブ並みに習得するには、かなりの努力が必要です。

事実、2つの言語を全く同等に扱えるバイリンガルも存在しますし、そのバイリンガルについての研究も多くされています。次回以降のブログでそのバイリンガリズムについて調べようと思いますが、今回はレネバーグの臨界期仮説に注目します。

(写真:アメリカ言語学会より)
レネバーグ(Eric Heinz Lenneberg )(1921年– 1975年)は、言語習得と認知心理学を調べが言語学者および神経学者です。ドイツのデュッセルドルフで生まれたユダヤ人でしたが、ナチスの迫害が高まったため、家族とともにブラジルに、次いでアメリカに移住し、そこで心理学と神経生物学の教授になりました。

レネバーグは「言語の生物学的基礎(Biological Foundations of Language)(1964)」で、言語回復の程度は脳機能の一側化(lateralization)に対応しているとし、一側化後に脳を損傷した場合、母語を完全に回復することはないと考えました。彼の研究は、第二言語習得についてではなく、第一言語(母語)の習得についての臨界期を調べるもので、日本語でいうなら、日本人が日本語をきちんと習得できるのはいつまでか、ということです。

そもそも日本人なら誰でもペラペラに日本語を話しているのに、どうやってそんな研究ができるのか、と思うかもしれません。彼は脳損傷で失語症になった患者の回復する経過を調べることでその理論にたどりつきました。

では失語症とは何でしょうか。
国立研究開発法人国立循環器病研究センターのサイトでは下のように書かれています。

失語症とは
大脳(たいていの人は左脳)には、言葉を受け持っている「言語領域」という部分があります。失語症は、脳梗塞や脳出血など脳卒中や、けがなどによって、この「言語領域」が傷ついたため、言葉がうまく使えなくなる状態をいいます。

余談ですが、私が初めて(ボランティア)通訳をしたのは日本で開催された失語症全国大会でのフランス人ゲストの通訳でした。失語症は英語ではaphasia、フランス語ではaphasieと言います。私はその仕事をするときまで失語症について知りませんでしたが、ご一緒したフランス人男性が脳卒中のあと言葉が出てこなくて苦しいと聞き、病気の大変さにとても驚きました。

レネバーグは言語回復のプロセスを5つのレベルにわけています。
20か月までの乳児:機能的な違いのない同一の半球を持っています。
36か月までの幼児:右半球または左半球のどちらかに偏りがちだが言語を別の半球を切り替えることは簡単。
10歳までの子供:右半球で言語機能を再活性化することができます。
思春期早発症(最長14年):等電位性は急速に低下し、その後は完全に失われます。

レネバーグは、損傷された左半球の代わりに右半球が言語をつかさどることを言語機能の「創造(creation)」ではなく、「再活性化(reactivation)」としました。彼は、最初こそ言語の機能は両方の半球にあるが、後で(部分的に)右半球から消えることを示したのです。またこのことから、人間が言語を理解し、表出する能力は最初左右両半球に関係しているが、時間がたつと左半球に偏ってしまう(一側化:lateralization)ということ、言語を学習できる限界はこの一側化のおこる前、10歳前後だろうと考えました。

彼のこの理論はその後多くの研究者によって調べられました。
第一言語の獲得について調べる研究者の中には、その臨界期を過ぎるまで第一言語、いわゆる母語をきちんと習得できなかったケースについても調べた人たちもいました。

中でも、13歳まで部屋に監禁されて育ったアメリカの少女、ジーニーの話は強烈です。彼女の父親は彼女が生後約20ヶ月のとき、鍵のかかった部屋に閉じ込めました。その後も彼女はトイレに縛り付けられたり、腕と脚を固定したままベビーベッドに拘束されたりし、誰とも話せないまま過ごしました。1970年、13歳7か月の彼女はひどい栄養失調のままの状態でロサンゼルス郡に保護されました。発見されたとき彼女は歩くことも話すことも出来ませんでした。彼女の存在は、心理学者、言語学者、科学者の注目を集め、言語学者はジーニーに言語習得スキルを提供するとともに研究対象ともしました。彼女は精神的、心理的に大きな進歩を遂げ、救出から数ヶ月以内に非言語的コミュニケーションスキルや社会的スキルを学びましたが、何年たっても完全な第一言語(母語)を習得するには至りませんでした。

また、「子ども学」(Child Science)研究所CRNのサイトの虐待・隔絶児と言葉の発達;養育不全と心の発達障害には、ジーニー以外にもやはり父親によって1歳半から地下室に監禁され虐待を受け、1967年に7歳で発見保護されたチェコスロバキアの一卵性双生児の事例が記載されています。彼らは救出された後、目覚ましい発達を遂げ、他の人と変わらないまでに成長したそうです。これは激しい虐待状態における発達遅滞があってもその後、良い環境に移されると子どもは急速に再発達できるということ、つまり臨界期以前なら習得は可能というレネバーグの説を裏付けました。

参考   Wikipedia ジーニー (隔離児)
Genie Wiley, the Feral Child(英語サイト)

また、Johnson&Newport(1989)は,第二言語における臨界期について研究しました。彼らは,アメリカ合衆国に住むハングルもしくは中国語を母語とする46人の被験者を対象に彼等の英語能力を調査しました。彼らの英語の聴解能力hearingは,3~7歳に渡米した人は母語話者並み,11~12歳を過ぎて渡米した人は成績が低くなり,思春期を過ぎて渡米した人びとは複数形と冠詞の習得が困難でした。この結果から、第1言語(母語),第2言語の両方において成熟過程(年齢)が影響をもち,言語学習能力は乳幼児期から思春期にかけてピークとなり,後は減衰していくことがわかりました。つまり、第二言語についても臨界期の存在が裏づけられたのです。

つまり・・。
どうやら私の「RとLが聞き分けられない」というのは、脳の一側化という現象から発生しているようです。臨界期が50歳とか60歳なら希望を持てますが、思春期で終わってるんならもう諦めるしかないかもしれません。

とはいえ、結構通訳・翻訳業界では、別に帰国子女でもなく、ご両親のどちらかが外国語の母語話者というわけでもなくても、大学から外国語を勉強して通訳になっている人も多く活躍しています。彼らはどういう努力をして脳の一側化を飛び越えているんでしょうか。まだまだこの分野は研究のしがいがありそうです。

現在の小学校での英語教育はこの臨界期仮説も参考にしているようで、文部科学省のサイトにもレネバーグもニューポートも名前があげられています。
資料3-2 言語獲得/学習の臨界期に関する補足メモ
英語教育は中学生からでは手遅れだ、と平成になって指導方法が変わったんでしょうか。

さて、上に記載したジーニーは1957年生まれなので現在60代。「ジーニー」はプライバシー保護のための仮名だそうです。Genieは(イスラム神話の)精霊、妖精、 魔神、 魔人で、アラジンのジニーと同じです。当時の論争や研究に巻き込まれてしまったようにも思える彼女、今は穏やかな生活を送っていてほしいと心から願います。

参考資料

Critical Period Hypothesis on Language Acquisition 言語習得 の臨界期 について 
Lenneberg’s Critical Period Hypothesis
アメリカ言語学会 A 50th anniversary tribute to Eric H. Lenneberg’s Biological Foundations of Language
コトバンク 言語獲得の臨界期仮説
アルク 第二言語習得論


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<めざせ語学マスター>英語は聞いていたらペラペラになる・・・か?(クラッシェンのモニター・モデル)

2021年9月14日

ネイティブのように英語や他の言語を話したり書いたりできるようになりたい、もっと自然に話せるようになりたい・・、と思ったことはありませんか?またそのために学校に通ったり、文法を覚えたり、単語を覚えたりしたのではないかと思います。たくさん勉強したら話せるようになるはず・・・と信じて。

昭和の英語教育。それは「This is a pen.」と先生が言えばそれを繰り返す、という方法がとられていました。何度もカセットなどでネイティブの発音を聞いて、繰り返して言い、なるべくネイティブの発音に近づけていく・・・。そのような繰り返しの学習はオーディオ・リンガル法と呼ばれており、文型練習(パターンプラクティス)をたくさん行うものでした。

しかしそれも今は昔。

現在は数々の外国語習得方法がネットでも本屋さんでも取り上げられていて、どれを選んだらいいかわからないほど。

今日はそんな中から、1970-80年代にアメリカの言語学者クラッシェンが提唱したモニター・モデルを紹介します。彼の仮説はその後アメリカのスペイン語教師テレル(T.Terrell)によって発展し、以降「ナチュラル・アプローチ(Narurel approach)」と呼ばれるようになりました。この教授法は日本語の現在の英語教育法にも大きな影響を与えています。

彼はもし第二言語を習得するなら、理解可能なインプットに自分をさらすべきだ、と言っていますが、それはどういう仮説に基づいているのでしょうか。(厳密にいうと「第二言語」とはその言語がその社会でコミュニケーション手段として使われている言語で、アメリカに住む日本人が学ぶ英語や、日本で生活する外国人が学ぶ日本語にあたり、日本で勉強する英語や外国で勉強されている日本語は「外国語」と呼ばれますが、特に下記に記す「第二言語習得論」ではあまり区別をしていません。)

アメリカの言語学者、スティーヴン・クラッシェン(Stephen Krashen, 1941年 2021年現在80歳)は、今も南カリフォルニア大学の名誉教授です 。これまで第二言語習得理論や、バイリンガル教育、神経言語学、読書教育論などの多くの仮説を提唱してきました。

クラッシェン氏は、1970~1980年代にかけて、まとめて「Monitor Model(モニターモデル)」と呼ばれる第二言語習得に関する5つの有名な仮説を打ち出しました。

(1) 習得―学習仮説(The Acquisition – Learning Hypothesis)
(2) 自然順序性仮説(The Natural Order Hypothesis)
(3) モニター仮説(The Monitor Hypothesis)
(4) 入力仮説(The Input Hypothesis)
(5) 情意フィルター仮説(The Affective Filter Hypothesis)

先日のブログに1950年代、チョムスキーが普遍文法理論 で革命を起こしたと書きましたが、そのチョムスキーは「言語能力(linguistic competence)」そのものに焦点をあてており、「言語運用(linguistic performance)」をあまり対象としていませんでした。
クラッシェンはその「言語運用」に焦点をあて、どうやったら「言語能力」を「言語運用」に生かすことができるかを、言語運用から教室指導まで幅広く研究し、ナチュラル・アプローチという新しい教授法にまで発展させました。彼のモニターモデルは、上記の5つの仮説がセットで基盤になっています。以下にそれぞれの仮説を見ていきましょう。

(1) 習得―学習仮説(The Acquisition – Learning Hypothesis)

クラッシェンは習得(Acquisition)は無意識な言語習得過程であり、赤ちゃんが言葉を覚えていく第一言語習得の過程と基本的に同じであるとしています。逆に彼によると、学習(Learning)は意識的な過程であり、言語についての知識を身に着けるプロセスであるとしています。

習得と学習って違うの?と思うかもしれません(少なくとも私は「どっちも同じじゃないの?」と思いました。)。日本語同士が似ているのでとまどうかもしれませんが、英語のまま「習得」を”Acquisition”と「学習」を”Learning”として、あるいは「習得」は「獲得」として読んだほうが分かりやすいかもしれません。

クラッシェンの“Principles and Practice in Second Language Acquisition” Stephen D Krashen University of Southern Californiaでも彼は習得と学習をそれぞれを以下のように全く別物として説明しています。

習得(Acquisition)は潜在意識のプロセスです。言語習得者は通常、言語を習得している事に気づいておらず、コミュニケーションにその言語を使用している、という事にしか気づいていません。言語習得の成果、つまり習得した能力も潜在意識です。私たちは通常、習得した言語の規則を意識的に認識していません。その代わり、私たちは正しさに対する「感覚」を持ちます。どんな規則に違反したかを意識的に知らなくても、文法的に正しい文は「正しく」聞こえ、「正しく」感じますが、正しくない文には間違っていると感じます。言語取得方法には、暗示的学習(implicit learning)、非公式学習(informal learning)、やナチュラル・ラーニングなどがあります。単純に表せば、言語習得とは言語を「pick-up(勉強するのではなく自然と覚える言語)する」ことです。

第二言語習得方法の二つ目は、学習(Learning)によるものです。言語学習とは、ここでは第二言語についての意識的な知識、言語規則の知識や認識などについて学ぶことです。単純に表せば、言語学習とはある言語について「知る」ことであり、「文法」や「規則」です。ある言語の形式的な知識(formal knowledge)、明示的学習(explicit learning)と同じです。

つまり習得(Acquisition)は私たち日本人が日本語を覚えていくようなプロセスで、学習(Learning)は学校で文法などを勉強するようなプロセスです。クラッシェンは第二言語においても習得(Acquisition)は可能としていますが、習得と学習は互いに独立した過程であり、学習が習得に代わることはないとも述べています。(ノン・インターフェイスの立場)

つまり、言語の習得は数学や社会などとは違って、勉強すればできるものではなく、無意識レベルのプロセスであり、その習得には以下(4)に述べるような「理解可能なインプット」を施していくことが重要だと説きます。

勉強したからって・・


ペラペラしゃべれるわけではない。

(2) 自然順序性仮説(The Natural Order Hypothesis)
文法構造は大人でも子供でも、どの言語であっても、たとえ教室で教えられる順番が違っていても、習得には一定の順序がある、という仮説です。

アメリカの心理学者、ブラウン(Roger Brown)は、1970年代初め、別々の地域に住む3人の子供が第一言語として英語を習得する様子を分析し、子供の言語習得方法には、特定の文法形態素または機能語から始まる、一定の順序があることを発見しました。たとえば「進行形語尾-ing ( “He is playing baseball”)」と「複数形/s/(”two dogs”)」は最初に習得され、「3人称単数の/s/(as in “He lives in New York”)」や「所有格の/s/(“John’s hat”)」は通常その後6か月から1年後あたりで習得される、というものです。

ブラウンの結果が発表された直後、デュレイとバート(Dulay and Burt(1974、1975))は3つの地域でスペイン語母語話者の子供たちがどうやって英語を習得していくかを研究し、第二言語として英語を習得する子供たちにも、文法形態素の「自然な秩序」があることを発見しました。さらに中国語を母語とする子供の英語習得についても調べ、英語を第二言語として習得する子供たちの習得順序には、英語を第一言語として習得する子たちと比べると順序は異なるものの、共通する順序があるという結論に至りました。この結果は、その後多くの研究者によって確認されました(Kessler and Idar、1977; Fabris、1978; Makino、1980)。

さらにクラッシェンたちは、成人の被験者にも子供の第二言語習得で見られる順序と非常に似た順序を発見しました(Bailey、Madden、およびKrashen(1974))。 クラッシェン(1977)の下の表は、第二言語習得における平均的な順序を示します。

(英語の例はこちらのサイトから:Grammatical Morphemes in Order of Acquisition*Based on Brown (1973))

このような形態素順序の研究は広がりを見せました。しかし、日本人の英語習得の事例研究では、子供でも中学生でも上記のような順序は示されませんでした。もっとも大きな違いは「複数」と「冠詞」の習得が遅いことでした。これらの要素が日本語にはないからだと研究者たちは考え、第二言語習得には、母語の影響があると考えられました。

(3) モニター仮説(The Monitor Hypothesis)
先に述べたように、クラッシェンの理論では、言語の実際的な運用は「習得(Acquisition)」によるのであって、「学習(Learning)」により行うものではありません。しかし、「学習」によって学んだ文法規則などの知識は、発話や文を訂正したり変更したりするモニターとしての働きを持っていると考えます。


「習得」されたシステムによる発話を、「学習」は形式を発話前あるいは後で変更するために機能します(「主語が三人称単数だから動詞にはsをつけなくちゃ」など)。しかし、通常の流暢な発話は習得されたシステムによってしか発生しません。

しかも、モニター機能は下の条件がそろわなければ働きません。
① 時間があるとき(文法などにとらわれていると通常の会話ができなくなるし、相手の発話の意味に注意を払えません)
② 言語形式に焦点を合わせるとき(言語の意味に焦点をあてる場合はスピードも速い)
③ 言語の規則を知っているとき(とはいえ学校で教わる文法は全部の文法の一部のみ。とても優秀な学生にだって難しい)


あわてているとモニター機能も働かない。

(4) 入力仮説(The Input Hypothesis)
上記のとおり、クラッシェンの仮説では、習得(Acquisition)が中心的で、学習(Learning)は周辺的でしかありません。そのため、彼にとって教育の目標は「習得」を強化することでした。では言語はどうやって習得できるのか。彼は、自然秩序仮説が正しいなら、ある段階から次の段階にどうやって進めるのかが重要と考えました。現在の言語の習得度合が「ステージ4」なら、どうやって「ステージ5」に進むことができるのか? 「ステージi」から「ステージi + 1」に移動するために必要な条件とはなんだろう?と考えたのです。

クラッシェンは習得者が「i + 1」を含む入力(input)を「理解する」ことが必要だと考えました。つまり、「理解する」とは、習得者がメッセージの「形式」ではなく「意味」に焦点を合わせていることで、私たちの現在の能力を「少し超えた(i+1)」言語を理解したときにのみ、私たちは「習得」できるとしました。

でも、現在の能力を「少し超えて」いるのなら、そもそも理解できないのでは?しかしクラッシェンは「i+1」を理解させるためには、言語能力以上のものを使用すればいいと考えました。それは絵でもいいし、知識でもいいし、その他の教材でもいい、言語以外の情報を使えば可能だというのです。また、理解可能なだけでなく、興味を引く内容のインプットであればさらに習得は促進されると考えました

クラッシェン先生の動画があります。
中で彼はレッスン1としてドイツ語をただ読み上げ、レッスン2として身振り手振りや絵を加えて同じドイツ語を示していきます。(動画3分半くらいのところ)そうして同じ表現でも工夫をこらせば相手に伝わることを証明してみせています。

同じ動画の8分ごろにはお隣に住んでいた日本人の「イトミ」(4歳)の話も出てきます。彼女はクラッシェンの問いかけに5ヵ月間一言も返しませんでした。しかし、5ヵ月を過ぎたころから急にたくさん英語を話しだします。しかもその英語の発達具合も他の子供たちと違いがなく、1年後には近所の子供たちと問題なくコミュニケーションをとれるまでになったとか。

(*YOUTUBEは右下のsettingで字幕がつきます。言語も英語、その他を選べますので是非試していてください。)

(5) 情意フィルター仮説(The Affective Filter Hypothesis)

上の動画の後半でも話していますが、クラッシェンは感情要因が第二言語習得の成功に関連すると言っています(Krashen、1981)。その感情要因とは以下の3つです。
(1)動機。高いモチベーションを持つ人は、第二言語習得で良い成績を収めます。
(2)自信。自信があり、自己イメージが良い人は、第二言語習得がうまくいきます。
(3)不安。不安がなければ、第二言語習得がうまくいきます。

感情の影響(情意フィルター)は、言語獲得装置(LAD)(チョムスキーで出てきましたね)の手前にあり、インプットが言語獲得装置に入る前に妨害または促進するように作用します。

不安はゼロに近ければ近いほどよく、そのため発話などに間違いがあってもむやみに訂正をしないいほうがいいとクラッシェンは考えました。

インプット仮説と情意フィルター仮説によれば、良い語学教師は、理解可能な(かつ面白い)インプットを提供しつつ、学習者の不安も和らげられる人です。また、スピーキングやライティングよりリスニングとリーディングのほうが重要だとされています。

よく本を読む子は良い文章を書き、ボキャブラリーも豊富になると言いますし、保育園でたくさんのお話を聞いた子は10歳時の言語能力が高いそうです。インプット仮説はこれと同じように、言語に触れることと言語能力に相関性があると考えます。つまり、学業として学ぶことより、その言語にさらされることが重要となります。

現在日本の小学校でも英語は必須になりました。私の子供(小学生)も文法こそ学ばなくても「Head and shoulders, knees and toes, knees and toes Head and shoulders♪」と歌いながら踊っていたり、「Hello, how are you?」など学校で教えてもらった英語を披露したりしています。歌ったり踊りながら英語を習得していくこの方法は、アメリカの心理学者アッシャー(Asher, J. James)により提唱された「全身反応教授法Total Physical Response(TPR)」によるものですが、これもクラッシェンの提唱したナチュラル・アプローチの流れを汲んでいます。

最後に。
多くの研究者たちに受け入れられたクラッシェンの理論ですが、やはり批判もありました。
①「習得」と「学習」の区別が非科学的。
②「学習」にはモニター機能があるというが、「習得」された知識だってモニターになれる。
③「i+1」があいまい。
また、カナダ人の女性応用言語学者、スウェイン(M.Swein)はインプットだけでなく、アウトプットも重要だと主張しました。

でもこうして今日本で英語教育が盛んで、小学校にもたくさんのネイティブ教師、いわゆるALT(外国語指導助手)が配置されている状況の背景には、このクラッシェンのモニター・モデルの存在があるような気がします。インプットだけで英語がペラペラに話せるなら、SNSやYOUTUBEなどでいつでも英語を聞ける現在は以前より簡単になってきそうなものですが、実際はどうなんでしょうね。(鍋田)

参考:

English Hub(イングリッシュハブ)
クラッシェンが唱えた第二言語習得5つの仮説「モニターモデル」とは?

英語のサイト
What Is Comprehensible Input and Why Does It Matter for Language Learning?

参考資料:第二言語習得論 迫田久美子 アルク


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<めざせ語学マスター>異文化遭遇!カルチャーショック

2021年9月7日

海外にいったときに、「え?ナニコレ?」と思ったことや、「なんかストレス感じるな・・・日本だったらありえないんだけれど。」と思ったことはありませんか?
しかし「郷に入れば郷に従え」や、「住めば都」という言葉もあります。
今回はそんな「異文化遭遇!カルチャーショック・・・と受容まで」の話です。

とりあえず社内に「あなたが経験したカルチャーショック」というアンケートをとってみました。

スペイン語のYOUTUBEに出てくるHayashiさん

なるほど、彼女もいろんな国でいろんな発見をしたんですね!(気のせいか食に関するものが多いような・・・)。関西出身の彼女はアメリカでお好み焼きを作ろうとして分厚い肉しかなくて失敗したらしいです。よほど悔しかったんだと思います。

また、スペインでは、彼女の先生は東アジア出身の生徒に挨拶のキスをする前に「キスしても大丈夫?」と聞くようになったとか。確かに挨拶のキスは最初は照れちゃいますよね。あるいは思い切ってやろうとするあまりベチョッとしたキスをしてしまいそうになります。でも、意外と他の人たちは頬っぺたをくっつけているだけだったりします。

Hayashi さんの「スペイン語の電話の仕方」はフランシールYOUTUBEチャンネルでご覧ください。

さてもう一人。ホンジュラスに2年、コスタリカに2年いたというKawamoto女史も経験。

バスで他の人が自分の上に乗ってくるってすごいですね。でも彼女も他の人の膝に乗っていたとは。・・慣れというのは恐ろしいものですね。

さて、そんな弊社HayashiさんもKawamotoさんも経験したというカルチャーショック。これを説明しようと、社会学者や心理学者が様々なモデルを発表しています。

① U曲線(U-curve)とW曲線(W-curve)

ノルウェーの社会学者リスガード(Lysgaard)は「適応とはU型曲線を辿る時間的経過プロセスである」と考え、新しい環境下で起こる人間の心理状態の変化をU曲線仮説で表しました(1955)。

彼はカルチャーショックを乗り越えて異文化に適応していく過程を、ハネムーン期不適応期(カルチャーショック)回復期適応期に分類しました。

ハネムーン期(Honeymoon stage)は、その言葉の通り、刺激と興奮で満足感の高い時期です。「変だな」と思ったり「素敵!」と思うことの連続で特に嫌な面が目に入らない時期です。

不適応期(Crisis/ Culture shock stage)には、ハネムーン期には気づかなかった疲れやストレスが表面化。見えなかった価値観や習慣の違いを受け入れられなくなり、フラストレーションがたまります。不眠になる人もいます。これはだいたい渡航後3か月-18か月くらいで起こるようです。12か月前後くらいが精神面で危機に陥りやすいといわれています。

回復期(Recovery stage)には、異文化のポジティブな面だけでなくネガティブな面も受け入れようとします。自信を取り戻し、落ち着く場所を見つけた感じがします。

適応期(Adjustment stage)には、自分の文化と異文化に寛容になり、環境に適応していきます。

では、適応期を経て帰国したらどうなるでしょうか。
中米に長期滞在したKawamotoさんの例です。
ディープな体験をした彼女は日本帰国後にも下のようなショックを受けます。

 

慣れ親しんだ中米の生活から日本に帰ると、日本ではふつうだった色んな音などに逆に気づくことになりました。また、人が冷たい、と感じたようです。バスで上に人が乗ってくるくらいの国から帰国したら接触を(コロナじゃなくても)避けたがる日本人の行動はとても冷たいと感じるでしょうね・・・。

上記のリスガードのU曲線をガラホーンは発展させ、異文化から戻った時間まで含めたW曲線を提唱しました(Gullahorn and Gullahorn (1963))。

しばらく異文化に身を置いた後、自国に戻ったときに、離れていた自国の文化に対しても外国のような感覚を覚えることを表しています(リエントリーショック ”Re-entry shock”)。

② ベネットの異文化感受性発達モデル

しかしその後、数々の学者が、U曲線、W曲線はモデルとしてはシンプルではあるが実際にはあてはまらないケースが多いとして、異文化受容について様々な理論を試みます。

アメリカの社会学者、M.ベネットは、カルチャー・ショックをネガテイプなものとはとらえず、人生における転機、たとえば転勤や転居、結婚といった場合に経験する「ショック]と同じものと捉えました。(異文化感受性発達モデル(Developmental Model of Intercultural Sensitivity (DMIS) 1986年)。

「否定(Denial)」・・「アメリカってあんまり日本と変わりないよね」(差異を否定する段階)
「防衛(Defense)」・・「日本のほうが礼儀正しいよね」あるいは反対に「アメリカのほうが個人主義で素晴らしい」(差異が見えてくる段階)
「最小化(Minimization)」・・「お箸とスプーン、食べ方は違うけれど根本は同じだよね!」(でも居心地は悪い段階)
「受容(Acceptance)」・・「価値観の違いってあるよね。みんなそれなりのシステムの中で生きてるよ。」(それぞれの文化で価値観が違うということを認められる段階)
「適応(Adaptation)」・・「挨拶のキスって大事だよね。でも日本人同士のときはお辞儀にしよう。」(バイカルチュラルな段階)
「統合(Integration)・・「今は誰がプレーヤーか、シチュエーションを見て対応しよう」(状況に依存して対応を変えられる段階)

彼のモデルは特に海外とか外国に限った話ではなく、組織と組織、家族と家族、などでも説明ができるそうです。最近はSNSなどでも似た意見の人で集団をつくることも多いので、違う意見を持つ集団との交流などにはあてはめて考えられるのかもしれません。
(参考:文化庁サイト「異文化コミュニケーションの日本語教育への活用」)

③ ベリーの文化変容モデル.

そして今回紹介する最後はベリーの「統合(Integration)」「同化(Assimilation)」「分離(Separation)」「周辺化(Marginalization)」という文化変容モデル(acculturation model)です(Berry, 1992)。彼は異文化適応のプロセスに加えて、異文化と接したときに、どの程度、異文化を取り入れて適応するのか、その受容態度にもタイプがあることに注目しました。そこで「自文化の特徴と文化的アイデンティティの維持を重視するか」「異文化の集団との関係の維持を重視するか」という二つの軸を設け、文化変容を4つのタイプに分けました。

「統合(Integration)」は、自分の文化を保持しながら新しい文化を取り入れていく態度、「同化(Assimilation)」は、自分の文化の保持をせずに新しい文化に適応していく態度、「分離(Separation)」は自分の文化を維持し新しい文化との関わりを避ける態度、「周辺化(Marginalization)」は自分の文化の保持もせず新しい文化への適応にも無関心である態度であるとされています。
もっとも安定して異文化適応がなされるのは「統合」的態度です。

ベリーの表を見ると、私がフランス留学中に会った様々な日本人留学生を思い出しました。日本人ともフランス人とも均等につきあいつつ自分のペースを守っている人(統合?)、「私もう日本人じゃないから・・」と言ってフランス人化した人(同化?)、日本人としか一緒にいなかった人(分離?結構多い)、どちらとも距離をとっていた人(周辺化?)たちがいました。「この人変わってるな」と思うこともありましたが(多分私もそう思われていたでしょう)、今なら彼らもそれぞれの方法で異文化と向き合っていたのかなと思えます。

ベリーの文化変容モデルはこちらにも説明があります。もっと興味ある方はぜひ。

“L D Worthy, Trisha Lavigne, and Fernando Romero “Culture and Psychology”
クロスカルチャーコンサルティング・アートセラピー・心理カウンセリング

4.終わりに

アンケートの回答から。スウェーデン出身のSさんはこう言います。「カルチャーショック程ではないかもしれませんが、私が今でも不思議に思っているのは、日本では生活音などのマナーが大事されているのに、宣伝カーや選挙カーなどが街中で拡声機を使って、大音量を発していいことです。」・・・なるほど。

もう一人、ロシア出身のM君の日本に来た時のカルチャーショックを最後にお伝えして今日は終わりにします!

そんな彼は今では日本人以上にきれいな日本語でメールを書いたりブログも書いてくれたりしています。彼のブログ「<めじろ奇譚>ロシアのジョークは日本で通じるか」も是非読んでください。

(鍋田)


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英語は聞いていたらペラペラになる・・・か?(クラッシェンのモニター・モデル)
チョムスキー・ナウ(Chomsky, Now)!
「宇宙へ」は行くけれど「トイレへ」は行かない?―「へ」と「に」の違い
「は」と「が」の違い
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<めざせ語学マスター>チョムスキー・ナウ(Chomsky, Now)!

2021年8月31日

 

突然ですが、上のかっこいいサイトと、真ん中の紳士は誰だかわかりますか?また、次の動画はどうでしょう。


https://news.yahoo.co.jp/feature/566/

私が毎年試験でその名前と「生成文法理論(generative grammar theory)」を結び付けて暗記していたチョムスキー(Avram Noam Chomsky, 1928年生まれ)氏です!なんと90歳を過ぎた今でも現役のマサチューセッツ工科大学の言語学および言語哲学の研究所教授 兼名誉教授言語学者 、哲学者であり、政治活動家です!!(上のサイトはこちら:https://chomsky.info/)

テキストに出ていた人物がただの伝説の言語学者ではなく、現在もトランプ政権や共和党、コロナ感染症など、今の話題についてコメントしていたり、YOUTUBEに出ていたりするってすごい!言語学など勉強したことなかった私でもその名前を聞いたことがあったほどの超有名人物が今も活動しているという事実は、(失礼とは思いますが)私にとっては生きた夏目漱石に会えるくらいの衝撃でした!

ついついサイトを発見した興奮で、彼の出ているYOUTUBEや、対談を読みたくなってしまいますが、それをするときりがないので、今回はそんな彼を伝説の言語学者にした「普遍文法理論(The universal Hypothesis)」について、できるだけ簡単に学んでみたいと思います。

まずは、彼の紹介。

エイヴラム・ノーム・チョムスキー(Avram Noam Chomsky、1928年12月7日 – )

ノーム・チョムスキーは1928年、ウクライナ出身の父とベラルーシ出身の母の間に1928年アメリカのフィラデルフィアで生まれました。現在もマサチューセッツ工科大学の教授です。1950年代の彼の著書 『言語理論の論理構造』(The Logical Structure of Linguistic Theory 1955/1975)や 『文法の構造』(Syntactic Structures 1957)は、当時の言語学に革命をもたらしたと言われています。

それにしても「革命」ってすごいですよね。しかし、なぜ「革命」だったのでしょうか。

それを知るために、まず当時のアメリカ言語界の流行を調べてみましょう。

彼の理論が発表された1950年代、主流は、言語はインプットの刺激とその反応の習慣形成によって習得されるとする行動主義心理学が盛んでした。

ワトソン(John Broadus Watson (1878 –1958)

20世紀初頭に行動主義(behaviorism)を提唱したワトソンは人間の心を科学的に研究するために、「心(mind)」自体を研究するのではなく、目に見える「行動(behavior)」を対象としました。「行動」を研究することで心の中身を類推しようとしたのです。(ソ連の生理学者、イワン・ペトローヴィチ・パブロフ(1849-1936)による「パブロフの犬」に、行動主義心理学は大きな影響を受けていました。)

行動主義では、人間の心は「ブラックボックス」として扱われました。刺激(stimulus)、反応(response)、強化(reinforcement)などの関係を研究することでブラックボックスを明らかにしようとしたのです。子どもたちが言語を習得していく過程も母親からの言葉などの刺激を受けて言語を習得しているとされ、子どもたちの発する言語も反応の表れだと捉えられていました。

バラス・フレデリック・スキナー(Burrhus Frederic Skinner, 1904年- 1990年)

アメリカ合衆国の心理学者で行動分析学であるスキナーは、報酬を与えることによって行動が継続すると考え、習慣形成には簡単な行動から複雑な行動へ強化を与えていくことが重要と考えました。彼が提唱した行動主義はワトソンが「行動」の対象から外した「意識・認知・内観 」ですら科学的に研究できるとしており、ワトソンの行動主義が方法論的行動主義(methodological behaviorism)と呼ばれるのに対して、徹底的行動主義(radical behaviorism)と呼ばれました。

スキナーは、彼が発明したラットがレバーを押したら自動的にえさが出て、刺激と反応(バーやボタンを押した数)を自動的に記録できる「スキナー箱」が有名です。(スキナーのオペラント条件づけ:https://genekibar.com/skinner-partial-reinforcement/)。ギャンブル依存症やゲーム中毒もこれで説明できるようです 。)

彼の「習慣形成」の考え方は「オーディオリンガル・アプローチ」の基盤となりました。このアプローチは、音声言語の習得を優先、文系の学習第一でやさしいものから難しいものへ、意味より音韻、文構造が大事、発音練習では模倣練習を行う、母語話者と同様の流暢さを目標にしています。

そういえば昭和の英語の教科書には「This is a pen. This is a book. This is a pencil.」など繰り返しが多かったですが、2021年現在、中学生の息子の教科書にはそんな表現はほぼでてきません。古い英語の教科書と新しい英語の教科書を比べると意外と(昭和世代の)私たちは行動主義の影響を受けて英語を勉強していたことが分かります。(参考:50年以上前(昭和)の中学英語の教科書から令和時代のものまでを徹底比較!

長くなりましたが、以上が1950年代にアメリカで主流だった「行動主義」の説明でした。

この主流派に対して、チョムスキーは異論を唱えます。

チョムスキーは人間の自主的思考能力、言語能力の生得的側面を強調しました。子供は周囲の人の言葉を聞いて覚えますが、いろいろ言い間違いもします。もし言葉を覚えることが、聞いた言葉を真似することだとしたら、そんな言い間違いは起こらないはずです。大人がいちいち間違いを指摘しなくても、子供はいつの間にか正しい言い方を覚えていきます。そこで「刺激の貧困性(Poverty of the stimulus)」という問題に彼は気づきました。

そこで彼は考えます。

確かに・・・。

うちの子供たちはもう大きくなってしまいましたが、保育園にいたころにはかわいい言い間違いをしていました。
「蚊にかまれた」を「カニにかまれた」と言ったり、
「知ってる」というところを「知れるー」と言ったり。
かわいいからといって、こちらも真似して「カニにかまれたー」とか「ママもそれ知れるー」とふざけていましたが、いつの間にか大きくなり、そんなかわいい間違いも幻のように消えてしまいました。また、「いい子でちゅねー。」のようなママ語調で話した言葉はそのまま子供が「そうでちゅねー。」とはなかなか言わないものです。

「かわいかったのにちょっと残念。でもま、それが成長か。」と考えて終わらないのがチョムスキーを始め言語学者たちのすごいところ。

大人が直さないのに、子供は正しい言い方を覚えていく。間違った文を正しくないというインプットや刺激が貧困なのに自然に修正されていく。この事実から、チョムスキーは言語をヒトの生物学的な仮説上の(心理上の)器官によるものと捉えました。人間は生まれながらにして言語獲得装置(LAD;Language Acquisition Device)を備えており、その生得的な能力によって言語を獲得していくと仮定したのです。(ミツバチのミツバチダンスやコウモリの超音波みたいに、人間には言語能力がある)。全ての人間には普遍的で生得的な能力があるとし、それを普遍文法(Universal Grammar)と呼びました。

① 「何もない状態」
普遍原理とパラメータから構成される普遍文法は生まれながらにあります。言語習得を開始する前の子供は言語獲得装置(LAD)の初期状態です。

②「核心文法」が生まれる状態
母親などから個別の言語の入力に触れると、それに合ったパラメータの値が決められます。すべてのパラメータの値が決まると、赤ちゃんの言語で核心文法(Core Grammar)が出来上がります。

③「個別文法」が生まれる状態
個別言語の知識は核心文法だけで構成されているわけではないので、発達段階が進むと周辺文法(peripheral grammar)が含まれてきます。周辺文法は普遍文法の管轄外にあり、普遍文法からは予測できない規則だと考えられています。

しかし、それまで研究の対象から外され、ブラックボックスとして扱っていた「心」を、チョムスキーが「逆に言語学の基礎はここにある」と主張したのは、それまでの言語学者たちにとってはそうとうなショックな出来事(革命)だったようです。しかもヴェトナム戦争を契機にチョムスキーは政治評論活動まで行い始め、言語学専門以外の人にも有名になっていく・・・。きっと当時の言語学者にとっては嫌な存在だったんだろうと想像します。(私が当時の言語学者だったらチョムスキーに「空気読んだほうがいいんじゃない?」とアドバイスしていたかもしれませんね。)

20代の若さでこの論に辿り着いたチョムスキーは、“チョムスキー以前/以降”と時代を区切れるほどに、言語学を根本的に変えてしまいました。また、生成文法理論は認知科学や脳科学、コンピューターサイエンスなど、その他の分野にも大きく影響していきます。

そんな普遍文法理論ですが、問題もありました。実体をとらえにくい、言語能力(linguistic competence) に集中しすぎて、実際の言語運用
(linguistic performance)は研究の対象にされないので、言語教育との関連性があまりみられない、などと批判されました。

またチョムスキーは(このブログで過去に取り上げた)ソシュールフンボルトにも影響を受けています。どのように影響を受けたのか研究すると面白そうですね。

参考 第二言語習得論 アルク
新版 日本語教育事典
「チョムスキー」 田中克彦


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<めざせ語学マスター>「宇宙へ」は行くけれど「トイレへ」は行かない?―「へ」と「に」の違い

2021年8月24日

先週の「は」と「が」の違いを書いていると、ずっと前、確かフランス留学中(もう20年以上前・・・)に、日本語を勉強しているという友人から言われた言葉を思い出しました。

「私、日本語の「へ」と「に」の違いが分かったわ。遠くに行くときには「へ」で、近くに行くときには「に」なんでしょう。だから「宇宙へ行く」で、「トイレに行く」。「トイレへ行く」は言わないのよね。」

ひどく納得した感じの彼女に「え・・トイレへ行く、も言える気がするけれど・・・」と思ったものの、「へ」と「に」の違いについてはっきりした説明ができませんでした。「トイレへ行く」も言う気がしますし「宇宙に行く」も言う気がします。一体「へ」と「に」に違いがあるのか、20年以上たった今、解明してみたいと思います。

「新版 日本語教育事典」を開くと・・・すぐに結論がありました!

■目的地を表す「に」と「へ」
方向性をもった主体の移動を表す動詞では、「に」と「へ」どちらも用いることができる。

主体の移動を表す動詞とは、「行く」「写る」「帰る」「寄る」「向かう」などです。

だから
「宇宙に行く」、「宇宙へ行く」も

「トイレへ行く」、「トイレに行く」も

問題ないのです!

また、NHK放送文化研究所の方向を表す「に」と「へ」では下のように書かれています。

  (台風が)「北に向かっている」と「北へ向かっている」の「に」と「へ」は格助詞で、いずれも、「向かう」という移動を表す動詞の到達点や方向性を示しています。一般的に、「に」が到達点そのものに焦点が当てられているのに対して、「へ」はそれよりも広い範囲、つまり到達点とともにそれに向かう経路や方向性に焦点が当てられています(『みんなの日本語事典』参考)。台風の進路を伝える場合は、台風が向かう到着点が決まっているわけではなく、重要なのは「向かう方向」なので、どちらかというと「北へ向かっている」のほうがいいかもしれません。

その観点で考えると、「宇宙」のほうが範囲が広いので「へ」のほうが適している気がします。到達点そのものに焦点が当てられている、という点ではトイレは「に」のほうが適しています。でも「どこ行くの?」「ちょっとトイレへ」とも言えるし(方向性に焦点が当てられているのかもしれませんが)、入れ替えは可能です。

しかし、「へ」と「に」をどこでも入れ替え可能かといえばそうではありません。

「に」は使えるが「へ」は使えないのは、主体や対象の具体的な移動を伴わない場合です。
目的が相手を表す文では「へ」は使えません。つまり
「彼に会う」はいいますが「彼へ会う」はいいません。

また、「黒板に紙を貼った。」(「黒板へ紙を貼った。」はあまり言わない)、「かばんに本を入れてある。」(「かばんへ本を入れてある。」はあまり言わない)のように動作後に対象物がその場所に行きついた状態であることを表す場合にも「へ」は適しません。

逆に「に」は適さないけれど「へ」ならいける、という場合もあります。

「ゴールへのシュート」は言えますが「ゴールにのシュート」は言えません。

「へ」のあとに引用の「と」が続く「学校へと急ぐ保護者」はいえますが「学校にと急ぐ保護者」とは言いません。

「衆議院解散へ」「ごみはくずかごへ」「マネージャーと結婚へ」「コンビ解散へ」などの新聞やニュースの見出しなど、助詞「へ」で終止する言い方の場合は「に」ではなく「へ」を使います。

では次はどうでしょう。

「工場へ走る」「工場に走る」はちょっと不自然な気がしませんか?
これら「歩く」「走る」「泳ぐ」「這う」など、移動そのものというよりは、移動の様態や方法を表す動詞は「へ」や「に」があまり適していません。方向を表すなら「まで」のほうがしっくりします。
「工場に(へ)走った」という場合は「走る」という身体的動作より工場という場所へ「向かう」の意味が強くなります。

では次の用法はいかがですか?

確かに「妻に怒られた」は言えても「妻へ怒られた」とは言えなそうです。
でも・・・あれ?この用法は上記のような「へ」か「に」かの問題でしょうか。カテゴリーがちょっと違うような・・・。

実は、これは上で述べてきた「目的地」を表す「に」と「へ」の問題ではなく、「に」の「使役・受身の動作主」という用法により生じている問題です。この場合はもちろん「へ」に置き換えられません。

では、「に」には他にどのような用法があるんでしょうか。

日本語教育能力試験の解説に詳しい「毎日のんびり日本語教師」のサイトでは以下の用法が記載されています。

1. 移動の到着点(「実家に帰る。」)
2. 変化の結果(「雪が雨に変わった。」)
3. 授受の与え手・受け手(「友達にプレゼントをあげた。」)
4. 動作の目標・到達点(「これから上司に会う。」)
5. 使役・受身の動作主(「私は先生に褒められました。」)
6. 存在する場所(「空に飛行機雲があります。」)
7. 動作の目的(「流れ星を見に行く。」)
8. 原因・理由(「根拠・お金に困っている。」)
9. 時間(「明日朝8時に出発する。」)
10. 基準(「私の家は駅に近い。」)
11. 割合(「1年に1回献血する。」)
12. 状態の主体(「私には夢がある。」)
13. 内容物・付着物(「希望に満ち溢れた顔。」)
14.領域・範囲(~にとって)(「私には難しい。」)

途方もなく多いです。(英語の前置詞も辞書に多くの用法が記されていましたがそれを思いだします。)

こうなると「に」と「へ」の違いだけでなく、別の疑問もわいてきます。

◇ 場所を表す「に」と「で」の違いは?(「空き地にごみを捨てる。」VS.「空き地でごみを捨てる。」)
◇ 時を表す「に」の使用・不使用の違いは?(「3日後にくる。」VS.「3日後くる。」)
◇ 時を表す「に」と「で」の違いは?(「3時に閉まります。」VS. 「3時で閉まります。」)
◇ 起因を表す「に」と「で」の違いは?(「大地震に家が倒壊した。」VS.「大地震で家が倒壊した。」)
・・・

エンドレスです。

結論:「宇宙へ」と「トイレに」の場合、「へ」と「に」は入れ換え可能。しかしこの問題は「に」という助詞のもつ問題の一つでしかない。・・・助詞の問題はしんどいですね。(鍋田)


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「は」と「が」の違い
ネイティブチェックは「ネッチェッ」になるか。拍(モーラ)と音節
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