左はキリル文字で「モンゴル語」、右はモンゴル文字で「モンゴル語」と書いてある。モンゴル文字は縦書きで左から右へ書く。
モンゴル語に対する認識は、我が国では残念ながら高いとは言えない。直接標題の疑問に答えるだけでなく、多少回り道して、是非知っておいていただきたいと筆者が考える点にも触れようと思う。
1 モンゴル語の言語的特徴について
モンゴル語は、北隣のロシア語と似ているのではと考える人もいれば、一方で南隣のシナ語(いわゆる中国語)と似ているのではと考える方も多いので、ロシア語だけでなく、シナ語との関連も含めて考えてみたい。
複数の言語を比較する際に用いられる手法に、類型論的方法と比較言語学(歴史言語学)的手法がある。類型論的方法とは何かについては、「<めざせ語学マスター>日本語は膠着している」を参照願いたい。その中で、ロシア語は屈折語、シナ語は孤立語、そしてモンゴル語は日本語と同じ膠着語に分類されている。つまり、この3言語は、地理的に隣り合っていても、タイプが全く異なるということになる。と言っても、なかなかピンと来ないかと思うので、実際の文章で見てみよう。ただ、膠着語等の性質は上記のブログに譲るとして、ここでは主に語順に着目して見てみたい。
日本語:モンゴル語に関心を抱く学生の人数が急激に増加した。
ロシア語:Число студентов, интересующихся монгольским языком, резко увеличилось.
数が 学生の 関心を持たされている モンゴルの 言語により 急激に 増加した
シナ語: 对蒙语感兴趣的学生人数急剧增加。
对(に対し)蒙(モンゴル)语(語)感(感じる)兴趣(興味)的(の)学生人数(学生の人数)急剧(急激(に))增加(増加(した))
モンゴル語:Монгол хэлийг сонирхон суралцагчдын тоо эрс нэмэгджээ.
(「語幹-助詞」) (хэл-ийг) (сонирхо-н) (суралцагчд-ын)
モンゴル 語-を 面白いと思-い 学ぶ人たち-の 数(が)急激に 増加した。
注目していただきたいのは、「~人数が」までに相当する箇所であるが、ロシア語は英語等と同じで、日本語とはほぼ真逆の語順になっている。シナ語の語順は、日本語に近い部分もあるが、前置詞のような働きをする語があったり、動詞+目的語の順になっていたりする箇所は、やはり日本語とは異質である。それに対し、モンゴル語の語順は日本語と全く同じということにお気付きかと思う。日本語の格助詞や接続助詞に相当する部分をハイフンで分けて示したが、これも日本語の感覚に非常に近いと言っていいだろう。
次に、比較言語学(歴史言語学)的観点から見たらどうであろうか。比較言語学について詳しく書くことはできないが、大雑把に言えば、複数の言語間に規則的な音の対応を見出し、太古の昔に存在したと仮定される共通の祖先から枝分かれして現在に至っているという系統関係(親縁関係)を探る方法ということだ。
ロシア語は、インド・ヨーロッパ語族のスラブ語派に分類され、同じ語派のポーランド語やブルガリア語等とはきょうだい、同じ語族の英・独・仏語やペルシア語、ヒンディー語等とはいとこのような間柄だ。シナ語はシナ・チベット語族(諸語)に分類され、チベット語やビルマ語等と親縁関係があるとされる。さて肝心のモンゴル語については、どこに分類されるのだろうか。(ウラル・)アルタイ語族(諸語)という言い方になじみのある方は多いのではないだろうか。アルタイ諸語というのは、一般的にモンゴル諸語、テュルク諸語(トルコ語、ウイグル語等々)、ツングース諸語(満洲語、エヴェンキ語等々)をまとめて指す表現だ。しかし、モンゴル諸語やテュルク諸語それぞれの構成言語間の親縁関係は明らかなものの、モンゴル諸語とテュルク諸語、ツングース諸語の間の系統関係の有無については、立証されていない。また、アルタイ諸語とウラル諸語(語族)(ハンガリー語、フィンランド語等)の類似も指摘されているが、ここでは立ち入らない。
結論として、モンゴル語は、類型上も系統上も、ロシア語、シナ語両言語とはつながりがないということになる。
2 モンゴル語を表記する文字について
標題の疑問は、正確には、「なぜモンゴル国ではキリル文字を使う?」とした方がよい。なぜか?モンゴル語は、世界各地にあるように、国境をまたがって使用されている言語で、そのモンゴル語世界の中でキリル文字を使用しているのは、モンゴル国(とロシア連邦内のモンゴル諸語であるブリヤート語とカルムイク語)だからだ。中華人民共和国が指定した56民族の一つでもあるモンゴル族(人)(ちなみに人口はモンゴル国のモンゴル人を上回る。主に内モンゴル自治区に居住。)が使用するモンゴル語はキリル文字を使用しない。
モンゴル語世界では、かつてのモンゴル帝国の時代から、(旧)モンゴル文字が使用されてきた。標題の下に、キリル文字と並べて示した縦書きの文字だ(両文字で「モンゴル語」と表記)。世界史の教科書で、モンゴル語のために考案されたパスパ文字をご記憶の方もいるかと思うが、この文字は元朝崩壊以降廃れた。前世紀の20年代にモンゴル語世界の中央部に独立国が樹立された(当時の名称はモンゴル人民共和国)が、そこでは、旧ソ連の強い影響の下、文字改革が断行され、1940年代にキリル文字に移行した。ロシア語で使用する33文字に2文字を加え、35文字でこの国で標準とされているハルハ方言を書き表す。社会主義体制を擁護するわけではないが、この文字改革により、識字率が飛躍的に向上したということだ。(旧)モンゴル文字の綴りは現代の口語とかけ離れており、口語を基にしたキリル文字正書法が有利に作用したと言えるだろう。一方、後でも触れるが、一つながりのモンゴル語世界を文字面で分断した負の側面も忘れてはならない。なお、キリル文字に移行する前に、一旦ラテン文字化の方針が示されたが、これが覆された経緯も当時のソ連の政治状況と絡んでいて興味深い。この流れは、旧ソ連を構成していた中央アジア等の言語とも共通する。1990年代に民主化されモンゴル国となり、(旧)モンゴル文字復活の機運が高まり、教育でも導入されたが、現在に至るまで、依然としてキリル文字表記が幅を利かせている。
文字圏という概念は、基本的に宗教圏と重なることが多い(例:同じスラブ語派の言語でも、カトリックが優勢なポーランドやクロアチアではラテン文字、正教圏のブルガリア等ではキリル文字。また、イスラム圏でのアラビア文字。)が、モンゴル語を含む旧ソ連圏では、宗教とは関係ない。
一方、中華民国、そして中華人民共和国の版図内にとどまったモンゴル人は、現在に至るまで一貫して、(旧)モンゴル文字を使用している。中華人民共和国の紙幣を注意して見ると、シナ語の他に、(旧)モンゴル文字によるモンゴル語の表記もある(他にチベット語、ウイグル語、チワン語)。
つまり、国境を挟んで、南北のモンゴル人は、口語では相互意思疎通は可能なものの、書き言葉上は分断されているという状況だ。
以上、モンゴル語の言語的特徴及び使用文字について、近隣言語との関連性を軸に見てきた。日本で主に学ばれるのは、ヨーロッパの主要言語とシナ語がほとんどであり、日本語は世界でも特殊な言語だという誤った認識(文字使用の面のみ見れば、特殊と言えるかもしれないが)につながっていることを考えると、モンゴル語(朝鮮語やトルコ語でもよい)等日本語とよく似ている言語を一つでも知ることは、バランスの取れた世界認識のためには欠かせないと考える。
またそれと合わせて、言語世界を国家単位でのみ見てはならないということも強調したい。大言語の陰で衰退の道を辿っている言語がある(何重もの意味で)ことも、今回モンゴル語世界全体を見たことをきっかけに、忘れないようにしたい。もちろん我が国内の言語についても例外ではない。(一老いぼれ職員)
(小文の見解は筆者個人のものであり、必ずしも㈱フランシールの公式見解ではありません。)
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