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<ある通訳の日誌>詩の世界 詩のこころ 4

2021年9月17日

詩の世界 詩のこころ
橋爪 雅彦
1
フィッツジェラルド
森(もり) 亮(りょう)訳
オーマー・カイヤム「ルバイヤート」四行詩

―前回の続きー
4.「一国の王様よりも幸せ」という世界
ルバイヤート第十一歌(森 亮訳)
ここにしての下かげに歌の巻
酒の一壺、かてし足り、かたへにいまし
よきうたを歌ひてあらばものににず、
あら野もすでに楽土かな。

木陰にて詩集を開き、美味しいワインとわずかなパンと、そして貴女あなた
私の脇で、あなたが歌えば、何物にも代えがたく、
ああ、あら野も天国だ。

―Edward Fitzgerald  ―Ⅺ―
(フィッツジェラルド第十一歌)
Here with a Loaf of Bread beneath the Bough,
A Flask of Wine, a Book of Verse ­ and Thou
Beside me singing in the Wilderness ­
And Wilderness is Paradise enow.

これもまた美しい韻律です。Bough、Thou、enowと[au]で脚韻します。名詞を大文字で書くのもやや古風な形です。enowはenoughの古形にあたります。Thouは二人称主格にあたる古語です。

森 亮の文語訳も見事です。中国の漢文訓読調から古事記、日本書紀、そして万葉集、古今和歌集、新古今和歌集などの膨大な古典的教養を自己薬籠中のものにしている彼のような博学な翻訳者に比べると、私などは恥ずかしい限りですが、この詩には私なりの思い入れがあり、あえて私の無学を顧みず訳してみました。もちろん文語調では不可能で、現代語で訳しました。

この詩は、現実に起こり得ている状態を歌っているので直接法現在です。さて、そうだとすると、もし私なら、この詩をどういう風に翻訳するでしょうか。

「砂漠なる地の大枝おおえだもと ワイン傾け
一冊の詩集とわずかなるパン ­ そして貴女あなた
私のかたわらであなたが歌えば、ああこの砂漠さえ
完璧な天国であると 私の心は満ちたりる!」(拙訳)

■ ワインのこと
19世紀のイギリスでは、ワインは普通に飲まれるアルコール飲料でした。フランスのボルドーもかつてイギリス支配の地域でしたから、ボルドーからイギリスへは盛んにワインが輸出されていました。
ところが、日本では、カイヤムの詩を翻訳し始めた明治の時代、wineは「お酒」あるいは「葡萄の酒」「葡萄酒」いう風に訳す以外、一般の人には理解できないものでした。

私が子供時代を送った昭和20年代でさえ、日本ではワインという飲み物は珍しいものでした。
一般の家庭でもレストランでもワインを手元に置く習慣はありませんでした。また大人たちが催す宴会でも、ワインはありませんでした。わずかに「赤玉ポートワイン」という名称のワインらしきお酒は市販されていましが、現在市販されているワインとは相当かけ離れたものでした。

思えば、隔世の感があります。
明治5年に群馬県の富岡に日本で最初の官営富岡製糸場ができ、フランス人たちがやってきて日本の女性たちに生糸の器械生産を教えることになりました。が、肝心の日本の若い女性たちがなかなか応募してきません。その理由は、フランス人たちが、夜な夜な赤い血を飲んでいるという噂でした。「とてもじゃないけど、自分の娘をそのような吸血鬼の所へ働きに出すわけには行かない。娘の血が吸われてしまう」という親の反対もあって、富岡製糸場の工女募集はかなり難儀なものでした。

Christian Polak著「絹と光 日仏交流の黄金期」HACHETTE―FUJINGAHO社刊より転載しました。

器械製糸での生糸生産が、外貨獲得のための近道であるという明治政府は、どうあっても器械製糸を稼働させる必要に迫られており、日本の近代化のためにという大義名分を喧伝し、最初は、武士階級や地主階級の若い女性たちを富岡製糸場へ動員するという形をとりました。
当時、各県の県庁からは県下の村長宛てに「13歳より25歳までの女子を富岡製糸場へ出すべし」というお達しが回り、若い女子を持つ親たちは随分と悩んだ様子が、富岡製糸場の工女になった和多英子の日記に書いてあります。
「やはり血をとられるのあぶらをしぼられるのと大評判になりまして、中には、『区長の所に丁度年頃の娘があるに出さぬのが何より証拠だ』と申すようになりました。」(和田英子 富岡日記より)。
そんな風潮のなかで、区長(村長)であった英子の家では、父親も一大決心して英子を富岡製糸場へ出すことになった次第で、当時の日本の田舎では、異人たちが若い娘の血を取って、ああして毎晩飲んでいるのだと思われていました。それがワインでした。

ギヤマン(ガラス)の器で赤い血を飲むフランス人。近郊近在の人たちには恐怖の対象でした。が、和田英子の日記にもありますように、最初は恐怖の対象でしたが、フランス人たちと働いているうちに、フランス人たちに進められてワインを飲んでみると、結構美味しいので、ワインに対しての偏見は次第に無くなっていきました。

明治、大正、そして昭和の半ばまで、ワインは「酒」とか「葡萄酒」とかに訳されていました。日本人の日常生活の中では、ワインはほとんどその存在を認められていませんでした。

さて話をこの詩に戻しますと、
広大な砂漠の中にあるぽつんとした一本の木、その緑なす大枝の下で、若い美女を相手にワインを傾け、詩集を開き、美女が歌い、わずかなるパンを食するとは。

私には、サハラ砂漠での生活が多少ともありますが、ある日、冷蔵コンテナで運ばれてきた生野菜(レタス、タマネギ、ニンジン等)をドレッシングをかけて生のまま食べたことがあります。コンテナを改良したハウスの中から目の前に広がる砂漠を見つつ…
砂漠ではいうまでもなく生の野菜は一切育ちません。
その野菜を眼前の砂漠の中で食するとは、人間って、本当に心理的な生き物だな、という感を強くしました。普段、都会の生活の中で食べている生野菜よりも数十倍もおいしいという事実。同じ生野菜でありながら、格段に違うのです。

ましてこの詩のように、砂漠の緑なす木の下で、砂漠の地では生産できないワインを傾け、また砂漠の地では育たない小麦、その小麦からなるパンを食し、若いピチピチの美女を相手なら、これはもう一国を支配する王様よりも幸せな気分でしょう。

はからずも一国の王様よりもと云いましたが、実は、この詩の別のヴァージョン Justin Huntly MacCarthyが訳したマッカシー版では、次のようになっております。

MacCarthy (449) マッカシー版(第449章)
Give me a flagon of red wine, a book of Verses, a loaf of bread, and a little idleness. If with such store, I might sit by the dear side in some lonely place, I should deem myself happier than a king in his kingdom.
(私にひと瓶のレッドワインと一冊の詩集とわずかな自由を与えてください。これだけあれば、そしてどこか人気のない場所で、愛する者のそばに座ることができたなら、私はかの王国における王よりも自分を幸せだとみなすでしょう。)

―続くー

<めじろ奇譚>二つの意味を一つのことばに詰め込んだportmanteau語

2021年9月16日

英語で「portmanteau」といえば、もともとは、両開き式の旅行かばんを指していた。今はローリングスーツケースやリュックなどの普及により、このタイプのかばんはほとんど見かけませんが、「portmanteau」という言葉は2つ以上の単語とその意味を融合して作られた言葉を指す用語として今でも使われています。(ちなみに、「portmanteau」という言葉はフランス語からの借用語ですが、言語学用語のportmanteau語に該当するフランス語は「mot-valise」(かばん語)となります)。

英語ではこのような言葉を「portmanteau」と呼ぶようになったのは、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』で、ハンプティ・ダンプティというキャラクターがlithe(柔軟な)とslimy(ヌルヌルした)の組み合わせから作り上げた「slithy」という言葉を主人公のアリスに次のように説明したことから始まります。

「You see it’s like a portmanteau – there are two meanings packed up into one word」
(「おわかりのように、かばんみたくなっておるわけ――二つの意味を一つのことばにつめこんであるのだ」)。

Portmanteau語の例:

Brunch (ブランチ) = breakfast(朝食)/ lunch(昼食)
Cosplay (コスプレ) = costume(コスチューム)/ play(プレイ)
Cyborg = cybernetic (人工頭脳学の) / organism (生命体)
Malware (マルウェア) = malicious (悪意のある) / software(ソフトウェア)
Paralympic Games (パラリンピック) = paraplegic (対麻痺) / Olympic(オリンピック) (パラリンピックの起源が脊髄損傷者のリハビリの一環として行われた大会です。)
Smog (スモッグ) = smoke(煙)/ fog(霧)
Webinar (ウェビナー) = web(ウェブ)/ seminar(セミナー)

この他にも、複合語(compound word)や音節の略語(syllabic abbreviation)など、2つ以上の単語を組み合わせた言葉があります。Portmanteau語と、「seatbelt」などの複合語との違いは、複合語はその構成要素の元の単語(この場合は「seat」と「belt」)に分解できますが、portmanteau語の場合は、構成するすべての単語が完全には含まれていないため、このように分解できません。例えば、「brunch」というportmanteau語をどのように分解しても、意味のある単語が一つもできません。また、「cosplay」の場合は、「play」はそれだけで一つの単語にはなりますが、「cos」という単語は存在しません。
(構成要素となる単語のいずれかが完全な状態で含まれている場合は真のportmanteau語ではないという定義もありますが、それでも「cosplay」はportmanteau語として分類されることが多くて、この定義について意見が分かれているようです。)

一方、音節の略語とは、例えば「Interpol」(International + police)のような複数の単語の頭の音節から形成された言葉です。

なお、「portmanteau」という言葉自体は、フランス語の「port」(運ぶ)と「manteau」(コート)という2つの言葉を組み合わせたものですが、portmanteau語ではなく、複合語です。

Portmanteau – two meanings packed up into one word

In English the word ‘portmanteau’ originally referred to a type of suitcase that opens into two halves with a hinge in the middle. While this type of suitcase has mostly fallen out of fashion with the popularization of rolling suitcases and modern backpacks, the word portmanteau lives on in the English language as a term for words created from a fusion of two or more existing words and their meanings. (Incidentally, although the word ‘portmanteau’ is a loanword from French, the French equivalent for this linguistic term is ‘mot-valise’, literally meaning ‘suitcase-word’.)

The use of the word portmanteau to refer to these kinds of words started with Lewis Carrol’s Through the Looking Glass, where the character Humpty Dumpty explains the made-up word ‘slithy’ (a combination of ‘lithe’ and ‘slimy’) as “like a portmanteau – there are two meanings packed up into one word”.

Some examples of portmanteau words are:

Brunch = breakfast/lunch
Cosplay = costume/play
Cyborg = cybernetic / organism
Malware = malicious/software
Paralympic Games = paraplegic + Olympic (due to its origins as games for people with spinal injuries)
Smog = smoke/fog
Webinar = web/seminar

There are other types of words that are a combination of two or more words, such as compound words and syllabic abbreviations. What differentiates a portmanteau from a compound word such as ‘seatbelt’ is that while a compound word can be broken back up into separate usable words (‘seat’ and ‘belt’ in this case), this is not possible with a portmanteau since it does not contain all its constituent words in full. For example, breaking up the word ‘brunch’ into ‘br’ and ‘unch’ (or in any other way) does not result in any proper words at all, and although the word ‘play’ in ‘cosplay’ is a word on its own, ‘cos’ is not. (According to some definitions, a true portmanteau word cannot contain any of the full words it is made up of, but ‘cosplay’ is nonetheless frequently mentioned among portmanteau words so it would appear not everyone agrees with this definition).

Syllabic abbreviations on the other hand, are usually defined as abbreviations formed from the initial syllables of multiple words, such as in ‘Interpol’ (International + police).

The word ‘portmanteau’ itself is a combination of the two words ‘port’ (carry) and ‘manteau’ (coat), but since its constituent words are both included in full is not a portmanteau word, but rather a compound word.

 

<めざせ語学マスター>英語は聞いていたらペラペラになる・・・か?(クラッシェンのモニター・モデル)

2021年9月14日

ネイティブのように英語や他の言語を話したり書いたりできるようになりたい、もっと自然に話せるようになりたい・・、と思ったことはありませんか?またそのために学校に通ったり、文法を覚えたり、単語を覚えたりしたのではないかと思います。たくさん勉強したら話せるようになるはず・・・と信じて。

昭和の英語教育。それは「This is a pen.」と先生が言えばそれを繰り返す、という方法がとられていました。何度もカセットなどでネイティブの発音を聞いて、繰り返して言い、なるべくネイティブの発音に近づけていく・・・。そのような繰り返しの学習はオーディオ・リンガル法と呼ばれており、文系練習(パターンプラクティス)をたくさん行うものでした。

しかしそれも今は昔。

現在は数々の外国語習得方法がネットでも本屋さんでも取り上げられていて、どれを選んだらいいかわからないほど。

今日はそんな中から、1970-80年代にアメリカの言語学者クラッシェンが提唱したモニター・モデルを紹介します。彼の仮説はその後アメリカのスペイン語教師テレル(T.Terrell)によって発展し、以降「ナチュラル・アプローチ(Narurel approach)」と呼ばれるようになりました。この教授法は日本語の現在の英語教育法にも大きな影響を与えています。

彼はもし第二言語を習得するなら、理解可能なインプットに自分をさらすべきだ、と言っていますが、それはどういう仮説に基づいているのでしょうか。(厳密にいうと「第二言語」とはその言語がその社会でコミュニケーション手段として使われている言語で、アメリカに住む日本人が学ぶ英語や、日本で生活する外国人が学ぶ日本語にあたり、日本で勉強する英語や外国で勉強されている日本語は「外国語」と呼ばれますが、特に下記に記す「第二言語習得論」ではあまり区別をしていません。)

アメリカの言語学者、スティーヴン・クラッシェン(Stephen Krashen, 1941年 2021年現在80歳)は、今も南カリフォルニア大学の名誉教授です 。これまで第二言語習得理論や、バイリンガル教育、神経言語学、読書教育論などの多くの仮説を提唱してきました。

クラッシェン氏は、1970~1980年代にかけて、まとめて「Monitor Model(モニターモデル)」と呼ばれる第二言語習得に関する5つの有名な仮説を打ち出しました。

(1) 習得―学習仮説(The Acquisition – Learning Hypothesis)
(2) 自然順序性仮説(The Natural Order Hypothesis)
(3) モニター仮説(The Monitor Hypothesis)
(4) 入力仮説(The Input Hypothesis)
(5) 情意フィルター仮説(The Affective Filter Hypothesis)

先日のブログに1950年代、チョムスキーが普遍文法理論 で革命を起こしたと書きましたが、そのチョムスキーは「言語能力(linguistic competence)」そのものに焦点をあてており、「言語運用(linguistic performance)」をあまり対象としていませんでした。
クラッシェンはその「言語運用」に焦点をあて、どうやったら「言語能力」を「言語運用」に生かすことができるかを、言語運用から教室指導まで幅広く研究し、ナチュラル・アプローチという新しい教授法にまで発展させました。彼のモニターモデルは、上記の5つの仮説がセットで基盤になっています。以下にそれぞれの仮説を見ていきましょう。

(1) 習得―学習仮説(The Acquisition – Learning Hypothesis)

クラッシェンは習得(Acquisition)は無意識な言語習得過程であり、赤ちゃんが言葉を覚えていく第一言語習得の過程と基本的に同じであるとしています。逆に彼によると、学習(Learning)は意識的な過程であり、言語についての知識を身に着けるプロセスであるとしています。

習得と学習って違うの?と思うかもしれません(少なくとも私は「どっちも同じじゃないの?」と思いました。)。日本語同士が似ているのでとまどうかもしれませんが、英語のまま「習得」を”Acquisition”と「学習」を”Learning”として、あるいは「習得」は「獲得」として読んだほうが分かりやすいかもしれません。

クラッシェンの“Principles and Practice in Second Language Acquisition” Stephen D Krashen University of Southern Californiaでも彼は習得と学習をそれぞれを以下のように全く別物として説明しています。

習得(Acquisition)は潜在意識のプロセスです。言語習得者は通常、言語を習得している事に気づいておらず、コミュニケーションにその言語を使用している、という事にしか気づいていません。言語習得の成果、つまり習得した能力も潜在意識です。私たちは通常、習得した言語の規則を意識的に認識していません。その代わり、私たちは正しさに対する「感覚」を持ちます。どんな規則に違反したかを意識的に知らなくても、文法的に正しい文は「正しく」聞こえ、「正しく」感じますが、正しくない文には間違っていると感じます。言語取得方法には、暗示的学習(implicit learning)、非公式学習(informal learning)、やナチュラル・ラーニングなどがあります。単純に表せば、言語習得とは言語を「pick-up(勉強するのではなく自然と覚える言語)する」ことです。

第二言語習得方法の二つ目は、学習(Learning)によるものです。言語学習とは、ここでは第二言語についての意識的な知識、言語規則の知識や認識などについて学ぶことです。単純に表せば、言語学習とはある言語について「知る」ことであり、「文法」や「規則」です。ある言語の形式的な知識(formal knowledge)、明示的学習(explicit learning)と同じです。

つまり習得(Acquisition)は私たち日本人が日本語を覚えていくようなプロセスで、学習(Learning)は学校で文法などを勉強するようなプロセスです。クラッシェンは第二言語においても習得(Acquisition)は可能としていますが、習得と学習は互いに独立した過程であり、学習が習得に代わることはないとも述べています。(ノン・インターフェイスの立場)

つまり、言語の習得は数学や社会などとは違って、勉強すればできるものではなく、無意識レベルのプロセスであり、その習得には以下(4)に述べるような「理解可能なインプット」を施していくことが重要だと説きます。

勉強したからって・・


ペラペラしゃべれるわけではない。

(2) 自然順序性仮説(The Natural Order Hypothesis)
文法構造は大人でも子供でも、どの言語であっても、たとえ教室で教えられる順番が違っていても、習得には一定の順序がある、という仮説です。

アメリカの心理学者、ブラウン(Roger Brown)は、1970年代初め、別々の地域に住む3人の子供が第一言語として英語を習得する様子を分析し、子供の言語習得方法には、特定の文法形態素または機能語から始まる、一定の順序があることを発見しました。たとえば「進行形語尾-ing ( “He is playing baseball”)」と「複数形/s/(”two dogs”)」は最初に習得され、「3人称単数の/s/(as in “He lives in New York”)」や「所有格の/s/(“John’s hat”)」は通常その後6か月から1年後あたりで習得される、というものです。

ブラウンの結果が発表された直後、デュレイとバート(Dulay and Burt(1974、1975))は3つの地域でスペイン語母語話者の子供たちがどうやって英語を習得していくかを研究し、第二言語として英語を習得する子供たちにも、文法形態素の「自然な秩序」があることを発見しました。さらに中国語を母語とする子供の英語習得についても調べ、英語を第二言語として習得する子供たちの習得順序には、英語を第一言語として習得する子たちと比べると順序は異なるものの、共通する順序があるという結論に至りました。この結果は、その後多くの研究者によって確認されました(Kessler and Idar、1977; Fabris、1978; Makino、1980)。

さらにクラッシェンたちは、成人の被験者にも子供の第二言語習得で見られる順序と非常に似た順序を発見しました(Bailey、Madden、およびKrashen(1974))。 クラッシェン(1977)の下の表は、第二言語習得における平均的な順序を示します。

(英語の例はこちらのサイトから:Grammatical Morphemes in Order of Acquisition*Based on Brown (1973))

このような形態素順序の研究は広がりを見せました。しかし、日本人の英語習得の事例研究では、子供でも中学生でも上記のような順序は示されませんでした。もっとも大きな違いは「複数」と「冠詞」の習得が遅いことでした。これらの要素が日本語にはないからだと研究者たちは考え、第二言語習得には、母語の影響があると考えられました。

(3) モニター仮説(The Monitor Hypothesis)
先に述べたように、クラッシェンの理論では、言語の実際的な運用は「習得(Acquisition)」によるのであって、「学習(Learning)」により行うものではありません。しかし、「学習」によって学んだ文法規則などの知識は、発話や文を訂正したり変更したりするモニターとしての働きを持っていると考えます。


「習得」されたシステムによる発話を、「学習」は形式を発話前あるいは後で変更するために機能します(「主語が三人称単数だから動詞にはsをつけなくちゃ」など)。しかし、通常の流暢な発話は習得されたシステムによってしか発生しません。

しかも、モニター機能は下の条件がそろわなければ働きません。
① 時間があるとき(文法などにとらわれていると通常の会話ができなくなるし、相手の発話の意味に注意を払えません)
② 言語形式に焦点を合わせるとき(言語の意味に焦点をあてる場合はスピードも速い)
③ 言語の規則を知っているとき(とはいえ学校で教わる文法は全部の文法の一部のみ。とても優秀な学生にだって難しい)


あわてているとモニター機能も働かない。

(4) 入力仮説(The Input Hypothesis)
上記のとおり、クラッシェンの仮説では、習得(Acquisition)が中心的で、学習(Learning)は周辺的でしかありません。そのため、彼にとって教育の目標は「習得」を強化することでした。では言語はどうやって習得できるのか。彼は、自然秩序仮説が正しいなら、ある段階から次の段階にどうやって進めるのかが重要と考えました。現在の言語の習得度合が「ステージ4」なら、どうやって「ステージ5」に進むことができるのか? 「ステージi」から「ステージi + 1」に移動するために必要な条件とはなんだろう?と考えたのです。

クラッシェンは習得者が「i + 1」を含む入力(input)を「理解する」ことが必要だと考えました。つまり、「理解する」とは、習得者がメッセージの「形式」ではなく「意味」に焦点を合わせていることで、私たちの現在の能力を「少し超えた(i+1)」言語を理解したときにのみ、私たちは「習得」できるとしました。

でも、現在の能力を「少し超えて」いるのなら、そもそも理解できないのでは?しかしクラッシェンは「i+1」を理解させるためには、言語能力以上のものを使用すればいいと考えました。それは絵でもいいし、知識でもいいし、その他の教材でもいい、言語以外の情報を使えば可能だというのです。また、理解可能なだけでなく、興味を引く内容のインプットであればさらに習得は促進されると考えました

クラッシェン先生の動画があります。
中で彼はレッスン1としてドイツ語をただ読み上げ、レッスン2として身振り手振りや絵を加えて同じドイツ語を示していきます。(動画3分半くらいのところ)そうして同じ表現でも工夫をこらせば相手に伝わることを証明してみせています。

同じ動画の8分ごろにはお隣に住んでいた日本人の「イトミ」(4歳)の話も出てきます。彼女はクラッシェンの問いかけに5ヵ月間一言も返しませんでした。しかし、5ヵ月を過ぎたころから急にたくさん英語を話しだします。しかもその英語の発達具合も他の子供たちと違いがなく、1年後には近所の子供たちと問題なくコミュニケーションをとれるまでになったとか。

(*YOUTUBEは右下のsettingで字幕がつきます。言語も英語、その他を選べますので是非試していてください。)

(5) 情意フィルター仮説(The Affective Filter Hypothesis)

上の動画の後半でも話していますが、クラッシェンは感情要因が第二言語習得の成功に関連すると言っています(Krashen、1981)。その感情要因とは以下の3つです。
(1)動機。高いモチベーションを持つ人は、第二言語習得で良い成績を収めます。
(2)自信。自信があり、自己イメージが良い人は、第二言語習得がうまくいきます。
(3)不安。不安がなければ、第二言語習得がうまくいきます。

感情の影響(情意フィルター)は、言語獲得装置(LAD)(チョムスキーで出てきましたね)の手前にあり、インプットが言語獲得装置に入る前に妨害または促進するように作用します。

不安はゼロに近ければ近いほどよく、そのため発話などに間違いがあってもむやみに訂正をしないいほうがいいとクラッシェンは考えました。

インプット仮説と情意フィルター仮説によれば、良い語学教師は、理解可能な(かつ面白い)インプットを提供しつつ、学習者の不安も和らげられる人です。また、スピーキングやライティングよりリスニングとリーディングのほうが重要だとされています。

よく本を読む子は良い文章を書き、ボキャブラリーも豊富になると言いますし、保育園でたくさんのお話を聞いた子は10歳時の言語能力が高いそうです。インプット仮説はこれと同じように、言語に触れることと言語能力に相関性があると考えます。つまり、学業として学ぶことより、その言語にさらされることが重要となります。

現在日本の小学校でも英語は必須になりました。私の子供(小学生)も文法こそ学ばなくても「Head and shoulders, knees and toes, knees and toes Head and shoulders♪」と歌いながら踊っていたり、「Hello, how are you?」など学校で教えてもらった英語を披露したりしています。歌ったり踊りながら英語を習得していくこの方法は、アメリカの心理学者アッシャー(Asher, J. James)により提唱された「全身反応教授法Total Physical Response(TPR)」によるものですが、これもクラッシェンの提唱したナチュラル・アプローチの流れを汲んでいます。

最後に。
多くの研究者たちに受け入れられたクラッシェンの理論ですが、やはり批判もありました。
①「習得」と「学習」の区別が非科学的。
②「学習」にはモニター機能があるというが、「習得」された知識だってモニターになれる。
③「i+1」があいまい。
また、カナダ人の女性応用言語学者、スウェイン(M.Swein)はインプットだけでなく、アウトプットも重要だと主張しました。

でもこうして今日本で英語教育が盛んで、小学校にもたくさんのネイティブ教師、いわゆるALT(外国語指導助手)が配置されている状況の背景には、このクラッシェンのモニター・モデルの存在があるような気がします。インプットだけで英語がペラペラに話せるなら、SNSやYOUTUBEなどでいつでも英語を聞ける現在は以前より簡単になってきそうなものですが、実際はどうなんでしょうね。(鍋田)

参考:

English Hub(イングリッシュハブ)
クラッシェンが唱えた第二言語習得5つの仮説「モニターモデル」とは?

英語のサイト
What Is Comprehensible Input and Why Does It Matter for Language Learning?

参考資料:第二言語習得論 迫田久美子 アルク

<めじろ奇譚>フランシールの人材派遣

2021年9月9日

別ページでご案内の通り、フランシールには「労働者派遣事業」「有料職業紹介」の許可があります。

もともと中長期で通訳派遣を依頼したいお客様へのご要望に応えるために始めたものでした。

昨年からコロナ禍の「派遣切り」が問題となっておりますが、大量の人材を扱ってはいないこともあり幸いそういった事例は発生しませんでした(関係者の皆様、ありがとうございます。)

ただ会議通訳をメインにしていた通訳がインハウス通訳に切り替えを希望する場合も見受けられるようになりました。もしそういった人材を探していらっしゃるようでしたら「ちょっと聞くだけ?」としてでも結構ですので是非ご相談ください。

また紹介予定派遣や職業紹介で有期契約から無期契約への切り替えは企業と労働者のマッチングに適しています。ぜひ活用いただきたい制度です。

参照「東京都労働局ホームページ」

https://jsite.mhlw.go.jp/tokyo-roudoukyoku/hourei_seido_tetsuzuki/yuryou_muryou_shokugyou/whatshokai.html

海外渡航が難しくなっている現在、現地人材もネットワークを利用してご紹介しております(ベトナム、メキシコなど…)。海外への人材派遣も行っております。

↑5年ほど前、朝8時頃のベトナム、ホーチミンのスタバ。通勤者が増えてくる時間ですね。

(業務部 人材派遣課)

<めざせ語学マスター>異文化遭遇!カルチャーショック

2021年9月7日

海外にいったときに、「え?ナニコレ?」と思ったことや、「なんかストレス感じるな・・・日本だったらありえないんだけれど。」と思ったことはありませんか?
しかし「郷に入れば郷に従え」や、「住めば都」という言葉もあります。
今回はそんな「異文化遭遇!カルチャーショック・・・と受容まで」の話です。

とりあえず社内に「あなたが経験したカルチャーショック」というアンケートをとってみました。

スペイン語のYOUTUBEに出てくるHayashiさん

なるほど、彼女もいろんな国でいろんな発見をしたんですね!(気のせいか食に関するものが多いような・・・)。関西出身の彼女はアメリカでお好み焼きを作ろうとして分厚い肉しかなくて失敗したらしいです。よほど悔しかったんだと思います。

また、スペインでは、彼女の先生は東アジア出身の生徒に挨拶のキスをする前に「キスしても大丈夫?」と聞くようになったとか。確かに挨拶のキスは最初は照れちゃいますよね。あるいは思い切ってやろうとするあまりベチョッとしたキスをしてしまいそうになります。でも、意外と他の人たちは頬っぺたをくっつけているだけだったりします。

Hayashi さんの「スペイン語の電話の仕方」はフランシールYOUTUBEチャンネルでご覧ください。

さてもう一人。ホンジュラスに2年、コスタリカに2年いたというKawamoto女史も経験。

バスで他の人が自分の上に乗ってくるってすごいですね。でも彼女も他の人の膝に乗っていたとは。・・慣れというのは恐ろしいものですね。

さて、そんな弊社HayashiさんもKawamotoさんも経験したというカルチャーショック。これを説明しようと、社会学者や心理学者が様々なモデルを発表しています。

① U曲線(U-curve)とW曲線(W-curve)

ノルウェーの社会学者リスガード(Lysgaard)は「適応とはU型曲線を辿る時間的経過プロセスである」と考え、新しい環境下で起こる人間の心理状態の変化をU曲線仮説で表しました(1955)。

彼はカルチャーショックを乗り越えて異文化に適応していく過程を、ハネムーン期不適応期(カルチャーショック)回復期適応期に分類しました。

ハネムーン期(Honeymoon stage)は、その言葉の通り、刺激と興奮で満足感の高い時期です。「変だな」と思ったり「素敵!」と思うことの連続で特に嫌な面が目に入らない時期です。

不適応期(Crisis/ Culture shock stage)には、ハネムーン期には気づかなかった疲れやストレスが表面化。見えなかった価値観や習慣の違いを受け入れられなくなり、フラストレーションがたまります。不眠になる人もいます。これはだいたい渡航後3か月-18か月くらいで起こるようです。12か月前後くらいが精神面で危機に陥りやすいといわれています。

回復期(Recovery stage)には、異文化のポジティブな面だけでなくネガティブな面も受け入れようとします。自信を取り戻し、落ち着く場所を見つけた感じがします。

適応期(Adjustment stage)には、自分の文化と異文化に寛容になり、環境に適応していきます。

では、適応期を経て帰国したらどうなるでしょうか。
中米に長期滞在したKawamotoさんの例です。
ディープな体験をした彼女は日本帰国後にも下のようなショックを受けます。

 

慣れ親しんだ中米の生活から日本に帰ると、日本ではふつうだった色んな音などに逆に気づくことになりました。また、人が冷たい、と感じたようです。バスで上に人が乗ってくるくらいの国から帰国したら接触を(コロナじゃなくても)避けたがる日本人の行動はとても冷たいと感じるでしょうね・・・。

上記のリスガードのU曲線をガラホーンは発展させ、異文化から戻った時間まで含めたW曲線を提唱しました(Gullahorn and Gullahorn (1963))。

しばらく異文化に身を置いた後、自国に戻ったときに、離れていた自国の文化に対しても外国のような感覚を覚えることを表しています(リエントリーショック ”Re-entry shock”)。

② ベネットの異文化感受性発達モデル

しかしその後、数々の学者が、U曲線、W曲線はモデルとしてはシンプルではあるが実際にはあてはまらないケースが多いとして、異文化受容について様々な理論を試みます。

アメリカの社会学者、M.ベネットは、カルチャー・ショックをネガテイプなものとはとらえず、人生における転機、たとえば転勤や転居、結婚といった場合に経験する「ショック]と同じものと捉えました。(異文化感受性発達モデル(Developmental Model of Intercultural Sensitivity (DMIS) 1986年)。

「否定(Denial)」・・「アメリカってあんまり日本と変わりないよね」(差異を否定する段階)
「防衛(Defense)」・・「日本のほうが礼儀正しいよね」あるいは反対に「アメリカのほうが個人主義で素晴らしい」(差異が見えてくる段階)
「最小化(Minimization)」・・「お箸とスプーン、食べ方は違うけれど根本は同じだよね!」(でも居心地は悪い段階)
「受容(Acceptance)」・・「価値観の違いってあるよね。みんなそれなりのシステムの中で生きてるよ。」(それぞれの文化で価値観が違うということを認められる段階)
「適応(Adaptation)」・・「挨拶のキスって大事だよね。でも日本人同士のときはお辞儀にしよう。」(バイカルチュラルな段階)
「統合(Integration)・・「今は誰がプレーヤーか、シチュエーションを見て対応しよう」(状況に依存して対応を変えられる段階)

彼のモデルは特に海外とか外国に限った話ではなく、組織と組織、家族と家族、などでも説明ができるそうです。最近はSNSなどでも似た意見の人で集団をつくることも多いので、違う意見を持つ集団との交流などにはあてはめて考えられるのかもしれません。
(参考:文化庁サイト「異文化コミュニケーションの日本語教育への活用」)

③ ベリーの文化変容モデル.

そして今回紹介する最後はベリーの「統合(Integration)」「同化(Assimilation)」「分離(Separation)」「周辺化(Marginalization)」という文化変容モデル(acculturation model)です(Berry, 1992)。彼は異文化適応のプロセスに加えて、異文化と接したときに、どの程度、異文化を取り入れて適応するのか、その受容態度にもタイプがあることに注目しました。そこで「自文化の特徴と文化的アイデンティティの維持を重視するか」「異文化の集団との関係の維持を重視するか」という二つの軸を設け、文化変容を4つのタイプに分けました。

「統合(Integration)」は、自分の文化を保持しながら新しい文化を取り入れていく態度、「同化(Assimilation)」は、自分の文化の保持をせずに新しい文化に適応していく態度、「分離(Separation)」は自分の文化を維持し新しい文化との関わりを避ける態度、「周辺化(Marginalization)」は自分の文化の保持もせず新しい文化への適応にも無関心である態度であるとされています。
もっとも安定して異文化適応がなされるのは「統合」的態度です。

ベリーの表を見ると、私がフランス留学中に会った様々な日本人留学生を思い出しました。日本人ともフランス人とも均等につきあいつつ自分のペースを守っている人(統合?)、「私もう日本人じゃないから・・」と言ってフランス人化した人(同化?)、日本人としか一緒にいなかった人(分離?結構多い)、どちらとも距離をとっていた人(周辺化?)たちがいました。「この人変わってるな」と思うこともありましたが(多分私もそう思われていたでしょう)、今なら彼らもそれぞれの方法で異文化と向き合っていたのかなと思えます。

ベリーの文化変容モデルはこちらにも説明があります。もっと興味ある方はぜひ。

“L D Worthy, Trisha Lavigne, and Fernando Romero “Culture and Psychology”
クロスカルチャーコンサルティング・アートセラピー・心理カウンセリング

4.終わりに

アンケートの回答から。スウェーデン出身のSさんはこう言います。「カルチャーショック程ではないかもしれませんが、私が今でも不思議に思っているのは、日本では生活音などのマナーが大事されているのに、宣伝カーや選挙カーなどが街中で拡声機を使って、大音量を発していいことです。」・・・なるほど。

もう一人、ロシア出身のM君の日本に来た時のカルチャーショックを最後にお伝えして今日は終わりにします!

そんな彼は今では日本人以上にきれいな日本語でメールを書いたりブログも書いてくれたりしています。彼のブログ「<めじろ奇譚>ロシアのジョークは日本で通じるか」も是非読んでください。

(鍋田)

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