Sさんはブラジル出身の日系2世です。彼は昨年フランシールがソーシャルファームの予備認証をとったことをきっかけに一緒に働くことになりました。
ポルトガル語が母語で、弊社では主にポルトガル語の翻訳メモリ作成などに従事しています。
先日彼が好きな本としてアランの「幸福論」について教えてくれました。
ヒルティの『幸福論(Glück)』(1891年)、アランの『幸福論(Propos sur le bonheur)』(1925年)、ラッセルの『幸福論(The Conquest of Happiness)』(1930年)です。
その中でもSさんが好きなのはアランの幸福論だそうです。
近くの図書館に行くとその本はすぐに見つかりました。(岩波文庫「幸福論」神谷幹夫訳)
でも・・・ページをめくっても、なかなか簡単に読み進められないほど難解です。
散文や詩のようで、比喩も多く、
「Sさん、本当にこんなに難しい本が好きなのかな?」
と思いつつ、ジワジワとページをめくりました。
しかし、ジワジワ進むうちに、「あれ?こういう人、確かにいそう」という表現が出てきました。
(「幸福論」第20章 岩波文庫 神谷幹夫訳より)
「気分」
激昂の段階を追って行くと、自分のからだをひっかくことよりもすぐれた動作は何もない。
それは自分の苦痛を自分の意志で選び取ることである。
自分で自分に復讐することでもある。
子どもはまず最初にこのやり方を試みる。
泣いているからもっと泣き出す。
自分の怒りにいらだち、慰められてたまるかと誓うことで心が慰められる。
つまり、すねているのだ。
自分の愛する人びとを苦しめて、そして自分を罰するのである。
無知であることを恥じると、もう何も読まないと誓う。
頑なに強情を張りとおす。
いきりたって咳をする。
思い出の中にまで侮辱をさがす。
自分で針をとがらす。
悲劇役者の巧みさで傷つき辱めるようなことを、自分に向かって繰り返し独りごつ。
最悪が真実だという原理ですべてを解釈する。
自分が悪い奴だと断ずるために悪い人たちを想定する。
信じていないのに試みて、失敗したあと言う、「それに賭けるところだった。これがおれの運なのさ」と。
どこに行ってもいやな顔をしてみせ、また人をいやがる。
人のいやがることに専心しているくせに、気に入ってもらえないことに驚いている。
眠れないとむきになって眠ろうとする。
どんなよろこびでも疑う。
どんなことにも憂鬱な顔をして文句をつける。
自分の気分から不機嫌となる。
そういう状態なのに、自分自身を評価する。
「おれは臆病だ。不器用だ。もの忘れがひどい。年齢だ」と考える。
自分ですっかり醜いすがたになって、自分の顔を鏡に見ている。これが気分の罠なのだ。
フランス語原文
”Humeur”
Selon le système de l’exaspération, rien n’est meilleur que de se gratter.
C’est choisir son mal ; c’est se venger de soi sur soi.
L’enfant essaie cette méthode d’abord.
Il crie de crier ; il s’irrite d’être en colère et se console en jurant de ne pas se consoler, ce qui est bouder.
Faire peine à ceux qu’on aime et redoubler pour se punir.
Les punir pour se punir.
Par honte d’être ignorant, faire serment de ne plus rien lire.
S’obstiner à être obstiné.
Tousser avec indignation.
Chercher l’injure dans le souvenir ; aiguiser soi-même la pointe ; se redire à soi-même, avec l’art du tragédien, ce qui blesse et ce qui humilie.
Interpréter d’après la règle que le pire est le vrai.
Supposer des méchants afin de se condamner à être méchant.
Essayer sans foi et dire après l’échec : « Je l’aurais parié ; c’est bien ma chance. »
Montrer partout le visage de l’ennui et s’ennuyer des autres.
S’appliquer à déplaire et s’étonner de ne pas plaire.
Chercher le sommeil avec fureur.
Douter de toute joie ; faire à tout triste figure et objection à tout.
De l’humeur faire humeur.
En cet état, se juger soi-même.
Se dire : « Je suis timide ; je suis maladroit ; je perds la mémoire ; je vieillis. »
Se faire bien laid et se regarder dans la glace.
Tels sont les pièges de l’humeur.
アランの文章は1921年に書かれたもので、約100年前の文章です。
難しい・・・でも・・・。
こういう、こじらせている人、私の周りにもいる気がします。
人に期待しては、相手が期待通りでない対応をすると腹をたてる。
「やっぱりね。自分はついていないし、誰も自分をわかってくれない」と人を責めつつ自分も責める・・。
私が知っているフランス人はみな明るくて自己肯定感が驚くほど高いのに、100年前のフランスにはこんなに暗い人がいたんでしょうか。
アランは続けてこう書いています。
だから、ぼくは、「寒いな。身を切るようだ。これが健康にいちばんだ」という人を軽蔑しないのである。
なぜなら、これにまさる態度はないからだ。
風が北東から吹いてくる時、両手をこすり合わせることは、2重の意味で良い。
ここでは本能に生きることが知恵と同じ意味である。
肉体の反応がわれわれに喜びを教えている。
寒さに抵抗する方法はただ一つしかない。
寒さをいいものだと考えることだ。
よろこびの達人スピノザが言ったように、「からだが温まったからよろこぶのではなく、私がよろこんでいるからからだが暖まるのだ」。
したがって同じような考え方で、「うまく行ったからうれしいのではなく、自分がうれしいからうまく行ったのだ」といつも考えねばならない。
どうしてもよろこびが欲しいのいうならば、まずよろこびを蓄えておきたまえ。
いただく前に感謝したまえ。
なぜなら、希望から求める理由が生まれ、吉兆から事が成就するのだから。
だから、すべてのことがいい予感であり、吉兆である。
「君がそれを欲するならば、カラスが君に告げているのはしあわせなのだ」とエピクテトスは言っている。
そこから彼がいわんとするのは、何でもよろこびなさいというのではなく、とりわけ、ほんとうに希望は、いっさいをリアルなよろこびとするということだ。
ほんとうの希望は出来事を変えるからである。
フランス語
C’est pourquoi je ne méprise pas les gens qui disent : « Voilà un froid sec ; rien n’est meilleur pour la santé. »
Car que peuvent-ils de mieux ?
Se frotter les mains est deux fois bon quand le vent souffle du nord-est.
Ici, l’instinct vaut sagesse et la réaction du corps nous suggère la joie.
Il n’y a qu’une manière de résister au froid, c’est d’en être content.
Et, comme dirait Spinoza, maître de joie : « Ce n’est point parce que je me réchauffe que je suis content, mais c’est parce que je suis content que je me réchauffe. »
Pareillement, donc, il faut toujours se dire : « Ce n’est point parce que j’ai réussi que je suis content ; mais c’est parce que j’étais content que j’ai réussi. »
Et si vous allez quêter la joie, faites d’abord provision de joie.
Remerciez avant d’avoir reçu.
Car l’espérance fait naître les raisons d’espérer, et le bon présage fait arriver la chose.
Que tout soit donc bon présage et signe favorable : « C’est du bonheur, si tu veux, que le corbeau t’annonce », dit Épictète.
Et il ne veut pas dire seulement par là qu’il faut faire joie de tout ; mais surtout que la bonne espérance fait réelle joie de tout, parce qu’elle change l’événement.
先の被害妄想に苦しむ人に対して、アランは本能のままにシンプルに生きることをお勧めしています。
単純に「寒い、寒い」と手をこすりあわせて「やっぱ冬って寒いね。これだから冬っていいよね」と言える人のほうが幸福を得やすいと伝えています。
「私ってついてる」と思う人がさらに幸福を呼び寄せます。
何事も気持ち次第で幸運は訪れる、というのは私たちにとっては力強い言葉です。
表現は難解ですが、アランはシンプルな楽観主義が幸せへの近道だと説いているようです。
しかしそういった楽観主義を邪魔する人がいます。それは誰か?
日本語
要するに、どんな人でもこの世の中に自分よりもおそろしい敵は見つからないのである。
フランス語
Bref, aucun homme ne peut trouver en ce monde de plus redoutable ennemi que luimême.
気持ちを切り替えれば幸福になれる、でもそれを邪魔する一番の敵は他ならぬ自分です。
嫌いな人に微笑みかけろと言いますが、それが簡単にできないのが人間なのかもしれませんね。
ヒルティやラッセルの幸福論も読んでみたくなりました。
(文 鍋田、 絵 嶋田)