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<ある通訳の日誌>詩の世界 詩のこころ 6

2021年11月26日

以前から旅ブログを送ってくれているフランス語通訳の橋爪さんが、大好きだという詩の世界について寄稿してくださいました。今回は第6回。ルバイヤートは世界史などでも習う、11世紀ペルシア(イラン)の詩人ウマル・ハイヤームの四行詩集の題名です。19世紀イギリスの詩人、エドワード・フィッツジェラルド(Edward FitzGerald)による英語訳で世界中に知られるようになりました。日本語への翻訳は 小川亮作が1979年にペルシャ語から翻訳。森亮は、1986年フィッツジェラルドの英訳から日本語に訳し、その後日本でもなりました。


詩の世界 詩のこころ 6
橋爪 雅彦
1
フィッツジェラルド
森(もり) 亮(りょう)訳
オーマー・カイヤム「ルバイヤート」四行詩

第一回
第二回
第三回
第四回
第五回
第六回

■第二版で消えた詩
フィッツジェラルドは1859年に初版75首を出版しました。そして1867年のフランス人ニコラのペルシャ語原典からの仏訳が出版された後、フィッツジェラルドは1868年第二版110首を発表しました。

初版から第二版へ移ったとき、どうしたわけか、初版の第37歌が無くなっています。この37歌は、最初にお話しした亀井勝一郎の「恋愛論」の中にも引用されていて、私が常日頃愛誦する最も好きな歌の一つです。

第三十七歌(森 亮訳)
ああ、さかずき満たせ。かこつともかこつとも
甲斐なくて時は我等が足もとをすべりゆくなり。
きし昨日を、又いまだ生れぬ明日を
憂ふをやめよ、今日の日の楽しくあらば。

ああ さかずきを満たしなさい。嘆いたところで無駄なんです。
時間は私たちの足元を滑るように去ってゆきます。
過ぎ去った過去のことなど、そしてまだ来てもいない明日のことなど、
どうでもいいじゃあないですか、今日という日が楽しければ。

―Edward Fitzgerald  ―XXXVII―
(フィッツジェラルド第三十七歌)

Ah, fill the Cup; -what boots it to repeat
How Time is slipping underneath our Foot:
Unborn TO-MORROW and dead YESTERDAY
Why fret about them if TO-DAY be sweet!

ニコラ版にはどこを探しても上記のような歌はありません。マッカシー版にもありません。
戦後、多くの専門家がペルシャ語原典から和訳するようになりました。小川亮作、陳瞬臣、岡田恵美子のペルシャ語原典からの和訳を参照しましたが、上記の詩は見当たりません。

この三十七歌は、言うなれば、フィッツジェラルドの創作だったのでしょう。オーマー・カイヤムの本質をとらえた素晴らしい詩ですが、いかんせん、原典には無いものと言ってもいいでしょう。だから、原典から直接訳した仏人ニコルを意識して、第二版ではこの三十七歌を削除することになったのでしょう。惜しいことです。

しかしカイヤムのエッセンスが息づいています。美女を片手に、もう一方の手でワイングラスを傾け、今日という一日こそ、もう去って再びは現れてこない一日。この一日を愛さないで何の人生でしょう!
While you live, Drink! -for once dead you never shall return. (第三十四歌の一節)

初版三十七歌を矢野峰人という訳者は次のように訳しています。
第三十七歌(矢野 峰人訳)

さかづき満たせ、ゆく駒の
はやきうらむも甲斐なけむ、
まだ見ぬ明日も過ぎし日も
今日だに善くば何かせむ。(矢野 峰人「ルバイヤート集成」より)

(矢野 峰人 国書刊行会「ルバイヤート集成」表紙より)

フィッツジェラルドの初版全75首をすべて七五調の完璧な文語定型詩で訳出しているのには敬服します。「ゆく駒」とは、馬に例えていますが、過ぎ去り行く「月日」のことです。月日は飛び去るように去ってゆきます。「疾(はや)きうらむ」も甲斐なきことです。今日さえよければ、他のことはどうでもいいのです。

参考までにフランス人Charles Grolleauの訳を掲げます。
XXXVII
Ah!remplis la Coupe. . .Que sert de répéter
Que le temps glisse sous nos pieds :
DEMAIN n’est pas né, HIER est mort,
Pourquoi se tourmenter à leur sujet si l’AUJOURD’HUI est doux!

Que sert de répéter は若干文語調で、現代の普通の文にすれば、A quoi sert-il de répéterになり、「くどくど嘆いたところで、それが何になる」という意味です。

今日という日は二度と帰りません。この一瞬こそ、人生そのものです。美しき女性も、この一瞬を置いて、いつ愛することができるのでしょう。駿馬よりも早く、月日は去ってゆきます。

■ 大伴旅人 酒を讃むる歌
亀井勝一郎はその「恋愛論」のなかで、オーマー・カイヤムに非常によく似た詩人として、日本の大伴旅人(おおとものたびと)を引き合いに出しています。「旅人(たびと)をしてペルシャの宮殿の水静かな噴水のそばに座せしめたならば、必ずや彼はカイヤムのような思想詩人になっていたかもしれない」。

旅人の歌13首から5種を引用して論じています。その中からひとつ:
今の世にし 楽しくあらば来む世には 虫にも鳥にも吾はなりなむ」(巻3 第348)

(今 生きているこの世が楽しいならば、来世には虫にも鳥にもなっても構わない。)

仏教思想が朝鮮経由で日本へ入り始めたのは、古墳時代です。5世紀から6世紀にかけて、日本へ渡来した朝鮮半島の人びとによってもたらされました。
大伴旅人が生きていた(665年―731年)飛鳥時代から奈良時代、仏教思想は色濃く人々の心の中へ浸透していきました。

当然、旅人の心の中にも仏教の戒律、とくに五戒を意識していたはずで、その五戒の中に酒を飲んではならないとする「不飲酒戒」(ふおんじゅかい)がありました。

因みに仏教でいう五戒とは、「不殺生戒」(ふせっしょうかい)、「不偸盗戒」(ふちゅうとうかい)、「不邪淫戒」(ふじゃいんかい)、「不妄語戒」(ふもうごかい)、さして最後に「不飲酒戒」(ふおんじゅかい)です。

5世紀から6世紀にかけて日本へ入ってきた仏教は、おそらく、かなり原始仏教の名残をとどめ、戒律というものも当時の日本人へ重くのしかかって来たに違いありません。
「不飲酒戒」、酒を飲めば、死後、輪廻転生があることになっていますから、虫や鳥になって生まれ変わってきてしまう、という「脅し」が随分と精神に作用したに相違ありません。

いや、それでも酒を飲む、虫や鳥に生まれ変わっても構わない、と言った気概がこの歌には見てとれます。いや、もっと開き直って、次のようにも歌います。

酒の名を ひじりおふせしいにしえの 大きひじりことよろしさ」(巻3 第339)
(酒の名を聖人と名付けた昔の大聖人がいる。その言葉のなんと適切なことよ。)

日本人も、最初は「不飲酒戒」とその来世の報復を怖がったでしょうが、年代がたつにつれ、戒律は次第に私たち日本人の意識から遠ざかっていきます。

現代の私たち日本人は、この戒律というのがどうもよくわかりません。ですから、日本で仏教と言っても、知人や親族が亡くなれば寺の葬儀に参列し、また寺には祖先の墓があり、祖先の墓参りをしたり、7回忌とか13回忌とか言って、亡くなった人たちの供養をしたりといった程度のことです。したがって、寺とか寺の坊さんは、先祖供養のためにいる存在という程度の認識です。

「不飲酒戒」も私たちにはわかりませんが、「不邪淫戒」はもっとわかりにくいものです。不道徳な性行為をしてはならないという意味の戒律ですが、これが全く私たちには理解できない。なぜか、いったい性行為の何が不道徳なのか。
(私などは、性行為はこころの底から神聖なものだと思っています。そして性行為の絶頂の瞬間、人生の生きている最大の喜びを感じる瞬間でもあります。)

私たちは、坊さんに愛人がいたりしても、昔からちっとも不思議がらない民族です。坊さんが、「般若湯」(はんにゃとう)などと言って、昼間から酒を飲んでいても、一向に不思議がらない民族です。
したがって、仏教の五戒は、日本には根付かなかったのです。第一、私たちは表向き仏教徒でありながら、五戒などという言葉は聞いたことも見たこともないのが普通です。

もうひとつ旅人の歌を挙げておきます。

生けるもの つひにも死ぬるものにあれば 今あるほどは楽しくらな」(巻3 第349)

束の間の人生です。「時」が私たちの足元を滑るように去ってゆきます。それだからこそ、一層の哀惜の念をもって、人生を、酒を、女性を、セックスを愛するのが、本来の人生ではないでしょうか。

小川 亮作の訳からカイヤムの詩を掲げて今日は締めくくります。

ルバイヤート 第87歌 小川 亮作訳
恋する者と酒飲みは地獄に行くと言う、
根も葉もないたわごとにしかすぎぬ。
恋する者や酒飲みが地獄に落ちたら、
天国は人影もなくさびれよう!
―続くー


橋爪さんの旅ブログはこちら↓

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