日本は高コンテクスト文化で、西洋は低コンテクスト文化である、と言ってすぐにピンときますでしょうか。高コンテクストな文化とは、言語化されたメッセージより文脈を重視し、意図を明確化しないで互いに相手の意図をよみとるような文化です。
例をあげます。
あれは15年以上も前のこと。私は翻訳のことでお客様に呼び出されました。翻訳の内容に問題があるとのこと。お客さんのところにつくと、相当お怒りの様子。
「すみません、翻訳についてどの点に問題がありましたでしょうか。」
「ここだよ!」
文章の一部を指さして仰います。
「この文章のどこが・・・」
「よく読んでよ!行間が全く訳されていないじゃないか!」
「・・・!」
もう一つの例です。
お客様へ見積書を送り、いかがでしょうかとお電話をかけたときのこと。あの時も私はまた20代で若かったというのもありますが、こんなやりとりがありました。
「お送りした見積りの件、いかがでしたでしょうか。」
「うーん。結構・・です。」
「あ!ありがとうございます!かしこまりましたー。」
電話を切り、「受注できましたー!」と喜んでいると、同じお客様から連絡がありました。
「あの、”結構です”、というのは、今回はお断りする、という意味だったんですが、ちゃんと伝わっていますでしょうか・・・。」
「・・・!」
その後、あまりに喜んでいた私に申し訳ないと思ったのか少しお仕事をいただく、という幸運がありましたが、それもまあビギナーズラックというもの。
では20歳でフランスに留学した私の現地での経験もお伝えしてきます。
私はよくホームステイ先の子供の友達(女子高生など)が集まる中に混ぜてもらって遊んでいました。
「えー、素敵なアクセサリー。見せて見せて」
とみんなで見せ合っていたとき、イヤリングがボロッと壊れた瞬間がありました。
瞬間、その場にいたみんなが口をそろえていいました。「C’est pas ma faute !(私のせいじゃないよ)」
タイミングを逸した私はその言葉を一度飲み込みましたが、やはり少し遅れて言いました。
「私のせいじゃないよ・・・。」
日本語はすでにわかっていることは言わない「高コンテクスト文化」の言語です。フランス語は「Ce qui n‘est pas clair n’est pas français.(明晰ならざるものフランス語ならず)」というだけあって、石畳のようにすべて言い尽くす、低コンテクスト文化。文脈より言語として発せられたメッセージそのものを重視します。言葉にしない内容は伝わりません。だから自分の責任ではないときもはっきり言いますし、日本人のように「ま、だれのせいでもないよ。みんなで直そう。」なんて空気を読んだ発言もしません。こういったフランスのような低コンテクスト文化に浸った後で日本文化に戻ると、よくあるのが「あの人は結構きつい。物事をはっきり言う。さすがフランス帰りだね。」なんて言われてしまうケース。最近は日本でも一緒に生活する外国人も増えたり、「忖度」が悪者呼ばわりされたりしたこともあり、日本の高コンテクスト文化も少し中和されているのかなと思いますが、まだまだこの文化は消えないと思います。
文化の差を高コンテクスト、低コンテクストで示したのはアメリカの文化人類学者、エドワード・T・ホール(1979)です。中国、日本、アラブ諸国、ギリシャ、スペインなどは高コンテクスト文化、スイス、ドイツ、スカンジナビア諸国、アメリカ、フランスは低コンテクスト文化と分類しました。ベトナム語やカンボジア語も、わかりきっていることはあえて言わない言語です。アジア全体に似たような傾向があるのかもしれません。
そういわれると、弊社の別ブログ、「ある通訳の日誌」~詩の世界~その3で、フィッツジェラルドの詩が森亮訳の日本語の詩であるときと、フランス語に訳されたあとでは同じ詩でも差が生じてしまう、とありましたが、それも高コンテクスト文化、低コンテクスト文化という観点から見れば仕方ないのかなとも思えます。
また、機械翻訳(AI翻訳)は低コンテクストの言語である英語やフランス語から日本語にするときは上手くいくことが多いのですが、高コンテクストの日本語からそれら低コンテクスト文化の言語に訳すときはその「言い尽くされていない部分」の翻訳にミスが生じることが多い気がします。機械は発出されたデータを変換するのは得意ですが、ないものを「想像して補う」ことは苦手で、現在はこれを何とか克服しようとAI翻訳などの技術者が研究を重ねているんだと思います。
言わない部分を想像して会話する、という日本人の文化を思うとき、私はいつも源氏物語絵巻などに描かれている雲を思い出します。「もしやパースがおかしくなったら雲でごまかしたんじゃ・・・」とも思える、あちこちにある雲。そして雲の下の様子は「そこは、まあ想像して」というのは何とも日本人っぽい気がします。(鍋)
参考:第二言語習得論 アルク、新版日本語教育事典 大修館書店
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