中国語、チベット語、ビルマ語は孤立していて、日本語、モンゴル語、トルコ語は膠着している。ドイツ語、フランス語、イタリア語は屈折しているが、アイヌ語、アメリカンインディアン諸語は抱合している・・・。
どういう意味!?
というわけで、今回はこの類型についてのお話。
一般に膠着語とは、語の文法的な機能が語に付加される、独立性のない形式で表される言語です。膠着語は英語でagglutinative languages、日本語と同じく「くっつく言語」です。
例えば、
花が咲く。 花が咲いた。 花が咲いている。 花が咲いていた。 花が咲きそうだ。 花が咲くかもしれない。 花が咲いていたかもしれない。 |
など、動詞は「咲く」なのに、その活用のあとに「た」「ている」「ていた」「そうだ」「かもしれない」など、接尾語がどんどんくっついていきます。これが特徴です。膠着語は接尾語だけでなく、「お弁当」の「お」や「無感覚」の「無」のように頭につく場合もあります。
上の例を今度は中国語にしてみます。
花が咲く。 花が咲いた。 花が咲いている。 花が咲いていた。 |
花开。/开花。
(文脈次第で、 |
花が咲きそうだ。 | 花快要开了。 |
花が咲くかもしれない。 | 花可能会开。 |
花が咲いていたかもしれない。 | 花可能已经开了。 |
最初の4文は同じ表現で表すことができます。
また、「かもしれない」などは「可能」などが入っているのが分かります。日本語のように動詞にどんどん他の語がくっついているわけではないようです。
中国語のように語が形態変化せず、名詞や動詞のような主要な品詞の文法的機能は、語順によるか、特別の語を用いて表される言語を「孤立語」(Isolating language)といいます。
次はどうでしょう。
(英語)
花が咲く。 | The flowers bloom. / The flower blooms. The flowers will bloom. / The flower will bloom. |
花が咲いた。 | The flowers bloomed./ The flower bloomed. |
花が咲いている。 | The flowers are blooming./ The flower is blooming. The flowers are in bloom./ The flower is in bloom. |
花が咲いていた。 | The flowers were blooming. / The flower was blooming. The flowers were in bloom. / The flower was in bloom. |
花が咲きそうだ。 | The flowers are about to bloom. /The flower is about to bloom. |
花が咲くかもしれない。 | The flowers may bloom. / The flower may bloom. |
花が咲いていたかもしれない。 | The flowers may have bloomed./The flower may have bloomed. |
(フランス語)
花が咲く。 | Les fleurs fleurissent. / La fleur fleurit. Les fleurs fleuriront. / La fleur fleurira. |
花が咲いた。 | Les fleurs ont fleuri. / La fleur a fleuri. |
花が咲いている。 | Les fleurs sont en train de fleurir. / La fleur est en train de fleurir. Les fleurs sont en fleurs. / La fleur est en fleur. |
花が咲いていた。 | Les fleurs étaient en fleurs. / La fleur était en fleur. |
花が咲きそうだ。 | Les fleurs sont sur le point de fleurir. / La fleur est sur le point de fleurir. |
花が咲くかもしれない。 | Les fleurs peuvent fleurir. / La fleur peut fleurir. |
花が咲いていたかもしれない。 | Les fleurs peuvent avoir fleuri. / La fleur peut avoir fleuri. |
日本語では複数か単数かは表現していなくても、英語やフランス語にする場合はそれを決める必要があります。上の表ではthe やla, les などの定冠詞で表していますが、さらに a やune, des のような不定冠詞となる場合もあります。さらに日本語の動詞は基本的に原則動作動詞で、辞書系「咲く」が未来を表します。一般的に「(春には)花が咲く」のような場合は現在形、「(今から)花が咲く」は未来を表します。
上の文章を見れば明らかなように、英語やフランス語になると、「かもしれない」をmay のように助動詞を付けることがありますが、基本的には動詞(bloomやbe動詞)を未来形や過去形などに変化させて細かいニュアンスを表します。これが屈折語(inflected languages)です。
孤立語 | isolating languages | 中国語、ベトナム語、ラオス語、タイ語、クメール語、サモア語、チベット語、ビルマ語など |
膠着語 | agglutinative languages | 日本語、朝鮮(韓国)語、モンゴル語、トルコ語、ハンガリー語、ツングース諸語、フィンランド語、タミル語、ウイグル語、ウズベク語など |
屈折語 | inflected languages | 英語(*)、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ロシア語、ラテン語、アラビア語など |
抱合語 | polysynthetic languages | アイヌ語、アメリカンインディアン諸語 |
(*)英語は名詞や動詞があまり活用しないので孤立語的な特徴を持っているとも言われています。
この孤立語、膠着語、屈折語という類型の起源は、ドイツのカール・ヴィルヘルム・フォン・フンボルト(Friedrich Wilhelm Christian Karl Ferdinand Freiherr von Humboldt、1767 – 1835年)にさかのぼります。
彼はドイツ(当時はプロイセン)の貴族、外交官であり教育制度改革者です。弟は探検家、地理学者のフリードリヒ・ハインリヒ・アレクサンダー・フォン・フンボルト。弟は虫や植物が好きで南北アメリカへの大冒険もした人ですが、兄のほうは、書斎にこもって勉強するタイプだったようです。貴族・外交官というポジションを生かし、世界中に散らばった宣教師や商人、外交官、植民地行政官、探検家、学者仲間(弟を含む)というネットワークを得て、様々な言語の資料を取り寄せては、その形態と文化の違いを解明しようとしました。そう、19世紀の初頭といえば、ヨーロッパは植民地開拓の時期、日本はまだ鎖国している江戸時代。今年NHKの大河でやっている渋沢栄一は1840年生まれで、まだ生まれてもいません。
植民地時代の言語研究の目的はやはり植民地を作るためであり、非ヨーロッパ人を改宗させるためでした。フンボルトを含めて、当時の学者たちは、名詞や動詞の内部で音を変化させて単数か複数か、主語か目的語か、男性名詞か女性名詞か、過去か現在かを示す屈折語は最も複雑に入り組んだ概念を組み立てることができる優位な言語であると考えていました。
彼はスペイン北部のバスク地方へ旅をしたときに、古典の伝統や書き言葉による文学がなく、インド・ヨーロッパ語族とは関係のない、「未開の」言語、バスク語に出会って「あこがれ」を抱きます。そのあこがれはアメリカ先住民の言語に向き、バチカンでプロシア大使をしていたときにイエズス会が持ち帰ったアメリカ先住民の資料を研究し始めました。そこでこの言語が「単語の内部の音を変化させて微妙な文法的差異を示すのではなく、複数の単語や単語の断片をくっつけて別の単語が形成される」、つまり「膠着語」であると分類したのです。しかし、膠着語は屈折語によって可能な「頭の回転の速さや思考の厳密さ」が阻害された言語、つまり屈折語より劣る言語だと考えました。
さらに彼は中国語において孤立語に遭遇します。中国語は単語の音の変化で文法的な関係を示したり(屈折語)、単語同士をくっつけて複雑な意味を作ったり(膠着語)せず、一つの概念を一つの変更できない単語の中に閉じ込めて、語の順序だけでそれぞれの概念が互いにどう関連しているのかを示す、世界でもっとも原始的な言語の一つにみなされるべき、としました。
しかしその後、当時ヨーロッパ随一の中国学者ジャン=ピエール・アベル・レミュザと手紙のやりとりを通じて自分の説を修正し、中国語は非常に洗練された言葉として賞賛するようになりました。ひとつひとつの単語が侵すことのできない概念を示しており、屈折語では豊富な音標識が精神の負荷を軽減するのに対して、そのような標識がない中国語では、個々の単語が合わさって全体としてどのような意味の複雑な思考を表しているのかを常に考えなければなりません。中国語で考えるのは屈折語で考えるよりも明敏さや厳密さに欠けるかもしれないが、より抽象的で深淵で複合的な解釈に適している、つまり中国語は純粋な思考の言語なのだ、という結論に達します。
(中国語=どこか仙人的なイメージ・・・だったんでしょうか?)
さらにフンボルト氏は考えます。
「中国語に屈折がないのは、使える音のレパートリーが限られていたせいで、この音声面の貧困は、中国の住民が歴史的に単一で安定していた結果だ。何世紀にもわたって中国は住民の移動や異なる言葉の混じりあいなど、音のレパートリーを豊富にする出来事を免れてきたんだ。」
通常彼は文化の交配をよしとしていましたが、ここでは中国語が自らの孤立を長所に変えたと認めました。いっぽうで、中国語自体が中国文化の歴史的な統一と安定に貢献してきたとも考えました。
このように屈折語、膠着語、孤立語と言語を分類した彼はこの考えを確固なものにしようと、テストケースを求め、マラガシ語、マレー語、ジャワ語、ブギス語、トンガ語、タガログ語、マオリ語、タヒチ語、ハワイ語などのマレー・ポリネシア諸語の研究を進めます。そしてカヴィ語という中世のジャワ島の言語の研究(「カヴィ語研究」)を未完のまま亡くなってしまいます。
今でも使われているこの言語の類型は、古典的類型論と言われています。今ではフンボルトのように(彼だけが特別なのではなく、彼の時代では一般的だった)孤立語→膠着語→屈折語の順で洗練されている、などの考え方はされなくなりました。
古典的分類以外に現在では、主語(S)と動詞(V)、目的語(O)の配置から「SOV」「SVO」「VSO」に分ける分類や、音韻対応が認められる言語から「インド・ヨーロッパ語族」「シナ・チベット語族」「アフロ・アジア語族」「オーストロネシア語族」「ニジェール・コンゴ語族」などに分ける方法もあります。
でも、古典的分類は文法的特徴として今でも使われており、「英語には孤立語的な特徴もある」など、言語の特徴を表します。
個人的には、200年以上も前のインターネットがない時代に、フンボルトを始め当時の学者たちが実に多くの資料を集めたという事実に驚きます。フンボルトは日本語についてもメキシコから輸入した日本語の入門書をかじっていたそうです。その本は鎖国政策によって日本から追い出されメキシコに渡ったイエズス会宣教師の手になるものだったとか。言語の把握が植民地拡大につながっていたことや、その分類に多少差別的な考え方が混じっていたとしても、彼らの言語に対する飽くなき探究心には脱帽します。(鍋田)
参考文献:<翻訳>ヴィルヘルム・フォン・フンボルトと言語の世界 イアン・F・マクニーリー講演、石田文子訳
言語の基礎 NAFL日本語教師養成プログラム
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