日本人はとかく年上なのか年下なのかを気にします。
「年齢は一個上。でも学年は一緒だよ。」
という(数ヶ月の違いも話題になるような)会話はよくしますし、年の差婚などという言葉もよく聞くように、男女の年の差も気にします。
「I have a brother.」
なんて英語で言われると、まず日本人は
「 Is your brother younger or elder than you?」
のように兄か弟かをはっきりさせたがります。
そこがはっきりしないとモヤっとして次の話題にいけない、という人もいるでしょう。そもそも日本語には、年が上か下かを表現しない兄弟・姉妹の言い方がありません。きょうだいを表す言葉には、兄妹(けいまい)や弟妹(ていまい)という言葉もあるそうですが、日常ではほとんど使わない気がしますし、いずれにせよ誰が年上か、年下かははっきりさせないといけません。
そんなせいか、日本人にとって、相手が外国人であっても、その家族像を認識するための年齢情報は大事なファクターになります。しかし、聞かれるほうからすると「なぜそんなにこだわるの?」と不思議に思うかもしれません。
この感覚は
「リンゴ買ってきたよ。」
とあなたが言ったらイギリス人の友人に
「リンゴは何個?1個?複数?」
と問い詰められるのと似ているのかもしれません。「どうだっていいじゃん。りんごはりんごだよ。毎回、りんご2個とか3個とか細かく言う必要ある?」とあなたは思うかもしれません。
年齢や家族構成(あなたは長男なの?次男なの?)にこだわるくせに、日本人は単数・複数には結構無頓着です。あえてぼかしているときすらありますが、日本語を英語などの外国語に訳すときには困るポイントです。翻訳者は常に「この”女性”というのは1人の女性ですか、複数の女性ですか」などいろいろ質問しなければいけません。
よくエスキモーの言語には雪を表す語がたくさんある、と言われます。でも、日本語にも、日本語以外に訳そうとすると難しいだろうなと思う言葉がたくさんあります。例えば、虫の声などのオノマトペ、雨の種類(春時雨、入梅、夕立、秋雨、時雨、大雨、集中豪雨)、嗜好品でいうなら、納豆の種類(ひきわり納豆、小粒納豆、大粒納豆、そぼろ納豆、吟醸納豆、極小粒納豆)などなど。
しかし、これをもとに「単数・複数をおろそかにするようでは、日本語は文化的に低レベルだ」などと言われたらムッとしますよね。また、日本人は音に敏感な人種だ、とか、天気に異常なまでに気を遣うとか、豆の発酵に執着している、とか言われると、「そうかな・・」とも思いますよね。
でも、歴史の上では、例えば「日本語は膠着している」で紹介したカール・ヴィルヘルム・フォン・フンボルト(1767 – 1835年)だって彼らのヨーロッパ言語は他の言語に比べて優れていると信じていました。残念なことですが、英語教育が盛んな日本の現在だって、英語至上主義に陥っているのかもしれません。
前置きが長くなりましたが、サピア=ウオーフの仮説は、今から100年くらい前に発表された「私たちの宇宙観や世界の把握の仕方、経験の様式、統率の仕方などは私たちの用いる言語が異なれば、それに対応して異なる」という仮説です。サピア=ウオーフというのは1人ではなく、ポーランド生まれの人類学者、言語学者のエドワード・サピア(Edward Sapir, 1884年- 1939年)とアメリカ生まれの言語学者、ベンジャミン・リー・ウォーフ (Benjamin Lee Whorf、1897年- 1941年)が別々に発表した仮設をまとめて呼んでいるものです。
また、彼らより以前に、「言語はその話者の宇宙観や世界観の形成に影響を与えているのか」という課題に取り組んだ学者がいました。ドイツ生まれの人類学者、フランツ・ボアズです。エドワード・サピアはボアズの弟子でした。そしてベンジャミン・リー・ウオーフはサピアの弟子でした。“サピア=ウオーフの仮説”は、どこか時代をつなぐ師弟の物語のようでもあります。
フランツ ボアズ(Franz Boas, 1858年- 1942年) (ドイツ生)wikipediaより
ボアズは、もとは自然科学と地理学、物理学をドイツで学んだ人でした。1883年(ボアズ25歳)、カナダの北海岸沖のバフィン島にあるイヌイットのコミュニティでフィールド調査にいき、そこで、自然界ではなく、人と文化を研究することへの関心を持つようになりました。
彼は、フィールドワークをしている間、当時支配的だった「イヌイットは野蛮だ」という見解に疑問を抱きます。文明化された社会と原始的社会は根本的に違う、とされていた考え方に異議を唱え、全ての社会は基本的に平等であり、異なる社会の人間を理解するには彼らの文化的文脈を知ることが必要だと主張しました。
その後ボアズはアメリカ自然博物館の学芸員になり、1899年にはコロンビア大学で最初の人類学教授になりました。ここで多くの学生に影響を与えます。彼が教えた学者には、人類学者のマーガレット・ミード女史(サモアやパプアニューギニアを研究した学者)、ルース・ベネディクト女史(日本について記述した「菊と刀」で有名な学者)、黒人女性作家のゾラ・ニール・ハーストンなど有名な学者や作家が多くいました。
有名なエスキモーの雪の表現の多さについてはボアズが1911年にその著書「The Handbook of North American Indians』で記したと言われています。(それは事実ではなく、彼の理論が勘違いされたまま、みんなが信じられてしまった話だそうです。詳しくは「エスキモーの言葉に「雪」を表す単語がたくさんあるという与太話 」をお読みください。)
多くの弟子の中でも、ネイティブアメリカ諸語の研究を行ったのが、彼の弟子、エドワード・サピア(Edward Sapir)でした。
エドワード・サピア(Edward Sapir, 1884年- 1939年)Wikipediaより
ドイツ帝国のラウエンブルク(現在のポーランド)生まれのユダヤ人。6歳のときに渡米。アメリカの人類学者、言語学者。
1904年(20歳)にコロンビア大学をドイツ語の学位を得て卒業しますが、卒業後2年間、ネイティブアメリカンの言葉、ウィシュラム語とタケルマ語について実地調査を行ないます。コロンビア大学では人類学者フランツ・ボアズに師事しました。ボアズに影響を受け、サピアはネイティブアメリカンの言語研究を行います。その後、シカゴ大学に勤務。移籍したイェール大学では人類学科長になりました。言語学と人類学とを結びつける研究の先駆けであり、李方桂やベンジャミン・ウォーフは彼の教え子でした。
1921年(サピア38歳)、「使用する言語によって人間の思考が枠付されている」とする新しい言語観を発表しました。これを1940年代にベンジャミン・リー・ウォーフが取り入れ、発展して後にサピア・ウォーフの仮説と呼ばれるようになりました。サピアは1939年2月4日、心不全により54歳でなくなります。
とても学者的なサピア氏に対して、ベンジャミン・リー・ウオーフはちょっとその経歴が独特です。
ベンジャミン・リー・ウォーフ (Benjamin Lee Whorf、1897年- 1941年)。アメリカ生まれ。言語学者。wikipediaより
1918年にマサチューセッツ工科大学を卒業し、化学工業の学位を取得後、ハートフォード火災保険会社で防火技師として働き始めます。その傍ら言語学と人類学の研究を行なうようになりました。1931年(34歳)、イェール大学でエドワード・サピアの下、言語学を勉強するようになりました。サピアはウオーフの支援を行ない、1936年にはウォーフをイェール大学の客員研究員に指名します。1937年(40歳)にはスターリング奨学金を受け、翌年にかけて、人類学に関する講義を受け持ちましたが、サピアが亡くなった2年後、1941年に、44歳という若さで、癌により死去しました。
こうしてサピアとウオーフが発展させた理論は、“サピア・ウォーフの仮説”と呼ばれるようになりました。「私たちの宇宙観や世界の把握の仕方、経験の様式、統率の仕方などは、私たちの用いる言語が異なれば、それに対応して異なる」という考え方です。「言語は人間に対して経験の仕方を規定する働きを持ち、人間の思考が母語によってあらかじめ定められた形式に即して展開する」とする考え方は「言語的相対論(linguistic relativity)」と呼ばれました。
彼らの死後、言語相対論は批判されたり、再評価されたりしていますが、「言語は、その言語話者の思考方法を決定づける」といった言語決定論を信じる学者はほとんどいないそうです。確かに、日本語では単数・複数を区別しなくても「彼女ら」や「君たち」など少し不自然な日本語を補ったりして考えれば理解はできますし、日本語にはない表現方法は、全く理解できないのではなく、理解はできるけれど言葉が足りない、というだけのことなのかもしれません。
ところで、ボアズの弟子のひとりが「菊と刀」の著者、ルース・ベネディクトで、彼女が研究の対象を日本にしたとしたら、当時、よっぽど日本という国は変な国に映ったのかなと想像してしまいます。
このブログにたびたび出てくるアメリカ人翻訳者に、「日本語ってそんなに変かな?」と改めて聞くと、「日本語の文法はあいまい。でも、日本人は大体のコミュニケーションは超能力でやってる、エスパーみたいな感じ。」と言っていました。なるほど、今回も結構いいところをついているのかもしれません。(鍋)
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