先日のサピア=ウォーフの仮説の中に出てきた彼らの師匠、フランツ・ボアズの生徒の一人、ルース・ベネディクトは日本を研究しました。
ルース・ベネディクト(Ruth Fulton Benedict:1887年~1948年)Wikipediaより
ルース・ベネディクトはボアズに師事し、1934年出版の『文化の型』では、あらゆる人間社会の中で現れてくる行動パターンの形成過程を記述し、文化の相対主義を表現しました。その後、1936年(49歳)でコロンビア大学の助教授に昇任。第二次世界大戦がはじまると、アメリカ軍の戦争情報局に召集されました。この時の報告書を基に、戦後の1946年に発表したのが彼女の有名な「菊と刀」です。戦争中で現地(日本)には行けず、彼女は一度も来日せず、文献と日経移民との交流を通じてのみ調査をし本を完成させました。
彼女は1948年にコロンビア大学正教授に任じられましたがその二か月後、1948年に61歳で亡くなりました。
「菊と刀」で述べられた「日本の恥の文化(shame culture)」と「西洋は罪の文化(guilt culture)」の比較や、日本人は「階層制度・秩序」に対する信仰があるとか、「恩」は階層社会の上から下への義務・負債なのでこれを返済しなければならないとする「報恩」の文化、などは、当時から賞賛を受けたり、批判を受けたりしています。
コロナ禍の今、改めて読み直すと、「階層制度・秩序」を重んじるという日本の文化は、ロックダウンなしの自粛でもルールを守るところとか、自粛警察があちこちに現れてそのような「暗黙のルール」を守らない人を凶弾する、など、あちこちでその残像を見ることが出来ます。「お上のいう事に従う」という習慣は日本人の中にひそかに引き継がれていて、コロナ禍のような非常事態に表に浮き出てくるのかもしれません。普段上品だった女性が「あんた、マスクしろ!」と叫んだりする光景は戦争中の日本を彷彿とさせます。戦後70年たって日本人もすっかり変わったと思っていたら、根っこは変わっていなかったのかもしれません。
私が学生時代にフランスに行って驚いたことは学生も抗議デモを呼び掛けたり、しょっちゅうメトロや鉄道などがストで動かなくなったりすることでした。最近でもコロナ禍のワクチン義務化に反対するデモとか、その前は燃料価格の高騰に対する「黄色いベスト運動」がありました。集団で抗議デモをする、というのは日本でも時々ニュースで見ますがやはり他国に比べるととても少ないと思います。外国のデモの激しさに「怖いなー」と思いますが、日本のデモの少なさにも不思議だなと感じます。最近はSNSという手段があるので、そこで世論はある程度計れるのかもしれませんが、それも「匿名性」があるから出来ること。はたからみたら日本人はなんておとなしい国民なんだと思われるかもしれません。
ルース・ベネディクトは日本人を理解するには、まず「分相応に振る舞うこと」という考え方を理解しなければならない、としています。アメリカ人が自由と平等を信じるのと同じように、日本人は秩序と序列に重きをおくと彼女は指摘しました。日本人の序列の意識は、人と人との関係、人と国との関係の全てに通じる重要な概念だ、と。話し方一つとっても、自分より上の立場の人に話すか、下の人に話すかで言い方が異なるし(尊敬語や謙譲語)、お辞儀の深さも違うと説明しています。
確かに現代でも、小学生で先生への敬語を学び、中学校で先輩・後輩を区別するようになり、就職したら上司、部下、客先など、相手により自分の話し方を変えるすべを習得します。会社では「鈴木さんは現在席を外しています。〇〇会社さんから電話があったこと、伝えておきます。」などと電話で受け答えすると上司から「同じ会社の人は鈴木だけでいい。サンはいらない。」と指摘されるなど、ウチとソトの区別は複雑です。発言するだけで上下関係を作らざるを得ないのが日本語です。サムライが無口だったのは、下手にしゃべって自分の立ち位置を間違うことを恐れていたからなのかもしれません。
日本に行かずにこれだけの情報を収集した彼女はすごいとしか言いようがありませんが、私は日本人の秩序とか義理、などの話のほかに、日本の家庭についての詳細な説明が面白くて仕方ないです。例えば
“Young wives whose husbands have died are called “cold-rice relatives”, meaning that they eat rice when it is cold, and have to do what all of the other members of the family tell them to.” (若い夫を亡くした妻は、「冷や飯食い」と呼ばれます。直訳すると「すでに冷たくなったごはんを食べる」という意味になります。そうした未亡人は、亡き夫の家族のいうことにただ従って生活をしているのです。)(第6章 一万分の一のお返し) (日本語訳も「菊と刀(縮約版)より」 |
ルース・ベネディクトは一体どんな人からこれを聞き取ったんでしょうか。
また、こんな説明もあります。最近は核家族が多いので、必ずしも同居していませんが、嫁と姑の問題に歴史は関係ないのかもしれません。
The biggest enemies in the family are the mother-in-law and the daughter-in-law. The daughter-in-law comes into the house as a stranger. She has to learn how the mother likes to do things. In many cases, the mother believes that the young wife is not good enough for her son, but there is a saying that “The hated daughter-in-law gives birth to well-loved grandsons.” Japanese girls today often talk about what a good idea it is to marry a man who is not the first son. (家族の中で最も反目するのは姑と嫁です。嫁は家によそ者として入ってきます。嫁は姑がどのようにすれば喜ぶのかを学ばなくてはなりません。多くの場合、姑は、若い嫁が息子に十分に尽くしていないと思い込みます。日本には、「憎き嫁、かわいい孫を多く産み」という言葉があり、また最近では、若い女性の間では、長男ではない男と結婚することがなんていいことかしらと、語り合っているということです。) (第6章 一万分の一のお返し) (日本語訳も「菊と刀(縮約版)より」 |
長男と結婚したくない、と戦争中も思う日本女性がいたんですね。アニメ「鬼滅の刃」で主人公の炭治郎が『俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった』というセリフは、日本人のファンの間で支持率が高いようですが、この「長男」と「次男」の違いは、海外で放映されたときもしっかりと理解されたのでしょうか。
家族ではないですが、こんなことも書かれています。
Sleeping is another thing that the Japanese love. They can sleep anywhere, even in places where Westerns think it should be impossible. At the same time, however, they are quick to give up sleep. A student preparing for examinations works night and day, and never thinks that sleeping would help him do better on the test. (寝ることは日本人が愛する(温泉以外の)もう一つの楽しみです。彼らはどこでも睡眠をとります。西欧の人々からみてあり得ないような場所であっても。それでいて、日本人はあっさりと睡眠を諦めます。受験勉強に日夜取り組む学生は、睡眠がテストで良い成績をとるために必要なことであるとは思っているわけではないのです。)(第9章 人の情の領域) |
現在も揺れる電車でよく眠る日本人を見ると、今でも似たような感覚を得る外国人はいるんだろうなと思います。それにしても戦争中に調べた「ありえない場所」とはどこだったんでしょうか。
「菊と刀」では、「日本の恥の文化(shame culture)」と「西洋は罪の文化(guilt culture)」が比較されますが、そのしつけの始まりは6歳、7歳から始まるとしています。
Slowly, after children are six or seven, they are given responsibility for “knowing shame”. They know that if they do not do so, something terrible will happen: their own family will turn against them. During the earlier years, they are prepared for this through things like teasing. These early experiences prepare the child to accept great controls on him when he is told that “the world” will laugh at him and reject him. (6歳か7歳になるころ、彼らは「恥を知る」ように、責任を与えられます。子供たちは、その責務を果たさないと、恐ろしいことが起きることを知らされます。家族みんなが向かってくるような、幼少の頃から、彼らはからかわれることによってこうした責務への準備をさせられています。)(第12章 子供は学ぶ) |
確かに私自身も母親に「そんな事したらお母さん恥ずかしいわ。」と言われながら育った覚えがあります。「恥」と「罪」が対比するのかどうかはさておき、日本人に恥ずかしがりやが多いとしたら、こういうしつけをされながら育つことで極端な自意識過剰になったり、自己肯定感が持てなくなったりするのと関係があるのかもしれません。ルース・ベネディクトはこのようにして日本人は批判されることへの畏れや仲間外れになることへの恐怖が植え付けられるとしています。同調圧力は外からだけでなく、本人の内側からも作用するのかもしれません。
出版から70年ほどたっていますが、確かに今読んでも納得してしまいそうなところがあります。ちなみにこの題名の「菊と刀」は、日本人は菊を芸術の高みみまでもっていく国民なのに同時に刀や武士をも崇めてしまう、という不思議さを表しています。しかし彼女は、他の国を理解しようとするなら、その国民の習性や物の考え方を知らなければならない、またそれがわかれば理解できる、という観点から日本を研究しました。アメリカの日系人への聞き取りや、夏目漱石や、忠臣蔵などの文献を読み、その性質を知ろうとしたのです。
戦争中の研究をベースにしているとはいえ、文化相対主義という切り口で研究されているせいか、戦争の敵国の分析であるわりに、とてもクールな見方がされています。これが悪い、これが変だ、というのではなく、日本人の行動様式とその理由が説明されているので、日本語に翻訳された後も、強く批判する日本人がいる一方で、腑に落ちたと感じた日本人も多かったのではないかと思います。
また、自分自身を含めて、この本を読む日本人が多いということも「分をわきまえることを重んじる」日本人ならではなのかもしれません。「外からどう見られているか」を気にする日本人の国民性は出版後何十年たっても変わっていないのでしょう。
(出典「菊と力」IBCパブリッシング(日英併記の縮約本))
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