<めざせ語学マスター>バイリンガリズムについて②

2021年10月5日

頭には浮かんでいるのに、言葉がわからない・・・。
この経験で私の一番の思い出は、「くじら」です。
通訳を始めたばかりのころ、初めての入札会の通訳、続けていった省庁への表敬訪問。緊張してガチガチの私に「大丈夫、ボンジュールっていうだけだよ」とセネガル人の客人は気遣ってくれましたが、訪問先には多くの見学者と白いカバーのかかったソファー。緊張ガチガチのまま会議開始。プロジェクトの話が一通りすむと、「そういえば国際捕鯨委員会が始まりましたね。」という話題に。
”ほ、捕鯨?くじら?くじら??なんていうの?”
試しに「ホエール・・・(whale)」と言ってみるが局長の表情は「?」。
「お、大きな哺乳類の魚です!」
というと、「ああ、バレーヌ(baleine)ね!」
納得してくれたようです。
その先もしばし会話が続いたあと、私の中でかなりの恐怖が生じます。
”まさか、片方はクジラだとおもっていて、片方は他の魚の話をしていたら・・・”
そこで勇気を出して「すみません、ちょっと辞書で確認させていただけますでしょうか。」と会議の最中にもかかわらず、辞書をとりあげて確認。ほっとして先を続けました。
「ほら、大丈夫だったでしょ。ただの挨拶だから。」
という客人の横で、ぼろ雑巾のようになりながら、私はこのクジラという言葉は一生忘れないだろうと思いました。

なぜこのことを思い出したかというと、今回の話題がバイリンガリズムのメカニズムについてだったからです。先日のバイリンガリズムでは、バイリンガルの種類についてお伝えしましたが、今回はバイリンガリルがどうやって複数の言語を操るのかを研究したお話について。片方の言語でわかっていて、他の言語では語彙として入っていない情報がある・・・こういうシチュエーションを、研究者はどうやって調査したのか。

カミンズ(James (Jim) Patrick Cummins: 1946年 アイルランドのダブリン生)は現在もトロント大学オンタリオ教育研究所の教授です。第二言語として英語を学ぶ学習者の言語発達・リテラシー発達の研究に取り組んおり、バイリンガリズムにおける認知機能や学力について、1979年に、伝達言語能力(Basic Interpersonal Communicative Skills: BICS)と学力言語能力(Cognitive Academic Language Proficiency: CALP)という二つの能力を提唱しました。


https://www.oise.utoronto.ca/ctl/Faculty_Profiles/1464/James_Cummins.html

まずは彼が提示した、二つのバイリンガルのモデル、
分離基底言語能力モデル(Separate Underlying Proficiency Model: SUP)
共有基底言語能力モデル(Common Underlying Proficiency Model: CUP)という二つのモデルを見ていきたいと思います。

分離基底言語能力モデル(SUP)
(分離深層能力モデルとも言われるときもあります。)
1920年代から 1960 年代までは、 欧米を中心に バイリンガルは知恵遅れ、学業不振、情緒不安定などと結びつけて考えられており、バイリンガル教育は否定的に考えられていたそうです。バイリンガルの頭の中には、第一言語(L1)の風船と第二言語(L2)の風船があるように考えられていました。

例えばアメリカの移民の子供の場合、母語と英語は切り離されているため、母語を通して学習された内容や技能は英語で学習された内容に転移されず、また英語を通して得た知識も母語には反映されないと思われていました。二つのことばの同時習得は子どもの学習能力を二分するから思考力も語学力も弱ってしまう・・、こうした考え方をカミンズは分離基底言語能力モデルと呼びました。

しかし、その後、フレンチ・イマージョン・プログラムなどの実証により、バイリンガルでも認知的に有利な点が多く指摘され始めます。早期の外国語教育の導入や学習者の母語と外国語を併せて学習するほうが、モノリンガル教育より優れているという事例が報告されるようになりました。

このような分離基底言語能力モデルに対してカミンズが提唱したのが、共有基底言語能力モデル(Common Underlying Proficiency Model: CUP)(共有深層能力モデルともいいます)でした。このモデルが分離基底言語能力モデル(SUP)と違うのは、母語(L1)で学んだ内容や獲得した能力が、もう一つの言語(L2)に転移する、という点です。カミンズは第一言語の運用能力と第二言語の運用能力は、表面的には流暢さや語彙数が違うので別々の言語運用能力に見えても、実は氷山の水面上に見える2つの頂にすぎず、水面下では一体であると考えました。

カミンズは、バイリンガル教育の評価、年少者の移民時の年齢と第二言語習得の関係、家庭における2言語使用の子供の成績などについて研究が行い、共通基底言語能力モデルに基づく相互依存の仮説(発展的相互依存仮説:Developmental Interdependence Hypothesis)を提唱しました。母語の基礎 で第二の言語が育ち、また第二の言語を持つということが、言語そのものに対する メタ 認識を高めるというものです。

また、カミンズは子供におけるバイリンガリズムには、3つの段階が存在するとしバイリンガルを3つの段階に分類しました。

3層目:均衡バイリンガル
2層目;弱い均衡バイリンガル(ドミナント・バイリンガル)
3層目:限定的バイリンガル(ダブル・リミテッド・バイリンガル)

これを敷居理論(Thresholds Theory)と呼びました。

その後、スウェーデンに住むフィンランド語を第一言語とする移民の子どもを対象とした研究で、スウェーデン語とフィンランド語の両方で日常会話の流暢さに問題がないのに対して、学校の教科学習などの場面においては困難を来すという現象が報告されると、カミンズはこの現象を説明するために伝達言語能力(Basic Interpersonal Communicative Skills: BICS)学力言語能力(Cognitive Academic Language Proficiency: CALP)という2つの能力を分けて説明しました。

伝達言語能力(Basic Interpersonal Communicative Skills: BICS)
例えば、スポーツや、買い物、友達との日常会話のときに必要な言語の能力です。

生活場面で必要とされる言語能力で、子供たちは友人との会話や買い物に必要な表現など、日常生活に必要な語彙や流暢さを早い段階で習得します。

もう一つの能力は教科の学習場面で必要とされる言語能力です。
学力言語能力(Cognitive Academic Language Proficiency: CALP)


友人との会話はできても、また流暢に日常会話ができても、教科の学習に参加するためには、分析・統合・類推などの認知処理を支える言語能力が必要となります。

彼はこの二つの能力を下のような4つにわけて示しました。

高コンテクスト・コミュニケーションとは、子供が活用できるコンテクストの助けが高い場合のコミュニケーションのことで、ボディランゲージや物をさしたりして、メッセージのやりとりを理解している場合です。

低コンテクストコミュニケーションとは、子供が活用できるコンテクストがなく、文中の単語のみが意味を伝える場合のコミュニケーションのことで、本などを読んだり、説明を聞いたり、言語形式だけで内容を理解しなければならない場合です。

このように、カミンズが言語の能力をBICSとCALPに分けたことは、その後のバイリンガル教育・政策に大きな影響を与えました。それまでは、移民の子供たちの英語能力をどうやったら早く向上させられるのか、という点に焦点が当てられていましたが、カミンズは移民の子供たちの母語の重要性に注目しました。母語教育が英語の習得を遅らせるのでは?、家庭での英語以外での会話が学習を遅らせるのでは?と心配する保護者や教師に、母語教育が英語の向上にも効果があることを示したのです。また、日常会話がスムーズだから学習もできるわけではないこと、アカデミックな研究ができる人に会話が苦手な人がいることもモデルにより説明することができました。

BICSとCALPの例です。

伝達言語能力

(Basic Interpersonal Communicative Skills: BICS)

 学力言語能力

(Cognitive Academic Language Proficiency: CALP)

口頭での会話に使われる社会的、会話的な言語能力です。社会言語ともいわれ、様々な合図がリスナーに提供される高コンテクストコミュニケーションに使われます。どんな文化的背景のある子でも2年程度で習得できます。中でも英語の学習者は:
 ジェスチャーなどの非言語的コミュニケーションを理解できるようになります。
 相手のリアクションを読み取れるようになります。
 イントネーションや協調などの音声による合図を理解できるようになります。
 写真や具体物など実物を見て読みとれるようになります。
学校の授業など、低コンテクストコミュニケーションで使われる言語。英語の学習者には授業を理解するのに5年から7年習得にかかります。

非言語的な要素がありません
フェイストゥフェイスのインターアクションが少ない会話です。
 抽象的な学習言語を使います。
読解力が求められます
理解するためには文化/言語的知識が必要になります。

通訳という職業は、冒頭の「くじら」にフランス語の「baleine」や英語の「whale」を張り付けていくように、片方の言葉でわかっている概念に、辞書などの助けを得ながら、別の言語の語彙をラベル付けしていくような仕事です。しかし、通訳が扱うコミュニケーションはほとんどが低コンテクストコミュニケーションで認知的負担も重いもの(CALPの範囲)ばかり。両方の言語が表面的にうまいからといって誰でも通訳ができるわけではなさそうです。

また、日本で働く外国人が増えている今、今後母語が日本語ではない子供も増える可能性があります。「ああ、あの話だ、家で使う言葉ではわかる。でも日本語でなんていうんだろう・・知っているけれどテストでは答えられない・・」と悩む子供も増えるかもしれません。もし先生から「あんなに日本語がうまいんだから授業もわかっているはずでしょう。」と判断されて放置されてしまうと、学業から取り残されてしまう悲劇も起こりそうだと思いました。(鍋)

参考:第二言語習得論 アルク
言語的マイノリティ児童の学習言語(英語・継承語)を育てるカナダの公立小学校の実態
鈴木崇夫
Cumminsの相互依存モデル、BICSとCALPについて 旅する応用言語学
Four differences between BICS and CALP (and why) CLIL media

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<めじろ奇譚>昔あった国のことについて

2021年9月30日

「♪昔あった国の映画で 一度観たような道を行く」という歌詞がある曲に出てくる。もちろん、昔あった国と言っても、古今東西数多くある。知る限り作詞者は明確にはしていないようだが、どうもソ連のことを指しているというのが通説らしい。世界に映画が普及した以降になくなった国と言えば、他にもユーゴスラビアとかチェコスロバキアもあるかと思うが、取りあえずソ連と信じて話を進めよう。今回は、この今はなきソ連の名称にまつわる「ちょっと不思議」にお付き合いいただきたい。
まず、ソ連の正式名称を、日本語と本家のロシア語、そして西欧語の代表として英・仏語で書いてみよう。

日:ソビエト社会主義共和国連邦(略称 ソ連)
露:Союз Советских Социалистических Республик (略称СССРまたはСоветский Союз)
英:Union of Soviet Socialist Republics (略称USSRまたはSoviet Union)
仏:Union des républiques socialistes soviétiques (略称URSSまたはUnion soviétique)

1 固有名詞の含まれない国名?
まず注目したいのは、「ソビエト」である。カタカナで表記されるためか、我々はこれを、「インドネシア」とか「ザンビア」と同様の固有名詞と思い込んではいないだろうか。この点については、原語のсовет をそのまま音写しているだけの英・仏語の話者も同様の誤解をしている可能性があるのではないだろうか。
ロシア語のсоветは、そもそも固有名詞などではなく、日常的やり取りでも使用される単語で、基本的な意味は助言、そこから転じてこの場合は(助言をし合う)評議会といった意味合いだ。つまり、この国の名称は、「評議会(совет)(形式の)社会主義(体制の)諸共和国のユニオン」ということだったのだ。
そのため、日・英・仏語のように、そのままソビエト、Soviet、sovietと音写せずに、評議会の意の自言語に訳してこの国を表現している言語もいくつか存在する。
今でこそ反露・親西欧的な姿勢がクローズアップされがちなウクライナだが、ソ連時代は、少なくとも表面的にはロシア(人)とも密接な関係で国を構成していた一員だ。しかもウクライナ語はロシア語とも系統的に非常に近い関係にある。そのウクライナ語では、ソビエトを「ソビエト」とは呼んでいなかったと聞けば、不思議な感じがしないだろうか。ソ連に当たる言い方は、ウクライナ語ではРадянський Союз だ。радянськийはрадаの形容詞形で、ドイツ語のRatにつながると言えばおわかりいただけるだろうか。

2 連邦?
次に問題したいのは、上でわざわざ「ユニオン」として「連邦」としなかった点に関わる。まず、日本語で連邦と言えば、英・仏語であれば、federation、fédérationという語が真っ先に浮かぶのではないかと思う。ロシア語でもфедерация という語はあり、現に現在のロシアの正式名称は、
日:ロシア連邦
露:Российская Федерация
英:Russian Federation
仏:Fédération de Russie
だ。
結論を先に言うと、上で仮に「ユニオン」とした部分の原語союз を、英・仏語では適切にunionとしたが、日本語で「連邦」としたのは問題があったのではないか、ということだ。
союзというのは、あの国で輝いていた宇宙開発分野の話題でよく聞いた、ロケット名ソユーズ○号というあれだ。つながり、結合、組合といった意味で、文法用語の接続詞の意でも使われる。実は、日本語にも、「ソ連」の他に、「ソ同盟」という言い方もあったのだが、ご存じだろうか。こちらの方が、より適切な訳語と思われるのだが、残念ながら、あまり普及しなかった。
連邦と「ユニオン」で政治体制的にどう違うのか、ということにはここでは立ち入らないが、少なくとも、あえてфедерацияを使わなかったということは、一般的な理解の連邦ではなかった(実態はともかく、思想としては)ということになる。

3 何のユニオン?
更に付け加えると、「諸共和国のユニオン」、つまり(1956年から、バルト諸国が一足先に分離するまでは)15のソビエト(評議会)諸共和国のユニオンかという点が、ロシア語はもちろんのこと、英・仏語でも明快だ。この3言語では、「評議会(совет)(形式の)社会主義(体制の)諸共和国」という語が複数形で表現されており、それらのユニオンという語構成になっている。ところが日本語だと、ソビエト+社会主義+共和国+連邦と並列されていて、例えば最初のソビエトが共和国を修飾しているのか連邦を修飾しているのか曖昧だ。ぱっと読むと、(連邦という語はあるにせよ、)諸共和国が同盟を組んでいたということが陰に隠れて感知できない。単一の政体のように感じられてしまう。
この点も、日本でこの国の正確な姿を捉えるのに支障があったのでは、と思えてならない。

以上1~3で訳語の適否という面(と言っていいかどうかも疑問があることは承知の上で)からみると、あくまでも筆者の考えだが、日本語は3敗、英・仏語は2勝1敗ということになる。もちろん、西欧語の方が優れていて日本語は劣っているということでもなければ、ヨーロッパ語の概念を日本語に移せないということでもない。ただ、このような重要な概念を移し替えるに当たっては、もっと慎重であってしかるべきであったのではないか、という気はする。

さて、冒頭で「昔あった国~」という歌詞を紹介したが、それと関連があるのかどうかはよくわからないのだが、「甘い手」という別の曲ではバックに、この昔あった国の映画シーンをサンプリングした男女のロシア語でのやり取りが聞こえてくる。ぜひ一度聞いてみてほしい。(一老いぼれ職員)

(小文の見解は筆者個人のものであり、必ずしも㈱フランシールの公式見解ではありません。)

<めざせ語学マスター>バイリンガリズムについて

2021年9月28日

学生のとき、両親の都合で幼いときに海外に行っていた、というクラスメートが羨ましいと思ったことはありませんか?または、お父さんかお母さんが外国出身だという人にあこがれを抱いたりしませんでしたか?私にとって、バイリンガルはあこがれでした。

翻訳会社に入ってからも「日本語ができていないとちゃんとしたバイリンガルにはなれない」とか、「一度に二か国語を覚えるんじゃなくて片方の言語がしっかり身についてからもう一方を勉強したほうがいい」など、都市伝説的な話をよく耳にしました。今回取り上げるのはそんなバイリンガルについての理論です。

まずは言葉の定義から。
セミリンガル(semi-lingual):二つの言語のうちどちらの能力も十分でない人
モノリンガル(monolingual):一つの言語しか使用できない人
バイリンガル(bilingual):二つの言語がある程度同等に試用できる人
マルチリンガル(multilingual):三つ以上の言語を流暢に使う能力を持っている人
バイリンガリズム(bilingualism):二つの言語を流暢に使う能力を持った人が実際に2言語を運用することや社会の中で二つの言語が使用されること

さらにバイリンガルは下のように分類されます。

① 二つの言語の言語能力による違い

均衡バイリンガル(balanced bilingual )と偏重(不均衡)バイリンガル(unbalanced bilingual)

均衡バイリンガルは2つの言語をほぼ同じバランスで、ネイティブのように使える人のことです。
偏重バイリンガル(不均衡バイリンガルと呼ぶこともあります)は、2つの言語の能力に差があって、どちらか一方のほうが優勢であるような場合です。

    

 (上図)均衡バイリンガル(balanced bilingual )

(下図)偏重(不均衡)バイリンガル(unbalanced bilingual)

② 二つの言語を習得する順番の違い

連続バイリンガリズム(successive bilingualism)と同時バイリンガリズム(simultaneous bilingualism)

子供が家庭で第一言語を習得し、その後小学校などで第二言語を習得してバイリンガルになる場合を連続(あるいは継続/後続性)バイリンガル(consecutive bilingualism/sequential bilingualism)といい、国際結婚などで母親と父親が別々の言語で話しかけて育てた場合は同時バイリンガル(simultaneous bilingualism)といいます。

(上図)連続バイリンガリズム(successive bilingualism)

(下図)同時バイリンガリズム(simultaneous bilingualism)

 

③ 2言語の維持方法の違い

付加的(加算的ともいいます)バイリンガリズム(additive bilingualism)と削減的(減算的ともいう)バイリンガリズム(subtractive bilingualism)

第二言語や文化が加わっても、第一言語の文化にとって代わるのではなく、価値が付加されると考える場合が付加的(加算的)バイリンガリズムで、第二言語を学ぶことで、学習者の第一言語や文化を損なう場合を削減的バイリンガリズムと呼びます。

(上図)付加的バイリンガリズム(additive bilingualism)

(下図)削減的バイリンガリズム(subtractive bilingualism)

 

 

イマージョンプログラムとサブマージョンプログラム

加算的バイリンガリズムを推奨するためのプログラムが、1970年代にカナダで始められたフレンチ・イマージョン・プログラムです。カナダでは英語とフランス語が公用語とされており、このプログラムは幼稚園、小学校、中学校などの選択制プログラムとして行われました。このプログラムは今も続いていて、英語が母語の生徒は、フレンチ・イマージョン・プログラムに、フランス語が母語の生徒は英語のイマージョン・プログラムに参加することができます(例:カルガリー教育委員会サイト)。母語の発達、帰属意識、学力が犠牲にならないようにしながら、母語以外の外国語を習得するためのプログラムになっており、幼いうちから他の言語に慣れることで、語学だけでなく、問題解決能力や、創造性も育てることができるとされています。

イマージョンプログラムと逆に、削減的バイリンガリズムを誘発するのサブマージョンプログラムです。家庭で現地語を使用しない移住者・外国人の児童生徒が現地の学校に投入された場合がこのケースにあたります。外国語で学ぶ環境に入っても、実際に現地語での教科学習が可能になるまでには長い時間がかかります。この状況により母語を使わなくなったり、親子の交流の質が低下したり、学業遅滞、帰属意識混乱が発生する可能性があります。転勤でアメリカに行った家族の子供がアメリカの学校に入学する、日本に移住してきた家族の子供が日本の学校に入学する場合がこのケースにあたります。子供により、現地語を早く習得できる子もいますが、途中でおぼれてしまう子もいます。

イマージョンとサブマージョン、どっちも似ている英語ですが、イマージョン(immersion)は「ちょっと潜る」といった、泳ぐ人に例えると体が上から見えているようなイメージですが、サブマージョン(submersion)は水面より下に体が沈められていて、上からでは泳ぐ人の体が確認できない、スキューバダイビングのようなイメージです。潜水艦もサブマリーン(submarine)ですね。(鍋田)

参考:アルク 第二言語習得論
新版 日本語教育事典


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<めじろ奇譚>私の受けたカルチャーショック(フランス編)

2021年9月23日

今回のテーマ、カルチャーショックは、自分の生まれ育った文化と異なる文化に触れたときに違いを感じてショックを受ける、というものです。

東京都下で生まれ育った私が思い出せるカルチャーショックと言えば、まず、大学生の時にフランスの地方都市に留学した時の事でした。
もう何十年も前のことになってしまいあんまり良く覚えていない、というのが正直なところですが、一番ショックだったのは日曜日にお店がほぼ全部閉まっている事でした。

当時はハンバーガーチェーンなんかもまだ地方都市まで展開しておらずボルドー等の大都市のみでしたから、地方都市の日曜日は死の街の様に静まり返っていました。バス停が集まっている街の中心地のカフェ数軒のうちのいくつかがあいているだけで、街中にあるスーパーもあいておらず、一般のお店も全て閉まっていました。
日曜日は買い物がまったく不可能なので土曜日に買い物をする、という習慣が出来たのでした。

そんな状況はそれから数十年過ぎてフランスの地方都市で仕事をしていた時も変りませんでした。

フランスで最初に住んだ都市はそれでも県庁所在地のまちだったのでそれなりに大きな都市でした。でも仕事で滞在していたまちはそれよりかなり小さな、ピレネー山脈のふもとに近いまちでした。わたしは数人の日本人の人とそのまちに滞在して仕事をしていましたが、日曜日にお店がお休みなのは当たり前。それどころか滞在していたホテルの食堂も日曜日には営業していなかったのです。滞在客がいるのになんでレストランを開けてくれないんだ、という我々の抗議に対してホテルの人は、“おれたちにも休みの日が必要だろ、だってホテルは毎日休みなく開けてるんだから”という返事でした。
なので我々は土曜日にあてがわれてた自転車で郊外のスーパーに買い出しに行って日曜日の食料を確保しておくか、日曜日でも空いている中華料理店に行く、という選択肢しかなかったのでした。

ただ、土曜日は市場の日で町中の広場という広場に大きな移動販売のトレーラーがやってきて、肉、野菜、魚、小物類まで買う事が出来ました。移動販売を専門にしているお店の様で、毎日違う町に行き市場でお店を開いていたのです。日本で想像する移動販売とはスケールが違う大型トラックで、大きなコンテナサイズの荷台がウインウインと開くとそこにはお店が、というもので、移動する店舗と言った方が正確かもしれません。地方のまちにはそれぞれ町の中心に広場があり、月曜日はこのまち、火曜日はここ、と移動していたのです。私たちのいた町はその中では規模が大きな町で人口が1万ぐらいありましたから、土曜日に市場が開かれていたのです。

日曜日は日曜日で町の中心の広場に古物商が店を開き、骨董市が毎週開催されました。
土日の午前中はそういった市場に行くのが日課であり、楽しみでもありました。

それ以外にフランスのいなかで学んだことは、お店でもなんでも中に入るときに必ず挨拶をすることでした。店に入ったら必ず“こんにちは、何なにを探しています”とか“ちょっと見せてください”と言います。レストランでも入ったら店の人に、“一人です、食事できますか”とか言ってから案内されたテーブルに着くのです。黙って勝手に席に座るのはありえない事でした。

私もそういう、お店でもなんでも挨拶してから入る、という習慣を身につけたわけですが、後年通訳になりアフリカの国々に行くようになってもっとおどろかされました。

知らない誰かとすれちがっただけでもみんな結構あいさつするんです。
どこのだれかも知らない人でも、すれ違うときに目があったら必ずこちらもむこうも“こんにちは”というのです。
私はそんな習慣ってとっても良いことだと思います。なんかやさしい心持になります。

だから、というわけではありませんが、私は東京でも食事をしに入った店とかではあいさつするようにしています。出るときにはかならず“ごちそうさま”と言ってでます。
おいしかったらおいしかったといいますし、そうするとお店の人もにっこりしてくれます。
日本、特に東京はひとに冷たい、とか言われますが、だれとでも挨拶するのは良い事だと思います。

しばらく前までわたしは長野の山の中に住んでいました。そこの小学生たちと初めて道で出会ったとき、彼らははじめて会った私に“こんにちは”って言ってくれました。アフリカの人と一緒だな、と私は嬉しくなったものです。

お客様は神様だ、などと偉そうにするより、みんなが笑顔になれる方が良いとおもうのですが。

フランス語通訳 芹澤 紀青


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<めざせ語学マスター>異文化遭遇!カルチャーショック

<めざせ語学マスター>言語は12歳までに習うべき!? 臨界期仮説について

2021年9月21日

やれテストだ、受験だ、と私たちは英語を勉強してきました。大学に入ってからも第2外国語としてフランス語、ドイツ語、中国語などの外国語を多くの人が学んだと思います。特に意識が高い方は「ネイティブのように話したい!」と思ってさらに語学学校に通ったり、留学したりと切磋琢磨されてきたことでしょう。私もそのうちの一人で、20歳でフランスへ留学したときも、バスの中で隣の学生が話していたことを口の中で繰り返したり、ホームステイ先の子供たちとの会話に参加できるように頑張ったりしました。

しかし、そんなネイティブのように話したい、と勉強している人にはショッキングな仮説があります。「言語の獲得には年齢限界がある」と提唱したエリック・レネバーグの「臨界期仮説(Critical Period Hypothesis)」(1967)です。人間は,乳児期から思春期(11~12歳)までの成熟期間を過ぎると,母語話者並みの言語を獲得できなくなるという年齢限界説です。

ああ、もう大学に入ってから勉強したんでは、すでに遅かったんじゃないか、時間を返してほしい、小二の時の父親の転勤先はどうして大阪からパリじゃなくて大阪から栃木だったのか。私はせいぜい覚えても栃木弁くらいじゃないか・・・!と、呪っても時すでに遅し。私はフランス語をネイティブのようには獲得できないのです・・。

しかしそもそも、言語学者たちは第一言語(L1:いわゆる母語)と第二言語(L2)をかなりはっきり区別します。一番大きな違いは、すでに習得している言語があるかないか、ということです。第二言語はその習得時に、すでに第一言語が(頭の中に)存在しています。また、第一言語には教室指導はなく、ある程度の年齢になればだれでも自由に話します。でも第二言語は教室指導が必要になるなど、ネイティブ並みに習得するには、かなりの努力が必要です。

事実、2つの言語を全く同等に扱えるバイリンガルも存在しますし、そのバイリンガルについての研究も多くされています。次回以降のブログでそのバイリンガリズムについて調べようと思いますが、今回はレネバーグの臨界期仮説に注目します。

(写真:アメリカ言語学会より)
レネバーグ(Eric Heinz Lenneberg )(1921年– 1975年)は、言語習得と認知心理学を調べが言語学者および神経学者です。ドイツのデュッセルドルフで生まれたユダヤ人でしたが、ナチスの迫害が高まったため、家族とともにブラジルに、次いでアメリカに移住し、そこで心理学と神経生物学の教授になりました。

レネバーグは「言語の生物学的基礎(Biological Foundations of Language)(1964)」で、言語回復の程度は脳機能の一側化(lateralization)に対応しているとし、一側化後に脳を損傷した場合、母語を完全に回復することはないと考えました。彼の研究は、第二言語習得についてではなく、第一言語(母語)の習得についての臨界期を調べるもので、日本語でいうなら、日本人が日本語をきちんと習得できるのはいつまでか、ということです。

そもそも日本人なら誰でもペラペラに日本語を話しているのに、どうやってそんな研究ができるのか、と思うかもしれません。彼は脳損傷で失語症になった患者の回復する経過を調べることでその理論にたどりつきました。

では失語症とは何でしょうか。
国立研究開発法人国立循環器病研究センターのサイトでは下のように書かれています。

失語症とは
大脳(たいていの人は左脳)には、言葉を受け持っている「言語領域」という部分があります。失語症は、脳梗塞や脳出血など脳卒中や、けがなどによって、この「言語領域」が傷ついたため、言葉がうまく使えなくなる状態をいいます。

余談ですが、私が初めて(ボランティア)通訳をしたのは日本で開催された失語症全国大会でのフランス人ゲストの通訳でした。失語症は英語ではaphasia、フランス語ではaphasieと言います。私はその仕事をするときまで失語症について知りませんでしたが、ご一緒したフランス人男性が脳卒中のあと言葉が出てこなくて苦しいと聞き、病気の大変さにとても驚きました。

レネバーグは言語回復のプロセスを5つのレベルにわけています。
20か月までの乳児:機能的な違いのない同一の半球を持っています。
36か月までの幼児:右半球または左半球のどちらかに偏りがちだが言語を別の半球に切り替えることは簡単。
10歳までの子供:右半球で言語機能を再活性化することができます。
思春期早発症(最長14年):等電位性は急速に低下し、その後は完全に失われます。

彼は、損傷された左半球の代わりに右半球が言語をつかさどることを言語機能の「創造(creation)」ではなく、「再活性化(reactivation)」としました。最初こそ言語の機能は両方の半球にあるが、後で(部分的に)右半球から消えることを示したのです。またこのことから、人間が言語を理解し、表出する能力は最初左右両半球に関係しているが、時間がたつと左半球に偏ってしまう(一側化:lateralization)ということ、言語を学習できる限界はこの一側化のおこる前、10歳前後だろうと考えました。

彼のこの理論はその後多くの研究者によって調べられました。
第一言語の獲得について調べる研究者の中には、その臨界期を過ぎるまで第一言語、いわゆる母語をきちんと習得できなかったケースについても調べた人たちもいました。

中でも、13歳まで部屋に監禁されて育ったアメリカの少女、ジーニーの話は強烈です。彼女の父親は彼女が生後約20ヶ月のとき、鍵のかかった部屋に閉じ込めました。その後も彼女はトイレに縛り付けられたり、腕と脚を固定したままベビーベッドに拘束されたりし、誰とも話せないまま過ごしました。1970年、13歳7か月の彼女はひどい栄養失調のままの状態でロサンゼルス郡に保護されました。発見されたとき彼女は歩くことも話すことも出来ませんでした。彼女の存在は、心理学者、言語学者、科学者の注目を集め、言語学者はジーニーに言語習得スキルを提供するとともに研究対象ともしました。彼女は精神的、心理的に大きな進歩を遂げ、救出から数ヶ月以内に非言語的コミュニケーションスキルや社会的スキルを学びましたが、何年たっても完全な第一言語(母語)を習得するには至りませんでした。

また、「子ども学」(Child Science)研究所CRNのサイトの虐待・隔絶児と言葉の発達;養育不全と心の発達障害には、ジーニー以外にもやはり父親によって1歳半から地下室に監禁され虐待を受け、1967年に7歳で発見保護されたチェコスロバキアの一卵性双生児の事例が記載されています。彼らは救出された後、目覚ましい発達を遂げ、他の人と変わらないまでに成長したそうです。これは激しい虐待状態における発達遅滞があってもその後、良い環境に移されると子どもは急速に再発達できるということ、つまり臨界期以前なら習得は可能というレネバーグの説を裏付けました。

参考   Wikipedia ジーニー (隔離児)
Genie Wiley, the Feral Child(英語サイト)

また、Johnson&Newport(1989)は,第二言語における臨界期について研究しました。彼らは,アメリカ合衆国に住む韓国・朝鮮語もしくは中国語を母語とする46人の被験者を対象に彼等の英語能力を調査しました。彼らの英語の聴解能力hearingは,3~7歳に渡米した人は母語話者並み,11~12歳を過ぎて渡米した人は成績が低くなり,思春期を過ぎて渡米した人びとは複数形と冠詞の習得が困難でした。この結果から、第1言語(母語),第2言語の両方において成熟過程(年齢)が影響をもち,言語学習能力は乳幼児期から思春期にかけてピークとなり,後は減衰していくことがわかりました。つまり、第二言語についても臨界期の存在が裏づけられたのです。

つまり・・。
どうやら私の「RとLが聞き分けられない」というのは、脳の一側化という現象から発生しているようです。臨界期が50歳とか60歳なら希望を持てますが、思春期で終わってるんならもう諦めるしかないかもしれません。

とはいえ、結構通訳・翻訳業界では、別に帰国子女でもなく、ご両親のどちらかが外国語の母語話者というわけでもなくても、大学から外国語を勉強して通訳になっている人も多く活躍しています。彼らはどういう努力をして脳の一側化を飛び越えているんでしょうか。まだまだこの分野は研究のしがいがありそうです。

現在の小学校での英語教育はこの臨界期仮説も参考にしているようで、文部科学省のサイトにもレネバーグもニューポートも名前があげられています。
資料3-2 言語獲得/学習の臨界期に関する補足メモ
英語教育は中学生からでは手遅れだ、と平成になって指導方法が変わったんでしょうか。

さて、上に記載したジーニーは1957年生まれなので現在60代。「ジーニー」はプライバシー保護のための仮名だそうです。Genieは(イスラム神話の)精霊、妖精、 魔神、 魔人で、アラジンのジニーと同じです。当時の論争や研究に巻き込まれてしまったようにも思える彼女、今は穏やかな生活を送っていてほしいと心から願います。

参考資料

Critical Period Hypothesis on Language Acquisition 言語習得 の臨界期 について 
Lenneberg’s Critical Period Hypothesis
アメリカ言語学会 A 50th anniversary tribute to Eric H. Lenneberg’s Biological Foundations of Language
コトバンク 言語獲得の臨界期仮説
アルク 第二言語習得論


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<ある通訳の日誌>詩の世界 詩のこころ 4

2021年9月17日

詩の世界 詩のこころ
橋爪 雅彦
1
フィッツジェラルド
森(もり) 亮(りょう)訳
オーマー・カイヤム「ルバイヤート」四行詩

第一回
第二回
第三回
―第四回ー

4.「一国の王様よりも幸せ」という世界
ルバイヤート第十一歌(森 亮訳)
ここにしての下かげに歌の巻
酒の一壺、かてし足り、かたへにいまし
よきうたを歌ひてあらばものににず、
あら野もすでに楽土かな。

木陰にて詩集を開き、美味しいワインとわずかなパンと、そして貴女あなた
私の脇で、あなたが歌えば、何物にも代えがたく、
ああ、あら野も天国だ。

―Edward Fitzgerald  ―Ⅺ―
(フィッツジェラルド第十一歌)
Here with a Loaf of Bread beneath the Bough,
A Flask of Wine, a Book of Verse ­ and Thou
Beside me singing in the Wilderness ­
And Wilderness is Paradise enow.

これもまた美しい韻律です。Bough、Thou、enowと[au]で脚韻します。名詞を大文字で書くのもやや古風な形です。enowはenoughの古形にあたります。Thouは二人称主格にあたる古語です。

森 亮の文語訳も見事です。中国の漢文訓読調から古事記、日本書紀、そして万葉集、古今和歌集、新古今和歌集などの膨大な古典的教養を自己薬籠中のものにしている彼のような博学な翻訳者に比べると、私などは恥ずかしい限りですが、この詩には私なりの思い入れがあり、あえて私の無学を顧みず訳してみました。もちろん文語調では不可能で、現代語で訳しました。

この詩は、現実に起こり得ている状態を歌っているので直接法現在です。さて、そうだとすると、もし私なら、この詩をどういう風に翻訳するでしょうか。

「砂漠なる地の大枝おおえだもと ワイン傾け
一冊の詩集とわずかなるパン ­ そして貴女あなた
私のかたわらであなたが歌えば、ああこの砂漠さえ
完璧な天国であると 私の心は満ちたりる!」(拙訳)

■ ワインのこと
19世紀のイギリスでは、ワインは普通に飲まれるアルコール飲料でした。フランスのボルドーもかつてイギリス支配の地域でしたから、ボルドーからイギリスへは盛んにワインが輸出されていました。
ところが、日本では、カイヤムの詩を翻訳し始めた明治の時代、wineは「お酒」あるいは「葡萄の酒」「葡萄酒」いう風に訳す以外、一般の人には理解できないものでした。

私が子供時代を送った昭和20年代でさえ、日本ではワインという飲み物は珍しいものでした。
一般の家庭でもレストランでもワインを手元に置く習慣はありませんでした。また大人たちが催す宴会でも、ワインはありませんでした。わずかに「赤玉ポートワイン」という名称のワインらしきお酒は市販されていましが、現在市販されているワインとは相当かけ離れたものでした。

思えば、隔世の感があります。
明治5年に群馬県の富岡に日本で最初の官営富岡製糸場ができ、フランス人たちがやってきて日本の女性たちに生糸の器械生産を教えることになりました。が、肝心の日本の若い女性たちがなかなか応募してきません。その理由は、フランス人たちが、夜な夜な赤い血を飲んでいるという噂でした。「とてもじゃないけど、自分の娘をそのような吸血鬼の所へ働きに出すわけには行かない。娘の血が吸われてしまう」という親の反対もあって、富岡製糸場の工女募集はかなり難儀なものでした。

Christian Polak著「絹と光 日仏交流の黄金期」HACHETTE―FUJINGAHO社刊より転載しました。

器械製糸での生糸生産が、外貨獲得のための近道であるという明治政府は、どうあっても器械製糸を稼働させる必要に迫られており、日本の近代化のためにという大義名分を喧伝し、最初は、武士階級や地主階級の若い女性たちを富岡製糸場へ動員するという形をとりました。
当時、各県の県庁からは県下の村長宛てに「13歳より25歳までの女子を富岡製糸場へ出すべし」というお達しが回り、若い女子を持つ親たちは随分と悩んだ様子が、富岡製糸場の工女になった和多英子の日記に書いてあります。
「やはり血をとられるのあぶらをしぼられるのと大評判になりまして、中には、『区長の所に丁度年頃の娘があるに出さぬのが何より証拠だ』と申すようになりました。」(和田英子 富岡日記より)。
そんな風潮のなかで、区長(村長)であった英子の家では、父親も一大決心して英子を富岡製糸場へ出すことになった次第で、当時の日本の田舎では、異人たちが若い娘の血を取って、ああして毎晩飲んでいるのだと思われていました。それがワインでした。

ギヤマン(ガラス)の器で赤い血を飲むフランス人。近郊近在の人たちには恐怖の対象でした。が、和田英子の日記にもありますように、最初は恐怖の対象でしたが、フランス人たちと働いているうちに、フランス人たちに進められてワインを飲んでみると、結構美味しいので、ワインに対しての偏見は次第に無くなっていきました。

明治、大正、そして昭和の半ばまで、ワインは「酒」とか「葡萄酒」とかに訳されていました。日本人の日常生活の中では、ワインはほとんどその存在を認められていませんでした。

さて話をこの詩に戻しますと、
広大な砂漠の中にあるぽつんとした一本の木、その緑なす大枝の下で、若い美女を相手にワインを傾け、詩集を開き、美女が歌い、わずかなるパンを食するとは。

私には、サハラ砂漠での生活が多少ともありますが、ある日、冷蔵コンテナで運ばれてきた生野菜(レタス、タマネギ、ニンジン等)をドレッシングをかけて生のまま食べたことがあります。コンテナを改良したハウスの中から目の前に広がる砂漠を見つつ…
砂漠ではいうまでもなく生の野菜は一切育ちません。
その野菜を眼前の砂漠の中で食するとは、人間って、本当に心理的な生き物だな、という感を強くしました。普段、都会の生活の中で食べている生野菜よりも数十倍もおいしいという事実。同じ生野菜でありながら、格段に違うのです。

ましてこの詩のように、砂漠の緑なす木の下で、砂漠の地では生産できないワインを傾け、また砂漠の地では育たない小麦、その小麦からなるパンを食し、若いピチピチの美女を相手なら、これはもう一国を支配する王様よりも幸せな気分でしょう。

はからずも一国の王様よりもと云いましたが、実は、この詩の別のヴァージョン Justin Huntly MacCarthyが訳したマッカシー版では、次のようになっております。

MacCarthy (449) マッカシー版(第449章)
Give me a flagon of red wine, a book of Verses, a loaf of bread, and a little idleness. If with such store, I might sit by the dear side in some lonely place, I should deem myself happier than a king in his kingdom.
(私にひと瓶のレッドワインと一冊の詩集とわずかな自由を与えてください。これだけあれば、そしてどこか人気のない場所で、愛する者のそばに座ることができたなら、私はかの王国における王よりも自分を幸せだとみなすでしょう。)

―続くー

<めじろ奇譚>二つの意味を一つのことばに詰め込んだportmanteau語

2021年9月16日

英語で「portmanteau」といえば、もともとは、両開き式の旅行かばんを指していた。今はローリングスーツケースやリュックなどの普及により、このタイプのかばんはほとんど見かけませんが、「portmanteau」という言葉は2つ以上の単語とその意味を融合して作られた言葉を指す用語として今でも使われています。(ちなみに、「portmanteau」という言葉はフランス語からの借用語ですが、言語学用語のportmanteau語に該当するフランス語は「mot-valise」(かばん語)となります)。

英語ではこのような言葉を「portmanteau」と呼ぶようになったのは、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』で、ハンプティ・ダンプティというキャラクターがlithe(柔軟な)とslimy(ヌルヌルした)の組み合わせから作り上げた「slithy」という言葉を主人公のアリスに次のように説明したことから始まります。

「You see it’s like a portmanteau – there are two meanings packed up into one word」
(「おわかりのように、かばんみたくなっておるわけ――二つの意味を一つのことばにつめこんであるのだ」)。

Portmanteau語の例:

Brunch (ブランチ) = breakfast(朝食)/ lunch(昼食)
Cosplay (コスプレ) = costume(コスチューム)/ play(プレイ)
Cyborg = cybernetic (人工頭脳学の) / organism (生命体)
Malware (マルウェア) = malicious (悪意のある) / software(ソフトウェア)
Paralympic Games (パラリンピック) = paraplegic (対麻痺) / Olympic(オリンピック) (パラリンピックの起源が脊髄損傷者のリハビリの一環として行われた大会です。)
Smog (スモッグ) = smoke(煙)/ fog(霧)
Webinar (ウェビナー) = web(ウェブ)/ seminar(セミナー)

この他にも、複合語(compound word)や音節の略語(syllabic abbreviation)など、2つ以上の単語を組み合わせた言葉があります。Portmanteau語と、「seatbelt」などの複合語との違いは、複合語はその構成要素の元の単語(この場合は「seat」と「belt」)に分解できますが、portmanteau語の場合は、構成するすべての単語が完全には含まれていないため、このように分解できません。例えば、「brunch」というportmanteau語をどのように分解しても、意味のある単語が一つもできません。また、「cosplay」の場合は、「play」はそれだけで一つの単語にはなりますが、「cos」という単語は存在しません。
(構成要素となる単語のいずれかが完全な状態で含まれている場合は真のportmanteau語ではないという定義もありますが、それでも「cosplay」はportmanteau語として分類されることが多くて、この定義について意見が分かれているようです。)

一方、音節の略語とは、例えば「Interpol」(International + police)のような複数の単語の頭の音節から形成された言葉です。

なお、「portmanteau」という言葉自体は、フランス語の「port」(運ぶ)と「manteau」(コート)という2つの言葉を組み合わせたものですが、portmanteau語ではなく、複合語です。

Portmanteau – two meanings packed up into one word

In English the word ‘portmanteau’ originally referred to a type of suitcase that opens into two halves with a hinge in the middle. While this type of suitcase has mostly fallen out of fashion with the popularization of rolling suitcases and modern backpacks, the word portmanteau lives on in the English language as a term for words created from a fusion of two or more existing words and their meanings. (Incidentally, although the word ‘portmanteau’ is a loanword from French, the French equivalent for this linguistic term is ‘mot-valise’, literally meaning ‘suitcase-word’.)

The use of the word portmanteau to refer to these kinds of words started with Lewis Carrol’s Through the Looking Glass, where the character Humpty Dumpty explains the made-up word ‘slithy’ (a combination of ‘lithe’ and ‘slimy’) as “like a portmanteau – there are two meanings packed up into one word”.

Some examples of portmanteau words are:

Brunch = breakfast/lunch
Cosplay = costume/play
Cyborg = cybernetic / organism
Malware = malicious/software
Paralympic Games = paraplegic + Olympic (due to its origins as games for people with spinal injuries)
Smog = smoke/fog
Webinar = web/seminar

There are other types of words that are a combination of two or more words, such as compound words and syllabic abbreviations. What differentiates a portmanteau from a compound word such as ‘seatbelt’ is that while a compound word can be broken back up into separate usable words (‘seat’ and ‘belt’ in this case), this is not possible with a portmanteau since it does not contain all its constituent words in full. For example, breaking up the word ‘brunch’ into ‘br’ and ‘unch’ (or in any other way) does not result in any proper words at all, and although the word ‘play’ in ‘cosplay’ is a word on its own, ‘cos’ is not. (According to some definitions, a true portmanteau word cannot contain any of the full words it is made up of, but ‘cosplay’ is nonetheless frequently mentioned among portmanteau words so it would appear not everyone agrees with this definition).

Syllabic abbreviations on the other hand, are usually defined as abbreviations formed from the initial syllables of multiple words, such as in ‘Interpol’ (International + police).

The word ‘portmanteau’ itself is a combination of the two words ‘port’ (carry) and ‘manteau’ (coat), but since its constituent words are both included in full is not a portmanteau word, but rather a compound word.

 

<めざせ語学マスター>英語は聞いていたらペラペラになる・・・か?(クラッシェンのモニター・モデル)

2021年9月14日

ネイティブのように英語や他の言語を話したり書いたりできるようになりたい、もっと自然に話せるようになりたい・・、と思ったことはありませんか?またそのために学校に通ったり、文法を覚えたり、単語を覚えたりしたのではないかと思います。たくさん勉強したら話せるようになるはず・・・と信じて。

昭和の英語教育。それは「This is a pen.」と先生が言えばそれを繰り返す、という方法がとられていました。何度もカセットなどでネイティブの発音を聞いて、繰り返して言い、なるべくネイティブの発音に近づけていく・・・。そのような繰り返しの学習はオーディオ・リンガル法と呼ばれており、文型練習(パターンプラクティス)をたくさん行うものでした。

しかしそれも今は昔。

現在は数々の外国語習得方法がネットでも本屋さんでも取り上げられていて、どれを選んだらいいかわからないほど。

今日はそんな中から、1970-80年代にアメリカの言語学者クラッシェンが提唱したモニター・モデルを紹介します。彼の仮説はその後アメリカのスペイン語教師テレル(T.Terrell)によって発展し、以降「ナチュラル・アプローチ(Narurel approach)」と呼ばれるようになりました。この教授法は日本語の現在の英語教育法にも大きな影響を与えています。

彼はもし第二言語を習得するなら、理解可能なインプットに自分をさらすべきだ、と言っていますが、それはどういう仮説に基づいているのでしょうか。(厳密にいうと「第二言語」とはその言語がその社会でコミュニケーション手段として使われている言語で、アメリカに住む日本人が学ぶ英語や、日本で生活する外国人が学ぶ日本語にあたり、日本で勉強する英語や外国で勉強されている日本語は「外国語」と呼ばれますが、特に下記に記す「第二言語習得論」ではあまり区別をしていません。)

アメリカの言語学者、スティーヴン・クラッシェン(Stephen Krashen, 1941年 2021年現在80歳)は、今も南カリフォルニア大学の名誉教授です 。これまで第二言語習得理論や、バイリンガル教育、神経言語学、読書教育論などの多くの仮説を提唱してきました。

クラッシェン氏は、1970~1980年代にかけて、まとめて「Monitor Model(モニターモデル)」と呼ばれる第二言語習得に関する5つの有名な仮説を打ち出しました。

(1) 習得―学習仮説(The Acquisition – Learning Hypothesis)
(2) 自然順序性仮説(The Natural Order Hypothesis)
(3) モニター仮説(The Monitor Hypothesis)
(4) 入力仮説(The Input Hypothesis)
(5) 情意フィルター仮説(The Affective Filter Hypothesis)

先日のブログに1950年代、チョムスキーが普遍文法理論 で革命を起こしたと書きましたが、そのチョムスキーは「言語能力(linguistic competence)」そのものに焦点をあてており、「言語運用(linguistic performance)」をあまり対象としていませんでした。
クラッシェンはその「言語運用」に焦点をあて、どうやったら「言語能力」を「言語運用」に生かすことができるかを、言語運用から教室指導まで幅広く研究し、ナチュラル・アプローチという新しい教授法にまで発展させました。彼のモニターモデルは、上記の5つの仮説がセットで基盤になっています。以下にそれぞれの仮説を見ていきましょう。

(1) 習得―学習仮説(The Acquisition – Learning Hypothesis)

クラッシェンは習得(Acquisition)は無意識な言語習得過程であり、赤ちゃんが言葉を覚えていく第一言語習得の過程と基本的に同じであるとしています。逆に彼によると、学習(Learning)は意識的な過程であり、言語についての知識を身に着けるプロセスであるとしています。

習得と学習って違うの?と思うかもしれません(少なくとも私は「どっちも同じじゃないの?」と思いました。)。日本語同士が似ているのでとまどうかもしれませんが、英語のまま「習得」を”Acquisition”と「学習」を”Learning”として、あるいは「習得」は「獲得」として読んだほうが分かりやすいかもしれません。

クラッシェンの“Principles and Practice in Second Language Acquisition” Stephen D Krashen University of Southern Californiaでも彼は習得と学習をそれぞれを以下のように全く別物として説明しています。

習得(Acquisition)は潜在意識のプロセスです。言語習得者は通常、言語を習得している事に気づいておらず、コミュニケーションにその言語を使用している、という事にしか気づいていません。言語習得の成果、つまり習得した能力も潜在意識です。私たちは通常、習得した言語の規則を意識的に認識していません。その代わり、私たちは正しさに対する「感覚」を持ちます。どんな規則に違反したかを意識的に知らなくても、文法的に正しい文は「正しく」聞こえ、「正しく」感じますが、正しくない文には間違っていると感じます。言語取得方法には、暗示的学習(implicit learning)、非公式学習(informal learning)、やナチュラル・ラーニングなどがあります。単純に表せば、言語習得とは言語を「pick-up(勉強するのではなく自然と覚える言語)する」ことです。

第二言語習得方法の二つ目は、学習(Learning)によるものです。言語学習とは、ここでは第二言語についての意識的な知識、言語規則の知識や認識などについて学ぶことです。単純に表せば、言語学習とはある言語について「知る」ことであり、「文法」や「規則」です。ある言語の形式的な知識(formal knowledge)、明示的学習(explicit learning)と同じです。

つまり習得(Acquisition)は私たち日本人が日本語を覚えていくようなプロセスで、学習(Learning)は学校で文法などを勉強するようなプロセスです。クラッシェンは第二言語においても習得(Acquisition)は可能としていますが、習得と学習は互いに独立した過程であり、学習が習得に代わることはないとも述べています。(ノン・インターフェイスの立場)

つまり、言語の習得は数学や社会などとは違って、勉強すればできるものではなく、無意識レベルのプロセスであり、その習得には以下(4)に述べるような「理解可能なインプット」を施していくことが重要だと説きます。

勉強したからって・・


ペラペラしゃべれるわけではない。

(2) 自然順序性仮説(The Natural Order Hypothesis)
文法構造は大人でも子供でも、どの言語であっても、たとえ教室で教えられる順番が違っていても、習得には一定の順序がある、という仮説です。

アメリカの心理学者、ブラウン(Roger Brown)は、1970年代初め、別々の地域に住む3人の子供が第一言語として英語を習得する様子を分析し、子供の言語習得方法には、特定の文法形態素または機能語から始まる、一定の順序があることを発見しました。たとえば「進行形語尾-ing ( “He is playing baseball”)」と「複数形/s/(”two dogs”)」は最初に習得され、「3人称単数の/s/(as in “He lives in New York”)」や「所有格の/s/(“John’s hat”)」は通常その後6か月から1年後あたりで習得される、というものです。

ブラウンの結果が発表された直後、デュレイとバート(Dulay and Burt(1974、1975))は3つの地域でスペイン語母語話者の子供たちがどうやって英語を習得していくかを研究し、第二言語として英語を習得する子供たちにも、文法形態素の「自然な秩序」があることを発見しました。さらに中国語を母語とする子供の英語習得についても調べ、英語を第二言語として習得する子供たちの習得順序には、英語を第一言語として習得する子たちと比べると順序は異なるものの、共通する順序があるという結論に至りました。この結果は、その後多くの研究者によって確認されました(Kessler and Idar、1977; Fabris、1978; Makino、1980)。

さらにクラッシェンたちは、成人の被験者にも子供の第二言語習得で見られる順序と非常に似た順序を発見しました(Bailey、Madden、およびKrashen(1974))。 クラッシェン(1977)の下の表は、第二言語習得における平均的な順序を示します。

(英語の例はこちらのサイトから:Grammatical Morphemes in Order of Acquisition*Based on Brown (1973))

このような形態素順序の研究は広がりを見せました。しかし、日本人の英語習得の事例研究では、子供でも中学生でも上記のような順序は示されませんでした。もっとも大きな違いは「複数」と「冠詞」の習得が遅いことでした。これらの要素が日本語にはないからだと研究者たちは考え、第二言語習得には、母語の影響があると考えられました。

(3) モニター仮説(The Monitor Hypothesis)
先に述べたように、クラッシェンの理論では、言語の実際的な運用は「習得(Acquisition)」によるのであって、「学習(Learning)」により行うものではありません。しかし、「学習」によって学んだ文法規則などの知識は、発話や文を訂正したり変更したりするモニターとしての働きを持っていると考えます。


「習得」されたシステムによる発話を、「学習」は形式を発話前あるいは後で変更するために機能します(「主語が三人称単数だから動詞にはsをつけなくちゃ」など)。しかし、通常の流暢な発話は習得されたシステムによってしか発生しません。

しかも、モニター機能は下の条件がそろわなければ働きません。
① 時間があるとき(文法などにとらわれていると通常の会話ができなくなるし、相手の発話の意味に注意を払えません)
② 言語形式に焦点を合わせるとき(言語の意味に焦点をあてる場合はスピードも速い)
③ 言語の規則を知っているとき(とはいえ学校で教わる文法は全部の文法の一部のみ。とても優秀な学生にだって難しい)


あわてているとモニター機能も働かない。

(4) 入力仮説(The Input Hypothesis)
上記のとおり、クラッシェンの仮説では、習得(Acquisition)が中心的で、学習(Learning)は周辺的でしかありません。そのため、彼にとって教育の目標は「習得」を強化することでした。では言語はどうやって習得できるのか。彼は、自然秩序仮説が正しいなら、ある段階から次の段階にどうやって進めるのかが重要と考えました。現在の言語の習得度合が「ステージ4」なら、どうやって「ステージ5」に進むことができるのか? 「ステージi」から「ステージi + 1」に移動するために必要な条件とはなんだろう?と考えたのです。

クラッシェンは習得者が「i + 1」を含む入力(input)を「理解する」ことが必要だと考えました。つまり、「理解する」とは、習得者がメッセージの「形式」ではなく「意味」に焦点を合わせていることで、私たちの現在の能力を「少し超えた(i+1)」言語を理解したときにのみ、私たちは「習得」できるとしました。

でも、現在の能力を「少し超えて」いるのなら、そもそも理解できないのでは?しかしクラッシェンは「i+1」を理解させるためには、言語能力以上のものを使用すればいいと考えました。それは絵でもいいし、知識でもいいし、その他の教材でもいい、言語以外の情報を使えば可能だというのです。また、理解可能なだけでなく、興味を引く内容のインプットであればさらに習得は促進されると考えました

クラッシェン先生の動画があります。
中で彼はレッスン1としてドイツ語をただ読み上げ、レッスン2として身振り手振りや絵を加えて同じドイツ語を示していきます。(動画3分半くらいのところ)そうして同じ表現でも工夫をこらせば相手に伝わることを証明してみせています。

同じ動画の8分ごろにはお隣に住んでいた日本人の「イトミ」(4歳)の話も出てきます。彼女はクラッシェンの問いかけに5ヵ月間一言も返しませんでした。しかし、5ヵ月を過ぎたころから急にたくさん英語を話しだします。しかもその英語の発達具合も他の子供たちと違いがなく、1年後には近所の子供たちと問題なくコミュニケーションをとれるまでになったとか。

(*YOUTUBEは右下のsettingで字幕がつきます。言語も英語、その他を選べますので是非試していてください。)

(5) 情意フィルター仮説(The Affective Filter Hypothesis)

上の動画の後半でも話していますが、クラッシェンは感情要因が第二言語習得の成功に関連すると言っています(Krashen、1981)。その感情要因とは以下の3つです。
(1)動機。高いモチベーションを持つ人は、第二言語習得で良い成績を収めます。
(2)自信。自信があり、自己イメージが良い人は、第二言語習得がうまくいきます。
(3)不安。不安がなければ、第二言語習得がうまくいきます。

感情の影響(情意フィルター)は、言語獲得装置(LAD)(チョムスキーで出てきましたね)の手前にあり、インプットが言語獲得装置に入る前に妨害または促進するように作用します。

不安はゼロに近ければ近いほどよく、そのため発話などに間違いがあってもむやみに訂正をしないいほうがいいとクラッシェンは考えました。

インプット仮説と情意フィルター仮説によれば、良い語学教師は、理解可能な(かつ面白い)インプットを提供しつつ、学習者の不安も和らげられる人です。また、スピーキングやライティングよりリスニングとリーディングのほうが重要だとされています。

よく本を読む子は良い文章を書き、ボキャブラリーも豊富になると言いますし、保育園でたくさんのお話を聞いた子は10歳時の言語能力が高いそうです。インプット仮説はこれと同じように、言語に触れることと言語能力に相関性があると考えます。つまり、学業として学ぶことより、その言語にさらされることが重要となります。

現在日本の小学校でも英語は必須になりました。私の子供(小学生)も文法こそ学ばなくても「Head and shoulders, knees and toes, knees and toes Head and shoulders♪」と歌いながら踊っていたり、「Hello, how are you?」など学校で教えてもらった英語を披露したりしています。歌ったり踊りながら英語を習得していくこの方法は、アメリカの心理学者アッシャー(Asher, J. James)により提唱された「全身反応教授法Total Physical Response(TPR)」によるものですが、これもクラッシェンの提唱したナチュラル・アプローチの流れを汲んでいます。

最後に。
多くの研究者たちに受け入れられたクラッシェンの理論ですが、やはり批判もありました。
①「習得」と「学習」の区別が非科学的。
②「学習」にはモニター機能があるというが、「習得」された知識だってモニターになれる。
③「i+1」があいまい。
また、カナダ人の女性応用言語学者、スウェイン(M.Swein)はインプットだけでなく、アウトプットも重要だと主張しました。

でもこうして今日本で英語教育が盛んで、小学校にもたくさんのネイティブ教師、いわゆるALT(外国語指導助手)が配置されている状況の背景には、このクラッシェンのモニター・モデルの存在があるような気がします。インプットだけで英語がペラペラに話せるなら、SNSやYOUTUBEなどでいつでも英語を聞ける現在は以前より簡単になってきそうなものですが、実際はどうなんでしょうね。(鍋田)

参考:

English Hub(イングリッシュハブ)
クラッシェンが唱えた第二言語習得5つの仮説「モニターモデル」とは?

英語のサイト
What Is Comprehensible Input and Why Does It Matter for Language Learning?

参考資料:第二言語習得論 迫田久美子 アルク


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<めじろ奇譚>フランシールの人材派遣

2021年9月9日

別ページでご案内の通り、フランシールには「労働者派遣事業」「有料職業紹介」の許可があります。

もともと中長期で通訳派遣を依頼したいお客様へのご要望に応えるために始めたものでした。

昨年からコロナ禍の「派遣切り」が問題となっておりますが、大量の人材を扱ってはいないこともあり幸いそういった事例は発生しませんでした(関係者の皆様、ありがとうございます。)

ただ会議通訳をメインにしていた通訳がインハウス通訳に切り替えを希望する場合も見受けられるようになりました。もしそういった人材を探していらっしゃるようでしたら「ちょっと聞くだけ?」としてでも結構ですので是非ご相談ください。

また紹介予定派遣や職業紹介で有期契約から無期契約への切り替えは企業と労働者のマッチングに適しています。ぜひ活用いただきたい制度です。

参照「東京都労働局ホームページ」

https://jsite.mhlw.go.jp/tokyo-roudoukyoku/hourei_seido_tetsuzuki/yuryou_muryou_shokugyou/whatshokai.html

海外渡航が難しくなっている現在、現地人材もネットワークを利用してご紹介しております(ベトナム、メキシコなど…)。海外への人材派遣も行っております。

↑5年ほど前、朝8時頃のベトナム、ホーチミンのスタバ。通勤者が増えてくる時間ですね。

(業務部 人材派遣課)

<めざせ語学マスター>異文化遭遇!カルチャーショック

2021年9月7日

海外にいったときに、「え?ナニコレ?」と思ったことや、「なんかストレス感じるな・・・日本だったらありえないんだけれど。」と思ったことはありませんか?
しかし「郷に入れば郷に従え」や、「住めば都」という言葉もあります。
今回はそんな「異文化遭遇!カルチャーショック・・・と受容まで」の話です。

とりあえず社内に「あなたが経験したカルチャーショック」というアンケートをとってみました。

ホンジュラスに2年、コスタリカに2年いたというKawamoto女史も経験。

バスで他の人が自分の上に乗ってくるってすごいですね。でも彼女も他の人の膝に乗っていたとは。・・慣れというのは恐ろしいものですね。

さて、そんな弊社Kawamotoさんも経験したというカルチャーショック。これを説明しようと、社会学者や心理学者が様々なモデルを発表しています。

① U曲線(U-curve)とW曲線(W-curve)

ノルウェーの社会学者リスガード(Lysgaard)は「適応とはU型曲線を辿る時間的経過プロセスである」と考え、新しい環境下で起こる人間の心理状態の変化をU曲線仮説で表しました(1955)。

彼はカルチャーショックを乗り越えて異文化に適応していく過程を、ハネムーン期不適応期(カルチャーショック)回復期適応期に分類しました。

ハネムーン期(Honeymoon stage)は、その言葉の通り、刺激と興奮で満足感の高い時期です。「変だな」と思ったり「素敵!」と思うことの連続で特に嫌な面が目に入らない時期です。

不適応期(Crisis/ Culture shock stage)には、ハネムーン期には気づかなかった疲れやストレスが表面化。見えなかった価値観や習慣の違いを受け入れられなくなり、フラストレーションがたまります。不眠になる人もいます。これはだいたい渡航後3か月-18か月くらいで起こるようです。12か月前後くらいが精神面で危機に陥りやすいといわれています。

回復期(Recovery stage)には、異文化のポジティブな面だけでなくネガティブな面も受け入れようとします。自信を取り戻し、落ち着く場所を見つけた感じがします。

適応期(Adjustment stage)には、自分の文化と異文化に寛容になり、環境に適応していきます。

では、適応期を経て帰国したらどうなるでしょうか。
中米に長期滞在したKawamotoさんの例です。
ディープな体験をした彼女は日本帰国後にも下のようなショックを受けます。

 

慣れ親しんだ中米の生活から日本に帰ると、日本ではふつうだった色んな音などに逆に気づくことになりました。また、人が冷たい、と感じたようです。バスで上に人が乗ってくるくらいの国から帰国したら接触を(コロナじゃなくても)避けたがる日本人の行動はとても冷たいと感じるでしょうね・・・。

上記のリスガードのU曲線をガラホーンは発展させ、異文化から戻った時間まで含めたW曲線を提唱しました(Gullahorn and Gullahorn (1963))。

しばらく異文化に身を置いた後、自国に戻ったときに、離れていた自国の文化に対しても外国のような感覚を覚えることを表しています(リエントリーショック ”Re-entry shock”)。

② ベネットの異文化感受性発達モデル

しかしその後、数々の学者が、U曲線、W曲線はモデルとしてはシンプルではあるが実際にはあてはまらないケースが多いとして、異文化受容について様々な理論を試みます。

アメリカの社会学者、M.ベネットは、カルチャー・ショックをネガテイプなものとはとらえず、人生における転機、たとえば転勤や転居、結婚といった場合に経験する「ショック]と同じものと捉えました。(異文化感受性発達モデル(Developmental Model of Intercultural Sensitivity (DMIS) 1986年)。

「否定(Denial)」・・「アメリカってあんまり日本と変わりないよね」(差異を否定する段階)
「防衛(Defense)」・・「日本のほうが礼儀正しいよね」あるいは反対に「アメリカのほうが個人主義で素晴らしい」(差異が見えてくる段階)
「最小化(Minimization)」・・「お箸とスプーン、食べ方は違うけれど根本は同じだよね!」(でも居心地は悪い段階)
「受容(Acceptance)」・・「価値観の違いってあるよね。みんなそれなりのシステムの中で生きてるよ。」(それぞれの文化で価値観が違うということを認められる段階)
「適応(Adaptation)」・・「挨拶のキスって大事だよね。でも日本人同士のときはお辞儀にしよう。」(バイカルチュラルな段階)
「統合(Integration)・・「今は誰がプレーヤーか、シチュエーションを見て対応しよう」(状況に依存して対応を変えられる段階)

彼のモデルは特に海外とか外国に限った話ではなく、組織と組織、家族と家族、などでも説明ができるそうです。最近はSNSなどでも似た意見の人で集団をつくることも多いので、違う意見を持つ集団との交流などにはあてはめて考えられるのかもしれません。
(参考:文化庁サイト「異文化コミュニケーションの日本語教育への活用」)

③ ベリーの文化変容モデル.

そして今回紹介する最後はベリーの「統合(Integration)」「同化(Assimilation)」「分離(Separation)」「周辺化(Marginalization)」という文化変容モデル(acculturation model)です(Berry, 1992)。彼は異文化適応のプロセスに加えて、異文化と接したときに、どの程度、異文化を取り入れて適応するのか、その受容態度にもタイプがあることに注目しました。そこで「自文化の特徴と文化的アイデンティティの維持を重視するか」「異文化の集団との関係の維持を重視するか」という二つの軸を設け、文化変容を4つのタイプに分けました。

「統合(Integration)」は、自分の文化を保持しながら新しい文化を取り入れていく態度、「同化(Assimilation)」は、自分の文化の保持をせずに新しい文化に適応していく態度、「分離(Separation)」は自分の文化を維持し新しい文化との関わりを避ける態度、「周辺化(Marginalization)」は自分の文化の保持もせず新しい文化への適応にも無関心である態度であるとされています。
もっとも安定して異文化適応がなされるのは「統合」的態度です。

ベリーの表を見ると、私がフランス留学中に会った様々な日本人留学生を思い出しました。日本人ともフランス人とも均等につきあいつつ自分のペースを守っている人(統合?)、「私もう日本人じゃないから・・」と言ってフランス人化した人(同化?)、日本人としか一緒にいなかった人(分離?結構多い)、どちらとも距離をとっていた人(周辺化?)たちがいました。「この人変わってるな」と思うこともありましたが(多分私もそう思われていたでしょう)、今なら彼らもそれぞれの方法で異文化と向き合っていたのかなと思えます。

ベリーの文化変容モデルはこちらにも説明があります。もっと興味ある方はぜひ。

“L D Worthy, Trisha Lavigne, and Fernando Romero “Culture and Psychology”
クロスカルチャーコンサルティング・アートセラピー・心理カウンセリング

4.終わりに

アンケートの回答から。スウェーデン出身のSさんはこう言います。「カルチャーショック程ではないかもしれませんが、私が今でも不思議に思っているのは、日本では生活音などのマナーが大事されているのに、宣伝カーや選挙カーなどが街中で拡声機を使って、大音量を発していいことです。」・・・なるほど。

もう一人、ロシア出身のM君の日本に来た時のカルチャーショックを最後にお伝えして今日は終わりにします!

そんな彼は今では日本人以上にきれいな日本語でメールを書いたりブログも書いてくれたりしています。彼のブログ「<めじろ奇譚>ロシアのジョークは日本で通じるか」も是非読んでください。

(鍋田)


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<めじろ奇譚>ロシアのジョークは日本で通じるか

2021年9月2日

AI自動運転、音声合成、翻訳など躍進している中、我々人間にしかできないことは果たしてあるのでしょうか。作曲や描画なども以前AIには不可能だといわれていましたが、最近は抽象的な絵を描いたり名曲を真似してBGMを作るニューラルネットワークも出てきました。AIにはさすがにユーモアは無理という意見がよくありますが、いつかAI芸能人も誕生するかもしれません。

ただ、AI芸能人が誕生したとしても、受けるかどうかは別の問題ですね。人間同士でも面白い冗談の評価基準が異なっていて、関東で面白いとされるお笑いは関西で通じない、関西の芸人が東京ですべるなど想像できますよね。コロナ禍の前はたまに映画館に海外の映画を観に行っていましたが、翻訳のせいか爆笑するはずのシーンでほとんどの鑑賞者が静かにお菓子をかじったり熟睡したりしていました。逆に海外出身の自分は眠くなりたいときは横になって大喜利などを片耳で聞いたりします。

さて、前置きが長くなりましたが、本日はロシアの「アネクドート」(短い笑い話)を三つ紹介しますので、面白いかどうかぜひコメント欄に書いていただければと思います。

① 子どものアネクドート
「車が走る、走る、走る、走る、走る。。。そして、まがぁぁぁぁぁぁぁる!」

② 森の動物を題材としたアネクドート
クマが森の中を歩いて、笑っているウサギに出会います。
クマ:ウサギさん、何がそんなに面白いですか。
ウサギ:バスの運転手さんをだましたよ。なんて間抜けなやつだ! 笑
クマ:いったいどうやって?
ウサギ:運賃箱にお金を入れたが、乗車せずに逃げた! 笑

③ 古典文学を題材としたアネクドート
ホームズ:ワトソン君、今君が吸っているたばこを推理させてください。桜の葉入りで「ロイヤル」のブランドで、特製ラッピングの限定エディションでしょう?
ワトソン:素晴らしい、ホームズ! どのように推理されましたか?
ホームズ:ワトソン君!君以外に私の部屋に忍び込んで最後のパックを盗んだりする人いないでしょう!

以上、いかがでしたでしょうか。

ちなみに、フランシールでは、国境を超える方々を応援してロシア語や他の言語の通訳や翻訳のサービスを提供しておりますので、お手伝いが必要な場合はぜひお声掛けください。
また、この情報が役に立つと思ったら、SNSでも是非共有いただければ幸いです!

(ロシア語担当M)

<めざせ語学マスター>チョムスキー・ナウ(Chomsky, Now)!

2021年8月31日

 

突然ですが、上のかっこいいサイトと、真ん中の紳士は誰だかわかりますか?また、次の動画はどうでしょう。


https://news.yahoo.co.jp/feature/566/

私が毎年試験でその名前と「生成文法理論(generative grammar theory)」を結び付けて暗記していたチョムスキー(Avram Noam Chomsky, 1928年生まれ)氏です!なんと90歳を過ぎた今でも現役のマサチューセッツ工科大学の言語学および言語哲学の研究所教授 兼名誉教授言語学者 、哲学者であり、政治活動家です!!(上のサイトはこちら:https://chomsky.info/)

テキストに出ていた人物がただの伝説の言語学者ではなく、現在もトランプ政権や共和党、コロナ感染症など、今の話題についてコメントしていたり、YOUTUBEに出ていたりするってすごい!言語学など勉強したことなかった私でもその名前を聞いたことがあったほどの超有名人物が今も活動しているという事実は、(失礼とは思いますが)私にとっては生きた夏目漱石に会えるくらいの衝撃でした!

ついついサイトを発見した興奮で、彼の出ているYOUTUBEや、対談を読みたくなってしまいますが、それをするときりがないので、今回はそんな彼を伝説の言語学者にした「普遍文法理論(The universal Hypothesis)」について、できるだけ簡単に学んでみたいと思います。

まずは、彼の紹介。

エイヴラム・ノーム・チョムスキー(Avram Noam Chomsky、1928年12月7日 – )

ノーム・チョムスキーは1928年、ウクライナ出身の父とベラルーシ出身の母の間に1928年アメリカのフィラデルフィアで生まれました。現在もマサチューセッツ工科大学の教授です。1950年代の彼の著書 『言語理論の論理構造』(The Logical Structure of Linguistic Theory 1955/1975)や 『文法の構造』(Syntactic Structures 1957)は、当時の言語学に革命をもたらしたと言われています。

それにしても「革命」ってすごいですよね。しかし、なぜ「革命」だったのでしょうか。

それを知るために、まず当時のアメリカ言語界の流行を調べてみましょう。

彼の理論が発表された1950年代、主流は、言語はインプットの刺激とその反応の習慣形成によって習得されるとする行動主義心理学が盛んでした。

ワトソン(John Broadus Watson (1878 –1958)

20世紀初頭に行動主義(behaviorism)を提唱したワトソンは人間の心を科学的に研究するために、「心(mind)」自体を研究するのではなく、目に見える「行動(behavior)」を対象としました。「行動」を研究することで心の中身を類推しようとしたのです。(ソ連の生理学者、イワン・ペトローヴィチ・パブロフ(1849-1936)による「パブロフの犬」に、行動主義心理学は大きな影響を受けていました。)

行動主義では、人間の心は「ブラックボックス」として扱われました。刺激(stimulus)、反応(response)、強化(reinforcement)などの関係を研究することでブラックボックスを明らかにしようとしたのです。子どもたちが言語を習得していく過程も母親からの言葉などの刺激を受けて言語を習得しているとされ、子どもたちの発する言語も反応の表れだと捉えられていました。

バラス・フレデリック・スキナー(Burrhus Frederic Skinner, 1904年- 1990年)

アメリカ合衆国の心理学者で行動分析学であるスキナーは、報酬を与えることによって行動が継続すると考え、習慣形成には簡単な行動から複雑な行動へ強化を与えていくことが重要と考えました。彼が提唱した行動主義はワトソンが「行動」の対象から外した「意識・認知・内観 」ですら科学的に研究できるとしており、ワトソンの行動主義が方法論的行動主義(methodological behaviorism)と呼ばれるのに対して、徹底的行動主義(radical behaviorism)と呼ばれました。

スキナーは、彼が発明したラットがレバーを押したら自動的にえさが出て、刺激と反応(バーやボタンを押した数)を自動的に記録できる「スキナー箱」が有名です。(スキナーのオペラント条件づけ:https://genekibar.com/skinner-partial-reinforcement/)。ギャンブル依存症やゲーム中毒もこれで説明できるようです 。)

彼の「習慣形成」の考え方は「オーディオリンガル・アプローチ」の基盤となりました。このアプローチは、音声言語の習得を優先、文系の学習第一でやさしいものから難しいものへ、意味より音韻、文構造が大事、発音練習では模倣練習を行う、母語話者と同様の流暢さを目標にしています。

そういえば昭和の英語の教科書には「This is a pen. This is a book. This is a pencil.」など繰り返しが多かったですが、2021年現在、中学生の息子の教科書にはそんな表現はほぼでてきません。古い英語の教科書と新しい英語の教科書を比べると意外と(昭和世代の)私たちは行動主義の影響を受けて英語を勉強していたことが分かります。(参考:50年以上前(昭和)の中学英語の教科書から令和時代のものまでを徹底比較!

長くなりましたが、以上が1950年代にアメリカで主流だった「行動主義」の説明でした。

この主流派に対して、チョムスキーは異論を唱えます。

チョムスキーは人間の自主的思考能力、言語能力の生得的側面を強調しました。子供は周囲の人の言葉を聞いて覚えますが、いろいろ言い間違いもします。もし言葉を覚えることが、聞いた言葉を真似することだとしたら、そんな言い間違いは起こらないはずです。大人がいちいち間違いを指摘しなくても、子供はいつの間にか正しい言い方を覚えていきます。そこで「刺激の貧困性(Poverty of the stimulus)」という問題に彼は気づきました。

そこで彼は考えます。

確かに・・・。

うちの子供たちはもう大きくなってしまいましたが、保育園にいたころにはかわいい言い間違いをしていました。
「蚊にかまれた」を「カニにかまれた」と言ったり、
「知ってる」というところを「知れるー」と言ったり。
かわいいからといって、こちらも真似して「カニにかまれたー」とか「ママもそれ知れるー」とふざけていましたが、いつの間にか大きくなり、そんなかわいい間違いも幻のように消えてしまいました。また、「いい子でちゅねー。」のようなママ語調で話した言葉はそのまま子供が「そうでちゅねー。」とはなかなか言わないものです。

「かわいかったのにちょっと残念。でもま、それが成長か。」と考えて終わらないのがチョムスキーを始め言語学者たちのすごいところ。

大人が直さないのに、子供は正しい言い方を覚えていく。間違った文を正しくないというインプットや刺激が貧困なのに自然に修正されていく。この事実から、チョムスキーは言語をヒトの生物学的な仮説上の(心理上の)器官によるものと捉えました。人間は生まれながらにして言語獲得装置(LAD;Language Acquisition Device)を備えており、その生得的な能力によって言語を獲得していくと仮定したのです。(ミツバチのミツバチダンスやコウモリの超音波みたいに、人間には言語能力がある)。全ての人間には普遍的で生得的な能力があるとし、それを普遍文法(Universal Grammar)と呼びました。

① 「何もない状態」
普遍原理とパラメータから構成される普遍文法は生まれながらにあります。言語習得を開始する前の子供は言語獲得装置(LAD)の初期状態です。

②「核心文法」が生まれる状態
母親などから個別の言語の入力に触れると、それに合ったパラメータの値が決められます。すべてのパラメータの値が決まると、赤ちゃんの言語で核心文法(Core Grammar)が出来上がります。

③「個別文法」が生まれる状態
個別言語の知識は核心文法だけで構成されているわけではないので、発達段階が進むと周辺文法(peripheral grammar)が含まれてきます。周辺文法は普遍文法の管轄外にあり、普遍文法からは予測できない規則だと考えられています。

しかし、それまで研究の対象から外され、ブラックボックスとして扱っていた「心」を、チョムスキーが「逆に言語学の基礎はここにある」と主張したのは、それまでの言語学者たちにとってはそうとうなショックな出来事(革命)だったようです。しかもヴェトナム戦争を契機にチョムスキーは政治評論活動まで行い始め、言語学専門以外の人にも有名になっていく・・・。きっと当時の言語学者にとっては嫌な存在だったんだろうと想像します。(私が当時の言語学者だったらチョムスキーに「空気読んだほうがいいんじゃない?」とアドバイスしていたかもしれませんね。)

20代の若さでこの論に辿り着いたチョムスキーは、“チョムスキー以前/以降”と時代を区切れるほどに、言語学を根本的に変えてしまいました。また、生成文法理論は認知科学や脳科学、コンピューターサイエンスなど、その他の分野にも大きく影響していきます。

そんな普遍文法理論ですが、問題もありました。実体をとらえにくい、言語能力(linguistic competence) に集中しすぎて、実際の言語運用
(linguistic performance)は研究の対象にされないので、言語教育との関連性があまりみられない、などと批判されました。

またチョムスキーは(このブログで過去に取り上げた)ソシュールフンボルトにも影響を受けています。どのように影響を受けたのか研究すると面白そうですね。

参考 第二言語習得論 アルク
新版 日本語教育事典
「チョムスキー」 田中克彦


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<めじろ奇譚>モンゴル語とロシア語の違い、 なぜモンゴルではキリル文字を使う?

2021年8月27日

左はキリル文字で「モンゴル語」、右はモンゴル文字で「モンゴル語」と書いてある。モンゴル文字は縦書きで左から右へ書く。

モンゴル語に対する認識は、我が国では残念ながら高いとは言えない。直接標題の疑問に答えるだけでなく、多少回り道して、是非知っておいていただきたいと筆者が考える点にも触れようと思う。

1 モンゴル語の言語的特徴について

モンゴル語は、北隣のロシア語と似ているのではと考える人もいれば、一方で南隣のシナ語(いわゆる中国語)と似ているのではと考える方も多いので、ロシア語だけでなく、シナ語との関連も含めて考えてみたい。

複数の言語を比較する際に用いられる手法に、類型論的方法と比較言語学(歴史言語学)的手法がある。類型論的方法とは何かについては、「<めざせ語学マスター>日本語は膠着している」を参照願いたい。その中で、ロシア語は屈折語、シナ語は孤立語、そしてモンゴル語は日本語と同じ膠着語に分類されている。つまり、この3言語は、地理的に隣り合っていても、タイプが全く異なるということになる。と言っても、なかなかピンと来ないかと思うので、実際の文章で見てみよう。ただ、膠着語等の性質は上記のブログに譲るとして、ここでは主に語順に着目して見てみたい。

日本語:モンゴル語に関心を抱く学生の人数が急激に増加した。

ロシア語:Число студентов, интересующихся монгольским языком, резко увеличилось.
                      数が  学生の   関心を持たされている モンゴルの  言語により 急激に 増加した

シナ語: 对蒙语感兴趣的学生人数急剧增加。
          对(に対し)蒙(モンゴル)语(語)感(感じる)兴趣(興味)的(の)学生人数(学生の人数)急剧(急激(に))增加(増加(した))

モンゴル語:Монгол хэлийг сонирхон суралцагчдын тоо эрс нэмэгджээ.
(「語幹-助詞」)           (хэл-ийг) (сонирхо-н) (суралцагчд-ын)
                 モンゴル   語-を      面白いと思-い 学ぶ人たち-の  数(が)急激に 増加した。

注目していただきたいのは、「~人数が」までに相当する箇所であるが、ロシア語は英語等と同じで、日本語とはほぼ真逆の語順になっている。シナ語の語順は、日本語に近い部分もあるが、前置詞のような働きをする語があったり、動詞+目的語の順になっていたりする箇所は、やはり日本語とは異質である。それに対し、モンゴル語の語順は日本語と全く同じということにお気付きかと思う。日本語の格助詞や接続助詞に相当する部分をハイフンで分けて示したが、これも日本語の感覚に非常に近いと言っていいだろう。

次に、比較言語学(歴史言語学)的観点から見たらどうであろうか。比較言語学について詳しく書くことはできないが、大雑把に言えば、複数の言語間に規則的な音の対応を見出し、太古の昔に存在したと仮定される共通の祖先から枝分かれして現在に至っているという系統関係(親縁関係)を探る方法ということだ。

ロシア語は、インド・ヨーロッパ語族のスラブ語派に分類され、同じ語派のポーランド語やブルガリア語等とはきょうだい、同じ語族の英・独・仏語やペルシア語、ヒンディー語等とはいとこのような間柄だ。シナ語はシナ・チベット語族(諸語)に分類され、チベット語やビルマ語等と親縁関係があるとされる。さて肝心のモンゴル語については、どこに分類されるのだろうか。(ウラル・)アルタイ語族(諸語)という言い方になじみのある方は多いのではないだろうか。アルタイ諸語というのは、一般的にモンゴル諸語、テュルク諸語(トルコ語、ウイグル語等々)、ツングース諸語(満洲語、エヴェンキ語等々)をまとめて指す表現だ。しかし、モンゴル諸語やテュルク諸語それぞれの構成言語間の親縁関係は明らかなものの、モンゴル諸語とテュルク諸語、ツングース諸語の間の系統関係の有無については、立証されていない。また、アルタイ諸語とウラル諸語(語族)(ハンガリー語、フィンランド語等)の類似も指摘されているが、ここでは立ち入らない。

結論として、モンゴル語は、類型上も系統上も、ロシア語、シナ語両言語とはつながりがないということになる。

2 モンゴル語を表記する文字について

標題の疑問は、正確には、「なぜモンゴル国ではキリル文字を使う?」とした方がよい。なぜか?モンゴル語は、世界各地にあるように、国境をまたがって使用されている言語で、そのモンゴル語世界の中でキリル文字を使用しているのは、モンゴル国(とロシア連邦内のモンゴル諸語であるブリヤート語とカルムイク語)だからだ。中華人民共和国が指定した56民族の一つでもあるモンゴル族(人)(ちなみに人口はモンゴル国のモンゴル人を上回る。主に内モンゴル自治区に居住。)が使用するモンゴル語はキリル文字を使用しない。

モンゴル語世界では、かつてのモンゴル帝国の時代から、(旧)モンゴル文字が使用されてきた。標題の下に、キリル文字と並べて示した縦書きの文字だ(両文字で「モンゴル語」と表記)。世界史の教科書で、モンゴル語のために考案されたパスパ文字をご記憶の方もいるかと思うが、この文字は元朝崩壊以降廃れた。前世紀の20年代にモンゴル語世界の中央部に独立国が樹立された(当時の名称はモンゴル人民共和国)が、そこでは、旧ソ連の強い影響の下、文字改革が断行され、1940年代にキリル文字に移行した。ロシア語で使用する33文字に2文字を加え、35文字でこの国で標準とされているハルハ方言を書き表す。社会主義体制を擁護するわけではないが、この文字改革により、識字率が飛躍的に向上したということだ。(旧)モンゴル文字の綴りは現代の口語とかけ離れており、口語を基にしたキリル文字正書法が有利に作用したと言えるだろう。一方、後でも触れるが、一つながりのモンゴル語世界を文字面で分断した負の側面も忘れてはならない。なお、キリル文字に移行する前に、一旦ラテン文字化の方針が示されたが、これが覆された経緯も当時のソ連の政治状況と絡んでいて興味深い。この流れは、旧ソ連を構成していた中央アジア等の言語とも共通する。1990年代に民主化されモンゴル国となり、(旧)モンゴル文字復活の機運が高まり、教育でも導入されたが、現在に至るまで、依然としてキリル文字表記が幅を利かせている。

文字圏という概念は、基本的に宗教圏と重なることが多い(例:同じスラブ語派の言語でも、カトリックが優勢なポーランドやクロアチアではラテン文字、正教圏のブルガリア等ではキリル文字。また、イスラム圏でのアラビア文字。)が、モンゴル語を含む旧ソ連圏では、宗教とは関係ない。

一方、中華民国、そして中華人民共和国の版図内にとどまったモンゴル人は、現在に至るまで一貫して、(旧)モンゴル文字を使用している。中華人民共和国の紙幣を注意して見ると、シナ語の他に、(旧)モンゴル文字によるモンゴル語の表記もある(他にチベット語、ウイグル語、チワン語)。

つまり、国境を挟んで、南北のモンゴル人は、口語では相互意思疎通は可能なものの、書き言葉上は分断されているという状況だ。

以上、モンゴル語の言語的特徴及び使用文字について、近隣言語との関連性を軸に見てきた。日本で主に学ばれるのは、ヨーロッパの主要言語とシナ語がほとんどであり、日本語は世界でも特殊な言語だという誤った認識(文字使用の面のみ見れば、特殊と言えるかもしれないが)につながっていることを考えると、モンゴル語(朝鮮語やトルコ語でもよい)等日本語とよく似ている言語を一つでも知ることは、バランスの取れた世界認識のためには欠かせないと考える。

またそれと合わせて、言語世界を国家単位でのみ見てはならないということも強調したい。大言語の陰で衰退の道を辿っている言語がある(何重もの意味で)ことも、今回モンゴル語世界全体を見たことをきっかけに、忘れないようにしたい。もちろん我が国内の言語についても例外ではない。(一老いぼれ職員)

(小文の見解は筆者個人のものであり、必ずしも㈱フランシールの公式見解ではありません。)

<めざせ語学マスター>「宇宙へ」は行くけれど「トイレへ」は行かない?―「へ」と「に」の違い

2021年8月24日

先週の「は」と「が」の違いを書いていると、ずっと前、確かフランス留学中(もう20年以上前・・・)に、日本語を勉強しているという友人から言われた言葉を思い出しました。

「私、日本語の「へ」と「に」の違いが分かったわ。遠くに行くときには「へ」で、近くに行くときには「に」なんでしょう。だから「宇宙へ行く」で、「トイレに行く」。「トイレへ行く」は言わないのよね。」

ひどく納得した感じの彼女に「え・・トイレへ行く、も言える気がするけれど・・・」と思ったものの、「へ」と「に」の違いについてはっきりした説明ができませんでした。「トイレへ行く」も言う気がしますし「宇宙に行く」も言う気がします。一体「へ」と「に」に違いがあるのか、20年以上たった今、解明してみたいと思います。

「新版 日本語教育事典」を開くと・・・すぐに結論がありました!

■目的地を表す「に」と「へ」
方向性をもった主体の移動を表す動詞では、「に」と「へ」どちらも用いることができる。

主体の移動を表す動詞とは、「行く」「写る」「帰る」「寄る」「向かう」などです。

だから
「宇宙に行く」、「宇宙へ行く」も

「トイレへ行く」、「トイレに行く」も

問題ないのです!

また、NHK放送文化研究所の方向を表す「に」と「へ」では下のように書かれています。

  (台風が)「北に向かっている」と「北へ向かっている」の「に」と「へ」は格助詞で、いずれも、「向かう」という移動を表す動詞の到達点や方向性を示しています。一般的に、「に」が到達点そのものに焦点が当てられているのに対して、「へ」はそれよりも広い範囲、つまり到達点とともにそれに向かう経路や方向性に焦点が当てられています(『みんなの日本語事典』参考)。台風の進路を伝える場合は、台風が向かう到着点が決まっているわけではなく、重要なのは「向かう方向」なので、どちらかというと「北へ向かっている」のほうがいいかもしれません。

その観点で考えると、「宇宙」のほうが範囲が広いので「へ」のほうが適している気がします。到達点そのものに焦点が当てられている、という点ではトイレは「に」のほうが適しています。でも「どこ行くの?」「ちょっとトイレへ」とも言えるし(方向性に焦点が当てられているのかもしれませんが)、入れ替えは可能です。

しかし、「へ」と「に」をどこでも入れ替え可能かといえばそうではありません。

「に」は使えるが「へ」は使えないのは、主体や対象の具体的な移動を伴わない場合です。
目的が相手を表す文では「へ」は使えません。つまり
「彼に会う」はいいますが「彼へ会う」はいいません。

また、「黒板に紙を貼った。」(「黒板へ紙を貼った。」はあまり言わない)、「かばんに本を入れてある。」(「かばんへ本を入れてある。」はあまり言わない)のように動作後に対象物がその場所に行きついた状態であることを表す場合にも「へ」は適しません。

逆に「に」は適さないけれど「へ」ならいける、という場合もあります。

「ゴールへのシュート」は言えますが「ゴールにのシュート」は言えません。

「へ」のあとに引用の「と」が続く「学校へと急ぐ保護者」はいえますが「学校にと急ぐ保護者」とは言いません。

「衆議院解散へ」「ごみはくずかごへ」「マネージャーと結婚へ」「コンビ解散へ」などの新聞やニュースの見出しなど、助詞「へ」で終止する言い方の場合は「に」ではなく「へ」を使います。

では次はどうでしょう。

「工場へ走る」「工場に走る」はちょっと不自然な気がしませんか?
これら「歩く」「走る」「泳ぐ」「這う」など、移動そのものというよりは、移動の様態や方法を表す動詞は「へ」や「に」があまり適していません。方向を表すなら「まで」のほうがしっくりします。
「工場に(へ)走った」という場合は「走る」という身体的動作より工場という場所へ「向かう」の意味が強くなります。

では次の用法はいかがですか?

確かに「妻に怒られた」は言えても「妻へ怒られた」とは言えなそうです。
でも・・・あれ?この用法は上記のような「へ」か「に」かの問題でしょうか。カテゴリーがちょっと違うような・・・。

実は、これは上で述べてきた「目的地」を表す「に」と「へ」の問題ではなく、「に」の「使役・受身の動作主」という用法により生じている問題です。この場合はもちろん「へ」に置き換えられません。

では、「に」には他にどのような用法があるんでしょうか。

日本語教育能力試験の解説に詳しい「毎日のんびり日本語教師」のサイトでは以下の用法が記載されています。

1. 移動の到着点(「実家に帰る。」)
2. 変化の結果(「雪が雨に変わった。」)
3. 授受の与え手・受け手(「友達にプレゼントをあげた。」)
4. 動作の目標・到達点(「これから上司に会う。」)
5. 使役・受身の動作主(「私は先生に褒められました。」)
6. 存在する場所(「空に飛行機雲があります。」)
7. 動作の目的(「流れ星を見に行く。」)
8. 原因・理由(「根拠・お金に困っている。」)
9. 時間(「明日朝8時に出発する。」)
10. 基準(「私の家は駅に近い。」)
11. 割合(「1年に1回献血する。」)
12. 状態の主体(「私には夢がある。」)
13. 内容物・付着物(「希望に満ち溢れた顔。」)
14.領域・範囲(~にとって)(「私には難しい。」)

途方もなく多いです。(英語の前置詞も辞書に多くの用法が記されていましたがそれを思いだします。)

こうなると「に」と「へ」の違いだけでなく、別の疑問もわいてきます。

◇ 場所を表す「に」と「で」の違いは?(「空き地にごみを捨てる。」VS.「空き地でごみを捨てる。」)
◇ 時を表す「に」の使用・不使用の違いは?(「3日後にくる。」VS.「3日後くる。」)
◇ 時を表す「に」と「で」の違いは?(「3時に閉まります。」VS. 「3時で閉まります。」)
◇ 起因を表す「に」と「で」の違いは?(「大地震に家が倒壊した。」VS.「大地震で家が倒壊した。」)
・・・

エンドレスです。

結論:「宇宙へ」と「トイレに」の場合、「へ」と「に」は入れ換え可能。しかしこの問題は「に」という助詞のもつ問題の一つでしかない。・・・助詞の問題はしんどいですね。(鍋田)


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<めじろ奇譚>機械翻訳の活用法②

2021年8月19日

今回は前回の投稿の続きです。(機械翻訳の活用法

前回の投稿で、機械翻訳は賢く使い分けることが重要、と書きました。人間翻訳VS機械翻訳、どのように使い分けるのが良いのでしょうか。

フランシールでは、日本語から外国語への翻訳の場合で、「誰かに読んでもらうための文章」については機械翻訳はお勧めしていません。「読んでもらうための文章」とは、成果品として提出するための報告書であったり、レターや記事であったり、読み手に正確に理解してもらうための文章のことです。

機械翻訳を使うと、さらっと読む限りでは感心するような上手な訳がついてきたりします。しかし、機械翻訳による訳文というのはあくまでも「それらしい文章の寄せ集め」であり、じっくり読んでみると「え?」と思うような間違いや抜けが含まれていることもあります。スタイルも統一されていないので、読んでいてちぐはぐな感じもあります。そして一番の問題は、文章を通して書き手が伝えたい意図や、行間について全く考慮されていないという点です。人間翻訳なら当然のように行われる「書き手の意図を理解し、全体の構造を考えつつ文章を書く」ということが機械にはできないのです。(後からポストエディットをかけることもできますが、文章の流れまでは修正できません。)

機械翻訳がその威力を発揮する分野ももちろん沢山あります。一つは大量の資料を読み込む必要がある場合など、スピードを重視したい場合。外国文の資料を大量に読み込みたい、入札図書の内容を短期間で把握したい場合にもお勧めです。マニュアル翻訳にも適していますが、入念なポストエディット作業が必要となります。自分で翻訳ができる方なら下訳として使用するのも大変便利です。

急速に発展している機械翻訳・自動翻訳技術。半年後にはまた新たな技術が登場しているかもしれません。翻訳エージェントとして、私たちも日々勉強を続けています。機械翻訳を御希望のお客様は、ぜひ担当のコーディネーターまでご相談ください。
(上畑)

<めざせ語学マスター>「は」と「が」の違い

2021年8月17日

翻訳業界というのは、いろんな分野から転職してみようと人が訪ねてくる業界のようで、金融会社の社内通訳だった人がフリーランスの通訳に転向したり、化学品メーカーで勤務後に特許翻訳者になったりする人もいます。通訳・翻訳者希望の方にお会いするとこちらのほうが勉強になることも多いですし、ご本人は「法律を勉強したといっても商法専門でして・・」とご謙遜されてるのに「他にどんな専門があるんですか?」と聞いて唖然とされたこともありました。

あるとき、日本語学を大学院で研究されている方とお会いしたことがありました。外国語もできるので翻訳者を目指してみようかと思っていらっしゃっているとのこと。
「日本語学を専門に学ぶって・・・あ!「が」と「は」の違いとかを研究する学問、そうですか?」
「そういうのもありますね。」
「知りたいです!教えてください。」
というと、ご本人は少し困った様子。「あれ?どうしたんですか?」と聞くと
「説明してもいいですが、1時間ほどかかってもいいですか?」

面談にきていたのに1時間の講義をしていただくわけにもいかず、その日は断念しましたが、今回はその時から謎だった「は」と「が」の違いについて書くことに挑戦してみたいと思います。

まず最初は日本語の助詞(particle)の種類を知る必要があります。助詞には以下の種類があります。日本語の助詞は例えば英語のat, in, ofなどの前置詞(preposition)とは逆に後ろにつくので後置詞(postposition)と呼ばれることもあるそうです。(そういわれて初めて過去英語で何度も見た「前置詞」の意味がわかったと思ったのは私だけでしょうか。)

さて、助詞・・と聞いただけで学校で習った文法を思い出してゾッとするかもしれませんが、「が」と「は」の説明には欠かせない知識なのでここはぐっと我慢して見ていきましょう。以下に日本語の助詞の種類を示します。

格助詞 case markers  が・を・に・へ・と・から・より・で・まで
(「の」を入れる場合もあります。)
とりたて助詞 focus particles  は・も・ こそ・ さえ・まで・すら・でも・だけ・のみ・など・・・
終助詞 sentence ending particles よ・ね・ぞ・ぜ・わ・か・・・
接続助詞 conjunctive particles けど・が・ので・から・たり・し・と・ば・たら・なら・・・
並立助詞 parallel markers と・か・や・に・やら・だの・とか・・・
複合助詞 compound case particles に対して・にとって・について・に関して・をめぐって・として・・・

いろいろありますが、今回は「が」が入っている格助詞と「は」が入っているとりたて助詞だけを見てみます。

格助詞は、主に名詞に付いて、動詞との関係づけを行います。文の中で勝手に位置を変えることはできず、文の骨組みを作るために必要な助詞です。

とりたて助詞は、その文の中で述べられていること以外の情報を提示する助詞で、格助詞と違ってかなり自由に位置を変えることができます。「とりたてる」機能からとりたて助詞と呼ばれるようになりました。

(お金を催促する「取り立て」ではなく、「多くの中から特別に取り上げる」の意味。)

「が」と「は」以外に、例えば「まで」は格助詞にもとりたて助詞にもありますが、これは「駅まで行ってくる。」の「まで」と、「君までうそをつくのか。」の「まで」の違いです。「駅まで行ってくる。」には特に文以外の意味は感じられませんが、「君までうそをつくのか。」には、君がうそをつくことに驚いているというニュアンスが加わっています。

ちなみに、とりたて助詞は、学校文法では「係助詞けいじょし」「副助詞」と教えられている助詞たちです。

格助詞がニュートラルに語同士の方向性を示してくれるのに対して、“とりたて助詞”はちょっと特別なニュアンスを追加します。では、「が」と「は」を比べてみましょう

「え・・どっちも主語じゃないの?」
と言いたくなりますね。確かに英語に訳すとどちらも「The flower blooms.」。

「花咲く。」
ここでは花が「咲く」の主体(subject)であることを表しています。

「花咲く。」
ここでは花がこの文の主題(topic)であることを表しています。「about」とか「concerning」のように考えてみたらいいのかもしれません。「花に関していうと、咲きます。」とも考えられます。

「~は」は主題を示し、「~が」は主格を示します。主題を示す「は」のある文を有題文(または主題文)、「は」のない文を無題文といいます。無題文は一般に、主格を示す「が」はありますが、主題を示す「は」はありません(有題文と無題文について詳しく載っているサイト:有題文と無題文)。

上記では「花は咲く。」は恒常的、繰り返し起こることとして、「主題」を表していますが、下のように一時的な事態(過去)になると、「主題」のニュアンスが消え、別の「対比」のニュアンスが強く表れます。


「花咲いた。」は特に文章以外の情報を特に感じませんが、「花咲いた。」になると、「え?何は咲かなかったの?」と聞きたくなるニュアンスを醸し出します。これが「は」のもつ「対比」の用法です。

では次はどうでしょう。

「花きれいだ。」・・・って言えなくもないけれど、「花きれいだ。」のほうが自然な気がします。「花がきれいだ。」は、突然目の前に花畑が現れて見とれて言っているようにも感じます。「赤い花が一番きれいだ。」のようにすると違和感がなくなります。なぜでしょう。

これは「が」が形容詞文や名詞文につくと「中立の「が」ではなく、「排他的な「が」(または総記の「が」)」になってしまうからです。ただ、口から思わずこぼれた「花がきれいだ!」のような用法は中立叙述の「が」のままです。

さて次も見てみましょう。今度は述語を変えてみます。

「花が咲く。」「花は咲く。」の文章では「花」は主語・主格でしたが、同じ「が」と「は」でも、ここでは「好き」の目的・対象となっています。実はこれには述語が関係しています。「が」は「好きだ」「憎い」「ほしい」など述語が感情・感覚を形容詞で表すとき、その感情・感覚の向けられる対象を表します。

(*英語だとlike, hate, want と全て動詞なのでややこしいですね。しかし日本語の「嫌い」「好き」は形容詞。日本語の述語は全て動詞ではないので、英語の文法で習うS(主語)+V(動詞)+O(目的語)は、日本語の主語述語には当てはまりません。)

最後に、「が」と「は」の用法をまとめてみます。

助詞の種類 格助詞 とりたて助詞
用法 ①前接する名詞が「動作・出来事の主体」であることを示す。

動詞文のとき:中立叙述の「が」
形容詞文・名詞文のとき:排他の「が」

②前接する名詞が「目的・対象」であることを示す。(状態性述語の場合のみ)

①前接する名詞が文の主題を表す。(主題の「は」はどの助詞にも属さない特別な助詞とも言う説もあります。)

② 前接する名詞が対比を表す。

こうみると、「は」と「が」の話は複雑で、調べだすと迷路に迷い込んだ気持ちになります。この話題で本や論文もたくさん出ています。日本語を母語とする人にとっては意識して使い分けることはないとしても、説明しようとすると重労働です。英語の定冠詞や単数・複数といった使い分けは英語ネイティブには簡単でも、学習者には難しいのも同じなのかもしれません。

上記以外では、主題を表す「は」は複文(主語・述語が複数ある文)のうち、ある一定の節の中では使えないという制約もあります。例えば「花はガーベラなら」、「花は咲いたとき」、「花は咲くように」、「私は買った花は・・」、「私は花を買ったこと・・」などは言えません。もしも気になったら是非もっと調べてみてください。

「は」って特別なんだなあ・・・

と思いましたか?

そして「は」が他の助詞と違って特別である理由にはこれ以上に下の特徴があげられます。
下は夏目漱石の「吾輩は猫である」の冒頭です。

 吾輩猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。・・・・

最初の「吾輩は」はその次の文章「どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。」にも「何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。」にも働いています。

三上章(1903年 – 1971年)という言語学者がこれを「は」の「ピリオド越え」と呼びました。最初の文の文頭の「は」が、ピリオドを超えて次の、またそのあとの文章にも係っているというものです。(『象は鼻が長いー日本語入門』)三上氏は「日本語に主語はない」と喝破したらしく、その伝記も出版されています(主語を抹殺した男/評伝三上章)。気骨のある言語学者ですね。

なるほど・・・。これが日本語の機械翻訳が難しい理由の一つなんですね。ためしに冒頭の文章を英訳してみます。

(機械翻訳)
I am a cat. There is no name yet.
I have no idea where he was born. I remember only crying in a dim and damp place.

突然”he” が出てきて、逆に「一体だれのこと?」と思う文章になってしまいました。AI翻訳が主語を取り間違うのは、日本語の構造に理由があるんですね。主題が2センテンス前にあるなんて、AIもなかなか気づけないですよね。(しかしAI翻訳は日進月歩で進化しているので時間の問題かもしれませんが・・・。)

最後の最後に。ここまで見てきた私の個人的な「は」の印象は野球でいうとホームラン。「は」でホームランを飛ばしたあとは、「が」のヒットがいくつか入っても点数が入る・・・・。やはり「は」は助詞の王様なんですね。(鍋田)

参考
新版 日本語教育事典
アルク 日本語の文法―基礎 山内博之


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<めじろ忌憚>フランスのコロナ状況と対策

2021年8月12日

フランスの感染者数は2021年6月時点で約570万人を超えており、世界で4番目の規模となっている国です。

2020年1月にフランスで初めて新型コロナウイルスの感染が確認されました。
2020年3月にマクロン大統領は、生活必需品の取り扱い店舗以外の休業を発表しました。
学校も休むことになり、テレワークも促された一方、入国禁止およびロックダウンの対策も実施されました。
そしてマスクが圧倒的に不足しており、輸入するなど、行き渡るのに数ヶ月間かかりました。
マスクの必要性については、専門家の意見も分かれていましたが、結局はマスクを付けないと罰金を課せられる条例が実施されました。
尚、医療関係者以外には、老人ホームの訪問も立ち入り禁止になりました。

2020年3月にマクロン大統領がテレビで発言しました。
https://www.europe1.fr/politique/confinement-report-des-municipales-ce-quil-faut-retenir-de-lallocution-de-macron-3955798

2020年の夏から、コロナの状況が一旦落ち着いてきましたが、秋になると再び状況が厳しくなり、ロックダウンが改めて実施されることとなりました。
第一ロックダウンと違い、第二次ロックダウンでは学校は休校にはなりませんでした。
2021年の2月には第三次ロックダウンが実施されましたが、今回は、コロナの状況によって各地方自治体による条例は様々でした。例えば、ある地方では住民票に記載されている住所から10キロ以上離れるような移動は禁じるという対策もありました。(テレワークが不可能な場合を除く)
ワクチン接種への取り組みは他国より遅いと様々なメディアから厳しく批判されていましたが2021年6月時点でワクチン接種済みの人数は3200万人を超えており(1回目)、一日あたりの感染者数は2000人以下になりました。

フランスの大規模接種センター
https://www.france24.com/fr/france/20210402-covid-19-le-vaccinodrome-des-yvelines-maillot-jaune-de-la-vaccination-en-france

昔様々な出来事を乗り越えたフランスという国は、今回もコロナ問題を乗り越えるだろうと思えますが、これからも取り組む必要がある課題は他にもたくさん残るでしょう。
例えば、多くの専門家が第4波について懸念しています。拡大を抑えるためには、2回目のワクチン接種率が80%以上を達成する必要性も改めて強調しました。(ダミアン)

 

<めざせ語学マスター>ネイティブチェックは「ネッチェッ」になるか。拍(モーラ)と音節

2021年8月10日

「日本語には文法というものがない」
とよくぼやいているアメリカ人スタッフがいました(今はフリーランスとして翻訳や校閲などをしています)。
「主語がない」
「1文がやたらと長い」
「日本人でも読めない漢字があるのはおかしい」
などなど・・・

反論しようとするけれど、うまくできず、自分の知識が足りないことにイライラしました。それで始めたのが日本語教育の勉強なので、ある意味彼には感謝しています。

そんな彼がある日、ルールがないという日本語の中のルールを見つけ、新しい言葉を作りました。

「ネイティブチェックは“ネッチェッ”になる!」

日本人は何でも省略する、パーソナルコンピューターはパソコンになるし、リモートコントローラーはリモコン、スマートフォンはスマホ、というわけで、ネイティブチェックだって省略していいはずだ、とのこと。

「な・・・なんか違うと思うけど・・・」

しかしなぜ違和感を感じるのか説明できず、なんだかモヤモヤ感が残りました。なぜ、「ネッチェッ」に違和感を感じるのか、はたしてそれば本当にあり得ないのか、ずっと不思議に思っていました。今回のブログではこの違和感について少し考えてみようと思います。

確かに日本語は長い言葉をよく短縮します。
歌手やゲームの名前なら
 ポケモン:ポケットモンスター
 アツモリ:あつまれどうぶつの森
 ミスチル:ミスターチルドレン
 ドリカム:DREAMS COME TRUE
 キムタク:木村 拓哉
 ヒゲダン:Official髭男dism
・・・などなど、有名になればなるほど短縮形の呼び方が市民権を得るようなところがあります。

トレンドワードばかりではなく、カタカナの機器名もよく短縮されます。
 パソコン:パーソナルコンピューター
 リモコン:リモートコントローラー
 スマホ:スマートフォン
 エアコン:エアーコンディショナー
 カーナビ:カーナビゲーション

セクシャルハラスメント(セクハラ)やパワーハラスメント(パワハラ)など、ハラスメントがついた短縮形は最近どんどん増えていきます。
 モラハラ:モラル・ハラスメント
 マタハラ:マタニティ・ハラスメント
 カスハラ:カスタマー・ハラスメント

別にカタカナだけの長い単語が省略されるわけではなく
 合コン:合同コンパ(そもそもコンパだってコンパニ―(company)の略)
 婚活:結婚活動
 就活:就職活動
 終活:人生の終わりのための活動
そういえば最近まで見てたドラマ「リコカツ」は離婚活動の略でした。

流行じゃないの?ポップな言葉だけでしょ、かと思うと意外に真面目な言葉も縮められています。

 国連:国際連合
 行革:行政改革
 英検:英語検定
 文科省:文部科学省

日本人はやはり長い単語(複合語)はなるべく短くしたい、それも出来れば4拍にしたい、という性質があるようです。

これは日本人のリズム感、日本語の「拍(モーラ)」という特徴に原因があります。日本語は「拍」でリズムをとる言語です。拍はどれも等間隔で、「は」「く」のような仮名1文字で表される直音も、「しゃ」「しゅ」のように小さい「や・ゆ・よ」がついた拗音ようおんも、「ッ」「ン」「―」のような特殊音も一つの拍として数えます。(日本語の特殊音には「―」の長音、「っ」の促音、「ん」の撥音があります。)

例えばパーソナルコンピューターは、

で11拍。

*ちなみにコンピューターのような「ター」は「ー(長音)」を省いて「コンピュータ」と表すことも出来ます。参照:文化庁「外来語の表記」留意事項その2(細則的な事項)

さて、このPersonal Computer、英語では何拍になるんでしょうか?
・・いえいえ、英語では「拍」では数えません。学校でも習った「音節(シラブル(英: syllable))」で数えます。

英語の音節は「(子音)+(母音)+(子音)」(CVC)の音のかたまりで一つになります。(子音はゼロのときも、複数あることもあります)。strikes もstreets も1音節、a や eye も1音節。(eye[ái] は母音が2つありますが、このような2重母音は1つの音節として数えます。)

Personal Computerの音節は以下のようになります。

合計すると 6つの音節からできています。
どうやって音節を数えるか?一番確実なのは辞書を見ることでしょう。

per・ son・ al と分かれているのは音節の区切りを表しています。音節が3つであることがわかります。

com・put ・er で、音節は3つ。

日本語と英語では、リズムのとり方が全く違います。
日本人が英語の歌を歌いづらいと感じるのは、この拍と音節の違いが関係してくるんだと思います。英語の歌は音節を一つの音符に乗せるのに対して日本語は拍でリズムを取ります。

例えば「小さな世界(It’s a small world)」の歌詞を見比べてみると、日本語は拍が音符にのっていますが、英語では音節が音符にのっています。一つの音符に対して子音がたくさんあるので歌いづらく感じるんだと思います(少なくとも私はそう感じます)。また日本語が母音で終わる語が多い開音節なのに対して英語は子音で終わる閉音節の語が多いということも影響していると思えます。

では日本語には音節がないかというと実はそうではありません。
先にあげた特殊音(「―」「っ」「ん」)は一拍ではありますが、音節とは数えられません。
なので、音節としては7音節、拍で数えると11拍になります。(赤いところが特殊音)

音節と拍の違いについての詳しい説明は、日本語教育能力試験についての解説がされているこちらのサイトを是非ご覧ください。音節と拍(モーラ)の違いと言語のリズム

日本語を音節に分ける、として「あ・ん・し・ん」が「あん」「しん」と分けられるのはなんとなく分かる気がしますが、俳句や短歌での「七五調、五七調」の数え方も、しりとりも、通常「拍」で数えているので、日本語ネイティブにはどうしても拍をリズムだと感じ取ってしまうところがある気がします。(ケンケンパ、の「グリコ」「チョコレート」「パイナップル」も拍で数えていますが、チョコレートだけは「チ・ヨ・コ・レ・ー・ト」と本来5拍のところが6拍になっています。)

話は元に戻りますが、Native check はどうかというと、[na・tive] [check] は英語なら3音節です。日本語にすると以下のようになります。

拍数は7つ。最初の2拍(ネイ)と2拍(チェッ)を足すと「ネイチェッ」です。でも特に最後の「ッ」が残るのに気持ち悪さを感じてしまう自分がいます。

国際交流基金「複合語短縮」の論文(日比谷潤子)(1998年6月)には、複合語短縮事例365語が調査されています。1998年の論文だからでしょうか、2021年現在ではあまり見ないものもありますが、現在も使われ続けている複合語短縮も多いです。この論文によると当時使われていた365語のうち、307語(84.1%)が4モーラ(拍)語であり、さらにそのうち304語が前部要素から2拍、後部要素から2拍をとって構成されているとしています。また、そうした「2拍+2拍→4拍」のパターンがもっとも生産的としつつ、約20%の例外をタイプ別に分類しています。

例えば
★短縮語形の最終モーラ(拍)の劫音(ャュョ)は直音化する
 アメリカンカジュアルは「アメカジュ」ではなく「アメカジ」
 マスコミュニケーションは「マスコミュ」ではなく「マスコミ」

★はじめから 2拍とると2拍目が長音(ー)になる場合,その長音ではなく,その次の拍を残す
 空オーケストラで「からオー」ではなく「からオケ」
 スーパーコンピューターは「スーコン」ではなくて「スパコン」
 パーソナルコンピューターは「パーコン」ではなくて「パソコン」
*ゲーセンのような例外あり

★後部要素のはじめの2拍をそのままとると短縮語形が促音(っ)で終わることになってしまう場合、促音をとばして、次の拍を残すケースや、促音を「(大きい)つ」に変える

 アメリカンフットボールは「アメフッ」ではなくて「アメフト」
 断然トップは「だんとっ」ではなく「だんとつ」

なるほど、この例に沿えば、ネイティブチェックも、「ネイチェク」となります。4拍になり、収まりがいい気がします。

しかし、さらに3拍になる例外も記載がありました。
★後部要素のはじめから 2拍とった時, 2拍目が促音(っ),及び長音(ー)の場合は,後部要素の1拍目のみをとり,その結果短縮語形が 3拍になる傾向が強い.

 ポテトチップス→ポテチッではなく「ポテチ」
 ミスタードーナッツ→ミスド―ではなく「ミスド」
 ファミリーマート→ファミマ―ではなく「ファミマ」

この例にならうと3拍になって「ネ・イ・チェ」もありなのかもしれません。
「バイト(アルバイト)」(昔は「アルバイ」だったそうですが)、「スマホ(スマートフォン)」「エゴサ(エゴサーチ)」「ダンパ(ダンスパーティー)」「プラモ(プラモデル)」・・・3拍の短縮語形も結構ありますね(しかし4拍の短縮語形に比べるとやはりまだまだ劣勢)。特に長音(ー)は省略されることが多いのかな、と思って最近の略語を調べていると「アラサー(アラウンドサーティ:おおよそ30歳)」「アラフォー(アラウンドフォーティ:おおよそ40歳)」なども出てきました。「2拍+2拍→4拍」パターンはなかなかしぶといです。(ちなみに「おおよそ60歳」は「アラカン(還)」!)いずれにせよ、ソシュールが見たらびっくりするだろう語のぶった切り方です。形態素(意味をもつ表現要素の最小単位)なんてなんのその、日本語の拍というリズム感覚はオリジナルの英語の意味や音節を飛び越えていきます。

さて、こんなに書いてきてなんですが、私は個人的には「ネイティブチェック」という用語そのものがあまり好きではありません。官庁系の入札図書などには今日もよく「翻訳にはネイティブチェックを行うこと」という条件が課されているものがありますが、読むたびに「最初からネイティブが訳したらどうするんですか?」とか、「ネイティブなら誰でもいいんですかー?」と心の中でつぶやいてしまいます。フランシール社が昨年取得した翻訳サービスの国際規格、ISO17100では、翻訳後のバイリンガルチェックが必須とされていますが、これは特にネイティブが行わなければならないものとはされていません。実際、以前翻訳のトライアルをした際、他の英語ネイティブ候補と比べてもベストな翻訳を提出したのがスウェーデン人のS氏でした(現在課長職)。ネイティブチェックという概念、これも日本固有のものなのかもしれないなと思います。(鍋田)

<後日談>先日「ネッチェ」を発明した彼に、「やはり私はネイチェクだと思う」と伝えると、「いや、”ネッチェ”のほうがいい。」とのこと。理由を聞いたら「小さい “ッ” が多いほうがかわいいでしょう?」と言われました。そこ?!


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<お知らせ>フランシールにご登録いただいた翻訳者・通訳者の皆様へ

2021年8月9日

ご登録情報更新のため、転居等でご住所(居住地)を変更した場合は、指定書類(登録フォーム)の再提出をお願いしております。
正しい住所が登録されていない場合、郵送物(書類等)の不達だけでなく、例えば日本から海外へ転居する場合は報酬から控除している源泉徴収等にも影響いたします。
転居先が海外であっても国内に所得が発生する場合には、源泉徴収が必要となり、その源泉税率は居住者扱いか非居住者扱いかで異なります。

正しい金額をお支払いをするためにも、現住所の把握は必要ですので、
転居する際は、速やかに登録フォームをご提出くださいますようお願いいたします。

ご不明な点やご質問などございましたら、以下までご連絡ください。
よろしくお願いいたします。

【本件に関するお問い合わせ先】
総務・経理部
Tel: 03-6908-2180 (平日 9:30~17:30) e-mail:info@franchir-japan.co.jp

<めじろ奇譚>言語は言語でもプログラミング言語とは①

2021年8月5日

みなさん、こんにちは。フランシールに所属するフランス語の通訳、翻訳をしている芹澤と申します。

私の業務は、お客様の意図している文章や話そうとしている言葉を、世界で使われている様々な言葉のある一つのものからもう一つのものに置き換える(すなわち翻訳)か、言い換える(通訳)する事になります。

そして私自身は、ODA(日本の開発援助)のお仕事を頂いて、アフリカのフランス語圏の国々に行って調査団の通訳をしたり、関連する翻訳をさせて頂いたりが主たる業務です。

日本語や英語で書かれた書類をフランス語にしたり、フランス語で口頭で話されている内容を日本語に置き換えて話す、等が仕事、という事になります。

それ以外にも、パソコンを組み立てたり、色々な機械を分解して、壊れた2台のゲーム機から動く1台を再生したりする事などを趣味としているので、パソコンサポート的な事もしております。

そんなわけで今回は言語のお話ですが、プログラミング(プログラム)言語についてのお話をさせて頂きます。

世界には3000から5000もの言語があるといわれています。そんなにあるとは思っておらず、実は今ネットで検索して出てきた数字です。すごい数あるものですね。

今はコロナ禍ということもあり、海外からの観光客もほとんど日本にいらっしゃらないですが、今や街を歩けば外国語を話す方はすぐそばにいらっしゃるわけで、色々な言葉を見聞きすることも身近になっている訳です。

ところで、私たちが話したり聞いたり、書いたり読んだりする言語以外にも言語と呼ばれるものが存在します。プログラミング(プログラム)言語と言われるものです。

私たちは余り意識せずに毎日暮らしていますが、じつは私たちのまわりにはプログラム言語で出来たものであふれかえっています。

パソコンやスマートフォン(スマホ)は私たちの生活に今や欠かせない道具としてひとり一台、あるいはそれ以上の数持ち歩いたり、自宅やオフィスでそれを使って毎日仕事や生活をしています。

私たちが何気なく使っているパソコンやスマホは機械として様々な部品で出来ていますが、目に見える部品だけでなく、様々なプログラムという目に見えない部品からも出来ています。

スマホも電話を掛けられるコンピュータな訳ですが、コンピュータは機械語とかマシン語と呼ばれる、頭脳であるプロセッサという部品が直接理解出来て、実行出来る一連の命令で動いています。
スマホに入れているラインやスカイプ、パソコンで毎日使っているワードやエクセルといった様々なソフトウェアやアプリもそうですが、OS、いわゆるオペレーティングシステムと言われる、パソコンやスマホを動かしている、おおもとになるシステムもプログラムです。

パソコンの自作をされた事がある方はお分かりでしょうが、パソコンの部品を組み立てて電源スイッチを入れてもそれだけでは何も動きません。

オペレーティングシステム(OS)が入っていないからです。パソコンを組み立てて、OSをインストールして初めて私たちが使えるパソコンになるわけです。

スマホも同じです。何も入っていないスマホは、電源ボタンを押してもうんともすんとも言いませんし、何も起こりません。プログラムが何も入っていないからです。

ただ、スマホの場合には、私たちが手に取ってみる時にはすでにOSが入っていて、電源ボタンを押せばOSが立ち上がる様になっているので、私たちは気が付かないのです。

さて、iPhoneであれアンドロイドであれスマホの画面にはアイコンが表示されていて、それをタップしてアプリを起動させます。パソコンにもウインドウズやマック、リナックスといったOSがあります。そしてデスクトップにはアイコンが表示され、それをクリックする事でプログラムを実行させているのです。

私たちは絵(アイコンですが)を指先で軽くたたいたり(タップ)、マウスでカーソルを動かして絵のところに持って行ってボタンを二回たたいたり(ダブルクリック)しているだけですが、パソコンやスマホの中では、その絵(アイコン)が示しているプログラムを実行せよ、という命令が実行されているのです。

ところで、翻訳という言葉は英語にするとTranslationと言いますが、通訳はInterpretationと言います。このInterpretationという言葉は通訳する、という意味以外にも解釈する、とか判断する、という意味があります。

言語という繋がりで見ると、スマホやパソコンはアイコンをタップしたり、クリックしたりする行為をInterpretation解釈、通訳してプロセッサに伝えている訳です。

そう考えると、プログラミング(プログラム)言語というのは人間とコンピュータという、そのままでは通じ合えないものどうしをつなぐ言葉なわけです。確かに言語です。誰が言語と呼び出したのか、と感心していまいます。

話をちょっと変えて、これを言うと年がばれてしまいますが、パソコンやスマホどころか、昔はテレビ、と言えばスイッチを入れて(つまみを引っ張って付けるのが多かったです)、その前にかしこまって、眺めるものでした。お茶の間にあって一家総出で拝見させて頂くものでした。それを使って遊ぶなんて想像すらできませんでした。

テレビゲームと呼ばれるものが出てきたのは私が小学生の頃でした。インベーダーゲームが大流行したものでした。喫茶店やゲームセンターに行って、貴重なお小遣いの中から100円玉を投入して、ゲームをしました。家でやるなんて代物ではありませんでした。

私がそんなものに興味を持ったころ、原始的な家庭用テレビゲーム機やマイコンといったものが世の中に出てきました。

最初期に発売されたNECのTK80、という機械は、何で知ったのか覚えていませんが、電子部品の塊で、なんだかすごく憧れました。自分ではんだ付けしたりしないといけないですし、今のパソコンのようなアルファベットのキーボードがあるわけでは無く、電卓の様なキーボードでマシン語のプログラムを入力するもので、算数も数学もとても苦手な身にはとてもでは無く手が出せませんでした。だいいち、値段が高すぎて夢に見るようなものでした。

それからしばらくたって池袋のパルコにあった三省堂書店にキーボードのついたパソコンが置かれていたのを覚えています。七色のリンゴのマークがついていました。今思えばあれはアップルIIでした。マッキントッシュの先祖になるアップルが世界中に知られることになったパソコンでした。当然お値段も高すぎてとてもではありませんが手の届くものではありませんでした。

その後ファミコンなんかが出てきました。
いろんな会社からゲームが出来たり、プログラムが出来たり、というパソコンと呼ばれるものも出てきました。
そんなとき、それらの初期のパソコンの中から割と安く手に入るMSXというのを手に入れました。これはテレビにつないで使うもので、そのころのファミコンと同様にアンテナのところに接続しテレビでNHKの総合放送が映る1チャンネルのとなりの2チャンネルにして写して使いました。

MSXはファミコンの様にカートリッジ(ゲームカセット)を差し込むとゲームが出来ます。市販のゲームを遊ぶときはカセットを刺してから電源ボタンを押すとゲームが始まります。何も刺さずに電源を入れるとベーシックというのが立ち上がります。
ベーシックは初心者も扱いやすい、と言われたプログラム言語になります。
ただし、電源を入れて立ち上がったベーシックはコマンドを打つとかプログラムを保存していたカセットテープから読み込むとかしないと、何もしてくれません。

当時MSXの雑誌もほかのパソコンの雑誌も発行されていました。ゲームの情報なんかが載っていたりするので私は毎月MSXの雑誌を購読していましたが、そこには巻末に毎月ゲームのプログラムが掲載されていたりしました。読者が応募して選ばれたゲームだったりするのですが、確かベーシックのプログラムもマシン語のプログラムも掲載されていたと思います。

マシン語は16進数の数字の羅列で、とてもじゃないけど、間違わないで打ち込むなんてことは天地がひっくり返っても出来るとは思えません。なのでそれよりはとっつきやすいと思われた、ベーシックで書かれたゲームのプログラムなんかを打ち込んでカセットテープに保存して遊んだりしていました。私のMSXにはカセットテープ以外に保存出来る方法がありませんでした。そうでないと、あんなに苦労して時間を掛けて打ち込んだプログラムは電源を切ると消えてしまったのです。

そうして苦労してプログラムを打ち込みます。

でも、どこかに打ち間違いがあると動かないのです。ゲームが始まりません。ゲームといってもインベーダーゲームを簡単にしたような奴とか、ボール(玉)が動くだけ、とかなんですけど、どこかで打ち間違っているのです。

SyntaxErrorという表示を何回見たことでしょうか。そして、ため息をつきながら間違っている場所を探しては直していくのです。

これをデバッグと呼ぶようですが、当時そんな用語なんか知る由もなく、ここだ、あった、なんていいながら直してはカセットテープに保存していました。何日もかかっても一向に動いてくれない、なんてこともしばしばでした。結局動かないままあきらめたことも何度もありました。

と、どうでもよい個人的な思い出になってしまいました。

そういえば、翻訳や通訳も同じです。ちょっと言葉を間違える、言葉の順番を間違える、それだけで文章の意味は変わります。

思い出話は置いておいて、現在に置き換えてみます。最近弊社も音声関連のお仕事なんかをやらせて頂いています。そんな中、私たちもプログラム言語について色々勉強をしたりする機会がどんどん増えているのです。

今回のタイトルのプログラミング言語から思い出話になってしまったわけですが、今のパソコンもスマホも基本的な仕組みは昔のものと変わっていません。
プロセッサが命令を処理する事で動くわけですが、私たちの目に触れる中では一番基礎の部分になるオペレーティングシステムも私なんかからすれば膨大なプログラムの塊をプロセッサが処理することで動いているのです。そして、様々なアプリはOSの上で動くわけです。
プロセッサ自身は機械語(マシン語)による命令で動くわけですが、わたしたちにはマシン語は難しすぎます。ですからプログラム言語を使ってプログラムを書いて、それがマシン語に置き換えられ、すなわちInterpretationされてパソコンやスマホは動いている訳です。そう考えると私の仕事である、翻訳や通訳の世界と良く似ている気がします。
でも、正直全然違う気もします。

フランス語通訳、翻訳 芹澤 紀青

 

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